第24話 火花との心の距離(ルートβ)

 十二月十九日深夜。


 深夜になって、ウィザードは秋葉原のタワーマンションの駐車場に車を停めた。

 途中吐きそうな顔をしていた火花はようやく地獄から解放されたといった風で、よろよろと助手席から這い出る。


「僕、ウィザードの運転する車にはもう乗りたくないよ」

「でも黒渕の豪邸からここまで早かっただろう?」

「レディをエスコートするやり口じゃないよ」

「まだお互いボーイとガールだろ?」

「…………」


  タワーマンションの三つあるエレベーターのうち中央のエレベーターを火花が生体認証せいたいにんしょうを行いドアが開く。どうやら他の二つはタワーマンションの高層階用と低層階用らしかった。


「二人きりで隠れ家か……悪い狼に食べられちゃう女の子の気分だよ」

「俺は、悪い狼じゃなくて、忠犬みたいなものだと思うぞ」

「違う、違う……タイムリープ前の僕に調教されなかったのかな?」

「え……?!」

「キスやハグ、ペッティングにセックスの主導権は、僕が握るってことだよ」


 女子の口から出るセンシティブな言葉の数々にウィザードはタジタジになってしまう。それを見て笑い、愉悦に浸る者が一人。火花は少しばかり哀愁が漂う笑顔を作っていた。

 その何とも言えない切なさがウィザードの心に火をつける。

「火花……明日あたりになるが……俺の先生とその付き人が来るけど大丈夫だよな」

「事後承諾じゃない? そういうのよくないよ」

「ダメなら今すぐキャンセルするけど、何度もタイムリープしているってことは……先生と影縫さんが来ることも考慮しているんだろう」

「まあ、そうだけどね……。イレギュラーが重なったみたいだけど、踏み込んだ話ができそうだね」

 キーンッと音が鳴って屋上階のペントハウスにやって来た。星も見えない東京の空だが、月だけはただ明るい。火花は久しぶりの自由な時間らしく、うーんと背伸びして、大きな建物に入っていく。

 タワーマンションの屋上階は都会の騒音とは無縁だった。ウィザードが外の風景を見ていると近づいてきた火花が一言。

「そんなに外の様子が面白いの?」

「ああ……都会の風景を見るのは好きなんだ」

「東京コンクリートジャングルなんて、大層なものじゃないと思うけどな」

「人間の身体みたいにも見えるし、一つの細胞が動いているようにも見えるだろ?」

「…………言われてみればそうかもね。ウィザード、ワインでも飲む?」

「ウィスキーがあればそれで……」


 火花が立ち去ろうとする時にウィザードは彼女の手を引いた。


「火花……頼む。もう一度だけウィズと呼んでくれないか?」

「ウィザード、すぐ前に言ったけど、好きでもない男に愛称で呼ぶなんてことしない」

「そうか……でも、俺は……――火花のことを愛している」


 火花が辛そうな顔を作る。頭ではウィザードの言葉は分かっているようだが、心では納得していない。いや……したくないと言った方が正しいか。それは、ウィザードも同じだ。記憶が残っていない火花とタイムリープ前の絆を取り戻したいというのは身勝手なエゴだ。だが、心がそれを求めている。失った絆は地球よりも重い。


「僕は客室で寝るから、ウィザードはキングサイズのベッドがある部屋で寝て」

「逆でいいよ。俺が客室のベッドを使う」

「大きすぎるベッドで眠るのは寂しくて嫌なんだ」


 確かに、火花は、人目から隠れて生きてきたのだろう。寂しさが募るのも無理はない。ウィザードも今まで何度も何度も何度も寒く寂しい夜を経験してきた。その度に、愛するマリアを思い出す。周りからはマリアの年下の愛人という目で見られていたが気にしたことはなかった。


「ああ、マリア……俺は君のようにはなれないよ。でも寂しい笑顔はもう沢山なんだ」

 マッカランのダブルカスクを呷って、ウィザードはキングサイズのベッドの端で眠る。

 ストンと音がして横で眠っていた横に誰かが座る音がした。見上げようとしたら手で制される。


「お風呂に入りたてだから裸なの。見たら……一生口をきかないわ」

「火花……どうしてそんな真似を……俺を嫌いなんじゃないのか?」

「誰が嫌いって言ったの。変な勘違いはやめて欲しいってだけ」


 ポフッと頭のあたりに長い髪が当たる感触があった。少し濡れているのが肌さわりで分かる。背中をピッタリとウィザードにくっつけてきた。みずみずしい肌の体温とシャンプーの甘い香りが鼻腔を刺激する。


「ウィザード……記憶はないけど……あなたのことを……――ウィズと呼ぶわ」

「え⁈ でも……好きでもない相手に愛称で呼ばないって」

「もしも……これがウィズの作戦なら、効果はかなりあったわ。私、孤児院を抜け出してからずっと眠るのは一人ぼっちだから」


 ウィザードは、火花が言外で好きだと言っている気がした。その程度には鈍感だ。


 ドクンドクンと心臓の音が速まり大きくなっていく。ウィザードは愛情も肉欲も全てを晒したくなった。

 だが、そんなことをすれば、今できた奇跡的な絆を失うことになる。


 ――それだけはイヤだ。


 その程度にはウィザードは臆病だった。その程度にはウィザードは初心だった。その程度にはウィザードは純粋だった。大人になることを知る時が近いとウィザードの身体の細胞が歓喜している。阻むのは欠片しかない理性。


「……ウィズ……セックス……してみる?」


 脳みそが沸騰し一気に気化した。理性がガリガリと削られていく。抑えろ、今はダメだ。そうウィザードは、大きすぎる欲望を小さな理性の柵で封じる。なおも妄想は続く。


「……ウィズ……僕じゃ……ダメなの?」


 火花の切ない声がウィザードを袋小路に追い込んだ。もう逃げられないわと金髪碧眼の小悪魔が笑う。背中合わせだったのが、火花が転がり、柔らかい乳房の感触がした。次いで世界一優しい抱擁、女の柔らかさを感じる。


「僕……この歳では大きい方だよ。ねえ……ウィズも話してよ」

「俺は……その……やり方が……分からないから」

「ポルノ動画くらい見たことあるでしょう?」


 ウィザードは順調に外堀を埋められていた。本陣を絨毯爆撃されているともいえる。身体は段々と火照って熱を帯びる。欲望に忠実な身体を呪う。こんな一線の超え方はダメだ。


「……ウィズ……こっちを……向いて」

「火花……ダメだよ……君の裸を見ただけで……顔を合わせ……辛かったん……うわ?!」


 ウィザードは無理矢理転がされた。目を閉じるも一向に反応がない。ちらりと目を開けると、そこにはシースルーのネグリジェを着た火花の姿があった。シースルー故下着は見えているが、ちゃんと服は着ている。


「……ウィズ……ちょっと可愛く見えたかも♪」

「ひどいよ、火花……俺は男なんだよ」

「えへへ、さあ、また向こうに体勢を変えて♪」


 手が触れ合う。ウィザードの手を火花は探しているようだった。掴まれた手はすぐに恋人繋ぎに変わる。またしても心音が走馬灯のように早く動いていく。


「……ウィズが……ドキドキしているの……伝わってるよ♪」

「…………」

「……ねえ、伝わっているんだよ?」

「火花の音も……ドキドキ聞こえるけどな……」

「……ねえ……キスだけなら……タイムリープ前の私も嫉妬しないよね♪」

「…………」


 ペロッとうなじを舐められた。ウィザードは熱を帯びた身体が己の本能を暴発させようとしているのが分かる。次いで耳を甘噛みされた。電流が走る。身体がおかしな反応を示す。それをあざ笑うかのように前戯が、行われる。

「……ウィズ……僕は……ちょっと悪ふざけが……過ぎたようだね」

「分かってくれたなら……それで?!」


 ――数年ぶりとも思える唇の感触。


 脳はスパーク。心はショート寸前。会いたかった火花の似姿がそこにはいた。

 だが、似姿でしかない。そう、記憶はないのだ。積み重ねた時間が想いが圧倒的に不足している。このまま俺は引きずられない。ウィザードは強く思うと、気持ちとは裏腹に優しく距離を置いた。


「ダメだよ……火花。もっと時間をかけなきゃ……身体の絆は作れても、心の絆は作れないよ」

「……ウィズは……思った通りに反応をするね」

「…………」

「僕は……なんだか……会ってから……心が熱いんだ」 


 そう言うと背中を見せて火花は眠りに入った。暖房が効いているが、ウィザードは毛布を掛けてやり、背中に火花の存在を感じながら安心して眠る。


 ――人は恋するまで恋したことを認識できない。

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