第11話 火花へのプロポーズ(ルートα)

 十二月二十六日夕方。


 火花を食事を作っているとヘリの音が響く。ペントハウスから空を見上げるとファストロープ降下する人物が一人ウィザードたちの元へとやって来た。火花は、常備している自動拳銃を構える。だが、ウィザードはあらかじめ連絡をした時間通りなので警戒はしていない。


「ウィズ……敵かもしれないわ」

「いや……彼女は違う」

「彼女? 知っている人なの?」


 まるで夫の昔の彼女をき出した時に、見せる妻の不機嫌な雰囲気を纏った火花に、ウィザードは少々たじろいでしまう。なんの後ろめたさもないはずが、今日のデートで何かが決定的に変わってしまった気がする。


 ファストロープでペントハウスの庭に降り立った人物は庭を颯爽さっそうと歩き、真っ赤なレディーススーツにトレンチコートという目立つ格好で火花の所へ直行した。


「コルトガバメントか……いい銃だとは思うが懐古主義かいこしゅぎな者が使う骨董品こっとうひんだぞ。打てない弾薬も多い。グロック17あたりが無難だろう。未来予知者のお嬢さん」

「あなたは何者ですか? 答えようによっては……あ⁈」


 ドサッと音がして、火花の視界はぐるりと回る。自分が拳銃を奪われ、更に投げ飛ばされたと気付くのに十秒ほどかかった。何故か、火花は悔しそうな涙を流している。


「先生……来てくれたのは感謝しますけど……護衛対象を痛めつけるのはどうかと思います」

「ウィズ……先生って誰? 僕そんな人呼ぶなんて聞いてないよ」

「ごめん、火花、これから先俺一人では火花を助けることができないと思って勝手に呼んだ。酷いと怒られても仕方がないと思う。だけどこれが最善の方法だと思ったんだ」


 火花は涙を振り払い、できる限りの笑顔を作った。それが先生と呼ばれる女に完敗しない唯一の方法だ。


「自己紹介がまだだったな。私の名前は、ジェーン・カラミティ。そこの坊やを一流のガンマンに育てた超一流のガンマンさ」


 仰向けに倒れた火花にジェーンは手を差し伸べる。一瞬、火花は戸惑とまどったが手をつかみ、体勢を立て直した。女性なのに力が強い人だなと火花は考えを改める。それでいて硝煙の匂いが鼻をつく。


「硝煙の匂いが若干いやな様子だな。紫火花、細かいことに気を取られ過ぎると大局を見失うぞ。どうしてそんなことが分かるという顔だな。私は仕事柄色んな人物を見てきた。その結果だ。自分で言うのもなんだが、かんえているのさ」


 ウィザードは、火花がジェーンを警戒しているのも知らずに、再会のハグを交わした。そこで火花がなんとなく怒っているような雰囲気をようやく感じる。一日彼氏はまだ終わっていない。火花を見ると、ジェーンを睨みつけている。


「火花……ジェーン――先生は、悪い人じゃないんだよ。若干傍若無人ぼうじゃくぶじんだけど」

「ウィザード……傍若無人は余計だ。瀟洒しょうしゃで綺麗なお姉さんだろう」

「お姉さんって歳ですか?」

「ウィザード……随分生意気になったな。殺すぞ?」


 急にあたりが凍るように冷たくなったとウィザードは感じる。ジェーン・カラミティは世界一の殺し屋だ。裏社会の者なら聞いただけで震えあがる。そして懸賞金けんしょうきんも一〇〇億ドルを超えていた。


「……さて……まあ、前戯ぜんぎはこのくらいでいいだろう。さっさと荷物をまとめろ。こんな目立つ場所で隠れていたら、あっという間に殺されるぞ?」

「ウィズ……どこまで話したの?」

未来翻訳書ミドラーシュを探していることまでかな」

「何で相談してくれないの?」


 鬼気迫ききせまる勢いで火花はウィザードにたずねた。ウィザードは若干火花の雰囲気に気圧される。

 どうしてこんなに感情的なんだ。ウィザードは乙女心おとめごころうとかった。


痴話ちわケンカは、その辺のイヌにでも食わせてやれ。今から、すぐに残りの未来翻訳書ミドラーシュのコピーとやらを奪いにいくぞ」

「先生……急すぎませんか?」

「東京に核攻撃がされるかもしれないんだろ。急がない道理はない」


 ウィザードは半日をデートに使った悠長ゆうちょうさを反省した。だが、後悔はない。

 火花のことが深く知れて嬉しかったのは事実だからだ。


「今後どうするつもりですか?」

「せっかく、手に入れた未来翻訳書ミドラーシュのコピーなんだろう。持っていることを垂れ流してやるのが一番効果的だ。紫火花……意見を言ってみろ?」

「コピーは……全部揃えれば、オリジナルと同じ情報になると聞いています。オリジナルを持っている者はコピーが揃うのを邪魔するだろうし、コピーを持つ者は奪おうと躍起やっきになるはずです」


 ウィザードは、敵の情報が不鮮明な中、危ない橋を敢えて渡るというジェーンの方針を一種の賭けだと感じた。悠長にやっていたら、核攻撃が始まってしまう。それだけは防がなければならない。


 ジェーンの緋色ひいろの瞳が考えを改めたウィザードを捉える。


「ジェーンさん、あなたも能力者なんですか?」


 意を決するようにして、火花が疑問を訊ねる。


「この瞳は……遺伝子の欠損けっそんゆえだ。能力者ではないよ。張ったりには使えるがね」

 能力者オーバーテイカーではなくても、圧倒的な暴力による蹂躙じゅうりんをジェーンは行っていた。付いた仇名は、能力者殺しサウザンドキラー。ウィザードも名は知れている方だが、殺した能力者の数は、ざっと一〇倍ほどの歴然とした差がある。


影縫かげぬい索敵さくてきは一任する」

「はい、主様」


 最初からそこにいたが、風景の一部となっていた黒装束くろしょうぞくの女性が答える。存在を察知したウィザードは、実戦なら死んでいたと己をいましめた。


 影縫千聖かげぬいちさとは、忍びの家系だ。主人には犬の様に忠誠を誓う。殺せと言えば、対象をどんな犠牲を払っても殺すし、死ねと言われればコンマ一秒で自害する。


「今日はあと数時間でここを後にするぞ。その前に、紫火花、一つきたいことがある」

「なんですか?」

「お前は……本当に未来予知の能力者なのか? なぜ私が来ることが見破れなかった?」

「…………それは――近すぎる未来だからだと思います」


 ふむ、とジェーンは得心とくしんがいったような笑みを作る。そして、ずかずかとペントハウスの中に入り、酒類が入っている棚を犬が嗅ぎつけるように開く。


「マッカランのダブルカスクか……いい酒を置いているじゃないか。ついでに煙草もあればいいんだが……影縫……ゴロワーズを買ってこい」

「はい、主様」


 またどこにいたのか分からないが、スッと現れて、幻のように消えていく影縫。


「先に……くつろがせてもらうよ。このところ秒単位で世界を駆け巡っていたから、少し疲れた。歳かな?」

「先生……らしくもない発言ですね」

「私は、未来からやって来た殺人ロボットじゃないんだぞ。そろそろ、引退したいが……世にはびこるクズを片付ける後継こうけいがいない。ウィザード……お前があと五年早く生まれていれば、私も躊躇ちゅうちょなく引退できたんだがな」

「主様……ゴロワーズです」


 声が聞こえただけでジェーンの手にはゴロワーズとジッポライターが握られている。一本取り出し、紫煙を吐くジェーンは実に様になっていた。昔と変わらないな。C・Jを抜けた後、修行をさせてもらった頃も、ウィスキーと煙草をこよなく愛していた。ウィザードの面倒をフェアリーと一緒に見てくれたことを懐かしく思う。


『ザザザッ……ウィザード……ザザッ……ジェーンが来たようね』

「ああ……タイミングが良くて、助かったよ」

『ウィザード……ザザッ……ジェーンは……肉食獣よ……気を付けて』


 フェアリーはジェーンの元相棒だ。双子の姉妹ウィスパーが今はジェーンのサポートを行っているらしい。


「うむ……ウィスキーとゴロワーズは私の血肉だな。紫火花、お前は酒は飲まないのか?」

「僕は……あまりお酒はすきじゃない。置いてあるのは賓客用ひんきゃくようだよ」

「ふむ……客のもてなし方は気に入った。誓ってやろう。私の全力でお前を死なせないと」


 ウィザードは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。ジェーンが誓いを立てるということは、ほとんどの場合ない。自由を満喫まんきつする一個のキリングマシーンである彼女は縛られることを何よりも嫌悪する。だから、ウィザードは、ジェーンが自ら縛りをかけたことに驚きを隠せなかった。


 瞬間、ジェーンは特注のデザートイーグルで宙を撃った。ダーンッと爆音が響く。なにが起きたのかジェーンを除いて誰も分からない。落ちてきたのは仮面をつけた一人の男。心臓を44マグナム弾が炸裂している。


「ウィザード……女にれてかんにぶっているな」

「……先生には敵わないな……少なからず、当たっていますね」

「お前は昔から長い金髪の娘が好きだったからな。よくそういう写真で自慰をしていただろう」

「え⁈」


 火花が突然針で刺されたような声を上げた。

 ウィザードが好意を寄せていることに気が付いていなかった様子だ。


「先生……それ以上は……やめてください」

「ついでに薄い褐色の肌となったら容姿の好みはストライクゾーンのど真ん中だな」

「…………」


 性癖せいへきさらされて、ウィザードは公開処刑された気分になった。

 火花は……目も合わせてくれない。流石に好みの外見と一致して且つ自慰をしていたとまで言われたら、女性なら距離を置きたくなるだろう。そう思い、がっくりしていると火花が一言。


「僕は……僕はね……ウィズのことが好きだから、自慰オナニーをされていても嫌悪感けんおかんはないよ」


 それを聞くとジェーンは快活に笑う。とてもツボにハマったようだ。


「器量のデカい娘だな。将来が楽しみだ。ウィザード……お前はどう答えるんだ?」

「俺は……俺は……この一件が終わったら……火花にプロポーズする」


 ――ッッ?!


 火花が声にならない声を上げる。


 それを見て、嗜虐心しぎゃくしんが満たされたのかジェーン・カラミティはリビングで煙草ゴロワーズくゆらせながら、マッカランをあおり始めた。


「(やっぱり、傍若無人なのは変わっていないな)」


 ウィザードは、決意と共に昔を思い出していた。

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