第8話 人の想いとは、無意識のうちに育ち、いずれ自覚するもの。

「寒いなここ……」


「そうですね……校舎全体がかげになっているからでしょうね……」


 文句をれながら、旧校舎の階段をすたすた上がっていくミミさんと私。


 カミーアさんとクルミさんは、ジャン負けで買い出しに行ってくれている。クルミさんが「お腹空いたー」を連呼れんこする機械に成り果ててしまったので、買い出しは苦肉くにくさくだった。真面目な顔をしたミミさんが「クルミちゃんの食糧しょくりょう確保も、我が部の課題の一つだな……」と言ったときは思わず吹き出しそうになった。


 歩いて、歩いて、歩きに歩いて。ついに三階に到着した私たちだったが……。辿り着いた瞬間に気付いてしまった、想像以上に汚れているかもしれないと。


 私は、目をこすりながら言った。


「うぅ……ほこりっぽいよ……」


 ミミさんはというと……鼻をつまんでいた。


「確かに……。しかも何だか臭うな……」


 寒い、埃っぽい、臭い。魔の物件たる所以ゆえんが、この三つに詰まっている。


 どよ~ん。どよよ~ん。


 上がりきったテンションはどこへやら。校舎の状態の酷さのせいで、どんよりとした空気が流れてしまう。


 ミミさんでさえも、いつかのマスターのようなしぶい顔をしていた。


「やっば……ここを部室にするとか、あたし無理かも……」


「それには激しく同意しますが、せっかくカミーアさんが勝ち取ってくれましたし……」


「そうだね、ダメだね。よしっ! プラスに考えようっ! 『○○だから、○○できない』じゃなくて、『○○だから、○○してみよう』って考える方が、絶対に楽しいからねっ!」


「そうですね……! 考えてもみれば、イチから私たちの手で作るってわくわくします! それに、人生においてこの経験は貴重だと思います!」


「そうそう! そうに決まってるっ! よーしっ! そういうことにしようっ!」


「あははは……。多少、強引ごういんではありますが、やってやれないことはありません。まずは掃除からしましょう」


「りょーかいっ!」


 広報部・百合の花は、旧校舎三階の角部屋しか使用しない。だけど、私とミミさんが話し合った結果、校舎全体をピカピカにしてみよう、ということになった。大変だけれど、ここを頑張れば、気持ちの良いスタートを切ることができて、学校の役にも立てる。要するに、一石二鳥いっせきにちょう! ピンチはチャンスだね!


 やるよー!


 覚悟を決めた私たちは、掃除用具を取りに、一度教室に戻ることにした。




 買い出しに行ってくれた二人と三階廊下で合流してから、ミミさんが『校舎の現状』と『やるべきこと』を共有してくれた。


 部室がある校舎が悲惨ひさんな状態になっているだなんて、夢にも思っていなかった買い出し組は、帰ってくるや否や、ハイテンションで「パーティーですね!」と騒いでいたのだけれど……。共有を受けたカミちゃんクルちゃんカップルは、表情が一変した。一気にどよ~ん、どよよ~んって感じに……。


 カップルの下がりようを見たミミさんは、私に向かってウインクをしてきた。「さっきのあれ、言ってやって」と伝えたいのだと私は思った。


 私は、コホンと咳払せきばらいをして、ローテンションカップルの注目を集めてから、満をして、かの名言を口にした。


「落ち込んでいてはダメです、プラスに考えましょう。『○○だから、○○できない』じゃなくて、『○○だから、○○してみよう』って考える方が絶対に楽しいじゃないですか」


「ん……?」「え……?」


 眉間みけんしわせる二人……! どうするべきかわからなくなる私……!


 うそー! 思ってたリアクションと違うよー!


 あせり倒した私は、「助けてください」とミミさんに視線を送った。それに気付いてくれたのか、名言の生みの親であるミミさんは「まかせとけっ!」とサムズアップをした。


 そして……。


「えっと……はい……?」


 ミミさんは、敵軍てきぐん加勢かせいした。


 ……。……。……って、加勢した?!?!?!?!?


 私、裏切られた……?!?!?!?!?


 愕然がくぜんとする私と、毅然きぜんとするミミさん。これが裏切られた者と裏切った者の差である……。


 名言が迷言になってしまったけれど、最終的には「まあ、やるしかないよね」と団結した百合の花。目標がさだまり、速やかに行動することに。


 掃除リーダーは私だ。何故か私だ。何故か、というか、ついさっきミミさんから「あたし、掃除苦手なんだよね」とげられ、ついでに掃除リーダーを任命にんめいされてしまったからだ。……本当、ミミさんにたのまれたら、ことわるに断れない。


 はてさて、何から取りかかるべきか。うーん、やっぱりいてからく……?


 ……ということで、じゃあ掃き掃除から! 掃除の仕方は……二人一組になって階層別に掃除するのも良いよね。……あ、でも、校舎は三階建てだし、三階あるうち一階は全員で清掃することになるんだね……。


 それなら、我らが広報部・百合の花の本拠地ほんきょちである三階を全員で掃除して、そこで要領ようりょうつかんで、次に二階と一階にペアでわかれる……そうしよう!


 私は、廊下の薄汚うすよごれた壁に立てかけられていたほうきを指差した。


「ひとまず、その子を使って、三階の掃き掃除をしましょう。拭き上げまで終わったら、今度は二手ふたてにわかれて、二階と一階を掃除します! いきますよ、えいえいおー!」」


 そう言って、私は黄ばんだ天井てんじょうこぶしかかげた。三人も「おー!」と続いてくれた。


「清掃開始です!!!」




 ほうきを持って走り回ってから思い知らされたことがある。三階だけでも教室が六部屋もあって、ということは廊下もはしから端まで距離がある。こんなにも広くて、こんなにも環境が整っているのに、ずーっと放置されちゃって……こんなにも老朽化ろうきゅうかしちゃったんだね……。


 建物って、私たちが使わないと、次第に魅力が消え失せてしまうんだね……。三階の角部屋以外、使用許可はもらってないけれど、他の教室も定期的に掃除しなきゃ。私はそう思った。


 ――高校生になって部活動をしている。


 こんなこと、昔の私に言っても、ぜーったい信じてもらえないよね。


 一秒、一分、一時間、一日、すべてが幸せ。……そう、心から幸せだけれど、この先も、ここにある幸せが保証ほしょうされているわけじゃない。もしかしたら、明日にも消滅しょうめつするかもしれない。だからこそ懸命けんめいに生きよう、他の人の目なんて気にしない。私はやるの!


 十数年生きてきて、こんなにもぶっ続けでほうきやモップをあつかったことがない。それくらいには奔走ほんそうした。けれど……。


「終わんなーいっ!」


 思わず、心の声が出てしまう私。ハッとしてすぐに口もとをおおったが。


 カミーアさんの可愛いケモ耳がピクッと反応してしまった。


「マナさん、気持ちはわかりますが、それを言ってしまったら士気しきが下がりますよ」


「ごめんなさい……」


 私がぺこぺこ頭を下げていると、ミミさんが割って入ってきた。


「しょーじき、あたしもマナちゃんと同じ気持ち。ポジティブが売りのあたしでも、こりゃキッツイね」


「あー! ミミさんまでそれを言いますか! ……はあ」


 大きなため息がれた、カミーアさんのものだ。それを聞き逃さなかったのは、ガールフレンドのクルミさんだった。


「カミちゃんもため息出てるねー」


「確かに……私もごめんなさい……はあ……」


「また漏れてるねー」


 着実ちゃくじつに綺麗にはなっているけれど、ピカピカとは到底とうてい言えない出来だ。くたくたになるまでやってこの成果なのだから、私たち百合の花のテンションが盛り下がるのも当然だった。


 おーい。さっきまで売るほどあふれてた活力さーん。そろそろ帰ってきてもいいんだよー? お姉ちゃんたちは、あなたがいないと動き回れないんだよー?


 ……。……カムバック活力ッ!!! な、なーんて……。


 ……ふざけてないでどうするか考えなきゃ。この進み具合から推測するに、最低でも三日はかかりそうかな……。掃除に三日……どうしよう……。


「そうだ!」


 妙案でもひらめいたのか、あの冷静なカミーアさんが、突然大きな声を出した。


 一同がカミーアさんに注目するなか、彼女は自信ありげな表情で、眼鏡をくいっとした。


「私たちは、一刻いっこくも早く成果を出さなければなりません。そのためには、この作業を手早く済ませる必要があるのです。ですが、このぶんだと、どう見積もっても三日くらいはかかるでしょう。そこで、私、考えました。クルちゃんの魔法を使えば、あっという間に掃除が完了するのではないでしょうか?」


「おおっ! 確かにっ! 良いじゃんそれっ!」


 ニシシと笑うミミさんに、私も同調した。


「流石はカミーアさんです! その手がありましたね!」


 これで一件落着いっけんらくちゃく……とはならないかもしれない。肝心かんじんのクルミさんがこう言ったからだ。


「私も『お任せあれ』とでも言いたいですね。ただ、なにぶん修行中しゅぎょうちゅうでして……。マナさんとミミさんの顔を、馬面うまづらにしてしまったことは記憶に新しいですよね。要するに、私の魔法のレベルは、その程度ということなんですね……」


 クルミさんのことは信じているけれど……馬面はちょっと……。


 同じ被害ひがいったミミさんは、一瞬だけ「げげっ」と舌を出したものの、自身を鼓舞こぶするように首を振って、決意を言葉にした。


「馬面は勘弁かんべんっ! し、しかし、物は試しっ! 思い立ったが吉日きちじつなんだ、すぐにでもやろう!」


 私も馬面経験者。でも……!


「や、やりましょう……! 上手くいかなかったら……嫌ですが……そのときはそのときです!」


「馬面……私には想像もつきませんが……。被害者のマナさんミミさんと、加害者かがいしゃのクルミさんが大丈夫でしたら、ぜひともやりましょう」


 結局、カミーアさんの一言が最後の一押しとなり、クルミさんは腹をくくって、ステッキをかまえた。


「わかりました……。私もそろそろ、難易度の高い魔法を成功させて、一人前の魔法使いにならなければいけないと思っていたんですね。バッチリ決めますから、大船おおぶねに乗ったつもりでいてください……!!!!!」


 くるくるくるくる……。


 ステッキを回して、彼女も回る。


 その動作が魔法に関係しているのかはわからないけれど、やけに本格的ほんかくてきだ……と思う……。


 くるくるくるくる……スタンッ!


 ステッキが止まり、彼女も止まる。直感で、次に言葉を発するのだろうと思った。


 クルミさんはステッキを振りかぶった。静粛せいしゅくな雰囲気のせいか、つやめいた息遣いが耳にすっと入ってくる。何だか変な気持ち……。


 スァンッ!


 ついに、ステッキが振りおろされて――。


「レワオ・ジウソ・ノイカンサッ!!!!!」


 呪文じゅもんらしきものをとなえると、突如とつじょ、私の身体の奥から、エネルギーがみなぎってきた。


「な、何これ……!」


 どうやら三人にも同じ現象が起っているらしく。ミミさんの尖った耳が、麻痺まひしたようにピクピクと痙攣けいれんしていた。


「やばいってこれ……! あたし、身体の内側から力が溢れてきて……動かないとダメになるかもしれない……」


 ミミさんと同じように、カミーアさんの頭のケモ耳もふるえていた。


「私もです……! いまなら、この大掃除もあっという間に終わらせられる気がします……」


 ……で、どうしてこうなったの????


 クルミさんは、人差し指でほおいて、申し訳なさそうに言った。


「校舎を丸ごと綺麗にする魔法をかけたつもりが……潜在能力せんざいのうりょくを一時的にグンと引き上げる魔法になっちゃったみたいです……ごめんなさい」


「謝ることないって、この状態なら掃除できちゃうからさっ!」


 肩を落とすクルミさんの肩に、ぽんっと手をえるミミさん。そして、くるっと私とカミーアさんの方に向き直る。


「つべこべ言わず、やってしまおうっ!」


 その号令に、みんなが再び手を挙げて、みんなが再び団結した。


 熱意がまたまた一つになり、作業は再開された。魔法の効果はどんなものか、私は少し懐疑的かいぎてきだった。それはおそらく、ミミさんもカミーアさんも、あるいはクルミさんでさえも、同じ気持ちだったかもしれない。


 しかし、魔法は確かに魔法だった。非現実的なパワーが作業効率をうんと向上させてくれる。


 馬面事件は色褪いろあせない。でも、こうして不思議な体験をできて、なおかつ目的を合理的に達成できるというのだから、クルミさんには感謝しかなかった。あえて本日のMVPを決めるとすれば、その該当者がいとうしゃは間違いなくクルミさんだろう。


 えっさほいさ! えっさほいさ!


 えっさほいさと一心不乱いっしんふらんに、それぞれがそれぞれの役割を果たすことで、難航なんこうすることが約束されていたはずの大掃除は、下校時間間際まぎわに完了してしまった。


「お疲れさまでした。みなさん、よく頑張りました」


 カミーアさんは、力を使い果たした私たちにねぎらいの言葉をかけてくれる。


 ひたいつたう汗をぬぐった私は、冗談っぽく、誰に言うでもなく口にした。


「これだけで、部活として認めてくれるかもしれませんね」


「そうなったら嬉しいけれど、まあ無理だろうなー」


 えらく現実的な回答をするミミさん。広報部・百合の花を部活にしたいと、本気で思っているからだろう。


 陰の功労者こうろうしゃであるクルミさんは、ピカピカにみがかれた床にいつくばりながら、「お腹空いたー」とうめき続けている。女の子が床で寝ちゃダメだよ、と思いながらも、彼女の気持ちは理解できた。私も、いますぐにでも倒れ込みたい。


 ……よしよし、本日はこれにてお開きかな。


 私がみんなに声をかけようとしたところ、一足ひとあし先にカミーアさんが発言した。


「清掃完了の報告をしに、職員室に行ってきます。だからみんなは先に帰ってください」


「でも……」


 甘えたい気持ちが半分、申し訳ない気持ちが半分。私は返答に困った。


「大したことないですから。どちらにしても、生徒会の業務のことで、先生に相談するつもりでしたし」


「……そうでしたか、では」


「はい。また、明日ですね」


「また、明日です」


 手を振るカミーアさんに、「カミーアちゃんありがとねっ! また明日っ!」と挨拶あいさつをするミミさん。クルミさんは、「カミちゃん、私もついていきますねー」と言って、二人並んで教室を後にした。


 ……ちなみに、ミミさんは「あーこりゃカップルの邪魔しちゃ悪いな、これで堂々どうどうと帰れるっ!」とカミクルカップルを揶揄からかってました。ミミさーん、よくないよー。だけど、いたずらっ子のような笑みを浮かべるミミさんと、むすっとするクルミさん、二人を優しく傍観ぼうかんするカミーアさん、この三人が見れて幸せだった。みんなといると、ほっこりする。


 カミーアさんとクルミさんに甘えて、私とミミさんの二人はお先に失礼することになった。帰り道は他愛のない話を沢山した。


 ミミさんは、いつも私を、私たちを笑顔にしてくれる。……ううん、それだけじゃない。私たちを導いてくれている。ミミさんみたいな人のことを、カリスマって言うのかな? とにかく、ミミさんは私にとって、かげがえのない存在になっていることは明らかだった。


 ミミさんの瞳を見ていると、ミミさんの白い髪を見ていると、ミミさんの柔い肌を見ていると、ミミさんの線の細い身体を見ていると、ミミさんのツンと尖った耳を見ていると、ミミさんの子どものような笑みを見ていると、私の胸はいつしか張りけそうになっていた。


 カミーアさんもクルミさんも可愛いし、素敵だし、魅力的だし、魅惑的みわくてきだし、可憐かれんだし。とても女性的で好きだけれど、ミミさんに対して抱く感情は、二人とは確実に違っていて、明確に異なっていて……言葉にできない何かが、確かにこの胸にあった。


 ドクン……ドクン……。


 こんなことは初めて。


 ドクン……ドクン……。


 高鳴りをおさえるために、私は胸に手を当てた。


 ドクン……ドクン……。


 こんなことしたって、変わるわけがない。こんなことをしたって、止まるわけがない。


 根拠こんきょはなかったけれど、本能的にそう感じた。


 これってさ……単なる鼓動こどうじゃ……ない、よね……?

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