第145話 閑話:その頃の一条歳久の働き

「やれやれ、毎回一番やっかいな場所の統治を俺がやらされておる気がするのう」


 鷹司義久の弟である一条歳久はひとり愚痴っていた。


 小田原城の陥落により伊達とそれに従っていた諸氏族が樺太へ放逐されてからは、彼が伊達や大崎・二階堂・岩城といった面々の土地をそのまま受け継いで直轄地とし、北方鎮守府将軍として仙台で東北の大名国人衆の動向を見ながらまずは大名などが争いを起こさぬように見張り、もしも争いを起こせばそいつらを叩き潰す役割が与えられた。


「奥羽は他の場所と違って、俺等と直接戦っておるものがおらぬからなあ。

 もっともそこまで兵を持っているものもおらぬが」


 そもそも奥羽は平安末までは奥州藤原氏が治めていたが、鎌倉殿(源頼朝)がそれを滅ぼすと鎌倉殿は、奥羽に関東の武士を地頭として配置した。


 それより現在(戦国時代)まで奥羽に残っていた家も多い。


 実際に有名なところだけでも伊達・葛西・相馬・蘆名・南部などが残っていたりするが、このあたりは島津・大友・少弐などが残っていた九州にも似ているともいえる。


 その後鎌倉殿が滅び、建武の中興が起こると奥羽ではそれまでの地方守護を廃止し、陸奥国国司に北畠顕家が任命され、北畠顕家は鎮守府将軍府と呼ばれる陸奥の支配機関を創設し、室町殿の開祖である足利高氏と熾烈な戦いを繰り広げたが、結果として北畠顕家は敗北し、その後には室町殿により「奥州探題」が設置される。


 奥州管領として奥州に下向したのは室町殿の有力氏族の斯波氏であり、その一族の末裔が奥州探題は大崎氏が、羽州探題は最上氏が歴任することになる。


 またその他にも斯波氏の分家の塩松石橋氏や二本松畠山氏、津軽浪岡北畠氏などの室町殿の名門の家も多かった。


 その斯波氏の分家である最上と大崎は結果としては対照的な結果になっている。


 東北勢の中でも一番早くに親子二人で上洛し、義久に対する臣従の意思を明確にした最上は最上義守の娘で最上義光の2歳下の妹である義姫を側室にと打診してきた。


 歳久は念のためにと兄に許可を取ったが、特に問題ないとのことであったので、俺は義姫を側室として迎えることにした。


 もちろん正妻は公家の娘の一条の方であるが。


 また、斯波一族である塩松石橋家、坂上田村麻呂の末裔といわれる田村家、二本松畠山家は旧伊達領と旧岩城・二階堂領を地続きに繋げる為に武家高家として一条の直轄家臣になるようにと文を送ったが、彼らは家の存続と実質的な所領安堵を条件に臣従を願ってきたので、直接召し抱えた。


「平和になれば自らが統治するよりは楽であろうしな」


 名家とは言えすでに影響を持てる支配地域が国人レベルになっている、彼らの持つ領地の大きさではいずれにせよ平和な時代に有事に備えて兵を抱えおくのは困難であったろうが。


 鷹司義久は関東は関東官僚を引き継いだ上杉の養子に末弟の家久を送り込み、北条家は滅ぼして里見家は屈服させることで関東管領の権威をそのまま用いたわけだが、奥羽でも奥州探題である大崎と伊達を樺太に放逐してその地を引き継いだ上で、羽州探題である最上と縁戚を結ぶことで奥羽探題の権威をそのまま用いるつもりであったようだ。


「なんだかんだでうまいやり方ではあるよな」


 南部晴政や安東愛季その配下である蝦夷の蠣崎季広らの所領は農地で米を得るのはかなり難しいため、野人女真族などとの交易や樺太に放逐した連中の支援をやらせていた。


「陸奥の北端や蝦夷は薩摩と同じく貧しい土地じゃからなぁ」


 さらに蝦夷や樺太の木材や昆布・帆立・鱈・鰊などの魚介類や鷹狩や矢羽に使う鷲や鷹、馬や羊などの放牧にくわえて、雑穀の栽培もやらせてなんとか食糧は確保している。


 アイヌとの紛争につながるような明らかにおかしい交換比率はやめさせ、蝦夷や樺太などのアイヌが敵愾心を持ち続けない程度には今は懐柔している。


 兄である鷹司義久は将来的には女真の土地にも進出をしたいようだが流石に現状すぐは難しいであろう。

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