剥がす
かつて、青年期の私の人生は地獄であった。と言ってもこの手紙を読んでいる君には理解されないだろう。私の生まれが恵まれていることは私自身が最もよく知っている。泣く子も黙る巨大企業の初代社長の子息にして、生まれた時から金に困ることもなく過ごしてきた人間。それが君——あるいは世間一般——の私に対する評価だろう。しかし青年期においてそういった事柄が私の精神状況を良くすることは決してなかった。当時の私は親に全てを支配され、厳しく叩き込まれた勉学は身に着かず、友人と言える人間も存在せず、許嫁からも嫌われ、決められた絶望の運命の下で、涙に濡れながら途方に暮れていたのだから。
その状況が変わったのは、忘れもしない十七歳の十二月二十五日のことであった。落ちこぼれていた私にプレゼントを渡してくれる人間はいなかった。その日も涙に濡れ塩を吹いた枕の上で眠りに落ちた。
その日、私は夢を見た。夢で私は私自身を見ていた。境遇は変わらなかったが、彼は自分の直面している問題に全力でぶつかっていた。そのやる気を羨んだ時、もう一つの違いに気付いた。
彼は笑っていた。空笑いなどではない、自らの運命を受け入れてなお余裕を見せた全力の笑顔に、私はそれが自分自身であることすら忘れて恍惚を覚えた。あの笑顔をもう一度見たいと思った。凡庸な表現ではあるが、恋をしていた、という表現が最も適当だろう。
夢はそれだけだった。しかし、ベッドの上で目を覚ました私にはそんな事はどうでも良かった。どうしたらあの笑顔をもう一度見られるか、という考えしかなかった。
それから、私は必死の努力を重ねた。勉学を身に着け、親に代わって新たなる社長となり我が会社を大きく成長させ、許嫁と互いに愛し合える関係を作り、結婚して子供を設けた。子育てにも積極的に協力し、私と同じ目に遭わないよう非常に気を使った。社員を先導するためと言って家族と共に被災地などのボランティアも行った。そして今日、我が娘は結婚する。
無論だがここまでの道のりは苦痛に満ちていた。勉学を身に着ける時の苦痛は今でも覚えている。わが社を成長させるために改革の大ナタを振った時の非難も、子育てのために保護者会に行ったときの嫉妬も、ボランティア活動が下賤な週刊誌に悪意を持って報じられた時の嘲笑も、全てが私の心を傷つけていた。
しかし私には目標があった。あの夢の中にいる自分の笑顔をもう一度見たいという目標が。それを懐に抱えていると、どんな苦痛も非難も嫉妬も嘲笑も私を応援しているかのように感じられてならなかった。
今日、娘の結婚式で、私はあの笑顔をもう一度見られるだろう。文字通り夢にまで見たあの笑顔を。
「この手紙を書いたまさにその日、娘の披露宴の真っただ中で、彼はナイフを使い自らの顔の皮を剥ぎ、それを手に取って眺めた後に絶命した。この手紙だけでは彼の真意は分からないが、十七歳の十二月二十五日の時点で彼はとっくに苦痛に耐えかね狂ってしまったのではないかと考えられる。狂気とはそういうものだ。いつ始まり、いつ溜まり、いつ爆発してしまうか誰にも分からない。」
―—某社専属の精神科医の手記より
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