第2話 復讐の誓い

「真琴が全く動かないんですけど……命に別状はないんですよね……?」

「ええ。ですがあれは……おそらく、精神的なものかと」

「それはさっき警察から聞きました。そんなに酷いものなんですか?拒絶されるくらいだと聞いたんですけど……」

「ふむ……。弟さんが何故飛び降りたかは分かりませんが……何か、私達が想像する以上にそうしてしまうような最悪なことがあったんでしょう。そのトラウマから逃れる為に心を閉ざしているのだと思います」

「心を……」

「死にたくなるような現実に戻りたくない。もう何も見たくない。そんな気持ちが膨れ上がり、植物状態になっているのでしょう。ただ、身体にも脳にも何の問題もないので本当の植物状態になっているわけではないですからそこは安心してください」

「……つまり、精神が安定すれば元の真琴に戻るかもしれないってことですか」

「そういうことになりますね」


 ……現実に戻りたくない。何も見たくない。そんな気持ちが真琴を殺している。真琴……そこまで追い込まれていたのか……。

 私は……何も気付けなかった。真琴の気持ちを感じ取れなかった。


「…………真琴……」


 死んだ目で遠くを見つめる真琴の姿に、溢れそうな涙をグッと堪えて俯いた。




 ◆    ◆    ◆




「…………真琴、ごめんな」


 帰宅後、すぐに真琴の部屋へ向かった。そしてドアの前でぽつりと呟く。

 真琴の部屋に勝手に入るなんて、本当はしたくないけど……真琴が自殺しようとした理由や原因がどうしても知りたかった。真琴の部屋になら何か手掛かりがあるはずだ。……あると信じたい。


 恐る恐る部屋のドアを開けて中に入る。

 何かあるとすれば……学校の物とか?ああ、教科書やノートも見るか。いじめに遭っていたのなら傷付けられているかもしれない。

 真琴の鞄を漁り、様々な教科の教科書やノートを取り出して隅々まで確認する。だけどどこにも傷や落書きは見当たらなかった。消した後も無い。……ここまで何も無いなんて……やっぱりいじめは無かったのか?いじめが原因じゃないのか……?


「……そうだ、机の引き出しも見ておこう」


 とにかく部屋の隅々まで探してみよう、と引き出しを開けた時だった。


「……ん?これは……本?いや、日記か……?」


 引き出しの中には、色々装飾された高そうな本が入っていた。表紙にはお洒落な感じで「diary」と綴られている。ペラペラとめくってみると、文字が手書きなことからどうやら本ではなく日記らしい。

 真琴は日記とか書かないタイプなのに……珍しいな。

 そんなことを思いながら1ページ目から見てみることにした。するとそこに書かれていたのは……。



『○月×日。今日も部活。正直、気が進まない。また彼らに会うんだと思うとかなり気が重い。でも行かないともっと痛い目に遭う。仕方ない、頑張ろう。』



 まさしく、いじめの内容だった。



『○月×日。池ヶ谷くんに強くお腹を蹴られたせいで昼食を全部吐いてしまった。せっかく姉さんが作ってくれたお弁当なのに……。それにシュートする時、わざと頭に当てられた。すごく痛い。だけど姉さんにはバレないようにしないと。』



『○月×日。樋口くんに「生きてる価値がない」と言われた。サッカーも勉強もできないお前はゴミだって。それに肩を思いっきりぶつけられた。見えていたはずなのに。それを言ったら思いっきり睨まれた。』



『○月×日。佐原くんへのパスをミスしたら「役立たず」って怒られた。「何でお前サッカー部にいるの?」「邪魔だから死ねば?」「さっさと消えろよ」とか、いろんなことを言われた。……何も言い返せなかった。言い返したら殴られるから。』



『○月×日。須藤くんに助けを求めたけど無視された。助けてくださいって頭を下げたら、「俺に言われても困る」と目も合わせず走って行ってしまった。須藤くん、前はすごく優しかったのにな。』



『○月×日。林道くんから「そんなにつらいなら死ねばいい」と自殺を勧められた。姉さんが悲しむから嫌だと断ったら林道くんは「じゃあお姉さんがいなくなれば死ぬ気になるのかな」と笑った。怖い。何を考えているのか分からない。』



『○月×日。あの子は今日も僕がいじめられているところを見て笑っている。僕は何もしていないのに。みんな話も聞かず、僕が悪者だと決めつけていじめてくる。苦しい。死にたい。でも、姉さんがいるから死ねない。姉さんを悲しませることだけはしたくない。みんなずっと仲良くしてくれていたのに、どうして?』




「…………何だよ……これ…………」


 読めば読むほど吐き気が込み上げてくる。全てのページに、誰に何をされたかが詳細に書いてある。見るのも嫌になるほどの酷いいじめもあった。……全て、サッカー部内での出来事だった。


「……何が「いじめはなかった」だよ」


 あるじゃないか……こんなにもハッキリと……!!



“姉さん、心配しないで。僕なら大丈夫だから”



 あの時、気付いていれば。



“何もないよ。部活だって楽しいし”



 あの時、疑っていれば。



“ちょっとこけちゃって……あはは、ドジだよね”



 あの時、詰め寄っていれば。



“ねえ、姉さん……僕がもし「死にたい」って言ったら……どうする……?”



 あの時、あの時、あの時。



“…………へへ、なんちゃって。何でもない!”



 あの時ああしていれば、なんていくつ後悔しても足りない。私がもっとしっかりしていれば……もっと頼れる姉だったら、きっとあの子は苦しまずに済んだはずなのに。

 どうして私はあの子の力になれるような人間じゃなかったんだろう。どうしてあの子の「大丈夫」を信じてしまったのだろう。どうして、どうして!




 ◆    ◆    ◆




「……真琴。日記、見たよ。…………いじめられてたんだな」


 あの子の日記を見つけなかったらずっといじめのことに気付けなかった自分が一番憎い。思い返せば、いじめられているかもしれないなんて容易に気付けられたはずなのに。あの子は無理に笑ってたじゃないか。あの子はところどころ傷を作っていたじゃないか。



“ねえ、姉さん……僕がもし「死にたい」って言ったら……どうする……?”



 あの子はSOSを出していたじゃないか!!どうして気付けなかったんだ。どうして察してあげられなかったんだ!?


「ごめん……ごめんな、真琴……私、最低だな……」


 病院のベッドでぼうっと遠くを眺める弟の手を握って、ただひたすら謝り続ける。


「本当にごめん……真琴」


 ぎゅうっと手を握りしめるけれど、真琴はやっぱり反応を示してくれない。……私がこうなってしまえばよかったのに。どうして何も悪くない真琴がこんな目に……。

 私なんて……私なんてっ……!!


「……真琴?」


 ふと、握り返されるような感覚がして顔を上げる。するとさっきまで遠くを見つめていたはずの真琴の目が、真っ直ぐ私に向けられていた。薄く開けられた口から掠れた声が零れる。


「……姉、さん……」

「……ま……こと……」

「……ゆる……して……」

「……え?」

「ゆるし……て……」


 その言葉を聞いた瞬間、私は力強く真琴を抱き締めた。_________涙が溢れる。

 真琴はまだ囚われているんだ。いじめっ子達に恐怖している。つけられた傷が痛んでいる。目の前に彼らはいないというのに、それでも許しを請うほど苦しんでいる。こんな状態になっても、真琴はまだ……。


「…………ふざけるな」


 被害者であるこの子はこんなにも苦しんでいるのに、どうして加害者達はなんのお咎めもなくのうのうと生きられている?どうして被害者とその家族だけがこんなにも悲しい思いをしなきゃいけないんだ?


「……もういい」


 学校にはいじめのことを伝えたが、「証拠が無い」という理由で相手にされなかった。手紙を見せても「いじめていた証拠がない」の一点張り。サッカー部の子達も口を揃えていじめはなかったと証言していると言われた。

 今でも思い出す、あの憎い髭面。部活でのいじめなんてなかったなんて言い切って。あの子が喋れないのを良いことに、問題を揉み消して……。

 それなら学校には何も期待しない。法が裁いてくれないなら、私が裁く。私の手で……いじめっ子達を地獄に堕とす。例えどんな手を使ってでも。


「大丈夫だよ、真琴。お姉ちゃんが真琴の無念を晴らすから」


 真琴の頭を撫で、そのまま病室を出る。そしてポケットからスマホを取り出すと父親に連絡した。


「_____もしもし、父さん?今いいか?」

「ああ、お前か。忙しいんだ、手短にな」


 面倒くさそうにため息を吐く父親。……相変わらずだな。


「……なら単刀直入に言う。高校を造ってほしい」

「学校だと?何故だ」

「真琴をいじめた奴らに復讐するため。それ以外に理由はない」

「……ああ。真琴がいじめられていたという、あの件か。はあ……復讐などと、そんなくだらない理由で頼むとは……」


 父親は私達子供に興味がない。真琴が倒れた時も、真琴がいじめられていたと判明した時も、何の反応も示さなかった。まあ、私達を置いて海外に飛んだ時からそんなことは分かりきっていたけれど。母親がいない私達は、二人で無駄に広い家で暮らしていたのだ。だけど今はもう……私一人だけ。


「復讐など時間の無駄だぞ」

「私の時間をどう使おうが私の自由だろ」

「……学校で不祥事や問題が起こった場合、全てお前に任せるぞ。それでもいいのか?」

「もちろん。その代わり、私の要望通り学校を造ってくれ」

「…………ふん、好きにしろ」


 父親はそれだけ言うと一方的に電話を切った。

 ……金は腐るほどある。好きなように使え、というのが父親の口癖だった。父親自身も余りあるほどのお金を持っているし、私もカードや多くの貯金など人よりお金を与えられている。そういえば海外に飛ぶ前にも「その金で好きなように暮らせ。足りなくなったら連絡しろ」と言われたっけ。思えば、父親に連絡するのなんてその時くらいだ。

 こんな父親に愛情なんてものが芽生えるはずもなく。私にとって愛する家族は真琴だけだった。真琴しかいなかったんだ。なのに……なのに、それさえ失ってしまったら。


「……言われなくたって、好きにするよ」


 大嫌いな父親に頼んででも、大嫌いなコネを使ってでも……私は真琴の仇を討つ為に生きる。復讐の鬼になる。

 いろんな人間を利用して、騙して、巻き込んで。きっと人として最低なことをする時もあるだろう。それでも心を痛めている暇はない。そんな隙を見せてはいけない。冷酷で残酷な人間になってみせる。


「それじゃあ、早速中学校のデータを集めよう。新設校にスカウトする生徒を厳選しないと」


 生徒や教師すらも駒にして、私は必ず復讐を遂げる。使えるものは何でも使って計画を進める。どれだけ罵られようと、何を言われようと決して止めない。復讐だけが、私の生きる意味なのだから。


 そう、全ては__________真琴の為に。

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