ゼミ課題①(無題)


課題内容:眠ったまま目を覚さない男の枕元に座る女。夕暮れ。男女の歳は十歳ほど離れている。「おはよう。」というセリフをいれる。1200字以内。


「おはようございます、ご主人様」

 ベッドだけが置かれた広い部屋に、私の声だけが反響する。しかし、ベッドの上で眠っている私の主人は目を覚まさない。これでもう五日目になる。

 枕元に座り、流動食を口から流し込む。寝たきりの彼に栄養を取らせる方法はこれしかなかった。

 空気の入れ替えをしようと窓を開ける。暦で言えば冬のはずなのに、窓から吹き込む夕暮れの風はなま暖かく、夏を想起させた。

 夏。懐かしい響きだ。季節の概念がなくなって、五年ほどが経過しただろうか。今の地球は、どこを見渡しても灼熱に包まれている。朝か夕方でもなければ外の空気を吸うことすらままならないほどに。

 失礼して、主人がくるまっている布団を剥ぐ。彼には両足がない。五年前から──地球に隕石が落ちたあの日から、彼はこの身体で生きている。

 歴史上類を見ない、巨大な隕石だった。地球に落ちれば人類は滅ぶだろうと専門家が言っていたのを覚えている。

 そして隕石は、地球に衝突した。

 それを引き金に地震、津波、噴火など、ありとあらゆる災害が私たちに降り注ぎ、気候は変動し、地球の生命の大半が死んだ。かろうじて人類は滅ばなかったけれど、生き残りは僅かで、絶滅の未来もそう遠い話ではないだろう。

 私や主人だって、無事とは言えない。主人は両足を失ったし、私は脳の大部分を失った。

 それを思い出す度、私の頭に埋め込まれた人工海馬は痛みを訴える。

 主人は人造人間の研究者だった。人工海馬もその課程で生み出されたものだが、人間に埋め込むことは想定されておらず、今のように痛みを訴えてくることがある。それでも記憶をなくすよりはマシだった。職を失って途方に暮れていた私を拾ってくれた主人を忘れるよりも、ずっと。

 私は主人のおかげで生きながらえているのに、当の本人の足はなくなったままだ。不運なことに人工の足は災害で壊れてしまい、再び作り直せるほどの資材は今の地球にはなかった。

 彼は日に日に衰弱しており、目を覚ますことも少なくなった。私ができることと言えば、汗を拭ってあげることくらいで──

「──ッ!」

 あたまがいたい。

 耐えきれなくなり、私は膝から崩れ落ちた。

 記憶が抜け落ちていく。デリートキーでも押したみたいに、まっさらになっていく。

 きっと、人工海馬と私の身体に齟齬が生じたのだろう。身体が熱い。脳みそが溶けたように、何も考えられない。

 目の前の青年が誰なのかも分からなくなって、私は意識を失った。


「ねえ、大丈夫?」

 身体を揺さぶられて、目を覚ます。

 若い男がそこにいた。歳は私よりも、十コほど下だろうか。

「あなたは……?」

 知らない人だった。けれど、どこか懐かしいような気がした。

 彼は少し考えるような仕草をして、

「そうか、海馬が……」

 と呟いた。海馬……記憶を司る機関だったか。それがどうしたというのだろう。

 言葉の意味はどれだけ考えても分からなかったが、窓から吹き込む夏の風に不思議と泣きたくなった。

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