第148話 高山国からルソン島などへ侵攻し制圧したぜ
さて、武家・朝廷公家に引き続き寺院と神社に関しても統制を取るための法度を発布して様子を見たが、現状の鷹司に直接反発するものはいなかった。
まあ加賀を中心とする北陸の一向衆の根切を知ってれば武力に訴えるものはいないだろうが。
「最悪の場合一揆を起こす寺も出るかと思ったのだがな」
毛利元就が悪い笑いを浮かべていう
「いままで比叡山や本願寺、加賀の一向衆信徒がどうなったかを考えれば、どこもそのようなことはやりますまい」
「まあ、それはそうだな」
史実の戦国時代でも松永久秀の大和支配による興福寺の衰退に始まり、信長の比叡山焼き討ちや石山本願寺との闘争、秀吉の根来寺や高野山への攻撃などで武力を粉砕された中世の有力寺院も徳川政権下ではおとなしくせざるを得なかったしな。
「そろそろ南へ兵を向けるか」
「しかしならば天下大将軍自ら差配して兵を率いる必要がございますか?」
「俺が天下大将軍だからだよ。
日ノ本の祭り事(宮廷祭祀)は今上陛下や近衛ら公家、それに元は守護だった大名達で行えるようにはもうなってるだろう。
諸官庁を使った政治も問題ないだろうし」
島津の頃から朝廷への献金でなんとか再開してきた宮廷祭祀も、鷹司の直轄領を事実上の日ノ本の政府機関の直轄領にしてきたことで、下級の公家や国人地侍を組み込み、税を各国や中央へ納めさせその税をもって巡検を行うものや中央での纏まった軍備を揃えて治安を維持することもできている。
そのために野盗山賊などはほぼ消滅した。
無論一部の大名は鎌倉殿や室町殿と同じように御恩と奉公の封建制的な関係を維持している状態でもあるが、完全な中央集権制度は歴代の中華王朝や朝鮮王朝をみてもわかるように腐敗を招きやすいし、実際日本でも奈良平安時代にはそうなったから封建制へ逆戻りしてしまったわけだ。
だから完全に中央集権にするつもりはない。
中央は大名を監視するが大名も中央を監視するという感じになるわけだな。
このあたりは徳川の治世に近い感じにしたつもりだ。
「お平の方がお産みになった、虎寿丸様がせめて成人なされるまでは無理をなされぬようにしていただきたいのですが」
「だからといって俺は武家の頂点にたつものだ、それを知らしめるのは武をもってなさねばなるまい。
無論俺の子どもたちにおいてもそれは同様だ」
権威だけを重んじるようになれば早晩腐敗も始まるだろうしな。
「まあ最前線で自ら刀で切り込んだりするつもりはないから安心してくれ」
「それは当然です」
「とりあえず伴天連共とは当面戦うことになりそうなんでな。
俺も隠居してのんびりはしていられんのさ。
まずは琉球を事実上は服属させておこうか」
俺は琉球へ使者を送った。
そして琉球王国の使者が大坂に来て、俺に謁見することになった。
この頃の琉球は明が交州の港を開放して東南アジア諸国との直接の交易を許可したために、琉球は明への取次口としての地位を失っていた。
琉球王国にとっての宗主国はあくまでも明であったのではあるが、この頃の明は倭寇の問題も解決していたこともあって琉球は重要な相手ではなくなっていた。
こちらの要求は名目上日本の統治下に入ること、日本の海軍の寄港を認め食料や水を対価に応じて提供し、宿泊施設も提供すること、琉球王国の自治を認める代わりに、必要な場合は水先案内人と軍役のための兵士を供給することで、琉球はそれを認めて日本へも冊封を行い琉球は日本の藩国となった。
明は大陸に近い高山国に対しても何もしていなかったくらいなので、このことに対しても特に何も言ってこなかった。
実際今はそれどころじゃないんだろう。
そして政治の代行は祖父の島津忠良や伊集院忠棟などの譜代家老などに任せる。
「お祖父様よろしく頼みます」
「うむ、まあ任せておけ」
そういった感じで琉球を海上航路に組み込み、ようやくそれなりに形になった海軍を率いて俺はルソンを統治下に入れるべく大小のジャンク船50隻と兵3000、それに新しき土地での布教に意気込む一向宗、日蓮宗、天台宗などの坊主も率いて琉球経由で高山島へまず向かう。
琉球の島々で食料や水、それに休息を取れる宿を提供され、水先案内人もいることで高山国までの移動はスムーズに進んだ。
高山国では父である貴久たちが迎えでてくれた。
「うむ、立派になったものだな」
「父上が高山国をうまく統治して食糧を送ってくれた御陰でもあります」
「うむ、それは重畳だ」
実際に薩摩統一が早く進んだのは高山国やアユタヤの米が得られたのがかなりでかい。
史実では薩摩大隅統一にはものすごく時間がかかっているのも、結局は食糧不足で戦を長く続けることができなかったからだ。
そして叔父である島津尚久がガハハと笑っていう。
「まさか俺と一緒に南蛮めぐりをしていたお前さんがあっという間に日ノ本をまとめるとは思わなかったぜ。
ああ呂宋に兵を送るんだったら俺が水先案内人をやってもいいぞ」
「そうしていただければ助かります、叔父上」
「ああ、任せておけ」
兵たちも一度高山国に上陸して食料や水を補給するとまずは一番近いルソン島へ向った。
俺たちはまず一番北にあるルソン島へ上陸した。
「ひゃっはー首よこせー」
「首刈りの時間だー」
「ぎゃあ!」
「なんなんだ、なんなんだよこいつらは!」
うん、平和には馴染めない奴らもいるわけだな。
史実でも日本の傭兵は勇猛だと評判だったらしいが。
こんな感じで中国人倭寇やイスラムの領主などと交戦してこれを打ち破り、マニラ湾一帯を制圧しマニラ王国を制圧下においた。
「この呂宋において仏教宗派の布教を許可するゆえうまくやるがいい」
「はい!」
僧侶たちが喜々として住民たちに布教を施していくのを横目に俺たちはセブ島に渡った。
寺社および届け出を出したイスラムのモスクには改宗した者の戸籍管理や貧しいものへの炊き出し、親を失った孤児などを保護する孤児院や教育を行う寺子屋・病人やけが人を治療する診療所を設置させることを義務付けさせた。
キリスト教ではそういった事を優先して行っていたようで貧しいものから意外と支持されていたりするからな。
セブ島は1521年にマゼランが当時のセブ王をキリスト教へ改宗させセブ島の島民も多くが改宗したがマクタン島の王のイスラム教徒であるラプ=ラプと戦って戦死した。
その後には1542年にロペス・デ・ビリャロボスがやってきてスペイン皇太子の名前を用いた「ラス・イスラス・フェリピナス 」すなわちフィリピンと命名したが彼は先住民に島を追い出され、飢えと難破に見舞われ、捕らえられた後に、1544年にアンボイナ島の牢屋で死んだ。
キリスト教を保持していたセブ島の王へ改宗を求めるが拒否されたためこれを攻撃してセブ島も制圧した。
ルソン島とセブ島を制圧したことで事実以上フィリピン諸島の半分以上は俺たちが制圧したことになる。
無人島であるホモンホン島も制圧した後は無理に兵をもって制圧するのはやめておくことにした。
「さて、南方諸王国は宥和政策で行こうか」
ボホール島の諸部族やミンダナオ島のイスラム教系マギンダナオ王国、スールー諸島のやはりイスラム教のスールー王国、レイテ島やパラワン島・サマール島・ネグロス島などのイスラム系諸領主に対してはゆるく交易を行っていくことにした。
「押さえた場所のスペインに対しての防備を固めるのが先だな」
まずはマニラ等の主要な港湾に砦を築いて兵を収容できるようにしつつミゲル・ロペス・デ・レガスピ等の襲来に備えておくことにしたのさ。
その後にボルネオ島の西部のブルネイ王国もおさえた。
ここを拠点にマラッカやティモールといったポルトガルの拠点も早めに叩き潰さねばな。
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