2.【承】

 俺の畑から村までの距離は徒歩で言えば四十分ほどかかる。

 他の畑は村を出て五分も経たないうちに辿り着けるが、どうしてそこまで離れているのかといえば、俺を訪ねて毎日のように人が来るからだ。

 一年か二年までは近くの畑を使っていたが、毎日俺目的に人が来て畑仕事に支障が出始めた。

 村人は大丈夫だと言っていたが、流石に気が引けて自らこの地に畑を構えた。

 とはいえ、開墾には村のみんなの手を借りたわけだから、結局迷惑を掛けたと言えばぐうの音も出ない。



 畑から村までの道中、三十分ほど森林を歩く。

 毎日歩く道はしっかり整備されており、とはいえ馬車が通れば腰が痛くなるくらいには凹凸があるが、モンスターの気配一つすらしない。

 この森はモンスターが住み着いていないで有名な森だ。

 全く住み着いていない訳ではないが、モンスターが人目に触れることは数年に一度。それもとびっきり弱いモンスターしか拝めない。

 モンスターが出れば恐怖に怯えるのが普通だろいが、この村ではモンスターが出ればこぞって見学しにくる始末だ。



 木漏れ日が光源となって、行く先を照らす。

 肉が食べれると分かった後のメリダは揚々とスキップしながら着いてくる。


 

 ふと、これでよかったのだろうかと数分前の自分の決断に疑問を持った。

 年齢を聞いていないが、メリダは十歳そこらだろう。

 だからこそ突っぱねるような真似はできなかったが、それが本当にこの子のためになるのか。

 確証を得れなかった。

 家に上げて、飯を振る舞って。それから俺はどうしてあげるだろうか。

 村で一緒に暮らす。

 いや、こんないたいけな子の人生をこんなド田舎に縛るわけにもいかない。

 かと言って、メリダの求める師匠になってあげることも出来ない。



 俺がもっと若ければ、その場の勢いでどうにか出来たかもしれないが、今や三六歳のおじさんだ。

 感情や、勢いで何とか出来るのは二十代とは訳が違う。

 ならおじさんなりに何か出来ることはないか。

 それはきっと俺という人生を見せることが一番だろう。

 冒険者が全てでは無い。田舎で畑仕事という選択肢もあると言うことを見せれば、少しは考えが変わるかもしれない。


「うん、それで行こう」

「うにゃ?」


 思わず独り言を呟いてしまい、メリダが首を傾げる。

 何でも無いと、言うと再び前を向いてスキップを始めた。

 その途端、地響きが鳴った。



 地震じゃ無い、何か巨大なモノが踏み鳴らす音。



 咄嗟に身構え当たりを見渡す。

 不穏な気配はない。だが、地鳴りは続き着実と振動を大きくしていた。

 メリダは体を跳ねて、俺の足にしがみつくと、足に顔を埋め、体を震わせる。

 俺も地鳴りの恐怖で動けないでいると、ついにそれが姿を現した。


「…………ミノタウロス?」


 闘牛の頭部を巨漢の胴体に縫いつけたかのような異様な姿。その手には手製の石尾のが握られていた。

 実物を見るのは始めてだが、おとぎ話でよく出る有名なモンスターだ。

 そうよく出てくる。

 数ある英雄譚の中でも、乗り越える第一の壁としてこのモンスターは立ちはだかる。

 つまり、逆に言えば英雄でなければ越えられない壁だ。



 くそっ、なんでこんな化け物が?

 この森はこんな凶暴なモンスターは今まで一度も出てこなかったじゃないか。

 焦りが募り、嫌な汗が体中から滲み出てくる。

 武器なんて持っていないし、何より戦いの経験がない俺には勝ち目なんか無い。

 選択肢は逃げる一択。それしかない。

 だが俺は逃げきれたとして、足にしがみついたメリダはどうなる。

 十歳がいくら走ったところで、ミノタウロスにとってみれば数歩で追いついてしまう。

 ならば--


「メリダ、すまない」


 引っ付くメリダの体を抱き抱え、村の方へと全力疾走で逃げる。

 背後で雄叫びを上げるミノタウロスは、再び地響きを起こして俺たちを追いかけてきた。


 怖いなんか言っていられない。俺は衰えた体を酷使して全力疾走する。

 肺が痛くなって、呼吸は乱れる。

 足が重くなって、走る速度が落ちる。


 あらん限りの体力を振り絞って走るも、背後の気配は着実と近づいてきた。

 まずい。このままでは、二人ともあの斧で殺られてしまう。

 モンスターの筋力や体力は桁違いだ。人の何倍、何十倍だってありあえる。

 ミノタウロスとなれば尚更だ。



 俺は抱えていたメリダを下ろす。


「いいか、メリダ。お前はこのまま走って村まで逃げるんだ」

「だ、だめなのですッ! 賢者様も一緒に行くのですッ!」


 メリダは今にも泣きそうな顔で必死に訴えかけてくる。

 そうしたいのは山々なんだが、そうなれば真っ先に死ぬのはメリダだろう。目の前で誰かが死ぬのは嫌だ。

 老いるばかりのおっさんと、将来のある子供。どちらを生かすかは明白だ。


「大丈夫。俺は賢者だ。あんなモンスター直ぐにやっつけてやる。それともメリダは師匠の言うことを聞けないのか?」


 俺は、今世紀最大の虚言を吐いた。

 散々苦しめられてきた名前だが、今回ばかりはこの呪いを利用させてもらう。

 メリダは目を見開き、自分の腕で涙を拭うと。


「わ、分かったのです。お師匠さまッ!」

「よしっ、いい子だ!」


 俺はメリダの頭を帽子の上から思いっきり撫でる。

 十分に撫でると、軽く背中を叩いた。


「行け!」

「はいなのです」


 小さい少女が全力で走る。

 きっと村に辿り着くのには時間がかかるだろう。

 その時間稼ぎだけでも、俺がしなくちゃいけない。

 ミノタウロスと対峙する。ああ、怖えよ。

 二メートルは悠に越える巨体の威圧感はもちろん、牛頭という異形に不気味な恐怖が駆り立てられる。

 話し合いとか出来たらどれだけいいかと、微かな希望を抱く。


「ブモォオオオオオオオオ!」


 こりゃ無理だ。

 担いでいた鍬を手に取る。

 この場にある唯一武器になり得る物だ。

 乱れた呼吸を深呼吸をして整える。

 疲労は無くならなかったが、身体中に酸素が行き渡り体が軽くなった。

 さて、こっからどうやって時間稼ぎをしようか。

 当たり前だが、あの斧の攻撃を喰らえば確実に死ぬ。なんなら、化け物の攻撃を一つでも受けようものなら致命傷になりかねないだろう。


「はぁ…………、英雄様はよく乗り越える」


 かつて偉業を成し遂げてきた過去の英雄は、どういう気持ちでこの化け物に挑んだのだろう。


 怖くなかったのか。

 足が震えなかったのか。

 体が萎縮しなかったのか。

 爆発しそうなほどに鼓動が早くならなかったのか。


 いや、こんな化け物を前にして身が竦まないわけがない。

 きっと、その恐怖に打ち勝つ何かがあったのだろう。

 それが何なのか俺には分からない。

 でも、それでいい。



 俺は英雄じゃない。

 数多の語り継がれるような。

 そんな、存在にはなれない。

 なら、せめてあの子の英雄になろう。

 あの子が村へ辿り着くまでの、立派な偽物の英雄を演じよう。


 途端に、なぜか体の震えが止まった。

 まだ恐怖はある。

 だがこれで体が思うように動かせる。


「来いっ!」

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