第5話 混迷


 四人とも宿屋の屋上にそろうと、またファテが先頭となって進む。屋上から建物内に入る。人の声はするが、下の方からだ。

 宿屋だけあって、部屋が多い。三階の部屋を静かにひとつずつ確認していく。だが、どうやら三階は今使っていないようだった。どの部屋も荷物が雑然と置かれていて、砂埃がたまっている。


「まぁ普通、人質は目の届く範囲に置くよな。かといって、一階だと何かあったときに逃げられやすい」

「となると二階だね、兄ちゃん」

「だな。見張りが一人二人くらいなら気絶させて娘を確保する。多数の見張りが囲んでいたら応援を呼ぶ」


 双子の会話に、俺とラジットは分かったと頷く。


 二階へと続く階段を慎重に降り始めた。屋上から入ってきて誰にも会っていないため、背後の警戒は不要。ファテとファイドが前方を警戒して進んだ。

 階段を降りきり、壁の影に身を隠しながら二階の廊下を覗く。聞こえてくる声はまだ下からだ。人が多く集まっているのは一階らしい。あの騒がしさからすると酒盛りでもしているようだ。だが、二階も無人というわけでもなかった。一番奥の部屋の前に男が一人立っているのだ。退屈そうにあくびをしている。どうやら見張りのようだ。


 ファテが人差し指を立てたあと、拳をつくって軽く前に突き出した。『一人だから行くぞ』という合図だ。

 ファテが駆け出した瞬間、俺たちも後を追う。だが、見張りがファテに気付いた時にはもうファテは拳を振り上げていた。そして直後、鈍い打撃音が響く。

 俺とラジットは慌てて気絶した見張りを受け止めた。見張りが倒れた音で異変に気付かれると困るからだ。まったくキャッチが間に合わなかったらどうするんだ。動く前に俺たちの様子も確認して欲しいものである。

 見張りを縛ってそっと床に転がすと、四人でドアの前に並ぶ。


 この中に捕らわれた女の子がいるはず。いや、いて欲しい。一階にいるとしたらもう応援を呼んでの乱闘になってしまうからだ。乱闘になったら危ない目にあわせてしまうかもしれない。出来れば隠密に助け出したい。


 ファイドがノブを掴み、ゆっくりと少しだけ開ける。微かに出来た隙間からファテが慎重に中をのぞき込んだ。緊張で喉が乾き、思わず唾を飲みこむ。

 ファテが顔を戻し、壁に背を付ける。声は出さずに『いる。娘だけ』と口を動かした。

 良かった、見つかって。まだ助け出せてもいないけど、ちゃんとたどり着けたことに安堵した。


 ファイドが音を立てないように、今度は通れるくらいにドアを開ける。そして、誰も一階から上がってこないのを確認してから、四人で素早く部屋に入った。

 窓からの星明かりのみの部屋の中。壁に持たれるように小さな女の子が床に座っていた。驚きの声をあげることもせず、じっと俺たちを見ている。おそらく犯人一味だと思われているのだろう。


 女の子は幼いゆえにヴェールは付けていないが、装飾のついたジェプケン(ジャケットのような上着)を着ていた。上流階級でなければ着られないだろう。髪は背中まで垂らしているが、櫛を通してないせいでボサボサだ。ほどけてしまったのか、もともと結っていなかったのかは分からないけれど。


「大丈夫? トゥルキス商会から依頼を受けて助けに来たんだ」


 俺は女の子に近づき、怪我がないか確認する。ぱっと見た感じはなさそうだ。だが、外傷がなくとも心傷はあるだろう。厳つい大人に捕らわれ、一人で閉じ込められているのだから。


「……トゥルキス商会?」


 女の子は首を傾げた。何故か不思議そうな表情を浮かべている。


「うん。君のお父さんが俺たちに助けてって依頼したんだ」

「それって――――」


 女の子が何か話そうとした時だった。突然ドアが開き、厳つい男たちがわらわらと乱入してきた。


 え、侵入がばれた? 部屋に入って少ししか経っていないのに、どうして?


「見張りは隣の部屋にもいたんだぜ。壁の穴から丸見えってね」


 立派な口ひげを蓄えた、頬に傷のある男が手に鎖を持って前に出てきた。

 武器だろうか、そんな風に思った俺は浅はかだった。だって、鎖の先を確認しなかったのだから。


――ズシャァ


 荷物を引き摺るような音とともに、俺の目の前に居た女の子が消える。そして、男の足下に女の子は転がっていた。砂埃で汚れたズボンから見える足首には鉄の枷がはまっている。足枷についている鎖を思い切り引っ張ったのだろう。なんて乱暴なんだ。


「子どもに手荒なことをするな!」


 俺は男に食ってかかるが、ラジットに腕を引かれてしまう。


「アキム熱くなるな。応援が来るまで時間稼ぎだ」


 耳元でラジットがささやく声に、ハッと我に返る。

 そうだ。俺が一人で怒っていても、女の子は助けられない。


 ファテとファイドを視線だけで探すと、窓の横に移動していた。ファイドの影になるような位置でファテが後ろ手で窓の外に合図を送ろうとしていた。双子に任せておけば、応援は来るだろう。俺に出来るのは、合図を送っていることを奴らに勘づかれないようにすることだけだ。


「その子を返せ。いまなら役人にも突き出さない」


 俺は自分に注目が集まるように大きな声を出す。もちろん、こんなことを言っても無駄なのは承知の上だ。双子に関心が向かわなければそれでいい。


「役人なんて動くはずねえだろ。ガキの一人や二人いなくなったって誰も困りゃしねぇ」

「そんなわけないだろ。少なくともその子は親がいる。大事にされてる」


 俺たちと違って、慈しまれて育っている子だ。とらわれの身で服は汚れてしまっているけれど、服そのものは上質なものを着ているし、ガリガリに痩せているわけでもない。ちゃんと食べさせて貰っている証拠だ。居なくなったら悲しむ親がいるのだ。


「だからどうした。こいつが大事にされていようが、俺の腹は膨れねぇな。だから、俺の役に立つように使わせて貰うぜ」


 男が短刀を懐から出し、鞘から抜いた。ギラリと刃が不気味に光る。

 何をする気だ。まさか……。


 男は女の子の腕を取って立ち上がらせると、迷うことなくその細い首を短刀で切りつけた。血しぶきが床に散る光景がゆっくりと見える。信じられない。


「……は?」


 俺もラジットも、後ろにいる双子もまともに声が出なかった。

 目の前の惨劇の意味が分からない。でも、男が女の子の腕を手放しため、ドサッと床に倒れ込む。女の子の首から血がどんどん流れ出す。まるで命が流れ出るように。


――――ダメだ。このままだと死んでしまう。


『カナンバブルのメンバー以外、特に大人には自分が癒しのものだと明かすな』

 これは首領からの絶対命令だった。でも、そんなことは頭から抜け出てしまった。だって、今にも死んでしまいそうなのに。犯人たちの前だろうと関係ない。


 俺はとっさに女の子の横に行き、傷口に手を当てていた。ごちゃごちゃ考えている内に、命の灯火が消えてしまう。

 もう女の子は身動きをしない。うつろな瞳には何も映らず、ただ死が迫ってきている。


「大丈夫、俺が君を助けるから」


 そっと左手を傷口にかざす。そして、右手は左手の上に重ねた。

 目を閉じて集中する。自分の中にある魔力を癒しの力に変換するのだ。


 次第に手のひらが熱くなってきて、体中に広がる。魔力が変換されている感覚。目を開けると、傷口がじわじわと塞がっていく。でも治る速度が遅い。

 まだ平気なはずだ、大丈夫、まだ魔力は残って――――ない。なんでだ? どうしてもう枯渇する? 

 俺は焦る。だが、すぐに理由に思い至った。

 そう、俺は街で出会った子の親に力を使ってしまったばかりだった。


 冷や汗がたれる。そりゃ首領も怒るよな。こういうことが無いようにって、俺が勝手に癒しの力を使うことを制限している面もあるのだから。


 自業自得だ。本当に俺はアホで、考えが浅い。首領に殴られても仕方ない。

 本当ならサクッとこの子は癒やせたはずなのに。


「くそ、絶対に助ける!」


 足りなければ俺自身を削れば良い。

 無理矢理、癒しの力をひねり出す。体が悲鳴を上げてるかのように、絞られるような痛みが走った。


「くっ……」

「おい、アキム。それ以上はもうやめろ!」


 ラジットが止めようと肩を掴んできたけど、振り払う。


 あと少しなんだ。あとちょっとで傷口が塞がる。そうすればこの子は助かる。助けられる。


 無心で傷を治す。まわりの状況などなにも目に入らなかった。


「あ……れ?」


 女の子のまぶたが開き、不思議そうな声がこぼれた。女の子はゆっくりと顔を動かし、あたりを見渡している。


「よか……った」


 癒しの力を使った反動で、一気に体が重くなる。でも、助けられたのならこのだるさも心地良いくらいだ。

 俺は達成感に身を任せて床に倒れ込む。が、床につく前に慣れ親しんだ香りに支えられた。ラジットだ。


「無茶しすぎだろ、相棒」

「今のはちょっと危なかった」


 正直に言うと、ラジットに軽く頭を叩かれた。


「それよりアキム、かなりヤバいことになってる」


 ラジットの言葉に顔を上げると、犯人たちにぐるりを取り囲まれていた。ガタイの良い大人に見下ろされ、威圧感で押しつぶされそうだ。


 そして、何故かいるはずのない人物が、取り囲む大人たちの中にいた。


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