第9話 火花の隠れ家(ルートα)

 十二月二十六日早朝。


 ウィザードはキングサイズのベッドの上で眠っていた。場所は秋葉原の超高級タワーマンションの屋上階。強力なコネがなければ、金をいくら積んでも買うことができない物件だ。ようやく、異端審問官インクイジターが尋問する時に使った自白剤の効果が薄れてきた。


 起き上がると隣にはシースルーのネグリジェを着た火花がスヤスヤと寝息を立てている。長い金髪は艶かしく乱れており、少し火照っている薄い褐色の肌がウィザードの男心を刺激した。だが、ほんのわずかな理性が黒いフリルの下着から目を離させた。


「んんん♪ ウィズ……好き♪」


 逃れる前に、ウィザードは、火花に腕を掴まれた。柔らかい感触がウィザードの腕をうずかせる。火花の寝言にも心を奪われた。すっとした目鼻立ちから視線は薄桃色の唇へと移る。

 柔らかいのかな。ウィザードの心に一点の黒い獣性じゅうせいが宿り、むしばんでいく。ウィザードはキスをしてしまいそうになっている。だが、ダメだ。好きでもない相手にファーストキスを捧げるなんて……おかしすぎる。


 そんな葛藤をしていると、火花の目が開いていることに気付く。その目には悪戯心いたずらごころが宿っている。ニヤリと火花は悪い猫が笑ったかのような表情を作った。


「ウィズ……たしか、まだファーストキスはしていないんだよね」

「なんで、それを知っているんだ?」

「え……と、予知能力者に不可能はない……かな?」


 なんとなく大事なことをはぐらかされたような気がしたがウィザードはそれ以上追及しなかった。いや追及できなかった。腕を更に強く絡ませ乳房ちぶさに押し付けてくる火花。


 煩悩ぼんのうが否が応でも刺激される。頼む、俺はまだバージンなんだ。若気の至りじゃ済まなくなるぞとウィザードはやや冷静に考えた。


 そこに突然のぐうと腹の虫の鳴き声が聞こえる。火花は羞恥しゅうちで顔を真っ赤にして、ウィザードの腕を離し、コロコロとキングサイズのベッドを転がりすみで震えていた。


 泣いているのかと一瞬ウィザードは心配になるがそれは杞憂きゆうだ。クスクスと笑っている。


「ふふふ、せっかくいい雰囲気だったのにな。ウィズとは結ばれない運命なのかな」

「人をからかうんじゃない」

「でも、ドキドキしてたのは本当でしょう?」

「…………」


 沈黙は金雄弁は銀なりというが現在この状況では、それは通じない。魔性ましょうの女めとウィザードはため息を大きく吐くばかりだった。それにしても、タワーマンションの屋上階は広い。ペントハウスというらしいが家には広い庭にプールまで付いている。後学の為に色々見て回りたいと思い起き上がろうとすると火花に声をかけられた。


「ウィズは朝食はお米とパンどっちを食べるの?」

「あ……えと、パンだな」

「テキトーな答えは好きじゃないな」

「……どっちでも気にしないな」


 それを聞くと火花はキッチンへと歩いていった。ベッドに長い金髪が一本落ちている。それを触ると絹のような触感。染めた髪ではないのは明白だ。


 日本人だとは考えにくい。紫火花とは本名なのだろうか。あとで聞いてみようとウィザードは決めるのだった。


 キッチンへと足を運ぶ……前に顔を洗って、服を着替えなければ。お手洗いに映るウィザードは灰色の髪が寝癖で立っており、寝ぼけ眼だ。顔を洗うと一瞬で目が覚める。コンタクトレンズをしていないのでウィザードの瞳は赤い。なぜ、能力者の瞳が赤くなるのかは現在分かっていない。


 時計仕掛けの道化師クロックワークジョーカーにいた時は、最初の一人ファーストワンと呼ばれる最初の能力者の因子が瞳を赤く染めるとウィザードは聞いたことがある。


 ――能力は伝染する。


 これが一般的に表の社会で言われていること。だが真相は違うことをウィザードは知っている。各国政府は能力者を意図的に作り出しているのだ。


最初の一人ファーストワンは捕らえられ、脳から末梢神経まで調べ尽くされたという。そして見つかったF因子を、各国は予防接種に混ぜて能力の開花を待っているのだ。


 考えるだけでおぞましい結果だが、これが世界の現状。


 消毒していた青いカラーコンタクトレンズを入れる。絶対に初見しょけんでは能力者だとバレない。これが重要だ。能力者は能力者を警戒する。非能力者だと思い、油断したところをズドン。


 ウィザードにとって能力者は敵だ。今まで多くの能力者を殺せたのも、徹底した実践主義じっせんしゅぎが為したものだ。ウィザードは臆病おくびょうだった。しかしほんのわずかな勇気がそれを後押ししている。


 復讐の願いが叶うようにと思うと自然とネックレスにしている9x19mmパラベラム弾にを触った。


「ウィズ……? 鏡をにらみつけてどうしたの?」

「ああ……少し考えごとだ」

「トーストとベーコンエッグを焼いたんだけど……もっと食べる?」

「いや……ちょうどいいくらいだ」


 ウィザードは、テーブルに着いた。ベーコンエッグにチーズトースト、ドリップ式のコーヒーが用意されている。


「さあ、召し上がれ」

「それでは頂きます」


 ウィザードはベーコンエッグから手を付けた。それを火花は楽し気に見つめる。


「美味しい?」

「ベーコンと卵焼きがマズいわけがないだろ?」


 火花は、うーんと頭を押さえて、「そういう意味じゃない」と肩をすくめた。

 じゃあ、どういう意味なんだと思いながら、チーズトーストをかじる。


「ねえ、ウィズ……ウィズはこれからも依頼があれば、能力者を狩るの?」

「ああ……それは、それだけは――変わらないな」

「マリアさんだっけ……C・Jに濡れ衣で殺されたのは?」

「火花に話したっけ?」


 火花はハッと驚いた顔を一瞬みせたが、すぐに顔を元の柔和にゅうわな笑みに帰る。

 くべきじゃなかったかな。火花にも興味というものはあるだろう。


「マリアは、テレパシーしか取り柄のない俺とは違って優秀なエージェントだった」

「能力は?」

瞬間移動テレポートだ。一級ファーストの能力者だった」


 俺がパートナーとして不甲斐ないばかりに死なせてしまった。それはウィザードの心に残る深い傷。最後に聞こえた内容が鮮明に思い出される。


 ――ウィズ……心から愛しているわ。


「ウィズは。きっと自分が弱いから死なせてしまったとか考えているよね?」

「…………だってその通りだからな」

「ウィズ……それは違うよ。きっとマリアさんも私と同じ気持ちだよ」


 ウィザードは、マリアと火花の映像が重なって見えた。マリアは黒い髪に、雪のような白い肌。どちらも似ている部分はなかったが、悲しそうな笑顔が重なる。


「じゃあさ……俺は誓うよ。なにがあっても火花を守るって」

「僕は……そのウィズのこと……す……嫌いじゃないよ」

「ありがとう……火花……俺は命に代えても……君を守るよ」


 ――チャンスは一度きり。


「……ウィズは重すぎだよ。そんな簡単に僕が死ぬと思う?」

「しぶとそうではあるね」

「でしょう? だから過度に心配しないで」


 ウィザードは視線をテーブルの上に油断なく置いてある未来翻訳書ミドラーシュのコピーに移った。どう処分するつもりだろう。見るなと言われると興味が沸くのが人間の性だ。


未来翻訳書ミドラーシュがあるのに、火花を連れて行こうとしたのは何故なんだ?」

「コピーは劣化版だからだよ」

「劣化版? つまり肝心なことが書かれていないとか?」

「ご明察。オリジナルを持つ者が丸々完全なものを渡すわけがないだろう?」


 火花は、コピーを手に持つとライターで火を点けようとした。ウィザードは火が付いた部分を手で握り消す。。もしかしたら、今後何かの交渉に使えるかもしれない。破棄するのは急ぎ過ぎだ。


「なんでウィズは破棄するのを止めるの?」

「交渉に使えるかもしれない」

「これは世界を滅ぼす元になるんだよ。オリジナルやコピーを求めて最終的には文明崩壊が始まるんだ」


 まるで見て来たかのように言う火花の様子に、未来予知能力の持ち主であることを今更ながら思い出した。


「取り敢えず、何か動きがあるまでは簡単には破棄できないだろう」

「う……ん、でも第三者の手に笑るなら燃やすからね」

「分かった……ごちそうさま」


 その後、ウィザードは屋上階の建物ペントハウスから東京コンクリートジャングルを眺めていた。車の流れや人の往来は見ていて楽しいものだ。


「あ……こんなところにウィズがいた」

「なんか用か?」

「買い物に行きたいの……」

「何を買いに行きたいの?」


 火花はもじもじとして答えに詰まっている。小声でつぶやいた


  生理用品……そろそろ来るから……


「え⁈ 生理用品? 分かった一緒に買いに行こう!」

 

 ――パンッと乾いた音が響く。火花のビンタだ。


「ウィズはデリカシーがないんだね。僕はかなりがっかりしたよ」


 そこにフェアリーが通信でぼやく。


『やっぱり……ザザッ……ザザザッ……ウィザードは女心おんなごころが……分からないのね』

「やっぱりってなんだよ。地味に傷つくな」

『そういう場面では……ザザッ……詳しく聞かないで……ザザザッ……察するものよ』

「フェアリーもその……彼氏とかいたから……分かるのかい?」

『ザザザッ……ウィザード……ザザッ……妬いてるの?』


 それにウィザードは答えない。答えたら……今のままの関係ではいられなくなる。

 ああ、これが独占欲ってヤツなのか。ウィザードは一人得心がいった。


 ――大人になるとは、魂がけがれるのとほぼ同義だな。

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