第27話 回想
昨年八月、僕が黄泉子と出会ったときの話だ。
ようやく『殺され屋』としての仕事にも慣れ始めていて、世の中には色んな人がいるものだなぁと、僕は悟りを開きかけていた。
夏真っ盛りのある日、闇咲からの指示で、とある住宅街にある一人暮らし用マンションに向かった。僕の家からは自転車で二十分ほどのところで、大学生などがよく住んでいる地域だった。
目的のマンションに到着したら、インターホンで三〇五号室を呼び出す。
すぐには反応がない。しばらく待つと、ようやく相手が応答。
「
無言でエントランスのオートロークが解除された。マンション内に入る。
三階の一番端の一室に到着。チャイムを鳴らすと、ごそごそとドアの向こうから音がして、キィと嫌な音を立ててドアが開いた。
出てきたのは、いかにも顔色の悪そうな、若い女性。頬が少し痩けて、長い髪もボサボサ。おそらく風呂にも入っていないのだろう、少しすえた匂いがした。
健康であればきっと綺麗な人だったろうに、全く魅力的に見えない。
この女性が、黄昏黄泉子か。三ヶ月程前に『惨劇絵師』というジョブを開眼し、要観察の対象とされていた。もしかしたらさほど危険はないのかもしれないとも思われていたが、結局トラブルがあったらしい。
「こんばんは。初めまして。黄昏黄泉子さんですね?」
「……あなたが、『殺され屋』?」
「はい。そうです」
「……殺しても死なないって本当?」
「はい。そうですよ」
「……試していい?」
「一度だけならお試しでも構いません。ただし、人目がある場所ではダメです。中に入れていただいても?」
「……わかった」
虚ろな表情。覇気のない声。警戒心の薄い対応。
僕がただの不審者だったらどうするのだろうか、なんて心配をしてしまうが、そんな警戒心を抱くのも面倒くさいのかもしれない。人生に疲れ切った雰囲気がありありと伝わってくる。
部屋の広さは六畳程度。その床一面にゴミが散乱していて、かなりの異臭を放っていた。ゴミの侵食を免れているのはベッドの上くらいだろうか。正直、お仕事じゃなければこんな部屋には入りたくない。この暑い季節、冷房がついているのは救いかな。
足下に気をつけつつ、室内に入る。
途中、黄昏はキッチンにある包丁を手に取った。
「……殺していいんだよね?」
「最初の一回だけは、お試しで殺して構いません。ただし」
僕が説明する前に、黄昏は包丁で僕の腹を刺した。
腹に焼ける痛み、そして、内蔵を蹂躙される不快感。何度も経験しているとはいえ、顔をしかめずにはいられない。
「……痛い?」
「い……痛いですよ。死なないだけで、痛覚は一般人と変わらないので」
「そっかぁ。良かった。全く痛みもなさそうだったらつまらないもんね」
痩せた顔で、黄昏がニタリと微笑む。悪魔に取り付かれたような陰湿さがそこにあった。
「……あのですね」
「死んじゃえ」
お試しは一回だけですからね、なんて説明をする余裕はない。
黄昏は包丁を引き抜き、血が滴り落ちる光景にさらに笑みを深め、アハハハハと楽しそうに笑った。
黄昏は、今度は腹ではなく肋骨辺りを刺し貫く。肺に傷がつき、呼吸が上手くできない。痛みだけでなく、窒息の苦しみも追加される。
立っていられなくなって、僕は床に崩れ落ちる。たくさんのゴミが散らばっているのに、それを避ける余裕なんてあるはずもない。
黄昏は手を休めず、僕の体を何度も何度も刺す。もはやゴミの一部と化したような僕を、黄昏は鬼女のように繰り返し痛めつける。
よほど酷い鬱憤が溜まっていたのだろうな。体も頭もあまり回らなくなった状態で、ぼんやりとそんなことを思う。
僕に当たり散らすことで、少しでも気分が晴れるならそれもいい。
すごく痛いし苦しいけれど、きっと黄昏の苦しみも似たようなものだったのだろう。
どうせ死んでも生き返るのだから、サンドバック役なんて軽いもんさ。
そうして、どれだけの時間が経っただろうか。
何度も死んで、その度に生き返って。
おそらく、百回以上は死んだのではなかろうか。苦しいのは確かだし、二時間殺し放題で五万円は安すぎかな?
「はぁ……はぁ……はぁ……」
殺し疲れたのか、黄昏が包丁を落とす。
返り血で全身血塗れ。もはや猟奇殺人犯そのものの姿で、黄昏はようやくほんの少しだけ、綺麗に笑った。
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