第131話 いろいろ有ったらしいが北条が国府台合戦の後上総に攻め込んだのは明らかに俺に対して喧嘩売ってんだよな?
さて後北条からは今回も上洛の使者の名代として送られてきているのは北条綱成で実権を持った当主である北条氏康・氏政親子は上洛していない。
そして戦国時代の上杉家と後北条家の間で、関東管領の名分を巡って争うことは長く続いていて、北条氏綱が鎌倉鶴岡八幡宮の再興事業を主導しつつ、北条を名乗ったのは鎌倉殿の実質的権力者であった執権である北条氏と同じく関東の実権を握る関東管領は我々だと自負していたわけだ。
だが、史実において織田信長へ臣従した後北条は自分こそが関東管領であり、織田信長の配下である滝川一益が関東管領に任じられ上野を任せられたことは、後北条にとっては認められない話であるとして、織田家と縁を結んで、関東管領に任じてもらい関東をそのまま支配することを願い出ていたようだが、織田信長にとって、室町幕府の有力な家であった伊勢の血筋であってもともと関東にて大きな力を有する後北条には当然警戒心しか無く、その力を可能な限り削ぎたいというのが実情であったために実際に後北条の力を削ぎにかかっていたようだ。
もちろん後北条もそういった織田の対応に不満は有っても今川と武田を滅亡させた織田信長の軍事力に対抗できると考えておらず、ひたすら忍耐の日々だったが、それがあっけなく本能寺の変で織田信長が死ぬと東国の諸将はろくな行動はできず上野・信濃などは後北条と徳川での奪い合いとなったわけだ。
となれば現状の北条氏康・氏政なども上杉家久に関東管領を継がせ上野をおさえた俺に対して不満を持っているんだろうが、俺も可能なら後北条の武蔵・相模などからの転封とかはしたいんだよな、相模や武蔵はやはり武家にとって重要な場所だし。
里見が臣従してこないのは後北条という壁に挟まれて、鷹司の驚異をまだ認識していないのか、史実でも豊臣に対しての臣従をしていながらも惣無事令に違反して下総や上総を取り上げられてるように単純に甘く考えてるのかのどちらかだろうか。
俺は京で将軍足利義栄の体調が思わしくなく、もともと背中に腫物を患っていたがそれがひどくなっていることを聞いたため、将軍に謁見をして話をしようとしたが断られたし、正直もう先は長くなさそうなんだが、将軍になったことでストレスが大きくなってるのか将軍になっても何もできないことでストレスが溜まってるのか。
まあ原因は俺にもあるんだろうけど、延命するなら将軍職を退いて出家して静かに暮らすだとかだろうか。
で、俺は朝廷の行事に参加しつつ、現状大したことは行われていないとはいえ幕府の政治の補佐もしつつ、石山で大坂における治水、開墾、街道整備や橋の整備などの行政も行ないつつ、関東の状況変化を待っていたのだが、北条軍と里見軍が国府台で戦端を開いたらしい。
「ああ、北条と里見がとうとうやっちまったか……」
俺がそういうのを毛利元就や宇喜多直家はむしろウキウキしながら言うわけだ。
「これを口実として北条と里見にきつく仕置せなばなりますまいな」
なんでそんなに嬉しそうなんだ?
「ああ……そうだな、ちなみにお前さん達が火をつけたとかしてないよな?」
宇喜多直家がいい笑顔でいう。
「はっはっは、無論わかるような痕跡は残しておりませんゆえ安心してくだされ」
お前らなぁ……まじで怖いんだが。
ちなみに下総の国府台というのは江戸川を渡った千葉県の一番西に当たるんだが、戦国時代の国境は大川すなわち隅田川にあってそこから東は下総なので現代の両国はすでに下総なんだ。
もともと江戸城を守る太田康資は有名な太田道灌の家系で、もとは扇谷上杉家の家宰であり、後北条への不満から同族である太田資正と共に後北条への反旗を翻したが、やはり後北条とまともに戦うのは無理であるということもあり里見義弘に救援を頼んだと言うが、太田康資を焚き付けたのは太田資正だとか里見義弘だとかいう話だがその噂を広めたりするのに元就などが関わってるんだろうな、きっと。
里見は上総と安房の国人を率いて武蔵へ進軍しようとして、それに対して下総をおさめている千葉氏は北条氏康に援軍を求め、北条氏康はそれを受諾して迎撃に出たと。
まあ、それはいいが後北条は里見を撃破した勢いで上総にまで攻め込んだらしい。
「まあ、仕置は必要だな北条にも里見にも。
とはいえ軍を動かすのは早々だろうし、まずは北条と里見の当主たちの上洛を促すとするか」
こうして俺は後北条及び里見の当主たちの上洛を促す手紙を送り、北関東・東北・東海・中部・北陸の領主たちに、北条氏康・氏政親子と里見義堯・義弘の半年以内の上洛のない時は本年中に討伐を行うことを通知し戦の準備をしておくようにさせた。
「さて北条や里見はどう出るかな?」
後北条も里見も1万5千から2万の兵を出す力はあるはずだが、あくまでもそれは現状であればで、討伐することになれば当然ながら調略を行うわけだが、長尾景虎の小田原征伐の時に武蔵の国人の多くが長尾についたりしているし、下総の千葉も後北条と運命をともにするかわからん。
上総の国人と後北条もしくは里見と一蓮托生というわけではないのだがな。
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