『ある日、十六歳の実妹ができた。』

 テーマ:きょうだい ルール:三人称


「初めまして、お兄さま。四季部寧音と言います。今日からよろしくお願いします」

 そう名乗り、寧音は頭を下げた。

 昼下がり、とある家の玄関前。男女が向かい合っている。鋭い目つきで相手を真っ直ぐ見つめる寧音とは対照的に、男の方は気まずそうに視線を逸らし、どこか落ち着かない様子だ。

「……初めまして。二見春市です。よろしくお願いします」

 なんとか言葉を絞りだすが、その声は酷くふるえていた。春市は緊張をほぐすために深く息を吸いながら、ちらりと寧音の顔を見た。

 元来人見知りの自分が、つい先ほどまで顔も知らなかった人と一緒に暮らすことなんてできるのか。その不安から、昨日もよく眠れなかった。

 いや、ただの知らない人だったなら、もう少しぐっすりと眠れたかもしれない。しかし目の前の少女、寧音は春市の妹だった。義理の、ではない。父も母も同じ、正真正銘血の繋がった兄妹である。つい先ほどまで顔も知らなかった実の妹。例え春市が人見知りでなかったとしても、きっと今日は寝不足だったに違いない。

 いわゆる生き別れというやつだ。彼らが幼い頃、両親が離婚した。その際、父は春市を、母は寧音を引き取ったため、別々に育てられた期間が彼らの人生の大半を占めている。妹がいることは知っていた春市だが、春市が十七、寧々が十六になる今日まで一度も顔を合わせる機会はなかったし、今後も他人として生きていくのだろうと、会うことなんてないのだろうと思っていた。

 しかし今、こうして向かい合っている。きっかけは先月、母が事故で亡くなったことだった。

 父からそのことを知らされても、春市の中には何の感情も湧かなかった。興味のない芸能人の訃報がSNSで流れてきた時のように、悲しさも嬉しさも、何も。そもそも春市は、母の顔を知らない。アルバムの中には母の姿もあったが、最後の写真は自分が五歳の時のもので、自分とは剥離した存在にしか感じなかった。他人としか思えない人の葬式に参列するなんて時間の無駄だとしか思えなかった春市は、母の葬式に参列すらしなかった。

 そんなことよりも彼が気になっていたのは妹のことだ。母の両親はすでに亡くなっていて、他に引き取り手となるような親戚もいないらしい。父が妹を引き取るのは自然な流れだった。

 アルバムの中の妹とは、おもちゃの取り合いをしていたり、公園で仲良く遊んでいたりと、それなりに兄妹らしいことをしているが、それも春市の五歳の誕生日を最後に途切れている。母同様、春市は妹の顔も知らなかったのだ。

 おまけに今日は、葬式やお通夜で妹と会っているはずの父が仕事で不在だ。仲介役もいないので、自己紹介を終えた二人の間には気まずい静寂が流れていた。

 いくら人見知りの春市といえど、家族――父相手なら自然と話せるが、寧音の前ではどうにも上手く言葉が紡げない。彼女が自分の妹であることは理解している。文化祭で女装をした時の自分にそっくりだし、そこに疑う余地はなかった。けれど、頭の片隅に妹の存在を受け止め切れていない自分がいるのも、紛れもない事実だった。

「あ、あの」

 沈黙に耐えかねたのか、寧音がそう切り出した。

「私の方が年下なんですから、敬語はやめてください」

 春市の知る限り、一般的な兄妹間に敬語という概念はないはずだ。格式の高い家ならば違うのかもしれないが、春市はどこにでもある一般家庭の生まれである。

 しかし春市の頭は寧音を妹ではなく初対面の人として認識していた。そもそも春市は同級生だろうと後輩だろうと、初対面であろうとなかろうと敬語で話すタイプだ。

 同時に春市は、ここで敬語を外すことが今後のために重要なのだろうとも考えていた。同じ家で暮らすのだ、いつまでも壁を作っているわけにもいかないだろう。

「ならさ、そっちも敬語やめてよ。兄妹なんだし」

 それは春市が寧音を家族として、兄妹として迎え入れるための第一歩だった。

「……わかりま――わかった」

 渋々了承しようとして敬語が漏れている寧音に、春市は思わず笑ってしまった。

「笑わないでください。普段敬語しか使わないので、ため口は慣れてないんです」

 恥ずかしそうに顔を赤らめる寧音。また敬語に戻っているが、そんなに急ぐ必要もないだろう。いつか自然に外れるのを待つことにする。

 それよりも、「普段敬語しか使わない」という言葉の方が気になった。

「もしかして、誰に対しても敬語で話す人?」

「そう、ですね。お母さんに対しては普通に話してましたが」

「…………」

 やはり兄妹ということなのか、どうやら自分と妹は似ているらしい。

 そういえば寧音はずっと睨むように春市を見ていた。もしかしたらそれも、緊張からくるものだったのかもしれない。

 春市は少しだけ心が解けたような気がした。

「とりあえず、入ろうか」

 いつまでも玄関先で話すのも変だろう。なにせここは、二人が住む家なのだから。

 春市は玄関に足を踏み入れ、寧音の方を見た。

「おかえり」

 寧音は顔を綻ばせて、言った。

「ただいま」

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