白き魔女の館・2


 アクスが手にした杯を見て、向かいに並ぶ仲間たちが叫んだ。

 促されて、空になった杯をひっくり返してみると、裏には大きく『×』の印があった。


「外したか……。クソッ、我らの運命は、ここで尽きるのかっ……!」


 すまない、同志たちよ。

 共に過ごした短くも濃い思い出が、走馬灯のように脳裏をかけていく。胸がかあっと熱くなった。


「何をゴチャゴチャ言ってんの。さっさと次いくよ」


 魔女は容赦なかった。「次」という単語が、火照ほてった心に冷水を浴びせる。


 なんと、これで終わりではないのか。

 命を散らすこの恐怖を、もう一度味わえというのか。


 これは「選んだ杯で生死を決する」という生易しい遊びではなかったらしい。死の杯を引き当てるまで、強制的に続行されるデスゲーム。

 感傷に浸るヒマさえも許されず、アクスは二つめの杯を引っつかんだ。


「おっと。その前にグラスの水を少し飲んで、リセットして」


 魔女から横やりが入る。

 言われてみれば、銀の杯が並ぶそばに、涼しげなグラスが一つあった。中には透明の液体が満ちている。


 リセットとは、どういうことだ? この水を飲めば、毒の入った杯が入れ替わるとでもいうのか……いや、考えても仕方あるまい。

 アクスは言われるがままにグラスの水をガブリと飲み、次なる杯を握りしめると、意を決して流し込んだ。


 死を覚悟した男には、毒を味わう余裕さえあった。


 舌の上をすべり、トロリとのどを流れ落ちていく液体。一瞬の焼けつくような痛みの後、じわりと余韻よいんが全身に広がる。

 ああ、温かい。

 香り、味わい、そして形容しがたいこの感覚——生きている、という感じがする。これから死ぬというのに、皮肉なものだ。


『死と隣り合わせにあってこそ、どんなときよりも強く生を実感する』


 敬愛する勇者の名言が、今なら少しわかる気がする。


 目を開けると、向かいにいた仲間たちがざわめいていた。


「サンカク……。三角とは、どういうことだ?」


 同志たちよ、もう、良いのだ。

 杯の底の印に意味などない。ここにあるのは、すべて毒酒。最後の一杯を飲み干し命尽きるまで終わらない、これは魔女の享楽きょうらくなのだ。



  ×   △



「それで、どれが一番美味しかった?」


 全ての杯が空になるのを待って、魔女がゆっくりと近づいてきた。このに及んでなんと意地悪な質問か。

 己を死に追いやった毒の味をたずねるとは。いや、正直、味など覚えていない。

 だが、一番印象に残っているのは――


「コレだ!」


 アクスが指した杯を、魔女はひっくり返して弟子に見せた。


「クロ、このマークは?」

「えっと……七番だって」


 弟子が手元の木板に目を落として答える。

 すると魔女はアクスを振り返り、


「それで、これを一番にあげた根拠は? 香りはこっちのほうが良さそうだったよね? アルコールの強さはどう? ふんふん、改善点をあげるなら? じゃあ、こっちはどう思った? ……つまり、飲みやすいけど、パンチが足りない? なるほど、それじゃあ……」


 凄まじい質問攻めだった。最後には身長と体重、年齢、それに日頃の酒量や好みまで問いただされた。


 連撃を受けてぐったりとなったアクスを捨てて、魔女は残りの冒険者たちに標的を移した。


「それじゃあクロ、他のみんなにも配って。ああ、そっちの子は、なんか未成年っぽいからお茶でも出してあげて」


 魔女に指された少年魔術師メイジは、何だかよくわからないが馬鹿にされた気がして唇をんだ。たしかに自分はまだ見習いだが、覚悟を持ってここへ来た。

 自分だって戦える。一人だけけ者というのは、面白くない。


 だが半時と経たぬうちに、少年は己の未熟さを思い知ることになる。



  ×   △   ☆



「ううっ、すんません。もう勘弁してください……」


 戦士アクスは強靭きょうじんな肉体を震わせ、涙を流して魔女にゆるしを乞うていた。

 隣では歴戦の名士アーチャーが、すでに意識を失って倒れている。

 ここまで魔女は、一言たりとも呪文を唱えていない。一体どんな魔法を使ったのか。


「私も……、もう、ここまで……」

「師匠! しっかりしてください」


 大魔術師と名高い師匠のケイオウさえも、すでに足元がおぼつかない。


 そのとき、吟遊詩人が最後の力を振り絞って立ち上がった。相棒の楽器を片手に、一歩、一歩、魔女のもとへと近づいていく。


「リュートさん……。あんなフラフラになりながら、それでもあなたは、まだ……戦うというのですか」


 なんと気高いことだろう。武器を持たぬ吟遊詩人の勇姿を、少年魔術師は涙ににじむ目に焼き付けた。


 そして男は魔女の前までたどり着くと、がくりと両膝をつき——


「アアア~、なんと美しい……。闇よりも深い、射干玉ぬばたまの髪よ……」

【吟遊詩人は魔女をたたえる歌を捧げだした!】


「オレだってナァ、好きで争いに身を投じてるワケじゃねんだよ。なあ、魔女さんよォ……。だけどさぁ、アイツらがっ……村のヤツらがよぉ……おおおおぉうおおーんっ」

【屈強な戦士は稀代きだいの泣き上戸だった!】


「なあに、ワシとてまだまだ若いですぞ! ホレ……アガッ!?」

【歴戦の弓使いは魔女の一撃(ぎっくり腰)を食らった!】


「うへへ、ネエチャン、ええ~チチしとるやないか。ちょいと触らせてくれや~」

【名高き大魔術師は鼻の下を伸ばしている!】


 どこでこうなってしまったのだろう。

 銀杯の試練が終わるや、魔女は「実験に協力してくれたお礼」と言って奥から酒壺を次々と運ばせてきた。それから魔女と四人の冒険者たちで、酒盛りを始めてしまったのだ。

 まったく、大人というやつは。少年は盛大なため息をついた。


 だが……師匠の言葉は正しかった。

 メイジは魔女のほうをチラリと見やる。



  

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