第17話 ラブラブ萌え萌えキュンキュン(ルートα)

 十二月二十七日夕方。


 ダンッとガラス製のテーブルが思いっきり強く叩かれた。ジェーン・カラミティが不機嫌さを微塵みじんも隠そうともしない。場所は公安調査庁の隠れ家である秋葉原の七階建てのビルの最上階だ。大きな会議室でウィザードたちは交渉に臨んでいる。


「C・Jを一掃いっそうする仕事を我々を引き込んでやるんだ。それ相応の対価を支払うのが道理だろう。未来翻訳書ミドラーシュのコピーのうち二つはこちらが貰う」

「ジェーンさん、それは困りますね。未来予知能力者を狙わないというだけでも最大限の譲歩じょうほのつもりですが……納得はしてくれないようですね」

「当り前だ。我々が消耗しょうもうしたお前たちを助けてやる形なんだ。オリジナルを手に入れたら、こちらに引き渡すくらいの交渉材料を示してもらわないと割に合わない」

 

 ジェーンと交渉しているのはケルベロス部隊指揮官の京角きょうかどという妙齢みょうれいの女性だ。どこかの事務員といわれてもおかしくない見た目をしている。難航なんこうしている交渉中に煙草を吸っている者が一人。それもジェーンの怒りのツボを突いている。


岩瀬いわせ……大事な交渉中だぞ。部隊の副隊長としての自覚を持てと言ってるだろう?」

壱乃院いちのいん隊長……物事が上手くいかないから交渉するんでしょう? 気楽にいきましょうよ? 気楽にね?」


 ウィザードは、火花と一緒に席の端っこに座っている。かたわらにはフェアリーが一人パソコンを弄りまわしていた。なにをしているのかは分からない。だが、真剣そうな表情を見て、ウィザードは邪魔にならないようにする。


「譲歩もなしに、声をかけてきたとはな。バカらしい。ウィザード帰るぞ」

「先生、本当に帰るんですか?」

「交渉が上手くないのが日本人の欠点だな。わざわざ……〝要塞〟を放棄して出向いてやったというのにとんだ無駄足むだあしだった」


 ジェーンが会議室から出ようとすると


「分かった……未来翻訳書ミドラーシュのコピーは一時的にそちらに貸すという形はどうだ」

「一転して態度が変わったな。どういう意図があるのか聞いてやる」

「渡す代わりに、ホーエンツォレルン在日米海軍司令官の寝込みを襲うのに協力してもらいたい」

「我々を使い潰すつもりか……だが、その後はどうするつもりだ?」


 少し疲れた様子を見せた京角はそれに答える。


「我々には……コピーをどう組み合せばいいか分からなかった。恐らくコピーを作った者が小細工を仕掛けたのだろう。オリジナルを参照するか未来予知能力者にくしかないのだろう」

「いいだろう……ならば……――我々も全面的に協力してやろう」


 ジェーンは交渉がまとまり、すっきりした顔を見せる。そこに一人の公安調査庁の職員らしきものが京角に耳打ちした。京角は、一気に蒼白そうはくな顔になる。


「C・Jの能力者にコピーが奪われた。音林長官も惨殺ざんさつされたらしい」

「ますます……C・Jを協力して倒す理由ができたな」


 ウィザードは、渡すのを拒む理由を作ったのではないかと考えた。

 おそらく公安調査庁のトップの音林長官はお飾りで、実働部隊の実質的なリーダは京角なのだろう。


「それは本当ですか? コピーはまだ手元にあるのでは?」

「噓ではない。真実だ」


 ウィザードは京角の心をのぞいた。嘘は吐いてない。ジェーンと目を合わせるとうなずく。


「信用してやろう。それでC・Jの拠点の詳細は?」

「ここだ。東京湾に面した造船ぞうせんドックだ」


 京角は、地図を広げる。赤い点がCJの最大拠点らしい。その中でも大きく記されているのが造船ドックだ。


「CJは、ありとあらゆる場所を拠点にしている。だが、重要施設は間諜スパイによって明らかになった。おそらくそこにコピーも運ばれている」

「強化人間も待機している可能性があるぞ。正確な情報が欲しいところだな」

間諜スパイの定期連絡は二時間後だ。それで詳細が分かるだろう」


 ジェーンは、影縫と何かを話している。対して公安調査庁の京角、壱乃院、岩瀬も話を静かにしていた。ウィザードは精神感応テレパシーのチャンネルを低くして、京角たちの会話を覗いた。


《壱乃院、ケルベロス部隊五百人を付ける対能力者特殊弾アンチオーバーテイカーバレッドを装備させてすぐに待機しろ》

《京角さん……本気で、ジェーン・カラミティとタッグを組むつもりですか?》

《岩瀬……京角指揮官の判断を間違いだというのか?》

《事を急ぐと破滅するってのは古来こらいからの必然ですぜ》

《壱乃院、いいのだ。岩瀬の言いたいことも分かる。だが、第二次太平洋戦争など起こさせてはならない》


 ウィザードは精神感応テレパシーのチャンネルを切った。そろそろ昼食の時間だ。ウィザードは、それほど食事にこだわりはない。衛生的で栄養バランスが偏ってなければ何でもいい。


 そこに後ろから火花が抱きつく。思わず双丘の柔らかさに驚き、水の入ったコップを落としそうになった。全くもって悪戯いたずら好きな性格だなと微笑みながら後ろを向く。


「ウィズ、メイド喫茶という場所に行きたいんだけど連れて行ってくれない?」

「メイド喫茶? そんな喫茶店があるのか?」

「うん、ドンキの中にある店が料理もメイドさんの対応もよくて人気なんだって。ついでにメイド服に執事服も貸してくれて記念写真を撮らせてくれるらしいんだ」

「でも、危なすぎないか? 狙われるかもしれないぞ?」

「ウィズは……僕のメイド服には興味ないんだね」


 ウィザードはごくりと唾を飲み込んだ。愛する人の可愛らしい姿を見たくない男の子など地球を探し歩いてもいないだろう。それにウィザードと火花は一線を超えそうになるほどの仲だ。


「じゃあ、ジェーンと影縫さんにバレないように……こっそり出かけよう」

「秘密のデートって楽しいね」

「ここが秋葉原と御茶ノ水の間だから、歩いて十五分のところにお目当てのメイド喫茶はあるみたいだ」


 ウィザードと火花は、時間差をつけて会議室を出た。中に入るのは難しい建物だったが、外に出るのは楽なようだ。ウィザードは、らしくもなく自分から火花と手を繋ぐ。顔が火照ほてっているのは気のせいではないはずだ。


「ウィズ……こうやって普通の日常が送れるようになったら幸せだね」

「そうだな。全てが終わったら草津温泉のペアチケットまだ持っているから温泉に行こう」

「全部解決して……一緒に行けたら……最高だろうね」


 ドンキの前に着いた。『メイド喫茶にゃんにゃんにゃん』という店らしい。昼のピークを過ぎたからか、並ばずに席に座れた。ウィザードと火花は、『ラブラブ萌えキュンオムライス』を頼むことにする。


「あと何日かしたら核攻撃を受けるなんて……誰も想像していないよね」

「ああ……――そうだな。絶対そんな非道なことはさせてはいけない」


 そう話していると猫耳と肉球手袋を付けたメイド服の店員がオムライスを運んできた。匂いだけで本格的な料理だということが分かる。

 まずは店員が火花に挨拶をして、おまじない。


「お嬢様、失礼いたします。ラブラブ萌え萌えキュンキュン美味しくな~れ」


 そう言うと英語でラブラブとハートマークが描かれたオムライスが爆誕した。そしてウィザードの方にも同じことをしようとするのを火花が止める。


「彼は……僕のだ。ケチャップを貸してくれ」

「え……あ……はい、お嬢様お願い致します」


 火花は恥ずかしそうに先程のおまじないを唱える。


「ウィズいくよ。ラブラブ萌え萌え……あ⁈ あああ?」


 ケチャップの出し過ぎで、ラブラブの英語の文字が消えてしまった。ウィザードは火花に「ありがとう、愛しているよ」と囁き、店員が見ている前で頬にキスをする。だが、その行為とは裏腹にウィザードは恥ずかしさで脳が沸騰ふっとうしていた。

 猫耳の店員がケチャップを持って去っていく。絶対裏でネタにされるとウィザードは後悔した。だが、貴重な二人だけの時間だ。大切にしようと考える。熱々のライスにとろとろの卵が絶妙に合う。火花は頬にケチャップが付いている。ウィザードはそれを手で拭うとペロッと舐めた。火花は、恥ずかしそうに笑顔を作る。


「ウィズ……さっきの店員さんじっと見てたけど……タイプなの?」

「違う違う。噂になりそうだなって」

「僕とウィズは……ベストカップルだからね」


 ウィザードと火花は、オムライスを食べ終えると、試着室でメイド服と執事服を着た。猫耳の付いたメイド服の火花は、ウィザードの視神経から中枢神経までを刺激し破壊しそうになる。


「ウィズご主人様だけの猫にゃ」

「――ッッ⁈」

「ど、どうしたの突然ふらふらして?」

「火花が可愛すぎて……眩暈めまいが起こった」


 執事服とメイド服姿のウィザードと火花はツーショットの写真を店員に撮ってもらう。二枚のうちの一枚をそれぞれが持ち、二人連れだって公安調査庁のビルへと戻る。


「宝物にしようっと」

「たかだか写真程度で火花は、はしゃぎ過ぎだろ」

「だって、ウィズがこんなに格好いい執事姿なんだよ」


 店から出て、批判殺到もののデートという罪を犯したウィザードと火花は笑い合う。

 ウィザードはこんな日常がやって来たらいいのになと本気で思った。


 手が触れ合う。だが気恥ずかしさで繋げない。


 そこに凛とした声がかかる。


「その娘が未来予知能力者でありんすか?」


 殺気めいたものを感じるウィザード。すぐにベレッタ92ノーペインを構える。


「誰だ? どこにいる?」

時計仕掛けの道化師クロックワークジョーカー番人ナンバーズ序列五位レイニー・アンブレラ推参でありんす」


 気が付けば、目の前でカランコロンと天狗下駄てんぐげたで歩いている。

 瞬間姿が消えた。背後を見ると火花を捕えている。


「テレポート能力者かッッ?」

「ただのテレポート能力者ではないでありんす」


 そう言ってナイフを数本投げてきた。ウィザードはそれが瞬時に消え、向かってくるのを予測する。前転して回避。一本が肩をかすめる。手を繋いでなかったことを後悔した。


「へえ、心を読んでいるんでありんすね。目的は達したでありんすから、退散しんす」

「むざむざ行かせると思っているのかッッ‼」


 ウィザードは誰もいない空中を撃った。現れるレイニー・アンブレラの肩を弾丸が貫通する。だが、テレポート能力で外まで脱出されてしまう。

 そこに影縫が現れる。ジェーンもだ。


「ウィザード……この大バカ者がッッ‼」


 パンッと乾いた音がする。


 ジェーンは平手打ひらてうちの後に続けて言う。


「勝手に出て行ったのは許す。だが、何故守り切らなかった。それでもお前は紫火花の男なのかッッ‼」


 ウィザードは、顔面を金属バッドでフルスイングされたような心地がした。そうだ。俺は何故何もかも捨てて火花を守らなかったのか。ウィザードは、火花のことだけを考えないおろかしさを悔やんだ。だがもう遅い。そう思っていると、ジェーンが言った。


「世界一のテレポート能力者は一キロ先まで移動できるという話だ。だが連続使用すると脳の過負荷で動けなくなる。まだ遠くに入っていないはずだ。フェアリーにいてみろ」

『ザザーッ……ウィザード……ザザザッ……怪しい軽トラを……見つけたわ。まだ二キロしか……離れていないわ……追跡は任せて』

「フェアリーありがとう」

『ケルベロス部隊が……ザザザッ……輸送車両で……追いかけているわ……ザザーッ……ウィザード……近くの赤いスポーツカーの……電子キーを解除したから……ぶっ飛ばしなさい』


 ウィザードは、ジェーンと影縫と一緒にスポーツカーに乗り込んだ。アクセルを思いっきり踏んで急発進。フェアリーの予想するルートに沿って時速百二十キロで道路を走る。

 道路の信号機はフェアリーがジャックしているので、全て青信号のままだ。


 ――失うことで、その価値に気付くこともある。


 現在は、信じたくないフェアリーの言葉を思い出す。

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