第5話 突然の落とし穴(ルートα)

 十二月二十五日早朝。


 三時間ほどラブホテルで眠り、ウィザードは仕事の依頼主である紫火花を起こした。朝が弱いのか睡眠時間が少なすぎるのか、中々起きてくれなかった。ウィザードは時計仕掛けの道化師クロックワークジョーカーにいた頃の訓練で、三日は寝なくても支障がない体質に変えられている。寝ぼけまなこの火花を連れてフロントに鍵を渡し、レガシィツーリングワゴンに乗り込んだ。


 外は雪で真っ白になっている。


「それで未来翻訳書ミドラーシュの在りかは見当が付いているのか?」

「うう……もう少し丁寧に運転してくれないかな……吐いちゃいそう」


 ウィザードは、なんでもない曲道まがりみちをドリフト走行していた。火花が苦しそうにうめくのを見て、若干じゃっかんながら、スピードを抑えてレガシィを走らせる。


「フェアリーに探してもらった方が早いかもな」

「それはダメだッッ‼」


 火花が大きな声を突然発する。未来予知で何が起きるか分かっているからだろう。ウィザードは、一応理由をいておこうと考えた。助手席に座る火花の横顔が憂いを帯びているのが分かる。


「調べるだけで足がつくということか? それも未来予知で分かるのか?」

「ああ……その通り……だよ。今調べたら、フェアリーさんが……死ぬことになる」

「俺ですら……居場所が分からない……フェアリーが死ぬのか」


 首都高に入る頃に、フェアリーからの通信が入る。全て聞いていたのだろう。


『ザザザッ……ウィザード……ザザッ……私は……死ぬような……ヘマはしないけれど』

「ダメだ。フェアリーまで死んだら……俺はどうすればいいんだ?」

『ザザッ……ウィザード……電子の妖精は……しぶといわよ……安心して』


 ウィザードは若干じゃっかん気を取り直して、火花にいくつか質問をする。


「火花は、未来翻訳書ミドラーシュの場所は分からないんだな?」

「正確な場所は分からない。ただ、僕をおとりにすれば、持っている連中が自然と追ってくるようになるんだ。例えば……そろそろ襲撃が来るね」

「襲撃?! そういうのは早く言えって……うわ?!」


 大型トレーラが目の前の車線を塞ぐ。横付けされたハイエースから目出し帽を被った者たちがレガシィに飛び移ろうとする。だがウィザードは斜め前の僅かな隙間を無理矢理通り抜けて、敵車両を躱した。ターンッターンッターンッ。通り抜ける際に大型トレーラの運転席に向けてベレッタ92ノーペインを撃つ。ガラスが壊れて視界不良になったトレーラーがハイエースを巻き込み横転した。アスファルトを砕きながら後方ですっ飛ぶ。


「火花、襲ってくる連中は誰なんだ?」


 乱暴なハンドルさばきで車を追い越すヨダカ。

 あまり品がいい運転とは言い難かった。上品に言うなら野性的なハンドルさばき。


「……ううっ……吐きそうだ。後にしてくれ……」

「まったく、想定外が起きるのは勘弁かんべん願いたいね」


 ウィザードは今の相手が一体何者なのかをフェアリーにく。

 フェアリーはどうやって調べ上げたのか分からないが明確な答えを出す。


『ウィザード……ザザザッ……聞こえているか……さっきのはグリーンベレーに鍛えられた……日本のヤクザね』

「さすがは……我が世の春を地で行く国の軍隊だな。チンピラが軍人と化すとは」

『他にも……内閣府直属の……暗部タケミカヅチなんかも……待ち構えているみたいよ』


 ウィザードは、火花が依頼主になってから起こるハプニングに疑心を抱いた。まるで火花を中心に歯車が動き出したかのようだ。火花がなにか自分の情報を漏洩ろうえいしている様子はなかった。


「黒渕から情報が漏れるんだ。こればかりは止める手段がない」

「とんだホワイトクリスマスだな。そういえば火花は能力者なのに瞳が赤くないんだな」

「能力に使用回数制限があったんだ。使えても残り一回くらいが限度だと思う」

「それで成り行きで首都高を走っているわけだが……未来翻訳書ミドラーシュはどこにあるんだ?」


 コホンと火花は咳をあからさまに吐いて、話しをし始める。妙に様になっているのは謎だとウィザードは、疑問に思った。まるで成人をとっくのとうに果たした大人のような喋り方。


「オリジナルの場所は残念ながら不明。コピー三つのうち二つは場所が分かってる」

「場所は?」

「C・Jの東京拠点……あとは音林公安調査庁長官の別邸だね」


 ウィザードはそれを聞いてがっくりと肩を落とす。幾ら裏社会で名が通っているとはいえ、ウィザードも所詮は個人。圧倒的な力を持つ組織の力の前では、成人にケンカを売る小学生のようなものだろう。


「取り敢えず……縁は切れているが……C・Jの東京拠点に行くか」

「ウィズ……未来で何が起きるかを……君は全く興味がないんだね」

「ああ……俺の目的は……最終的には……バディーだったマリアを……殺したC・Jのとある幹部の殺害だからな。いつも機会を……窺っているんだ」


 ウィザードは、未来を捨てていた。向いているのは過去ばかり。フェアリーからは復讐は甘い致死性の毒と諭されているが、割り切れるものではない。マリアの明るい笑顔がいまだに脳裏のうりぎることがある。


「ウィズ……会って間もない僕が言うのもなんだが……復讐ふくしゅうしたとして……その後のことを考えてはいないの?」

「あ、ああ……考えたこともなかったな」


 昔のバディーのマリアから第一線を離れたら二人でパン屋を営もうとウィザードは言われていた。漠然ばくぜんとだが……それが夢なのかもしれない。だが、隣に立っていてくれる人がいなくては……話にならない。


「ウィズ……もし……依頼が終わって、復讐を果たしたら……一緒にパン屋でも開こう」


 ――ッッ⁈


 ウィザードは驚いた。フェアリーにさえ話したことがない。


 首都高を下りて、六本木にある場末のバーへ向かう。そこがC・Jの拠点だ。地下には何階にも及ぶ施設が作られている。首都高と同じく時速一二〇キロでレガシィを走らせるウィザード。


「ウィズ……ここはもう高速道路じゃないんだろ?」

「フェアリーが交通機関のシステムをジャックして、青信号に変えてくれているのさ」

「うう……僕はもう限界だよ……気持ち悪い」


 そんな中、ブーンッというローター音をさせながらアパッチ軍用ヘリがスポットライトをレガシィに当てた。なぜ正確にウィザードと火花の位置が分かったのか。


 ――――車を停めて紫火花を引き渡せ。拒否するならばガトリング砲でハチの巣だぞ――――


 大音量のスピーカーから聞こえる指示に、従うと思いきやウィザードは急ハンドルを切る。そしてヘリを撒くことができる路地裏へとレガシィを走らせた。


『ザザザッ……ウィザード……アパッチ軍用ヘリとは……厄介ね』

「ああ、迷惑しているよ。フェアリーの力で撃ち落とせないか?」

『……私にできることは限られているわ? ザザーッ……』

「でも、もう何か策を考えついているんだろ?」

『ザザザッ……ウィザード……ヘリの射撃統制システムは……ザザーッ……ジャックするわ』


 それを聞くとウィザードは大胆にも大通りに飛び出た。十秒もしない内にアパッチ軍用ヘリがやってくる。ウィーンと回るガトリングガンのモーター音がするが弾薬は発射されない。様子を見ていた火花が一言。


「RPGミサイルッッ⁉」


 ウィザードは急ブレーキとハンドルを切って車を横に滑らせて停まる。そして運転席から出るとベレッタ92ノーペインを構え、RPGを構えるヘリの搭乗員に発砲。ターンッターンッターンッと甲高い音がして、肩に着弾。ヘリの搭乗員は構えたRPGを手離す。今日一番のスーパーショットだった。


 いつの間にか、ウィザードの隣に立っていた火花がガッツポーズ。

 そのままヘリはどこか遠くへと去っていく。これでアクシデントが終わればいいがと希望的観測をしてしまう。


 それから数分後レガシィは六本木の外れの場末ばすえのバーに停まった。ベルフラワーという英語名の看板が立っている。周りには当然のように人はいない。


 静かなジャズの曲が聞こえる中カウンター席に男が一人、テーブル席に男女が数人。バーテンが一人。いい雰囲気のバーだ。ウィザードは高校生くらいの年齢だが酒の味を覚えている。無性にスコッチ・ウィスキーが飲みたくなった。好きな酒はマッカランのダブルカスクだ。


 バーテンがトントンとカウンターを叩く。そこに座れという意味のようだ。


「なにか温かいものでも出しましょうか?」


 瞬間尋常じんじょうではない殺気をウィザードは感じた。火花に向かって叫んだ。


「火花、逃げろッッ‼‼」


 ダンッダンッダーンというショットガンの音が響く。バーテンが火花をレミントンM870ショットガンで狙っている。威嚇射撃の硝煙しょうえんの匂いが鼻につく。客もグロック17自動拳銃を持っており、ウィザードたちを油断なく狙っている。


「ああ……こんなことって……あるのかよッッ‼‼」

「ウィザード……いや、ジョン・ヴィクトル・ハルトマン……武器を渡してもらおうか」


 だが、ウィザードはそれを渋る。渡してしまえば言いなりになるしかない。

 火花の頭に、バーテンがレミントンM870 ショットガンの銃口を突きつけ、「早くしろ」と言った。

 これ以上はダメだ。火花が犠牲になったら……と思うと身体が凍りつく。


「……分かった。これだけだ」


 ベレッタ92ノーペインとマガジンを全てバーテンに渡した。彼はにっこりと笑うと銃口をウィザードに向ける。かなり警戒されているようだ。


「『予言者ノストラダムスの娘』は手に入れた。護送班に後は任せる」


 バーテンは通信をしながらもウィザードたちに充分に警戒している。

 レミントンM870ショットガンを向けられて、かなりの手練てだれれだとウィザードは改めて感じた。

 そこにフェアリーからの通信が入る。


『ザザザッ……ウィザード……ごめんなさい……組織C・Jは……ザザーッ……最初から……紫火花さんを捕まえる……つもりだったみたい……ザザーッ……でも、希望は……捨てないで』


 ――絶望のふちに立っている者に希望の光は届かない。


 ウィザードは……血が出るほど手を握りしめていた。

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