かつては偉大な英雄の名、今はただのおっさんの名
ナガト
1.【起】
「私の名はバラルーク・アギサイン。貴殿がかの有名な賢者か?」
「いや、違いますから。ほんと帰ってください……」
興奮気味で意気揚々と名乗る貴族。
それに対して玄関前の俺は、疲れた顔でそう言うと勢いよくドアを閉めた。
これで何百回、いや何千回目の訪問者になるか。もはや日課の来訪者も三百を超えた辺りで数えるのをやめた。
こうやって絶えず人が来るのには、俺の名前に原因がある’。
アランという名前はどこにでもいる名前だ。
だが、アラン=ウォレイフとなれば話は違う。
アラン=ウォレイフは、一〇〇年前の魔界戦線で活躍した英雄の名だ。
数多の魔法を駆使し、戦場を駆け回った彼はいつしか賢者と呼ばれるようになった偉大な人物。
そんな彼の恩恵に肖ろうと、アランという名が多くの子に与えられた。
その一人が俺アラン=ウォレイフだ。
偶然なのか、親の嫌がらせなのか、俺は名前も苗字もかの伝説の英雄と同じ名前にされてしまった。十中八九親の嫌がらせだと思うが、本人たちに聞きたくても、既に雲よりも天高い所に行ってしまっているため、それは叶わない。
ドンドンと、扉を叩く音が鳴る。
おそらくさっき来た貴族が懲りずに扉を叩いているんだろう。
まだ帰っていないのか、勘弁してくれ……。
魔工具の時計を見ると、時刻は早朝三時。こんな時間に来るのは、非常識にも程がある。
二時間後には畑仕事が待っている。あと一時間は睡眠に当てたかったけど、この物音では二度寝出来そうにない。
「はぁ、ほんと勘弁してくれ……」
右手で後頭部をボリボリ掻きながら、少し早い朝食を摂ることにした。
昨日の食べかけのパンと、昨日取れたまだ新鮮な野菜を煮込んだだけのスープ。それとサラダをテーブルに置く。
こんな日は、朝から肉を食べたくはあるけれど、肉は四日に一度食べれればラッキーと思えるくらいには貴重な物だ。
自分の畑から採れた根菜を齧る。シャクッシャクッと気持ちのいい食感の後には、瑞々しい水分が口に広がる。
うん、今回も美味しいのができている。こんな土弄っているおっさんが賢者なわけないというのに。これまで来た何百人の目は節穴なのだろうかと疑いたくもなる。
朝食に、仕事の準備や部屋の掃除と二時間たっぷり使った後に家を出る。
諦めたのか既に貴族の姿はいなくなっていた。
その代わりにまた新しい来客が立っている。
二十代半ばの若い女性。腰に挿した剣や、服装を見るに冒険者だろうか。
「私は冒険者『黎明の空』のリーダー、アリサ=クリスティーナだ。貴方がかの伝説の賢者か? ならば、共に冒険に出て北の山に棲まうドラゴンを」
「あ、畑仕事があるんで結構」
最後まで聞かずに農具を片手に、アリサなんとかという女性の横を通り過ぎる。
冒険? ドラゴン? 何言っているだ。俺はただの農夫だぞ。
そんな場違いな所に行ったら間違いなく一番最初に殺される自信がある。
心躍る大冒険に興味が惹かれないわけでもない。
男ならば、剣を持って冒険者としてその名を伝説として語り継がれたい物だ。
だが、俺も四十路。
そんないい年こいたおっさんが、大冒険に行くなんて言い出したら頭の病気を心配される。
なにより、そんな血生臭くて物騒な場所なんかより、野菜たちの世話をしているほうが何倍もマシだ。
それに俺はこの村を気に入っている。
移り住んで二十年。
村人はいい人たちだし、空気が美味しい。そして何よりモンスターの出没数が少ない。出てくるのも小動物系のモンスターばかりで、村の衛兵が片付けれる程度の強さしかいない。
質素で家畜や畑しかない村だけど、そこがいいとも俺は思っている。
「ま、待ってくれ!」
「なんだい、畑までなら話を聞くよ。話しても無駄だろうけどさ」
「ほ、本当か!」
追いかけてきたアサリなんちゃらは慌てて俺を追いかけてくる。
あんな男勝りそうで、勝ち気な女性が涙目になりながら追いかけて来られると、流石に話だけは聞いてやろうと思ってしまう。
聞いたところで俺に解決できないことだと知りつつ、道中の暇つぶし程度に聞く。
「北のイルブル山脈の鉱山地帯に、巨大な竜が出たのは知っているか?」
「知らん、北のイルブル山脈ってどこだよ」
「んなっ、北のイルブル山脈を知らないだと? 本当にあなたは賢者なのか?」
「だ・か・ら、俺は賢者じゃないって何度も言っているんだよッ!」
村に俺の声が響き渡る。
もはや村では恒例で、村のみんなは、きっと今日もやっているとしか思っていないだろう。
本日二度目の来訪者も追い返し、畑仕事をこなしていく。
今は鍬で土を耕している。
そういえば、五、六年ほど前に剣聖なんちゃらって言う七十歳そこらの爺ちゃんが訪ねてきた時があった。
俺が賢者ではないことに大層悲しんでいたが、この村を気に入ってもらえて一ヶ月ほど俺の家に泊まることになって、なぜかその一ヶ月の間剣の修行をつけてもらっていた。
たかが一ヶ月。農作業や村の力仕事もちょくちょく引き受けていた俺は多少なりとも体力や力には自信があったが、剣聖の修行はそんな柔なものじゃなかった。
老体には似合わない引き締まった肉体から放たれる剣技に、血反吐を何度吐きそうになったことか。思い出すだけでも身震いしてしまう。
『土を耕すのも修行の内』と、別れ際に言われたっけ。
名前は確かミナト・ヨリカゲだったか。元気にしてっかなぁ。
畑仕事がひと段落して、帰り支度をする。
朝一に採れた野菜を籠に入れて、鍬を肩に担いでいると、子供の可愛らしい声が聞こえてきた。
「あ、あのっ!」
声の方向に振り向くと、そこには小柄な女の子がこちらを見ていた。
白い大きなベレー帽からはみ出す赤毛。まるで子猫のような保護欲をくすぐられるクリッとした大きな瞳に、小さな唇。日焼けを知らない白い肌は、ここらの住民じゃないことを物語っていた。赤と白のワンピースの上には大きめな外套、手には少女の身長よりも大きな杖が握られている。
「あ、あの”あらん=うぉいれいふ”さまなのです?」
辿々しく緊張混じりで勢いよく少女は訪ねてくる。
その姿を見て、俺は嫌な予感がすると直感がそう訴えかけてきた。
「メ、メルを! 賢者様のお弟子にしてほしいのです!」
ほら、言わんこっちゃない。
恐らく今までで最年少を記録した目の前の少女。
推定十歳くらいの年端もいかない少女がどうしてここにというのは、聞くまでもない。
俺が賢者であることを信じ、遠路はるばるここまで訪ねてきた。
その理由は俺の弟子になること、らしい。
弟子にしてほしいと言われたのはもう何度目になるか、北は王都すら超えた辺境地から南は海を超えた国から、老若男女問わずに来た。
それを毎回丁重に断っていたし、今回もそうするつもりだった。
だが、「俺は賢者じゃないから弟子なんて取らないよ?」と、言った途端に彼女は今にも泣きそうな顔になってしまった。
「いや、ほんとどうしたものか……」
俺の半生も生きていない子の泣きそうな顔は、罪悪感を持たせるには十分で正直卑怯としかいいようがないほど破壊力がある。
「えっと、とりあえず君は?」
「あ、自己紹介がまだだったのです。メルはメリダって言うのです! お師匠様、よろしくお願いします!」
「い、いや、弟子にはしてないけど」
「ヒクッ……」
言いかけたところで、瞼に涙がさらに溜まりは始める。
罪悪感に訴えかけてくるから、ほんと勘弁してほしい。
「うっ…………」
その破壊力に負けてしまいそうになり、咄嗟に顔を逸らす。
これは負けてない一時撤退だ。そんなことを自分に言い聞かせながら、予備に持ってきた綺麗なタオルを手渡す。
「あっ、ありがとう……ございます、なのです」
メリダは無理矢理の敬語を使って溜まった涙を拭う。
ゴシゴシと必死に顔を拭く姿は猫の毛繕いを連想させた。
「えっと、メリダだっけ? もう一回言うけど、俺はみんなの言っている賢者じゃないんだ。それは全くの別人で……って、泣くな泣くな。そ、そうだトマト食べるか? うまいぞ?」
今にも泣きそうなメリダに慌てて慰める。
メリダは俺から受け取った採れたてのトマトを齧り付く、むしゃむしゃと夢中に食べ始めると圧倒間に無くなった。あまりに勢いよく食べたせいで口の周りが、ベチャベチャだ。
俺はメリダの頬についた食べカスをタオルで拭う。
「うにゅ……」
可愛い声を漏らしながら、されるがままに拭かれる。
なんで、今あったばかりのおっさんにこんなに気を許してるんだ。とこの子の危機感のなさに危うさを感じる。
「とても美味しかったのです。ありがとうなのです! 賢者様!」
「だから俺は賢者じゃないんだって……」
頭を掻いてどうしたものかと思考を巡らせる。
このままでは堂々巡りだ、何とかせにゃ。
こう言っては何だが、俺は子供の接し方をイマイチ分かっていない。
村の子供たちと接することはあるが、あの子らは赤子の頃から知っているからまた話が違う。
この頃の子供はこんなものなのか。分からん。
「どうして俺の弟子に?」
「ハ、ハイなのです。えっと、メルは冒険者で魔法使いなのです。でも、魔法を上手く使えなくて。賢者様の元で修行すれば、メルも一人前の冒険者になれると思ったのです」
この歳で冒険者は、別段珍しいことでもない。
これは剣聖からの情報だが、むしろ今のトップと言われている冒険者は十代から経験を積んできているらしい。
だとしても向き不向きはあると思うんだが。
会って数分の俺でも、メリダは冒険者に向いていないとわかる。
性格は気弱、体格も小柄で戦闘どころか冒険の移動にすら着いていけるのかすら怪しい。魔法については……、それは完全に専門外だから分からない。
もし俺がここで断ったとして、メリダは冒険者を辞めないだろう。
そうなればモンスターの餌食になるのは目に見えている。
何とか冒険者を辞めさせれないだろうか。義理は当然ないし、余計なお世話なのかもしれないが、こんな子供がここまで来たのだから何かためになることをしてあげたい。
無い脳みそを使って考える。
ぐぅ〜、と俺の思考を遮るようにメリダのお腹が鳴った。
どうやらトマトだけじゃ足りなかったらしい。
「とりあえず俺の家でご飯を食べるかい?」
「いいの、です?」
「ああ、晩飯に使う肉を奮発しよう」
「わぁっ! 肉なのです?」
肉と聞いただけで、顔を明るくなり口の端から涎を垂らし始めた。
「よし、そうと決まれば村へ戻ろう」
「ハイッ、なのです!」
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