第12話 想いと運命(ルートα)

十二月二十六日夜。


 ズドーンッという音と共にタワーマンションが崩れていく。屋上のペントハウスも勿論巻き添えだ。数分前にヘリの上になったウィザードは、その様をマジマジと見て、未来翻訳書ミドラーシュのコピーを潰したい者たちの明確な意思を見た気がした。

 ヘリはそのまま、東京湾の大きな貨物船に着陸した。ジェーン・カラミティのアジトの一つだ。ジェーンは手をちょいちょいと動かすと、影縫かげぬい煙草ゴロワーズに火を点ける。そして音もなく闇夜に消えていく。


「ウィスパーによると公安調査庁が活発に動きを見せているらしい。コピーを狙っているのかオリジナルを狙っているのかは分からんがな」

「C・J……時計仕掛けの道化師クロックワークジョーカーは動きを見せていないんですか?」

「そっちは不明だな。内部に潜らせた工作員はいるが五人中五人が行方不明だ」

「奪い返しにくると思うんですがね」


 ジェーンは、それに対しては何も言わない。確かなことしか口にしない主義なのだ。憶測おくそくを嫌うのは昔と変わらないなとウィザードは思う。緋色の目を東京コンクリートジャングルの夜景やけいに向けながらゴロワーズをくゆらせている。爆破されたタワーマンションからマッカランだけは持っていき、その他の荷物は持っていくのをジェーンは禁じた。


 酒を飲みながら戦闘などできるのかという話だが、ジェーンのあだ名はグラウンドゼロ爆心地。酒を飲んでるくらいが丁度相手に歯ごたえを感じると豪語していた。


 実際、火花から受けた依頼もジェーンならば一日や二日で解決できるのではないかとウィザードは思ってしまう。その浅はかな考えはお見通しのようでジェーンに言われた。


「依頼人と信頼関係を築けるかは最も重要なことの一つだと教えたはずだ。仮に私が解決を手伝ったとしても、お前より上手くいくとは限らない」

「先生、東京に核攻撃が行われるという予知ですが、どこの誰がそんなことするんでしょう?」

「知らん」


 そう言うとジェーンは船倉せんそうの自室にこもった。部屋の前には影縫が待機している。弓なりの目で分かり辛いが、暗い廊下の中で影縫の目が赤く輝いていることが分かった。


「影縫さん……あなたも能力者オーバーテイカーなんですね?」

「…………」

「任務の間なのに話しかけてすみません」

「…………一つ言います。主様は最近まで休養をしていました」

「え? 先生が?!」

「…………」


 それ以上は言うことがないらしい。ジェーンの部屋に入り、直接話を聞きたかったが、影縫の護衛は完璧だった。全く隙がない。無理矢理通ったら腕の一本はなくなると考えていいだろう。


「失礼しました。影縫さん、教えてくれてありがとう」


 火花を探すと貨物船のデッキで風を浴びていた。ツインテールの金髪が夜空の光を反射してキラキラと輝いて見える。ウィザードが後ろに立ったのに気付いた様子だ。


「東京って遠くから見るとこんなに綺麗なんだね」

「中に入ると綺麗さなんて微粒子レベルですら存在しないけどな」

「ウィズに出会えて、色々イレギュラーはあったけど、ここまで来れてよかった」


 火花の青い瞳が揺れる。その中に映るのはウィザードの姿。


未来翻訳書ミドラーシュが全て破棄できたら……どうするんだ?」

「紫火花としての人生を終わらせる」

「え⁈」


 ウィザードは狼狽えた。狙われるからといって、自殺を選ぶのは賛成しかねる。

 ――というかウィザードは火花に懸想けそうしているのだ。絶対に止めると心が叫ぶ。


「真っ青な顔して……もしかして本当に自殺とかすると思った?」

「ち、違うのか?」

「僕は……僕はね。命は神様から与えられた大事なものだと思うんだ。別に宗教的な意味合いはないんだけど、それくらい大事なものだと思うんだ。だから。この一件が片付いたら、死んだことにしてパン屋でもどこかで開こうかなって思うんだ」

「そ、そうか……いい夢だと思う」


 火花は、ウィザードの手を取った。思わぬ行動に身体をビクッと動かすウィザード。

 それを見てクスクスと笑う火花。


「ウィザード……僕の全部を君にあげるよ。その代わりこの一件が終わったら、マリアさんのことは忘れて欲しい。彼女だって復讐鬼になったウィザードを見たくないはずさ」

「俺は……火花に与えられるものはないな。強いて言うなら、残りの生涯を火花と共に生きたい……それくらいだな」

「マリアさんのことを、僕は知っているんだ。一度命を狙われて寸前のところで、救われた。僕が裏社会でも知る者がいないのは、マリアさんが僕を殺したことにしてくれたからなんだ」


 火花は、涙を流していた。ウィザードは手でそれをぬぐう。

 だが、火花はそれで更に大粒の涙を流す。どうしたらいいか分からなくなったウィザードは火花を抱きしめた。


「少し痛いけど……嬉しいよ」

「俺も最高に幸せだ」


 貨物船が少し揺れた。火花はそれを利用してさらに身体をウィザードに預ける。

 これが火花の重みなんだとウィザードは実感した。俺は……火花がいるなら強くなれる。ウィザードは決意を新たにした。


 風が冷たい冷えるからと言って火花を船倉の部屋へ戻るように提案した。火花は軽く首肯しゅこうして、トタトタと走り去っていく。ウィザードはマリアを殺した犯人が見つかるまでは、火花の言う幸せな未来を送れないと感じる。


 全ての能力者を抹殺するだけの力が手に入れば自身と共に滅ぼすのも選択肢の中に入っていた。


『……ザザザッ……ウィザード……ザザッ……おたわむれのところを……ごめんなさいね』

「フェアリーは全部聞いてたの?」

『……ザザッ……ザザザッ……』

「…………ごめん」

『ザザザッ……ウィザード……ザザッ……バカなんだから』

「…………ごめん」

『ザザザッ……ウィザード……ザザッ……あなたが……幸せなら……お姉さんは手を引くわ』

「…………ごめん、でもありがとう」


 フェアリーとの通信が終わっても、ウィザードはデッキから離れなかった。自身の抱く想いと自身に向けられた想いを感じて、心を整理する。誰もが幸せになる道などきっと存在しない。


 ――人は想いの生き物。それは大抵の場合叶わないけどね。


 昔、フェアリーが笑いながら口にしたことを思い出す。あの時はまだ意味が分からなかった。だが、今なら分かる。マリアへのウィザードの想い。ウィザードへの火花の想い。それらは重なり合うものだが、そこにウィザードへのフェアリーの想いは入る余地がない。


 ――運命ほど残酷で美しいものはないわ。


 昔からフェアリーは含蓄がんちくのある言葉を投げかけてきた。こうして思い出すのはフェアリーがウィザードを想ってくれた証拠だ。火花本人から依頼を受けるまで、フェアリーのことをウィザードは好きだった。それは紛れもない事実だ。だが、火花への気持ちが知らず知らずに強く変わっていった。


「(残酷な神様……殺せるなら……撃ち殺してやるのに)」


 痛くなるほど冷たい潮風を浴びながらウィザードは独り言を漏らした。

 フェアリーも通信を完全に遮断しているように思えた。

 今この時はウィザードは世界に一人ぼっちで存在している。


 波風が強くなってきた。そろそろ部屋に帰るか。だが、もう少しばかり、このまま波風と貨物船の織り成す残響ざんきょうに心をさらしていたい。俺は選択肢を間違っていないよな。答える者は誰もいないことをウィザードは知っている。


「(一眠りして状況の変化を待つか)」


 ようやく……思考にふけって、後悔に身を沈めて、未練を殺して、ウィザードは新しく生まれ変わった。もう迷いは一切ない。これから先……何があっても、火花を守る。その決意を固めた。


 暗い廊下を通って、ウィザードに貸し与えられた部屋に入る。

 ベレッタ92ノーペインを分解し、整備する。ウィザードには物欲がほぼない。依頼で自動擲弾銃グレネードランチャー機関銃マシンガンをぶっ放す時もある。


 だが、もっとも手に馴染んだベレッタ92ノーペインだけに心が動く。


 もはやベレッタ92シリーズは時代遅れになりつつあるが、それでも新しい相棒を探そうとは思わなかった。


 メンテナンスが終わると風呂場の中に愛銃を置いてシャワーを浴びる。ついさっきのことかの様に、火花の裸体を見た衝撃を思い出す。


 ウィザードはまだ高校も卒業できない年齢だ。獣性じゅうせいは抑え込めない。

 火花から抜け落ちた金髪の髪の手触りを思い出しながら、身体が愛しさで火照っていく。


 数分後に、男子のごうともいうべき衝動がなくなり、多少の疲労を感じながら、小さなベッドに身を投げ出した。


 傍らには、ベレッタ92ノーペイン。男の子は女の子を守りたいと本能で思う。大の字にベッドで仰向けになる。段々と睡魔に襲われて、暗転する。


――ジョン……私が死んでも……ジョンはきっと大丈夫。きっと……運命は鮮やかに君を変えるよ。


 夢現ゆめうつつでマリアの言葉が、聞こえた気がした。指でネックレスの9x19mmパラベラム弾に触れる。今は亡き想い人への感情が疼く。それと同時に火花のことを想いながら思考が沈殿していった。

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