第146話 そろそろ宗教の管理に取り掛かろうか
さて、俺は天下大将軍の正式な宣旨を受け、関白に関しては近衛に戻し、鷹司は武家の頂点として鎌倉殿や室町殿に代わって、日ノ本を治めていくことを示した。
朝廷及び公家は祭り事つまり国家安泰のための宮廷祭祀をつつがなく執り行うことと、平安京や国衙付近の治安維持を主な役割とし、徴税やその他の地域の治安維持などは国人などの武士が行うのが基本となる。
それから宗教に関しての統制を定めていくとしよう。
徳川幕府は慶長17年(1612年)に曹洞宗法度を、翌年慶長18年に勅許紫衣之法度を、更に翌年慶長19年(1615年)に五山十刹諸山法度、妙心寺法度、永平寺法度、大徳寺法度、総持寺法度などを発布したがこれは各宗派の大寺院に対して、それぞれの寺院・僧侶を統制するために出したものだが曹洞宗が一番最初なのは鎌倉殿や室町殿に対して鎌倉五山、京都五山などの曹洞宗の影響が非常に大きかったからだな。
曹洞宗の五山派は比叡山や興福寺、高野山、本願寺などよりもずっと武家の政治に絡んでたんだ。
その後寛文5年(1665年)に江戸幕府は仏教の諸宗派・寺院・僧侶の統制を目的として諸宗寺院法度を制定している。
それと内容は似たようなものになるだろう。
まず寺社やその門前町民や社寺領民、仏教神道以外の修験者や陰陽師、さらに連歌師や傀儡子などの芸能民ら江戸時代における穢多非人も含んだ、寺社が抱える人間や土地などの訴訟担当職として、寺社問注所を個別に作ったうえで法度を制定した。
・キリスト教の布教並びに信教を一切禁ずる。
・辻角での布教・説法・問答を一切禁ずる。
説法は寺院内で行うこと。
・諸宗派間での宗教に関しての論争及び武力闘争を禁じる。
・朝廷並びに将軍への強訴の禁止、寺による政治批判や政治介入行為は一切禁ずる。
・寺よりの朝廷・公家・武家への見返り目的の献金は禁ずる。
・寺への土地の寄進及び受領は禁ずる。
・寺社の寺格、僧侶の人数などに応じて寺社領の面積を定めるものとする。
余剰となった寺社領は朝廷の御料地にする。
・寺の不輸不入権は一切廃止とする。
・僧侶、神主、修験者、山伏以外の者が祈念祈祷をすることを禁ずる。
・各宗派の寺院を本山・末寺を定め・新寺の創建を禁止し、末寺帳の提出を行うこと。
ただし、高山国・蝦夷・樺太などの外地や内地でも新たに村落ができて寺がない場合は寺社問注所に訴え出て許可を得た場合、新寺の創建を行っても良い。
・本山は祈祷寺として、末寺を管理しつつ、寺院参拝の御利益や祈祷で布施を集め寺院を維持すること。
・末寺は寺請を行い檀家を把握し寺院を維持すること。
・すべての民は寺請証文を書き、いずれかの寺院宗派の末寺に所属し、菩提寺の檀家になり経済力に応じて、檀那寺への参詣、年忌命日法要の施行、祖師忌・灌仏会(釈迦の誕生日祝)・釈迦涅槃日・盆・春秋の彼岸の寺参りを行い相応の布施を寺へおこなうものとする。
皇室・公家・神人を除き寺請を受けないことを禁ずる。
・僧侶は信仰や修行を真剣に行い、宗教の定めによる飲酒・肉食・婚姻・殺生の禁止を順守すること。
・葬式において戒名料などを意図的に釣り上げてはならない。
また僧階を金銭で売買することもおこなってはならない。
・各諸宗派の法式を乱すため、他宗派の教えを取り入れてはいけない。
また新規の法式や奇怪な説を唱える事も禁じる。
・本山では法式を理解するための学問のみを教え、兵法などを教えることを禁ずる。
・宗派の法式を理解しない僧侶を住職に任命してはいけない。
住職は民の法式に対しての疑問にいつでも回答を出来るようにするべし。
また住職が新規の法式や奇怪な説を唱える事を禁じる。
・本寺・末寺の秩序を乱してはいけない。
また本寺は末寺に対して理不尽な振舞いをしてはいけない。
・寺の宗派の選択は檀家の意思に基づき行うべきで、僧侶が檀家を奪い合ってはならない。
・僧侶が武装すること、武器を所有すること、座を支配すること、徒党を組むこと、争いを起すこと、金貸し、酒売などの副業をすることを一切禁じる。
・檀家が布施が払えないからと田畑や人を接収することを禁じる。
・罪を犯した者が寺に逃げ込んで来た場合は、届け出た上で国府に突き出すこと、かくまった場合はかくまったものも罪人と同じ罪を犯したものとする。
・寺院仏閣を修復する時は必要以上に美麗にしないこと。
・清掃及び修繕は怠けることなく行うこと。
・寺の売買・質入を一切禁じる。
・正当な理由なく出家を認めてはならない。
もし認めるべき理由はないが出家したいという者が寺へ現れれば、所属する土地の領主・代官に相談して判断を委ねること。
・僧侶の装束は分限に応じ、仏事儀式は、檀那が盛大にしてくれと望んでも、相応に軽微にすること。
・住職の後任の契約に金銀銭を用いてはならない。
・在家に仏壇を構えて寺として利用してはならない。
・他人はもちろんのこと親類であっても、寺・僧房に女性を泊め置いてはならない。
ただし、妻帯を認めている宗派の寺の妻などは例外である。
その場合でも多妻や妻以外の女人をとどめ置くことは禁止とする。
・これらを末寺が破った場合は本山の責任とし、場合によっては禁教の処置も取るものとする。
「まあ、こんなところか」
檀家制度が寺院の腐敗を生むという話もあるが、普通に政治に干渉してくるような状態はずっとずっとましだと思うしな。
神社に関しては
・社家は神祇道を学びその神社の神体を崇敬し、神事祭礼に勤めること。
・朝廷は伊勢宮・熱田宮、杵築大社(出雲大社)を管理する。
摂関家は春日大社を管理する。
天下大将軍は朝廷の代理として各国の一宮並びに以下の神社を維持管理する。
伏見稲荷大社、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社、石清水八幡宮、八坂神社、熊野神社、厳島神社、諏訪大社、富士山本宮浅間大社。
鎮西将軍は宗像大社、櫛田神社、太宰府天満宮、宇佐八幡宮、阿蘇神社、霧島宮を維持管理する。
鎮東将軍は氷川神社、鹿島神社、香取神社、箱根神社、日光三社権現、鶴岡八幡宮を維持管理する。
鎮守府将軍は鹽竈神社と金蛇水神社、出羽神社を維持管理すること。
鎮守府は新たに義経神社を建立するものとする。
・社家が位階を朝廷から受ける場合、執奏の公家が既に決まっている時はこれまで通りとする
(神社には公家と同じような官位があります)
・社家の土地の寄進及び受領は禁ずる。
・位階を持っていない神職は、無地の真っ白な装束を着る事。
・神社の売買・質入れは一切行ってはならない。
・清掃及び修繕は怠けることなく行うこと。
・毎年神官・巫女および氏子の名簿を登録し提出すること。
仏教や神道に対する教義に対しては直接介入は行わず、政治に干渉してこないようにしたわけだ。
あと朝廷は崇徳上皇の呪いで承久の乱に負け、元寇がおこり、南北朝に分かれ、応仁の乱で滅びそうになったとも言うので崇徳公の陵墓を讃岐から京へ戻しておこう。
俺はやはり近衛前久に話を持ちかけて根回しをする。
「現在のように朝廷が困窮するようになったのは元は讃岐院の祟とされております。
この際は讃岐院の御陵墓を京へ戻し、白峯宮もいっしょに京へ移してお帰りになっていただくのが、今後の平安につながるとおもいますがいかがでしょうか?」
「う、うむ、君のいうことももっともだ、だがやはり話し合いは必要であろう。
いずれ宣旨が降りるかもしれぬゆえ準備はしておいてくれたまえ」
「かしこまりました」
しばらくして白峯陵および白峯宮を京へ戻すが、それは一切鷹司が行うこととされた。
「まあ、祟が怖いのは皆同じってことか」
俺はいっしょに淡路廃帝(淳仁天皇)と呼ばれた方も合祀して、怒りを沈め日ノ本の天下泰平をお願いすることにしたんだ。
「これで少しは安心できるかな」
崇徳公は本当は祟ってなどいないという話もあるが、皇室では崇徳公の祟というのは真剣に恐れられているのでこれで少しは安心できるだろうか。
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