第5話 天地騒騒しい


  ――土曜日の明け方――

いちごちゃんと八切は、一旦スーパーを駆けずり回り物資を買い集めると、車中泊で交互に身体を休め、夜が明けると再び諏訪湖へ向かい四駆を走らせたが、その異様さに立ち往生していた。

 平穏無事な平時と呼ばれる時が心底懐かしいとさえ思う。

「いちごちゃん、「あれら」は、どうしましょう? 祓い清めれば良いのでしょうか?」

『ふぅん……そうですね。祓うって、この世に具現化したモノをどうやって、私に祓えと?』

いちごちゃんは煙草の煙をくゆらし素っ気なく答えた。

(蛇なのにたばこ吸いますか? いや、龍だからそれは違うのか。インディアンも神との交信する(神聖な儀式の時に)吸うというし。)

いちごちゃんは、まだ誰かの依り代になっている。

 矢切の目の前には、猫耳、猫尻尾、猫髭まで生やした人間が。ふらり、ふらりと長野の山里をある種異様な空気を醸し出しながら、同じ風貌の人が複数人彷い歩いているのだ。

 それらの人は猫の集会に見える集団を複数作り、にゃにやら話し中だったりする。

たまに、八切達と同じく体の変化も心の変化も無い者がその人らを見て慌てふためき逃げ惑っている。

『あれは、ニャンビ――です。』

いちごちゃんがぽつりと呟いた。

「にゃん?」

『ニャンビ――です。何度も言わせないで下さい。ニャンウイルスに感染したかった、心の弱い者達がかかる伝染病の事よ。』

「そんな、伝染病があったなんて!」

『うふふ。私が今、作った病名ですよ。でも、病気は気からって言います。現代の忙しい人間は、普段から、あのようにのんびりで自由気ままな「猫」に産まれたかった。そう言う気持ちが、この世の終わりの様な今に、まるで走馬灯を引き寄せるように、強い念力を発揮し身体の一部を猫に変えたのです。そして見た目も行動もココロも猫になってしまった。ああ、そうそう、何となく、先程ニギハヤを視たのだけれど、ニギハヤはそれを人猫って言っていたわ。』

「え、ニギハヤ……饒速日命?」

いちごちゃんはニンマリ笑った。

『八切、そなたは火中の栗を拾う気はおありで?』

「……。」

(この問い。いちごちゃんの意識がある時に、聞いて欲しい話です。)

きっと、今、いちごちゃんでは無い存在に答えるのならば、恥ずかしくは無い。

「ええ、いちごちゃんがいちごちゃんに成った。その時から、僕は火中の栗を拾うのは僕の役目かと、思い今まで生きてきました。」

クスリ。

『ふふふ。直情的な所、よく似ておるわ。貴様達は何処までも、寄り添い、助け合い、一緒に生きて行くのですね。』

「はい、そうなります。ですが、僕らと誰が似ているのです?」

『よくぞ、我に問うたな。それでこそ、貴様は越後の八海山尊神社の龍の花鳥風月から派生したタマの持ち主よ。』

「八海山尊神社! いちごちゃんの守護霊、泰賢行者が行を修めたあの神社の、僕が、その、花鳥風月なのですか? ……いちごちゃんはその花鳥風月がファンの様な眼差しで自分を見てくるとは言っておりましたが。僕には見えない、その龍が、僕の魂の親……。」

『まぁ、無理にココロに落とし込もうとしなくて良いぞ。いちごちゃんの守護霊泰賢行者は、いちごちゃんの過去の姿。そして、いちごちゃんは彼の神社に住まう花鳥風月をアのタマで感じ、メのタマで視え、ココロでタマを振り合い過ごした。御前はそのココロ振るわす遊びが特別好みで。現世においても、ストーカーの如く、いちごちゃんの側にその想いだけでヒトとして生まれ落ちつる、それが八切、御前なのだからな。』

「……僕の前世が花鳥風月だったとは思いませんでした。」

『いやん、私的には、そこに注目して欲しいわけでは無いのです。ほら、時を駆け成就せしめんとする想いに私はココロが細かに振動する。』

「ロマンチストですね。」

『あっ今! 私を馬鹿にしましたね! 良いでしょう、それではもう一つ予言めいた話をして差し上げましょう。』

「予言? ですか?」

『八切、貴方は八海山尊神社の龍の花鳥風月から派生したタマだと言いましたが、それゆえに、信仰において興味関心事があるとすれば、少しは思い出せるであろう。それが、「ク」になるか、「ラ」くになるか。誰しも産声をあげた時は、ラの音だと言いますし。』

「解りました。初心忘れるべからず……ですね。」

そう、いちごちゃんに言うと、ガクリといちごちゃんは八切に倒れ込んだ。

意識の無い、いちごちゃんの背中を軽く叩き、深く暗い雑木林を見つめ、明るい空間で戯れるニャンビーーを見た。

(僕は彼らよりも、己の好きを体現している存在です。)


  大粒の雨が、俯き立ち尽くすニギハヤと玄利に降り注いだ。秋の入り始めの山の気温は雨が降るだけで急激に下がる。身震いする。

『今の「時」は、僕と若彦さんにとっては過去の「時間」でもあり、ニギハヤさんには今、この時間は僕達が合いまみえる交差する時間ですが、素性法師のお話によるととても限られている時間だそうです。単刀直入にお話しを聞いていただけますか?』

「ああ。」

(余り、聞く気は起きないが。少しだけなら。)

『今から、貴方は自らその存在を蔑み、消されに行こうとしていらっしゃいますね?』

「……わしの事をどれだけ知っているのかは、存ぜぬが。まぁ、そんなところだ。」

『なぜ、殺されに行くと分かっていて、そんな平然としていられるのです?』

「ああ? その、素性法師もお前さんも、「今」わしが直ぐに死に行くとでも?」

『今……では、ないのですか?』

「ああ、そうさな、玄利に会ってそう思った。」

『僕はそう言うの、嫌いです。』

「アハハ! おっさんの戯言には付き合えんと。まぁ……、今から、仕掛けてくるものに仕掛けに行こうと思っていた所だ。』

「仕掛けてくるものに、仕掛ける?」

『そう言う意味においては、その玄利、貴様の前世というのかの? 素性法師の見解はあながち誤ってはおらん。』

ニギハヤは背負っていた籠の革袋の荷を解き、中身を見せた。

『これは、美しい絹織物ですね。』

言葉では表現できない精巧で緻密な花が散りばめられた向こう側が透けて見える美しい光る織物だ。

(こんな時代に、このような美しい織物があったなんて。聞いたことも見た事も無い。)

「ロスト・フィート。」

『失われた偉業ですか?』

「さよう、素性法師の時代……平安時代にさえ、この織物は伝わってはいまい。若彦のここにも、その伝えは無い。」

ニギハヤはケラケラと、せせら笑い、頭を指さした。

『何故、伝わっていないと、申されるのですか? 技術が消えたのではなく洗練されて、無くなったように見えるのではないのですか?』

(簡単には食い下がらぬか。この優さ男め。)

「おぬし、単刀直入に、どうするのだったかな?」

もう、山を下りたいそぶりを見せた。

『すみません、織物がとても綺麗で見とれていて。』

「まあ、コレを見て見惚れぬ男なら、わしも、ここまで話に付き合わんよ。」

ニギハヤは、織物を戻しまた歩き出した。

『あの、待って下さい。素性法師に聞いたのです!』

「何を、坊さんに聞いたって?」

ニギハヤが筋骨隆々な男だからか、山を駆け降りる速さが尋常でない。

『若彦さん……いえ、アメノワカヒコは……アメノサグメ、巫女だか、女神だかに、余計な事を言われ、アマテラスのご意向に従わず、高天原へ帰らず返り討ちにあった。……未知若彦さんは、その、アメノワカヒコだ! アメノワカヒコは天の若い男とも言って、それは、後世に伝わる饒速日命だと!』

「それで?」

足を止めた。

『それでって、ニギハヤ様、あなたはもうすぐ、高天原のモノに殺される。』

「殺されるから、なんだ? 今のわしは心穏やかなものよ。……何故だか、君には分かるか?」

『何故でしょう? 僕には、分かりません。殺されるくらいなら、生き延びようとあがきます。……素性法師だって、それを望んでいます。』

「はははッ、なぜ、素性法師が……わしが生き延びるのを望むのだ? それこそ、訳の分からぬことよ。ヒトの生き死に口出しする男は、男の腐ったものだけだろう。」

ギラリと光る瞳が怖い。

『そうなのですか? 僕はそうとも言えない気がします。素性法師は僕が平安時代に訪れる事を、長い間願い、待ち望んでいました。そして、この時代のニギハヤ様をお救いしろと。……なぜなら……。』

「なぜなら?」

『……?』

(素性法師はニギハヤ様、若彦をお救いしようと、言ったのか思い出せない。)

タイムトラベルをしたせいなのか、頭が痛く、思い出せない。

「思い出せぬと言う事は、思い出さなくて良いと言う事だ。さあ……、元の世界へ戻れよ。玄利。貴方の帰りを待つ者も居るだろう。」

『戻れと、言われても……、素性法師はある事が起きずば、戻れまいとおっしゃっていました。』

「なに! 貴様、そんなアンニュイな事象を信じ、元の世界へ戻れると? 他人を信じすぎだぞ!」

『……。』

そう言われると、ムカッとする。

「図星か? 笑えるな。」

『……。』

「元の世界へ戻れるようになるまで、わしに付きまとう気か?」

『出来れば、お供させて下さい。』

「まったく面倒くさいな。それなら、まず、こちらへ来られよ。」

二人は、獣道から藪の中へ入ると、細いが大岩がゴロゴロしている河原に出た。

ニギハヤは大岩を見、下岩を幾つか避けると、壺の蓋があった。蓋を開けると中から、ニギハヤが着ている衣服と同様の物と、つげの櫛が一つ。

『もしかして、コレ、呪物ですか?』

「間に合わせだから、あまり気にするな。」

気にするな、と言われたが何か気にする必要があるような。

(河原の岩の下に、呪物を隠し込むある種の術があった気がするのですが。)

呪術について少しかじった事があっただけの玄利は気になったがその呪法までは分からない。

(飛鳥時代だったか、川に馬の埴輪や、ヒトガタなどの呪物を置く風習があったと思う。)

渡されたまま、玄利は腕組みをして見つめるニギハヤの前で、見よう見まねで着つけた。手に持ったつげの櫛はニギハヤが玄利の髪の毛を結び直し、角髪にすると、櫛を角髪と耳の間に挿した。

「おお、よう似合う。」

『ニギハヤ様、光栄です。』

ふ――ん、ふ――んとニギハヤは玄利の周りを巡って頷いた。玄利は男の目から見ても光り輝く美しさ。

「良き男じゃ。」

ガハハハッ。

玄利の肩を叩くと、ニギハヤは少し歩みを緩めて、再び獣道へ戻ると山を下り始めた。

「玄利。」

『はい。』

「これから、わしについて来るのであれば、わしのやる事に口を挟まぬように。」

『口を挟むなって……。それは、先程も言いましたが、それは無理です。』

「なになに、なんだって? わしが、今からやる事が、わしの来世である未知若彦の、いや、日本の為になるとしても、同じ事が貴様には言えるのか?」

『それは、まるで、特攻ですか? ニギハヤ様が、殺されることでなぜ、若彦が、日本が救われるのです。』

「はっ、はっ、はっ。そうするとな……わしが、助かる。それ以上の幸せがあると言うか?」

『ええ? 嘱託殺人に僕が手を貸さねばならないのですか?』

困った笑顔を向け、それ以上その時の玄利は聞き出せなかった。

ニギハヤ一行は、山を下ると川沿いの沼地付近にある集落を訪れた。

夕日も落ち、暗闇が辺りを支配する。集落、彼の国は木の杭で大きく柵を巡らした仰々しい、現代でこの時代の遺跡を復元したもの、そのものだ。篝火が所々ではぜ、門番が複数名、ゆるゆると警備をしている。

「ああ、そうだった、玄利よ。」

『はい? なんでしょう?』

集落に足を踏み入れようとした玄利を、左手で制止した。

「玄利は未来人。過去の事はあまり分からぬであろうから、何を見ても、何をされても驚くな。」

『はい。』

(……驚くなって、今更、僕は何にも驚きませんが、今のニギハヤ様のお言葉には強い覇気を感じた。気を付けよう。)

「あとな。」

『はい、なんでしょう?』

「玄利、わしはな、本当はな、とても、死にたくない。」

『ええ、解ります。僕も、誰かに殺されたいなんて思いません。……だからこそ、微力でありますが助力したいと願っております。』

「玄利ならば、そう言って、くれると思ったぞ。貴様がニギハヤ、わしになってくれ。」

『はっ?』

一瞬、何を言われているのか、分からなくなってしまった。

「何を迷っている。玄利、君はわしを死なせたくないのだろう。それならば、わしに成り代わって頂けぬ訳ない。」

『そ、そんな……。急におっしゃられても、僕はどうすれば良いのか。』

「なに、びっくりしたのか。華奢なお主がこの大役をわしの代わりに務める事を……。わしは、いや、若彦は良い、友を持ったものよ。」

(……未知若彦さんは、友達と言うより、現世で出会ったばかりのファンですよ。僕は弱い男でも……優しい男でもないです。)

セーフティ・ムーン・ヴァのビジュアル系ボーカルとして、小さな成功はしていたが、その身に巣くうストレスは、己の心を蝕んでいた。

長月玄利は、毎日考えていた。

――もし、自分が戦国武将、織田信長の様に全国統一しうる、立場になったとしたら、この身に巣くう自己充実感が満たされるかも知れないと。

 音楽で、世界統一しようとも思ったが、美しい容姿に似合わず、その身を滾らすのは雄々しい、全ての者をひれ伏せたいと切に願う、言葉にならない思いだった。

心底ファンが玄利に望むビジュアル系を装うには持ってこいだった、ステージ用の鞭を演奏の合間に使い華麗で緊張感ある演出していたのも、そういった一種の陶酔感を得、真実の自己を表現する唯一の見せ場でもあった。

音楽活動は、どんなに辛い日でも休まず行ってきた。

 その毎日の、ちょっとした努力が今となっては馬鹿馬鹿しいとさえ思える。

大和の大王饒速日命といえば、現代では、その存在は確固たるものでは無く、存在自体が疑問視されているが。

(……僕が、いや、ぼくがニギハヤ様に成り代るならば。大王饒速日を確固たる偉大な大王として君臨したと歴史を書き直す事が出来る!)

両手を見つめ、硬く握った。興奮して、汗が額から一筋流れた。

「その様子、その雄々しさ。見目麗しいだけではなく、心根もしっかりした男よ。」

『ニギハヤ様』

「わしが、認めた男、玄利よ。それでは、行こう。」

ニギハヤは、先に見える集落は、侵攻勢力の国だと言った。

「わしは、商人として、直接、彼の国の王と交渉する。玄利はわしとして、構えて微笑み、わしが声をかけた言葉をまず、話てくれ。」

『それだけで、良いのですか?』

「初めての交渉の場だからの。そのうち、わし無でも彼の国の王やその他の者達と交渉して欲しい。国の王の役目は、多くは交渉から始まるのでな。」

前を歩き始めたニギハヤは、鋭い視線を向けた。

玄利の闘争心を諫めるように。

『はい、仰せのままに。』

言葉が震えた。

ニギハヤの歩みは早く、顎が震え、身体も小刻みに振るえ身中が定まらない。

ポンポン。

ニギハヤは武者震いする玄利の肩を軽く叩き微笑んだ。

『ステージで、歌う貴方はいつも、輝いていましたよ?』

『え? 貴方はニギハヤ様ですか?』

姿は、ニギハヤそのものなのだが。

『……えっ、なに? 玄利さん、俺、俺です!』

『若彦さん……?』

『うん、俺、若彦だ。やっとまた、外へ出て来れたや。』

『若彦さん! これから、僕はニギハヤ様として、これから初めて彼の国の王との交渉に挑むところなのですが、若彦さんはニギハヤ様の商人役出来ますか?』

……この状況。

(ニギハヤは商人役って、これから何をしようとしていたんだ?それを出来ますかって、急に言われても。)

『ええ……と、どう言う事かな?』

『若彦さん、自分自身なのに、状況が理解出来ていないのですか!』

『状況ねぇ……。』

(俺は、箱根の芦ノ湖で、白和龍王の花鳥風月が穿った、穴に入って、そうだ。玄利を助けに来たのは良いものの、俺はニギハヤの姿で知らない土地、見慣れない大好きな爬虫類と戯れていたら、そいつが、ニャーニャー言って来て、なんの為にお前はそこに居るんだって、言われた……そんな状況だけどなぁ。)

彼の国の集落に近づいた二人に、門番が何かを叫びながら駆け寄って来た。

『玄利さん、お前たち、何者だって言ってるよ。』

ニコニコ微笑みながら、若彦は言った。

『若彦さん、今、僕はニギハヤです。ニギハヤと呼んでください!』

耳元で小さいが聞きなれた心地よい玄利の声に、電撃が走った。

『ああ、そうか! 分かった! はい、このお方は、彼の有名な大王ニギハヤ様でございます!』

若彦はこれってない笑顔と、顔の横で、両手を使いピースサインを作り、指を折り曲げクイッ、クイッとした。

門番は、少し不思議そうに首を曲げたが、何かを理解したのか、二人を集落の中へ向かへ入れた。

「あっ、ニギハヤ様!」

先にやって来ていた玉姫が二人の元へ駆け寄って来た。

『玉……姫? 本当に?』

夜の闇と篝火のせいなのか、うっとりする程、良い女が目の前にいるではないか。

「本当にって、何よ! あたしは玉姫よ。そちらに居るのは……。」

声の大きい玉姫を制止するように、門番の兵や、別の兵士が居ない藪の中へ咄嗟に若彦は二人を連れて行った。

『こちらは……、こちらの凄い美男子はどう見たって、玄利さんです!』

ファンだけに、力強い一言を玉姫に浴びせた。

『はい、玉姫さん、僕は玄利です。』

「う――っそう! あの、玄利が?」

玉姫は、目をくりくりさせて、玄利の顔を覗き込んだ。

玄利は少し、迷惑そうに微笑んだ。

『はい、僕は、あの時の玄利ですが……今は、ニギハヤ様の影武者です。』

「ん? 影武者?」

『ようは、俺を、ニギハヤを護るために、ニギハヤと偽り敵と戦う男? みたいな。』

「はぁ、なるほど。若彦を護るために、わざわざ?」

『いえ、若彦さんを護る為ではありません。僕はニギハヤ様を、その背後の彼の国を護る為です。』

「へぇ――。仰せつかった? まぁ、良いわ。それで、玄利、若彦、貴方達、この国に何をしに……若彦、その荷物、さては、この国の王と交渉に来たのね?」

『はい、玉姫……、たぶんその通りだよ。』

「でも、あなた達にこの国の王と交渉出来るだけの胆は据わっているかしら。」

いやに、ニヤニヤ笑う玉姫。

『いや、胆なんて据わっていないよ。胆は焼き鳥で甘辛のタレを付けて食べるだけで十分だよぉ。』

微笑む若彦。ゲラゲラ腹を抱えて笑う玉姫。

「いやいや、あんた、こんな時でも変な事言って、良く笑わせてくれるわね。あたしは、そんな若彦が大好きだよ。……で、玄利、あなた、この子、いえ、若彦に変わる前、ニギハヤに何か言われていませんでした?」

『言われました。ええと、構えて微笑み、ニギハヤ様が囁いた事だけ話せと言われました。』

「へえ、傀儡になれと。それじゃあ、若彦が交渉をリードするって事だよね?」

『ええ! 俺が? そんなの、無理だよ。』

「じゃぁ、しょうがないなぁ! あたしが、この国の王と交渉したげるよ。」

男二人はほっと安どして、頷いた。

「でも、どんな、交渉するつもりだったの?」

玄利の目くばせに気がつき若彦はおもむろに籠を降ろし、中の荷物を紐解き玉姫に見せた。

「わぁ、綺麗。天織物……って、懐かしいわ。ニギハヤ様まだ大事に残していたのね。」

『懐かしい? どう言う事?』

「ああ、若彦、ニギハヤ様の記憶を読み込む事は出来ないの?」

『いや、俺、一度も、ニギハヤの記憶を読み込んだ事無いけど。』

「じゃあ、今ここで、読み込んでみてよ。」

『どうやって?』

「そうね、この、天織物をよぉく見て見なさいよ。何か、映像がフッと、脳裏に浮かばない?」

玉姫は自分の脳天を指さし、

「ここのちょい奥に松果体があって、あたしらは松果鏡って言うんだけど、松果鏡には多少の金属が蓄積されるのよ。ようは、身体に溜まるオルハルコンみたいな感じよ。それから丸い球体だから、鏡。……まぁ、物体を構成する全ての物はその最小の姿は完璧な球体、鏡なんさ。」

『ふぅん、そう――なんだ。』

「なぁんだあ、じゃないの。折角、面白い事教えたのに、若彦ったら興味なさそうね。興味持ってくれない、若彦の事あたし、嫌いになっちゃいますよ。」

『いや、別にそれはそれで、いいです。』

「……ムッ。まぁ、いいわ。それじゃあ、松果鏡にロードした情報を脳裏に映すのよ。ああ、そうそう、この天織物の波動を共振させてからね。そうすると、松果体鏡に映しやすいわ。」

玉姫は天織物に顔を近づけ見つめ、見つめれば共振するのか、そのまま玉姫の様子を見ていたが、顔の前で手を振った。どうも、若彦はそうする必要は無いらしい。

『ああ、僕も聞いたことがあります。松果体は第三の目と呼ばれていて、千里眼、神通力、脳力開放、直観力があるともされていますが、現代人は豆粒大ほどしかなく、成人になるころには、石灰化している事が多かったはずですが。』

「でも、大丈夫! 我らが、ニギハヤ様……いえ、野獣若彦の松果体は、花豆程度はあるわ! 安心して、天織物と共振するのよ!」

『ええ――。花豆サイズ? それって、どの位? 俺は何が、何処で、安心なんだ? 野獣若彦って誰よ?』

「フフン。それだけ若彦、あなたが過去の私達の姿形に……限りなく近くて遠く、近くて、似ているって事だから。大丈夫なのよ。」

『なんだよ、良くわからん。俺は本当に、ニギハヤの生まれ変わりだけあって?』

「あ、そうそう! そう言う事。どう? 見えてきた?」

『いや、共振とか、解んない。』

「フン、まあ、良いわ。あたしがその都度教えてあげるから。若彦、大好き。」

『いや、良いから続けて。』

「この、天織物はニギハヤ様が天津国に居た時に、機織り娘に織らせた、天織物。当時の想い出を読み込む事が出来るのよ。もう、天の国に戻らぬと決めた、この頃のニギハヤ様の元にはもう、残っていないと思っていたから、あたしもびっくりした。」

『機織り女? ん? この展開どこかで……、天津国?』

(あれ、天津国の出来事……。)

頭の中で、嵐の様に考えが巡る。

「若彦、どうかしたの?」

『いや、ちょっと。気になる点があって。』

「まあ、細かい事を詮索するのは後にしましょう。この上等な天織物なら、この国の王と交渉なんて、ばっちり上手くいくと見たわ!」

『はぁ、そんなに、上手くいきますかね?』

「上手く行かせるの。」

『はい、はい、はい……。』

まるで、二人は十年来の知り合いの様な話しぶりだ。

『あの、それで、僕はどうふるまえば?』

「あっ、玄利。」

『俺達は、玉姫の交渉術を遠巻きに見ていましょうよ。』

「若彦さん、それで、良いのですか?」

『いいも、悪いも。だって、俺達、この時代の事何も分かっていないじゃないか。』

『……本当に、何も分からないのですか?』

玄利は目をチカチカさせて、若彦を見た。

『ああ、大学で学んだ考古学的考察で如何にかなるものでも、無いようだ。』

若彦は玄利から視線を逸らすと、遠く煌めく松明の陰、異様に暗いそこに視線を注いだ。

『それこそ……。』


ズシリ。


『な、なんだッ!』

震源地から距離近いのか、そのものの自重が普通のそれとは違う揺れと音がした。

若彦は今すぐにでも、この場から逃れたかった。背筋に悪寒が走り、冷や汗が頬をつたう。


  八切は、長野の美しい新緑の中で、虫にじゃれつくニャンビ―達を横目で見つつ、気絶したいちごちゃんを背負い、四駆に戻り助手席に座らせると、タブレットを手に取り、「ニャンビ―」につて検索してみた。

「猫耳、猫尻尾が生えてきた人……検索。」

ちら、ちらとはネットにその存在が散見されていたが、如何せん情報が少ない。国のニュースメディアはニャンビ―よりも、いつ終わると知れない地震や突如として剣山上空付近に無数に現れたUFOの報道をひっきりなしに放送しているだけだ。

「いつもの事だが、これではまるで、日本政府は真実を報道したくないようだ。地震や、UFOも確かに不可思議な事で身に迫る恐怖だが、それより、もう実際にニャンビ―になり果て困っている人達を助けた方が良いのでは。」

そこまで、静かに呟き、はっと我に返った。

(いやいや、震災で家屋が倒れ下敷きになってしまった人の安否や、襲ってくるやもしれぬUFOを迎撃する方が先か。被災地が何処なのかを即急に知る必要があるし、UFOだって、迎撃するにはどの場所に出現しているのかを知る必要がある。)

「いや、そうは言っても、被災地域の確認、迎撃しなければならないUFOの特定情報は、一般大衆の僕達に必ずしも必要な情報なのか?」

う――んと、伸びをして背もたれにもたれかかり、フロントガラス越しの緑や、鳥の声、木漏れ日が心地よい。この、狭い車中、長野の自然全てが瞳に優しく映る。

そこに「有る」物達は周囲の状況がどうであれ、自分自身を凄く大切にしていると思う。心の赴くままに虫を追うニャンビ―に成り果てた者達もだ。

「忙しい現代で猫の様に自由気ままに、自然に即した生き方をしたいと願う、心身共に疲れてしまった人達の強い思いが、具現化した状態がニャンビーであるとはまだ、世の人達は知らずにいるのか。」

八切らしくない言葉が、ポツリと出てしまった。

瞼を閉じて考え込んでいたらいつの間にか眠ってしまっていた。静かにドアを開け、外へ出ると、いちごちゃんが先に外へ出ていて車に寄り掛かり腕組みをしていた。鋭い視線をニャンビーに向けている。

長い髪を一つに結び、背が高く修験装束を着たいちごちゃんは美男子で、ユーチューブでも女装している時より何百倍も再生率が高くなる。

(ナイスタイミングだ! 再生率が上がれば認知度が上がる。間接的にだが、現代に問題定義出来るだろう。)

八切はタブレットでいちごちゃんとニャンビーを交互に撮り映像を簡単に編集すると、ハートの戦士いちごちゃんチャンネルにすぐさま動画をアップした。

ニャンビ―について、憑依されたいちごちゃんが言っていた事も要約しテロップしておいた。

全ての作業を終えて、小腹が空いた八切は自身といちごちゃんの為に菓子パンの入った白い買い物袋を掴んだ瞬間――。

「……!」

  山頂から白い大蛇が、白い大口を開け、木々の合間を凄まじいスピードで駆け降りて来た。

「八切! あれはククリの花鳥風月よ!」

八切は、視線で頷くと大蛇の攻撃をサッと受け流し、背後の藪に飛び込んだ。

(しまった! いちごちゃん!)

確か、いちごちゃんの背後には深い谷があった、落ちていなければいいが。

ククリの花鳥風月は、躍り出た八切を無視し、虫を追いじゃれついていた、ニャンビ―達に牙を剥き襲い掛かる。

「風」

いちごちゃんが、澄み渡った虚空へ向かい叫んだ。


  先日から箱根を震源に大きい余震が日本中で起こり続け、各地で甚大な被害を及ぼしている。その余波なのか、世界の雛型である(日本列島は最低でも三つのプレートがあると言われ)。余震が紐づく様に世界でも巨大な地震が起っているのだろう。

 その為、日本国内では震源地から遠い日本中の自衛隊にも災害派遣要請が下った。まだ年若い自衛官でありながら、幹部の宇佐野にも一日経ち、うずうずしていた所、やっと派遣要請が下ったのだ。

宇佐野の武者震いする心とは裏腹に土曜の朝の空は快晴で適度に心地よい風もふいている。平時とは違う緊張感を持ちつつ格納庫の扉を開け、いつものように格納庫にある航空機を安全に空に舞い上げろと、祈りを込め、風を格納庫に引き入れ、再び開け放たれた滑走路を振り返り大空を見上げた。

――宮城県、矢本海浜緑地近く、航空自衛隊松島基地は相次ぐ地震により矢本海浜緑地内部まで波が押し寄せたが、基地の滑走路内までは浸水してはいない。

「宇佐野三等空尉、今回の津波の被害からは基地は免れましたね。」

「藤原淳空尉。私は前回の被災時はまだ、高校生でした。」

「そうですか、あの時は震源地が海で、我ら、自衛官は一人残らず逃げ延びる事が出来ましたが――津波が基地まで及ぶまで、一時間程ありました。飛べる可能性がある機体も十二機ありましたが、離陸準備や滑走路の被害状況を確認する時間もありませんでしたので、泣く泣く、二十八機全ての機体が水没して使用不能になりました。飛び立てる機体だけでも、空中待機させられたら、と思うと今でも歯がゆい……それに、僕的には地震時の米国の不審な動きが今でも気になる所ですが。」

「藤原。」

「はいッ。」

「過去の事は詮索しても詮無い事だ。私達は今、一刻も早く、被災地へ、人命救助へ向かわねばならない。」

(……今どきの若造は、耳障りの良い話ばかり言う。これでは、志気が下がって仕方ない。)

藤原は、宇佐野より二十歳以上年上で、常日頃、確認する事も無く、気持ちばかり先ばしってばかりの指揮を執る宇佐野と気が合わない。

生意気な宇佐野は目の上のこぶだった。藤原が、心底毒ずくのも、危機管理上、実行可能性を検討した上で先ず飛行計画を提出し、確認しなければならない事が山積みだが、その前にちょっと聞き耳をたてただけで、「いける・いけない」と感覚だけで宣言するからだ。

飛行準備を全てスムーズにこなしたとしても、自然はいつも直ぐに表情を変える。

――三百六十五日、二十四時間、警察、消防では対応できない案件を雪が降りしきる悪天候、嵐、夜間、そのいかなる時も、一番良い判断と決断を迅速に行い出動する。一秒たりとも気を抜くことは出来ない。自らの食事を抜き、自らの命を度返ししても、人命救助にあたる。

厳重に装備を確認し、救出活動を行ったとしても、救出失敗する事もある。とても、繊細な気配りが必要で危険な活動。国内外問わず求められるのがこの、航空救難団の仕事なのだ。

やっと、宇佐野自らメディックとして搭乗し、救難活動する飛行計画が整い、機体の整備確認も順調に終わったのだ。様々な装備を装着し、藤原と共に航空機に乗り込んだ。


宇佐野が松島基地を飛び立ったのと、ほぼ同時刻にメキシコシティ上空に超巨大なジャガーの花鳥風月が唸り声、いや、爆音をあげ出現した。

メキシコシティの住民たちはその唸り声に気が付き、家々から何事かと飛び出した。

UFOの出現にある意味慣れているメキシコシティの住民達だが、それには驚き、勇み、口々に指さし叫んだ。

「あれは、アステカ神話のテスカトリポカのトナルだ!」

メキシコシティも、先日から謎の地震と余震が複数回発生していた。

『テスカトリポカ、トナール……。』

ジャガーは唸り声をあげた。胸に下げた黒い黒曜石に似た円盤がキラリと輝いく。

トナルとは、テスカトリポカが宿していたという、精霊。テスカトリポカは、その力によって本来の姿である「もうひとりの自我」であるジャガーに変身出来るとされていた。

テスカトリポカの花鳥婦月がジャガーは、もう一つ唸り声をあげると、飛び上がり凄まじい爆音と共に虚空に消えた。

突如の事で、世界ではまだ、ニュースにも取り上げられていなかった。

 宇佐野を乗せた航空機は一番被害が大きい震源地、箱根へ機体を向けた。機体が向いたその瞬間、巨大な爪で機体は海に叩き落された。

 その現象は夜の闇がその場を支配し、暴風により機体が水面に叩きつけられたようにも感じた。

機体が海に叩きつけられるその瞬間、宇佐野の目の前に光が満ち、金髪で長く揺れる髪を和紙で一つに結んだ白く鼻筋の通った顔で性別不明な人がフッと宇佐野を抱きしめてきた。      

宇佐野は抱かれた瞬間不思議な深い眠りに落ちた。航空機は無残にも海中へ沈んでいく。

テスカトリポカは水底まで足を伸ばし、深追いしようと海水をすくい上げたが、大波に飲まれ、航空機は何処かへ流されてしまった。仕方なく頭を上げ丸い耳を少し動かし、何かの波動を感じたのか、再び空気を切り裂く轟音を上げ、南方へ飛び上がり雲をかき消し消えた。


いちごちゃんが虚空へ向かい「風」と叫んだ瞬間、暴風が虚空から突然吹き荒れ、竜巻に姿を変え、白い大蛇に襲い掛かった。暴風が大蛇のもたげた鎌首を横からぶちあたり白い大蛇を地面に叩きつける、白い大蛇はのたうち回り、一声呻くと来た道を猛スピードで駆け上がり、谷底からたちこめた霧と共に山頂へ消えた。

いちごちゃんと八切はそれを見送ると、九字を唱え見送った。

「元々、花鳥風月は信仰する者どもの、遊びよ。」

「遊びですね。遊ぶだからこそ、良いにせよ、悪いにせよ、彼らは働く。」

「我らが、彼らに働きかけさえすれば。」

突然沸き起こった暴風により、幸いにも、穏やかなニャンビーは一人たりとも白い大蛇に殺されてはいなかった。

霧が山頂へ退き晴れると、二人の前に一人の長い腰まである金髪を和紙で結わえた男が颯爽と現れた。気がした。

「おはよう!」

黒い木々の木漏れ日を浴び太陽の元に現れたのは、いかにも快活で身軽であり、毎日鍛錬を欠かさない山男――ではなく、

「航空自衛官松島基地、航空救難団、三等空尉、宇佐野戦星(うさのせんし)、只今震災地、箱根へ向かう途中、機体が打ち落とされ、私は金髪の人に抱かれましたら、光に包まれ、ここに不時着! ここは、一体どこですか? 地図を見せて頂ければありがたいです。」

「あれま、瞬く星宇宙(ほしそら)の戦士オオカミ君!」

「はっ、ハートの戦士いちごちゃんさん!」

「もう、こんな時までお決まりの挨拶なんていいわよ、いちごちゃんって♡」

「いちごちゃん♡」

「はぁ、もう、その野太い声、あたし、しびれちゃう♡」

「はぁ……。」

八切は深いため息をついた。

「嫌だぁ、八切ったら、オオカミ君に嫉妬しているの?」

「八切殿ッ。」

「八切で良いです。」

二人は、地方戦士仲間で人気ユーチューバーであり、時々コラボ動画を作成する程仲が良い。

(八切は、オオカミ君が少し苦手だ。)

なぜならば、この二人が揃うと……。

二人はにこにこと八切を揃って見つめている。

(僕は……なにも、ああ、何も関わりたくはない!)

ユーチューブには決して投稿できない、尋常じゃない事が必ず引き起こるのだ。

 八切は二人に背中を向け、四駆へ戻ろうとしたが、肩を恐ろしい力で背後に引っ張られた。


  闇夜の暗がりに、恐怖を感じるのは人として、動物として仕方のない原始的な恐怖感なのだろう。確かに、松明がボンヤリ照らす暗がりにギラリと光る眼が二つ、暗闇に色が溶けているが少ない光でも鱗がキラキラと光っている。

『玉姫、玄利、下がって。』

若彦は、自分もそれを見つめながら後ずさった。

(ちくしょう! こっち、見るんじゃねぇよ……。)

若彦は、汗ばんだ手を握った。

と突然、背後から声をかけられた。

「そこに居るのは麗しい玉姫! と……、もしや、そこにおわす美麗な男人は、玉姫とよく語らう、この地の大王ニギハヤですかな?」

暫く、恐怖で身体が強張り、直ぐには振り向けなかったが、その声にすっと救われ、また奮い立てた。

『はッ……いたたたっ。』

つい、若彦は「はい」と、答えてしまいそうになった。玉姫に局部を触られ、ふっと、思い留められた。

((あっ、今、俺の息子に触れやがったな!))

「貴方はだまりなさい……玄利……。」

玉姫が目くばせしたが、玄利は、新興国の王を見つめたまま黙ってしまっている。

「あ、あのっ、王よ、その通りです。こちらが、ニギハヤ様でこちらが、王と商談を持ちたいとやって来た商人にございます。」

玉姫は、冷や汗かきながら王に二人を紹介した。

『こちらこそ、王よ。お会いできて、光栄です。』

玄利は、やっとにこやかに答えた。

「これは、これは。わしこそ光栄である。なんとまあ、これほどまでにお美しい王だとは、知らなんだ。」

(……この国の王は、ニギハヤがどんな姿の王なのか、本当に知らなかったのか……。謎の人物。ニギハヤ大王……、もう一人の俺。ふん、まぁ、面白いもんだぜ。)

若彦は顎をかいて、少し呼吸を整えた。

(ヤル気まんまん? 俺、楽し。ハムスターの尻尾がピンピン立つわ。)

王は、側近になにか囁くと、側近は集落の奥に消えて行った。

「さあ、玉姫よ、この国の勝手は解っておろう、ニギハヤ王を宴会の間へ連れて来るのだ。」

「はい、畏まりました。」

王も、暗闇の中へ消えて行った。

『なあ、玉姫。』

暗がりに消えた王の姿をじっと見つめる玄利の肩を叩き、若彦は囁いた。

「なんです?」

『この国の王は、ニギハヤがどんな姿の王なのか、本当に知らないのか?』

「ええ、そうね。この現代で言う所の日本国中の王、神々については国内の王同士も国外の王も互いの顔は知らないはずよ。」

『どうして?』

「国王の顔が敵対勢力の王に知れてしまうと、いざ戦に成れば、即、王を目がけて弓矢を射られるでしょう?」

『国防の為か。でも、それならなぜ、ニギハヤはこの国の王に姿を見せようとしたんだ。』

『いえ、ニギハヤ様は、僕に影武者になれと仰られましたよ。』

『うーーん。そこがな。なんか、おかしい。』

(ニギハヤ大王が(俺なら)影武者を使うなんて考えられない。それより、阿弖流為の様に先陣切って戦いそうだ。いや、そうでもないか? でも、何かが、腑に落ちない。)

「何がおかしいのよ。顔バレしても良いように玄利を影武者にしたのでしょ?」

「しっ! 誰かが来る!」

玉姫を背後に押しやると、若彦は暗がりに目をこらした。

ザック、ザック。

頭に羽の王冠を被り、その身体全身に飾りを付けた、他者と似て非なる格好で、日に焼け良く鍛え上げられた筋骨隆々で裸足の男が、弓矢と矢筒を持ち三人の前にやって来た。

男は若彦の元へと来るのかと思ったが、素通りし、王の姿を見つめ続ける玄利の前に来て、差し出して来た。

『玄利、これを持て。窮地に使え。』

玄利は、ビックリして目を丸くした。

『あ、僕はニギハヤ……。』

男は首を振った。

『もう、時間が無い。望月の君。――ここに来た意味を思い出しなさい。』

そうとだけ、言うと男は暗闇に消えて行った。

『あの男はこの国の男か?』

若彦は背後で震えていた玉姫を目の前に強引に引っ張り出し聞いた。玉姫は眼に涙を浮かべている。

『……若彦、どう見たら、あの男がこの国の男に見えるのよ!』

『ん? なに、涙目になっているんだよ。ただのムキムキ、お兄さん……に、俺は見えたけど。』

頭を掻いて、ニヤッと笑った。

「もぉ――! 違うでしょ!」

『この、弓矢、矢筒、とても重いのですが……。』

『あ、すまん、玄利。何も無かった? 大丈夫?』

玄利は若彦に弓矢と矢筒を渡してきた。

キリキリムードを壊すほど、なんだかずっしり重い弓矢と矢筒に、窮地に時に使えと言われ玄利は混乱していた。

『よく見れば、この弓矢に矢筒、金属で、出来ているようだね。』

若彦はまじまじと見てから、矢筒から矢を引き抜こうと羽根に触れたが、バチっと静電気が起こり引き抜くことが出来なかった。手が少しひりひりする。

『なんてこった、これは俺には触れない。玄利が貰った物だしな。謎の男も、玄利に使えと言っていたじゃないか。』

玄利は、腰に下げた鞭を撫で、首を傾げると弓矢と矢筒を受け取った。

『あの男にまで、ここに来た意味を思い出せと言われた。僕がここへ来た意味は……若彦さん……。』

『まあ、それは、そうとして。玉姫、宴会があるんだろう、俺達を案内してくれないか?』

「ええ、行くの? 私もう、家へ帰りたいよ。……さっきの男、アレは、翼の生えた蛇の花鳥風月のかりそめの姿だったのよ。」

『玉姫、さっきからどうした? 翼の生えた蛇の花鳥風月? 箱根の白和龍王の花鳥風月は翼なんて生えていなかったし、声も女性だったような?』

『あの男は、白和龍王の花鳥風月の「気」じゃないわ。あ――怖かった。あの気。どこかで嗅ぎ覚えがある。え――と、確かに翼の生えた蛇見た事あったはずなのよ。でも、分かんない。あの男は(花鳥風月)洋風だったけど日本で言えば龍だわね。あの男に見えたのはかりそめの姿で、本性は龍。後光が鱗でキラキラ光っていたよ。なんか怖くて、何処となく優しい者じゃないけど、見かけは優しいの。でも真は強く恐ろしいと言うか……ま、男は基本そんなものよね。でも、あたし、あいつがここに居るのなら、もう、今すぐにでも、どこか遠くへ逃げたい。ねぇ、逃げようよ!」

玉姫は、宴会の間の方を振るえる指先で指さした。

『ああ、分かった。それじゃ、行こう。』

若彦は玄利と玉姫の手を取り、鼻歌交じりに宴の間へ向かった。

「若彦、それ、分かったって言わないよ……、あたしは、もう、こんな所に居たくないの、そっちへ行きたくないのッ。」

『何言っているんだ。この国の王と宴会するって約束したじゃないか? 約束は守らんと、信用されんよ?』

「ふぇ――ん。」

『行きたくないと言っている、玉姫だけでも行かなくて良いように出来ないのか?」

玄利は見かねて仲裁に入り、腰を曲げて踏ん張っている玉姫を離すように言ったが、

『あのさ、玄利、玉姫を連れて行かないと、ニギハヤの野望が果たせないじゃないか?』

「若彦……、あんたってさ、ニギハヤ様の為ならなんでもする男だったの?」

『玉姫、なにを言うんだ。俺は俺の為に動いてる! さあ、皆さん、手に手を取って、行きまっしょい!』

「如何にも、楽しそうに言うわね、若彦。行きまっしょいって、年齢もバレるわよぉ――。」

玉姫はしゃくりあげながら、漏らした。下衣にじんわりと暖かい液体の染みが広がる。

『だって、面白そうじゃないか。古代の王がどんな宴を催すか、俺がさ、口八丁、手八丁でさ、この背中の品物でぼろもうけするやん! とっても面白いじゃないか。俺どんだけ、あの王からぶん取れるかな? そもそも、この時代って、お金って無いような? ムフフフ。まさか、酒池肉林払い?』

一人だけ、全く別次元に行っているのか緊張感の無い鼻歌交じりの若彦。

『だってさ、殺されそうになったら、とんずらすれば良いだけ……だろ!』

(もし、何かあったら、あの男が言うように、玄利が弓矢で敵を圧倒すれば良いだ。フフッ。)

(それと、玄利を、望月の君と言っていた。月に関係する、この時代の誰かなのかな? 月……、月? 月夜見命か? ……ウケモチを殺したから、神位を外されたと言う……。占いの神でもあったはず。そして、月夜見は釈迦族、釈迦自体は人を殺さずとも釈迦族が人を大量に殺戮したから三貴神から月夜見は外されたのかとか思ったり。太陽がニギハヤならば、その裏の月もある? ニギハヤの国や民もあるのなら、月夜見勢力もこの時代に居てもおかしくない。月読神社も少ないがあるし。)

謎が深まれば、深まる程、この上なく面白い、パークレンジャー魂(日本と書いて地元愛と読む)に火が着くと言うもんだ。

(いやいや、鎌倉の大仏とか。現代日本にどっしり信仰されてんし、偶像としてちゃっかり存在してんやん。だれだ、行方不明だとか、消えたとか言ってたやつは! ハハハッ、なんてな。太陽が神社なら、月陰の仏教! ケケケッ。)

考えが纏まらず、脳内破裂しそうでヘロヘロだ。

((戦う? 戦わねば、いけない? さぁ。思い通りに遊べ。若彦。))

『ハッ? 思いっきり遊べ、ではなくて、思い通りにだって? なに、言ってんだ?』

若彦は一瞬、何かと思ったが。

『この、声はもしかして、ニギハヤ?』

(それとも、このノリは親父……いやいや、親父はまだご存命だ。ぷぷぷ。一度言って見たかったの。)

一人で腹を抱えて笑っている若彦に呆れ顔の玉姫。

「声? 若彦のナカから問うならば、そうなんじゃない。……ほら、あそこが宴の間よ。」

ゲラゲラ笑いながら歩く若彦に強引に連れられてきた玉姫はぷりぷり頬を膨らませ、手を振り払った。

『なに? どうしたの?』

「どうしたのって、あたし、ちょっと、怖くて漏・ら・し・ちゃったのッ。そ、そんなこと、聞かないでも、あなたなら分かるでしょ?」

玄利がじっと見るので、恥ずかしくて狂い死にしそうな玉姫は顔を袖で隠したが、

『いや、そう言うのはもっと、早く言ってくれないと俺には分からない。』

「ようやく、来られましたね。」

王は、うやうやしく若彦達を迎い入れた。

「おや、玉姫、なぜ今日はそのように隅に居る? こちらへおいで。」

玉姫は入口を陣取って、漏れたのが気づかれないように、しゅんと、衣の裾を手繰ってもぞもぞ隠すと恥ずかしそうに頬を赤らめ静かに座った。

「いえ、化粧をしていませんので明かりの元へはいけません。」

「ハハハッ。そうか、そうか、玉姫はわしの前では普段もっと大胆な乙女なのに、ニギハヤ大王の前では大人しいのう。」

新興国の王は、側に仕えていた乙女を一人抱くと胸を軽くもみ下衆い笑みを浮かべた。そんな王へ、玄利の侮蔑の眼差しが注がれた。若彦はそれをすかさず察すると、恭しく頭を下げ言った。

『我が大王はこの様な場に赴くのは初めての為、わたしが代わって、王とお話致します。』

「よかろう、貴様の名は?」

『俺の名、ですか?』

「そうじゃ。まずは、貴様の名を名乗れ。そうで、無ければこの先の話は無じゃ。」

(いや、先にあんたが名乗れよ。あ、海外の人に名を名乗れ、はないか? いやいや、海外の方こそ我々は云々って名乗るのが礼儀だったような……。まぁ、この時代の日本は大まかに見ると天津神、国津神(土地神)のおわす時代。と、なれば、どちらか数の多い方の名を名乗れば、ちょろい感じなんじゃねぇの?)

『あ、はい。わたしの名は、アメ――ノワカヒコです。』

「アメノワカヒコ。ほぉ、天津神か……わしはスサの王の末裔の一人じゃ。」

(えっ、スサの王……、まんま国津神じゃねぇのよ。俺、敵方の天津神名乗っちゃったけど。スサの王の末裔であれば、天津神にもアレルギーは無いか。はぁ、良かった。それにしてもここが何処なのか何となくわかったぞ。こりゃ、下手したらこの場でスヌな。)

(スサの王の本拠地と言えば、出雲、斐川。アメノワカヒコが(シタテルヒメとイチャラブした後の、これは、若彦の勝手な妄想だが)就寝タイムに矢を射られ殺された土地じゃん。

(……ニギハヤの本拠地と言えば、奈良の三輪山、それに京都の元伊勢籠神社。島根の出雲なら少し南下した場所。ニギハヤは夏の間に南下していたのか。)

「最近頻繁に、天の国からの使者が絶えないが、玉姫に、ニギハヤ、ワカヒコはその者達と同じく、わしらと貿易をしたいと申すのか?」

『あ、ははは。単刀直入ですね。スサ様。』

「若彦、スサの王様と言いなさいよ。」

「よいよい、麗しい、わしの玉姫よ。」

(いつから、玉姫お前、この王の女になっていたんだよ。俺にメロメロだったんじゃねぇの。)

「フン。」

(玉姫が懇意にしているって事は、ニギハヤにとってもこの国の王とお付き合いするのは良い事なのだろうな。)

『そんな、怖い顔をするな。怖い顔をするのは我ら、スサの特権よ。』

『スサの王……か。』

(素戔嗚は、やることなす事怖い事する、男神だものな。ニギハヤの親が確か素戔嗚だった気もするが。それなら、親族か、同郷のものか。)

「まぁ。わし自体、この国に身を置き穏やかに暮らせればそれでよいのだ。それが、歴代のスサの王の御神意だ。」

(あ、柔和なタイプ? クシナダヒメを八岐大蛇から助けたタイプのスサの王なのか?)

『では、わたしどもと戦をとは、お考えでは無いと言う事ですね?』

間髪入れず話を吹っ掛けた若彦はニヤリと笑った。

「わしが貴様の国と戦をやらぬとな? この宴は商談では無いのか?」

『あは、そうでした。わたしとしたことが。話に夢中で忘れていました。スサの王様、宜しければ、こちらをお納めください。』

若彦は背負っていた籠を降ろし、布で巻かれた織物を取り出した。

「おお、これは……、我が家に伝わる織物と似ている。いや、むしろ郷愁に満ちておる。」

『郷愁ですか?』

「うむ、スサの地に住んで居た頃、天の機織り乙女達が良く織っていた織物そのものだ。とは、言っても、わしのこまい頃の話であるから。記憶があいまいであるが。」

『スサの王……天の機織り乙女……。』

((高天原の機織り工場とは、仮の姿。本来はDNA工学研究所だ。わしは、これから天津罪を執り行う。))

(天津罪……? そんなの、聞いたことが無い。でも、罪ってなによ。俺が何か罪をこれから執り行うって事か?? 実は、アマノサグメの玉姫が悪いんじゃなくて、やっぱり、俺が悪くて、俺、殺されたんじゃないのか?)

若彦は突如として頭の中に響く声を外へ出さない様に必死に口ごもった。

「今日は、商談では無かったようだな。」

『あ、あの。』

「なんだ? まだ、何かあるのか? ワカヒコ。」

『アマテラスの所へ行って見ませんか?』

「は?」

王は、目を泳がせ玉姫に熱い視線を送った。

「え? なに? なになに、あたしが何か答えなくっちゃいけないの?」

『その、織物で商売するのなら。スサの地へ赴きこれと同じ織物を買い付けるのが宜しいかと存じます。』

若彦がたたみかける。

「えっ、若彦、それはないわ……、新興国のスサの王は、彼の地を追われ、葦原中国へ来たのよ!」

玉姫は、口元を押さえたが、もう、出てしまった声は戻せない。

『貴様らは、我が王が追われた天津国へ出向けと申すのか!』

それまで、静かに部屋の隅に控えていた男が立ち上がり叫び、小刀の切っ先を三人に向け襲い掛かってきた。

「キャ!」

玉姫が叫んだが早いか、若彦は玉姫の腕を強く掴むと玄利とすぐさま外へ飛び出した。

 飛び出したはいいものの、敵国、集落の中、暗闇の何処からともなく矢は飛んで来るし、すぐさま兵士の男達に取り囲まれてしまった。

玄利は謎の男に手渡された弓の弦を引こうとした。

『やめろ! 弓は接近戦には向かない。』

『でも、このままでは、僕達死にますよ!』

「ああん、もう、情けないッ……若彦のちっこたれ! さっきの花鳥風月の方が、よっぽど男らしくて怖かったわよ!」

強面の男が一人、二人、交互に飛び出ては三人へ刃物を突き立てて来る。

「んっ……ふふふ、玉姫、それは本当かな。」

若彦は笑い、さっと、攻撃を受け流した。

『いやいやいや! ちっこたれはお前だろう! そもそも、俺が花鳥風月より強かったら、もはや神! 人じゃないだろ!』

「出でよ、わしの花鳥風月がひとつ、わし!」

「んっ、なに言ってんのおっさんの声? ん? こ。この声、若彦じゃない……まさか、ニギハヤ様……。」

ぺろん。

「きゃ♡ なにするんですか♡」

ニギハヤは玉姫の衣をめくり脱兎した。

スサの男達の前に、玉姫の白いおみ足、ぷりんとしたお尻が露わに。

一瞬、男達はそれに見とれてしまい矢の嵐が止んだ。

玉姫も衣を直そうと足を止めてしまった。

『玉姫、走れ――!』

若彦が叫び、また再び男達と矢の猛烈な攻撃が三人を襲う。

来た道を命からがら逃げてきたが、門が閉ざされている。

もう、三人に逃げ道は無い。

「いやぁ――! もう、あたし、死ぬの? いや――ん!」

ブンと空気を切り唸る音が玉姫の衣を切り裂いた。玉姫の太ももを矢がかすめたのだ。

「「……それも、嘘だ。大丈夫だ。玉姫。」」

ニギハヤはそっと玉姫の耳元で囁き抱きしめ、玄利も背後を気にしつつ足を止めた。

「ぎゃあ!」

ニギハヤが囁いた言葉は、玉姫には聞こえない。矢が大量にこちらへ目がけ飛んで来る。

ニギハヤの目には、スローモーションにしか、見えないのだが。

((そう、全ては過去に我が身に起こった出来事。……と、言う訳では無いのが、若彦……この遊びの面白さなんだぞ。……若彦、お主には、窮地に陥っても、それが、遊びと思える、わし譲りの気風がある。いつも、見ている。感じている。わしも、そして、お前も。))

((空を破れ! だがしかし、死ぬと言う事ではないぞ。いつ……花開くかは、わしにも分からんが。花……と鳥。意味も分かれば、早かろう。))


急転直下、霧がもくもくと左右から湧き、三人を、草原から飛び出た青大将を飲み込んだ。

霧の先に、夜目でも明らかなほど、キラキラと瞬く星がひとつ。透明な羽毛がふっさりと全身を覆い爛々と光る瞳の羽毛の生えた大蛇はそっと、何かを語りかけてくるようだ。

「……ニギハヤさま。」

若彦の腕の中で、玉姫はその腕を掴み、上目遣いし一瞬白目をむいていた若彦に話しかけるように呟いた。

『どうした? 玉姫、あのどこがニギハヤなの? でも、もしか、する?』

「もしかするも、何も、先程、ニギハヤ様が仰っていましたよ。」

玄利が矢の攻撃をかわし若彦の肩を叩いた。

『ニギハヤの……花鳥風月!』

(ニギハヤのものは、俺のモノ! この際、ジャイアニストになってやらあ!)

若彦が叫んだ。

「にゃぁぁぁ!」

それに、大きく頭を縦に振り応える花鳥風月。

(なぜ、龍の鳴き声が、猫の鳴き声に似てんだよ。)

突っ込みたくなったが、そこは、あえて言わない。

巨大な花鳥風月出現に驚いたスサの男達がまた、弓に矢をつがえ始めた。

「さあ、私の背にお乗りよ。」

三人の脳裏に、花鳥風月は優しい言葉使いで語りかけてきた。

三人は、ふさふさの羽毛を掻き分け背に乗ると、花鳥風月は風に乗り、舞い上がった。地上から射られた矢が幾本も顔をすり抜けて行ったが、花鳥風月の皮膚には何一つ傷をつけられなかった。

「貴方はさっきの、超怖い気を纏っていた花鳥風月ですか? そしてどこかで貴方とあった事がある気がするわ。」

玉姫が羽毛を優しく撫でると、玉姫にだけ、そっと話しかけてきた。

「霊の依りましの姫よ。僕は青ちゃん。この姿は、ニギハヤ様、アステカの民が信仰する神の一神、ケツァルコアトルの花鳥風月……僕もニギハヤ様の依りましのひとつ。君と同じようなものさ。」

「え、なんですって? あんたは神の依りまし! 依りましを柱にした花鳥風月なら、他の花鳥風月より強力ね! でも、ニギハヤ様がアステカの民の信仰する、ケツァルコアトル?」

『どう言う事だ、玉姫。ニギハヤは何の脈絡もない外国の羽毛の生えた蛇であり、農耕神で風の神のアステカのケツァルコアトルだって? いや、何か繋がりがあるのかも知れない。ニギハヤは三輪神社の蛇神様であるし、海外でもその名を変えただけで同じ神なのか?」

ケツァルコアトルは風の神でもあり、巻き起こす風は暴風だが、背中の三人には優しくそよぐ。夜空の星の煌めきがとても近い。

(まあ、もう、何を聞いても俺は驚かない自信はある。紙一重の所で聞く耳もある。)

(ニギハヤが生きていた時代は、こんなに大きく綺麗な星空が見えたのか。)

「若彦よ、星は好きか?」

『勿論! 大好きさ! 夜空に静かに瞬く星達は、俺が生きる道から外れないよう、いつもお空の高い処から見守っていてくれる。……信じられる友達が居ない暗い学生時代は、特に良くお世話になっていたよ。』

「そうそう、あたし的には大学生の若彦が夜のバイトの行き帰りに夜空を見上げていたのが凄く印象的で記憶に残ってるよ。あの時の若彦はエッチな事しか考えていなかったの。覚えてる?」

『……エッチで派手めな、お姉さんに相手してもらいたいと思っていたな。』

(今はお付き合いするのなら、清楚系で落ち着いて愛を育める優しい乙女が良いと思う。)

「ん? それってあたしの事? 若彦、今のあたしなら身体があるから、夜伽のお相手出来るよ。」

『ぶはっ。』

何故か、玄利が吹いた。

「どうしたの? 体調悪いの? 玄利?」

『いえ、僕は大丈夫です。』

(先程、お漏らしをした女性を抱くとか、お股が濡れてる女の人と……、下品な。)

「それにしても――。ニギハヤ様は戦わなくてはならないのよね。」

ケツァルコアトルの瞳がキラリと光った。

「ニギハヤ様が戦って、勝ったあかつきには、僕と朝までにゃんにゃん、してくれますかにゃ?」

「ん? 青ちゃん、それマジで、言ってんの?」

若彦が大概にしろよと言わんばかりに、嘲り笑った。

「そうですか? 玉姫ちゃんは可愛いですよ。一緒に温泉に入ったりしたいですにゃ――。」

『ん――。全く想像出来ん。玉姫としっぽりとか。この時代の男の趣味は俺には分からん。』

「そんなッ、あたし……ちょっと、傷ついた! どうせ、あたしは……。」

玉姫は、ぎゅっとケツァルコアトルの羽毛を握った。

「玉姫。ニギハヤは玉姫に夜、添い寝して貰いたいといつも思っているらしいよ。」

「もう、なんで青ちゃんにニギハヤの気持ちが分かるのよ。あ、ニギハヤの花鳥風月の依りましだからね……ああ、ごめんなさい。あたし、今日ちょっと、感傷的になっているみたい。」

『ハハハッ。どうしてそんなに、ニギハヤに執着するかなぁ。何処にでもいるオッサンだぞ。』

「ん? 若彦さんはニギハヤ様の姿でいる時の記憶があるのですか?」

玄利がすかさず突っ込んできた。

「……ニギハヤの時の記憶があるか、だって? 今のは、何となくそう思っただけだよ。」

(なんとなく。それとなく。)

「そうなのですか。」

目の前の二人にすごまれたとしても、やはり未だ自分があの、正体不明なニギハヤという過去日本に居たと思われる一人の男神なのかと、すんなり受け入れられる事ではない。

(しかも、この時代ではもう暫くしたら、過去の俺、ニギハヤは死ぬとかだったよな。それも、詳細は不明だけど。)

玉姫に、告白されたあの日から自分がニギハヤの生まれ変わりであると、事あるごとに周囲から言われてきたが……。

(だからって、自分があんな有名人なわけ、ないない。何処にでもいるオッサンさ……いや、ちょっとだけでも、歴史に名を轟かせた凄い人の生まれ変わりですって。俺ってば、凄い! 凄い! ……いや、凄くない。ニギハヤは詳細不明な神だ。それにしても、俺……。)

『「アメノワカヒコ」って、名乗っちゃった♡』

――めっちゃ絶対絶命、死亡フラグやんけッ!!

少し、くるくると猿真似の阿波踊りを一人踊ってみた。

全く、楽しくなんかないが。少し活気付いた気がした。


ケツァルコアトルの花鳥風月青ちゃんは、出雲を出て上昇気流に乗ると、眼下に見覚えがあるが少し緑の薄い日本地図が、ではなく、日本の島の輪郭が見えてきた。

ケツァルコアトルは無言のまま、どんどん北上していく。

それに気が付いた若彦は、頭まで登り、ポンポンと叩いた。

『青ちゃん、何処へ向かっているんだい?』

「えっ、と。……それは、若彦、御前の時代へにゃん。」

『え、なんだって?』

「御前は、まだ、一族を率い死ぬ勇気はにゃぁお。」

『死ぬ、勇気! そんな勇気なんていらんだろ――が! それより俺はもう一度帰って、ニギハヤが死なぬよう、歴史を書き換えてやるッ! だから、はよ! 出雲にでも、三輪山にでも、俺を帰せ!』

「若彦ッ。」

バンバン花鳥風月を叩く若彦の振り上げた腕を玉姫は抱きしめ止めた。

「ふぅ、若彦が血気盛んなだけの男では、ニギハヤ様は己の死に際など見せられないと思うよ! だから……さぁ、あの大きな湖へ飛び込み、未来へ帰りましょう!」

『あの、湖は……、たしか、長野の諏訪湖がある場所……でも、形が違う……和船の船底に見える。そうか、この時代は古代だからか……。』

ケツァルコアトルの花鳥風月は霧の息を吐き身に纏わせ湖へ急降下、高度が下がるにつれて若彦は意識が朦朧とし、何処からか愛おしいく柔らかい歌声が聞こえてきた。

――穏やかな眠りへの誘いは、全てのモノの存在を認め健やかな夢と眠りを確約する。


  現世を切り、過去に渡る。

  過去を巡り、未来へ渡す。

――花鳥風月にはそれが、出来る。


 ケツァルコアトルの花鳥風月が爪を諏訪湖の水面につけた瞬間、爆音と爆風が諏訪湖の水と木々をなぎ倒し、ケツァルコアトルさえも、霧ヶ峰へ叩きつけ、爆音の行進曲と共に、テスカトリポカの花鳥風月、ジャガーが飛び出した。

『ギャオォ――!』

『お約束など、要らんなぁ、なあ、ケツァルコアトルよ。』

ジャガーの花鳥風月が爛々と輝く丸い目を太陽の様に輝かせ、その大きな爪でケツァルコアトルの顔面側の大地を大きく引っ掻いた。

『青ちゃん、ああ、わしに振れ。』

ケツァルコアトルは短い前足を上げ、手を振って見せた。

『わ……わしもだ。テスカトリポカ、貴様とお約束なぞ、しておらんからな。静かに眠っているのが可愛い猫と言うモノだぞ。わざわざ起き出して来て何事ぞ……わしの終の棲家を脅かすでない!』

((ニギハヤさま……!))

『なにを、言うかと思ったら。わざわざ、このわしが軟弱な蛇どもを現世から時を超え、迎えに来てやったと言うに、なぁ。』

眠りについた、三人を一人ずつ口先で救いあげ、飲み込むと霧ヶ峰からそっと、ケツァルコアトルは立ち上がった。

『貴様の言う軟弱は硬派なモノには喉から手を出しても欲しいモノだろう。もし、わざわざ、わしを現世に連れ戻す為だけに、この時代にやって来たとしたら気持ち悪くてせんないぞ。』

『そうだな、こちらこそ、ただお主を迎えにやってきただけ、と言うには面白くないだろう。だが今は、二人揃って現世へ帰ろうではないか。他の荒ぶる神々とこの機会に白黒決めてやる。』

ジャガーが飛び出した瞬間、諏訪の地を荒らしたが、今は大人しく空中で尾をゆったりと振り、髭をこちらに向けてお座りをしている。

『ふふふ、貴様が黄泉の世界へ行っている間に、日ノ本、日本に眠りし神々や、貴様の口の中の神転生者と同じく多数の神転生者や、世界中の古き神々が目覚め、天地騒騒しいくて、喜劇やぞ。こんな時にお前も現世に居合わせなければ、わしの心は疼くだけで、何も始まらんのでな。』

「天地騒騒しく……神は目覚めた……か。」

ケツァルコアトルはスルスルと身体をくねらすと、諏訪湖へ飛び込んだ。

(日本の神々よ、世界の神々よ……どうぞご無事であれ。)

『そうこなくっちゃ! 貴様の居ない現世は退屈過ぎてなぁ、こんなわしでも、つまらんのだ。そこで、ケツァ――ルよ。貴様の様なスパイスが効いたサラダを食べたいと言うモノだ。』

ジャガーも後を追い飛び込んだ。二つの花鳥風月が去った諏訪湖は静けさに満ちた。荒々しい神の爪痕を残して。

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