第13話 火花の本名(ルートα)

 十二月二十七日早朝。


「私は今から……公安調査庁の長官の別邸べっていへ向かう。寝ている間にウィスパーがコピーは動いていないと結論づけたからな。オリジナルを持つ者も三つのコピーの内二つがそろったら動きを見せるだろう」


 ジェーン・カラミティはグラスでマッカランを揺らしながらストレートで飲んでいく。酔っ払わないのが不思議でしょうがないと火花が思っている目をしていた。影縫が昨晩伝えた体調不良の件が気になり。同行を申し出ようとするも、断られた。


「ウィザード……お前は未来の花嫁をみすみす下卑げびた連中に渡すことになってもいいのか? 未来予知者なんて……最初の一人ファーストワンと同じ末路になるぞ」


 全身をあまねく調べられ、実験を繰り返されて、捨てられる。そんな未来は見たくないとウィザードは強く感じた。火花を守れるのは、俺一人なんだ。そう心に刻み、顔をやや上向きに起こした。そこにはあどけなさは残るものの、戦士としての顔へと変わった顔がある。


「先生……無理はしないでくださいね」

ひなに心配される鳳凰ほうおうの気分だよ」

「あんまり……笑えませんよ。俺は……火花を必ず守り切るので、先生も必ず帰ってきて下さい」

「希望的観測は大嫌いだが……ウィザード、お前が言うと悪くない響きだ。約束するさ、生きてまた会うと」


 その言葉に嘘偽りはなかった。だからウィザードは笑ってヘリを見送る。

 ウィザードはヘリが見えなくなるまで空を見つめていた。ラジオで今日の天気は快晴だと聞いている。ウィザードは貨物船の広いキッチンから、鶏肉を出し、そこにチーズにバターとスライスした玉ねぎ、ニンジン、バジルを乗せて、アルミホイルに包み、グリルで焼いた。その間にデカいチーズの塊を細い積み木くらいの大きさに切って餃子の皮を巻き、油で揚げる。トマトとワカメとタコのマリネを作り、それらができあがる頃には、グリルの鶏肉は焼き終えた。


「ウィズ……ごめんね。ちょっとボーっとしてたらすぐにお昼になっちゃった」

「いいんだ。女の子だし体調悪い日もあるんだろ。この前、そろそろ生理来るって……ごふッッ⁈」

「ウィズは、もっとデリカシーを持ってよッッ‼」


 ウィザードは初心うぶだった。そして、紫火花も交際人数もゼロ。初めて好きになったのはウィザードだった。お互い距離感の取り方がまだ分からないのだ。


「ごめんごめん……もっと注意して発言しますので、ご容赦ようしゃを」


 仁王立におうだちしていた火花は、ニンマリと笑って、「うむ、苦しゅうない」と江戸時代の誰かの真似をしているらしい。皿にアルミホイルを置き、揚げたてのチーズ巻きとマリネを出す。長いテーブルの端っこに二人で座り、食事をとった。バジルチキンは組み合わせが絶妙で、ウィザードは、密かに火花から褒めてもらえるのではと期待する。だが、火花はうわの空。話題を振っても、「うん」とか「そう」とか「はい」とかしか反応がなかった。

 ウィザードは重い痛みとかがあるのかなと少しばかり心配になる。だが、デリカシーがないとダメだしされた手前、中々口にする勇気が沸かない。


「(フェアリー……助けて下さい)」

『ザザザッ……ウィザード……ザザッ……しばらく、構わないであげなさい』

「(でも……何か……力になりたいんだ)」

『知恵の身を食べた……ザザッ……罰なのよ。本人が調子……ザザザ……が戻るまで……できることはほぼないわ』

「(分かった。フェアリー、いつもありがとう)」


 通信はそこで終わりにする。相変わらずボーッとしている火花を連れてデッキに出た。太陽が昇って来ようとしているのが見える。まばゆい光がコンクリートジャングルを照らし始めた。


 やや気分が良くなったのか、火花が話しかけてくる。


「ウィズ……昨日は眠れた?」

「あ……ああ……おかげさまでぐっすり眠れたよ」

「私……何かしてあげたかしら?」


 それにはさすがに答えるわけにはいかず、「あはははは……なんにもないよ」と苦笑いするのみだった。それを体調が良くなったらしい火花は追及する。気分が良くなった証拠だとホッとしつつ、追及の手を緩めない火花に困ってしまうウィザード。


「なんか……ウィズはウソが下手ね」

「えッッ⁈」

「どうせ……浅草のラブホテルで出してたみたいなことをしたんでしょう?」

「えええ、ええええ、ええええええええッッ⁈」


 火花は舌をベーッと出して、小悪魔のような笑顔を作る。実に生意気で、実に愉快そうであった。機嫌と気分が良くなった火花はデッキの上でウィザードの肩に頭を乗せる。サラサラとしたツインテールがウィザードの性癖をくすぐった。


「なあ……火花……ツインテール解いた姿を見せてくれないか?」

「んんんん? 更なるオカズを要求しているのかな?」

「オカズ? どういう意味だ?」

「ああ……そういう――わけじゃないんだ。別にどっちでも構わないけどね」


 リボンを解いた火花は、薄い褐色の肌と長い金髪が合わさり、さらに知的な青い瞳と美しい抜けるような顔立ちも相まって、言い表せない美しさがあった。眼福がんぷくというヤツだなとウィザードは、寿命が縮んでもいいからまた見てみたいと思う次第。


「ウィズは私の本名知りたい? マリアさんに殺してもらった本当の名前」

「知りたいよ、火花がどこの国出身なのかもきたいね」


 それはウィザードの心からの願いだった。だが、また火花の小生意気な天使が姿を現す。

 ウィザードの目を見ながら、「私のことを好きになった理由を百個あげたら教えてあげる」という無茶難題を吹っ掛けてきた。


「まず……金糸のような髪の色――――」


 それからしばらくウィザードは火花がトマトみたいに真っ赤になるまで、褒め称え続ける。


「――――うなじの小さなほくろも好きだ。これで百個言い終えたぞ」

「うーん、約束は約束だもんね。まさか……本当に百個も好きな点を言われるとは思わなくて、心が有頂天うちょうてんだよ」


 ――ただのテレサ。


 そう一言、火花は話した。


「テレサか……いい響きだな。でも俺は火花って呼び続けるよ。出会ったのは昔のテレサじゃなくて、今の火花だからね」

「うーん、黙っておけばよかった気がする。あ、そうそう……僕の出身はチュニジアだよ。色んな人種の混血なんだ。だから……民族や国といった括りに縛られるのは好きじゃないね」

「俺は……三歳で時計仕掛けの道化師クロックワークジョーカーに入って、最初に遊んだ玩具おもちゃは拳銃だったよ。的当てが得意なのは、それと相手の動きを精神感応テレパシーの能力で予測しているからだよ」

「ねえ……ウィズ……私の心を読んでみない?」

「え⁈」

「好きな人のことは何でも知りたいって思うでしょう」

「ま、まあね、でも……俺はイヤだな。自然とお互いのことを知り合っていく方がいいと思う」

「ふふふ、ウィズは……やっぱり……ウィズなんだね」


 どういう意味かとくが、火花は答えない。ウィザードは話の主導権を完全に奪われて、弄ばれていた。だが、悪い気持ちがしないのは、お互いがお互いのことを好き合っているからだろう。ウィザードは、初めての感覚に戸惑いながらも、楽しさや嬉しさを見出していた。


「そういえば……ウィザードの自動拳銃……ベレッタ92ノーペインだっけ?」

「そうだよ。イタリアのベレッタ社のガンスミスがベレッタ92エリート IIをベースにタングステン弾が撃てるようにチタン合金を使った銃身を採用した特注品さ」


 それは、十二歳の頃、マリアを亡くし、失意の下で、ジェーン・カラミティに出会い、最初で最後に貰ったプレゼントだった。ノーペインという銘は、ガンスミスが、せめて一撃のもとに敵を倒して欲しいという慈悲の心から与えられたものだ。


「あれ……? ウィズ……遠くから泡が近づいてくる。イルカかな?」

「なに⁈ あれは……魚雷だよッッ‼ 逃げなきゃッッ‼」

「え? 魚雷?!」


 すぐに、ボーンッという低く金属が悲鳴を上げるような爆発音が聞こえ、船体が傾き始める。脱出用の小型のゴムボートをウィザードは準備した。なおもボーンッボーンッと魚雷が炸裂し、貨物船は崩れ落ちる巨人の様に朦朧もうろうとし始める。

 船体が致命的に傾く前に、ウィザードと火花はゴムボートで脱出した。


「火花……未来翻訳書ミドラーシュのコピーは?」

「持っているよ。これがある限り、敵は私たちを攻撃できないし、攻撃してきたらオリジナルの未来翻訳書ミドラーシュを持っている証拠だもんね」

「よし、隅田川を上がろう。途中で降りて、フェアリーに監視カメラの映像や衛星リアルタイム映像をジャックしてもらう。いざとなったら逃げる場所は先生と話はしてある」


 ウィザードは、ゴムボートを猛進もうしんさせた。追撃はない。未来翻訳書ミドラーシュのコピーを奪われたC・Jか公安調査庁か実態不明の敵か……分からないが、直接攻撃をしてこないだけマシな気がした。だが、それは油断。進んだ先に網が仕掛けられており、ゴムボートが捕らえられた。敵もまたゴムボートでそのウィザードと火花たちを囲んで、グルグルと包囲網を強気で狭めてくる。


「遊んでいるのか? めてくれる……ッッ‼」


 黒いギリースーツに、ガスマスクのようなものを付けた大きな赤いゴーグルが、狂った野犬を思い起こさせる。だが、ウィザードは、テレパシー能力を使い、相手の位置関係を把握。ベレッタ92ノーペインが火を噴く。ターンッターンッターンッ。敵の操舵を担っていた者が次々に海中へと姿を消す。ウィザードはらしくもなく焦っていた。心を読んだはずが、敵はこちらを捕らえるという意志しかなかったからだ。殺意も雑念も一切ない目的だけを忠実に狙う犬。


「投降しろ。お前たちにそれ以外の道は残されていない。ジェーン・カラミティは既にこちらの手の中だ」


 ウィザードは、フェアリーと通信をする。


『……ザザッ……ウィザード……ザザザ……公安調査庁にジェーンが……捕まったわ。その敵は公安調査庁の……子飼いのケルベロス部隊……ザザッ……今戦うには分が悪すぎるわ』

「裏社会の都市伝説だと……思っていたかったよ」

『チャンスは……ザザッ……いずれ来るわ……ザザザッ……何故なら――――だからよ』

「ははは、――――は朗報なのか意見が分かれるけどね」


 ウィザードは火花にささやいた。最初は驚きの顔を隠せない火花も覚悟を決めたようだ。


 ――臆病者が勇気を出した時が一番厄介なのさ。


 昔、ジェーンに鍛えられた時に貰った言葉をウィザードは思い出していた。

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