第121話 日本の諸勢力の大体の動向はわかったからその対策をせねばな

 さて、今回の上洛要請に応じなかったのは、主に上杉・佐竹・伊達に関係の深い者たち。


 東国は現在永禄の大飢饉の真っ最中で、多くの場所で多くの者が飢えによって苦しんでいる状況。


そんな状況では、上杉や佐竹はおそらく後北条の領地に攻め込んで略奪乱妨取りしたことで、ようやく余剰の人間を食わせていけるという状況なのであろうからそれをやめるのは国人達が許さないのだろうな。


 伊達は東北の最高権威としての意地か?


 現状では関東や東北に対して直接鷹司が影響力を持ってるとも言えない微妙な状況でもあるしある程度は予想通りでもある。


「上杉が美濃を狙うとするならば稲葉山城を改修せばならぬな。

 貯水井戸や兵糧の貯蔵庫、厠を増やし多数が入っても問題ないようにせねばな。

 稲葉山城より支城を強化したほうが早いかもしれぬがまた沿道の整備も早急に進めよ」


 伊集院忠倉はうなずいた。


「かしこまりました、すぐにもそのように手配いたします」


 稲葉山城は美濃の要衝でもあり美濃一色の居城でもあったが、もともとは数千人単位での戦闘を想定した時代に築城されていることも有って特に飲水の確保が難しい。


 城がある金華山自体が一石山と呼ばれる大きな岩塊でもあるので、湧水もなく井戸はあくまでも貯水をするための施設でしかない。


 そのため入れられる兵数が少なく戦国時代末期にはたびたび落城している。


 信長が本能寺の変で死んだ後や関が原のときのことを考えると、少数の力攻めに対してはそれなりに堅牢であっても、万単位の攻撃には耐えられないようであるしいざという時に籠城するには向かないのは間違いないだろう。


 山城から平山城や平城へ拠点が代わっていくのもそういった理由も有ったのだろう。


 もっとも現状では変化が早すぎて対応できている城自体ほぼないが。


 そして関ヶ原直前に岐阜城があっさり一日で落城した時点でほぼ結果は見えていたらしい。


 実際の合戦でも数に劣る東軍が勝ったのはーとかも嘘なんだがな。


「何れにせよ越前・加賀・越中の一向一揆は早急に叩き潰さねばならん。

 我が方の主目標は北陸の一向一揆の衆徒とそれを煽る坊間や住職である」


 やはり伊集院忠倉はうなずいて答えた。


「かしこまってございます」


「一向宗の衆徒も移住などで融和が図れればよいが、そもそも伊勢の長島と違って加賀は誰も欲しがらないからこそ治外法権となったわけではないから難しいであろうな。

 そして長享一揆から70年以上も経っていれば武器を簡単に手放すはずもないか」


「はい、強欲な坊主共に騙されているだけとの見方もあろうかとはおもいますが、自分たちの意思で一揆に加わってるわけでございますゆえ」


「そうだな、ある程度は根切も致し方なしか」


 現状、下間頼照や七里頼周らは法難を唱えて、朝倉に対してちょこちょこ攻撃を仕掛けては田畑から作物を奪い取ったりしつつ、重税や過酷な賦役を越前や越中の在地の国人衆や民衆に課しているらしい。


 名将である朝倉宗滴の死後は朝倉は一向一揆に対して防戦一方で一向一揆側もだいぶ調子に乗ってるらしいが、それに対して北陸の天台宗や真宗の他宗らの反発どころか内部での反発もかなり強くなっているようだ。


 だが一部の一向衆徒は仏の教えを信じ切っているからこそ武力で叩き潰すしかないというのはなんとも虚しいことではある。


 だが、加賀の一向一揆はもとはと言えば足利義尚が一向一揆の討伐を検討したが、細川政元が反対したうえに義尚が亡くなったため叩き潰されずにそのまま残ったわけだが、細川政元は明暦の政変で、第10代室町幕府将軍・足利義稙を追放して、足利義高(後の義澄)を第11代将軍に擁立したが、追放された前将軍・義稙は越中の神保長誠や加賀の富樫泰高を頼っていたから一向一揆によってそいつらを叩き潰そうしとしたわけだ。


 つまり、細川政元は、足利義稙に復権させないために一向一揆を利用したわけで、結局悪いのは細川など室町幕府の中枢権力者たちでもあるのだよな。


 伊勢長島や三河西部などは貧しい土地であるからこそというのはあるのだが加賀はそこまで貧しいというわけでもない。


 もっとも冬の豪雪により麦との二毛作や蕎麦・麦との三毛作が普及してきている地域よりは相対的に貧しくはなっているが雪が深いということは水不足に陥ることは殆どないということでもあるはずだ。


 史実での信長の越前一向一揆に対しての対処は1万2千人以上が殺され3万以上は捕らえられて奴隷として売られたという話だがこういった連中は最後まで従おうとしなかったのだから仕方ないところだ。


 そして史実ではもっともも早く行われたのが柴田勝家の越前刀行政であったのも一向一揆がそれだけ驚異であったというわけでもあるのだろう。


「近江より兵を進めつつ水軍を用いて越前・越中の一向一揆の後背をつき挟撃する。

 水軍衆の用意も万全とさせよ」


「かしこまりてございます」


 上杉ももう少し時勢が読めるかとも思ったが現状では俺に対する惣無事令に応じてはおそらく国人達が従わぬのであろうな。


 何しろもう少しで後北条を滅ぼせそうなところにまでいったのだ。


 史実における島津は九州統一直前まで行っていたがゆえに秀吉の分国案である、肥後半国・豊前半国・筑後を大友へ返還し、肥前を毛利氏に与え、筑前は秀吉の所領とし島津は薩摩・大隅・日向半国、肥後半国・豊前半国という条件を蹴ったわけだがそれと似たようなものだろう。


 武蔵は平地が多く常陸と並んで豊かな場所でもあるから何が何でもそこを手に入れたいもしくは独立したいと考える人間も多いのは理解できるしな。


 一度手に入れた物もしくは手に入れかけた物を取り返されるというのはなかなか認められないのではあろう。


 長尾景虎が上杉憲政にしたがい関東に兵を出す前であれば惣無事令に従ったかもしれないが上杉と関東管領の名を受け継いだこともありそういうわけには行かなくなったのも皮肉なものだ。

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