第119話 後北条とそちらについた関東の国人が従ったか、北陸の宗教勢力には内輪もめをしてもらおう
さて、俺を今清盛と呼んでいる者がいるということは、俺をよく思っていないものがまだまだいるということであるし、たしかに俺は朝廷に多額の銭を注ぎ込んでるし、貧乏公家の職の斡旋もしている。
だがそれは日本という国を平和にするために必要な経費だ。
孫子の兵法謀攻編においてこう述べている。
”孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。
旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。
卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。
伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。”
簡単に言えば、敵国を保全した状態で兵を損なわずに従わせるのが最もよく、伍すなわち最小単位の兵まで殺してしまうのは最も下策であるということだな。
官位などで相手を従えさせられるのであればそれに越したことはない。
軍、旅、卒、伍というのは古代の中国における軍の編成の単位であるがこの場合はその指揮官をどの程度残すかを示してるわけで仕方のないこととは言え日向の伊東が攻めてきたときに、地侍クラスまでことごとく殺してしまったのはやはりあまり良いことではなかった。
”是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。”
要するに戦って敵を叩き潰し、しかも毎回勝つことは最善の策とは言えず、戦わずに敵を屈服させるのが最善であるわけだ。
もっとも謀略を用いすぎても信頼をなくすし、武力の強さというのはわかりやすくもあるのでなかなかこれは難しいのも現実だが。
さて、史実においてお手紙公方は還俗してすぐに三好が担ぐ足利義栄に対抗するため、若狭武田・越前朝倉・近江六角・美濃斉藤一色・尾張織田に手紙を送って同盟を結ばせ、先んじて上洛しようとしたが同盟の中心である六角を三好に切り崩されたことで将軍の地位を一度義栄に奪われた。
そして現状では上洛は行えたものの資金繰りが上手く行かず、将軍になれずに京の都から追い出されるに至ったが、これまでの慣例で足利将軍は足利義材系と足利義澄系が交代でつくものという不文律のようなものも有ったかもしれない。
もっともも足利義冬は将軍になってないのだけどな。
「お手紙公方が俺を今清盛としたいならば北陸・関東だけでなく、九州や四国にも火の手をあげようとしてくるだろうな」
治承・寿永の乱こといわゆる源平合戦は東国の源頼朝や木曽義仲と西国の平清盛などの争いと思われがちだが伊予の河野通清(こうのみちきよ)や豊後の佐伯の先祖と言われる緒方惟栄(おがたこれよし)、肥後の菊池隆直(きくちたかなお)なども平家に反旗を翻し、最終的に平家は九州から追い出されている。
そしてこれらの家が現状鷹司の下につくことをよく思わない家臣などもいるかも知れない。
現状、肥後守護であった菊池義武(きくちよしたけ)は高齢を理由に隠居し、嫡男である菊池高鑑(きくちたかあき)がその後を継いでいるが、彼は大友と菊池の両方の血を受け継いでいるからな。
俺は太宰府の畠山義弘へ手紙を書くことにした。
「長き紀伊半島での戦いで疲れているだろうが近頃の体調はどうかな?
大宰府は諸外国とのやり取りも多く大変だと思うがよろしく頼む。
奥さんも元気だろうか?
俺は今清盛と呼ばれているらしいが、念のため肥後や伊予の動向には注意してくれ。
たまにはゆっくり温泉で骨休めも良いかもしれないぞ」
それに対して帰ってきた手紙だが
「兄上も大変でしょうがここ最近の西国は落ち着いておりますので心配は無用です。
妻は元気です、紀伊より戻り愛する妻と毎晩一緒にいられるのはとても幸福なことですし 無事子供も生まれてます。
まったくもって子供というのは可愛らしいものでありますな。
肥後と伊予には気をつけておきましょう」
ふむ、夫婦の仲が仲睦まじいようでなによりだ。
遠江の一条歳久にも手紙を送っておこう。
「遠江の統治は大変だと思うが近頃の調子はどうかな?
俺は家久と共に北陸の討伐の準備をしているが、お前は引き続き遠江やその周辺の安定に専念してほしい。
ただし古の北畠顕家のように上杉が突如京への上洛を試みて俺や公方を追放しようとする可能性もあるので情報収集といざというときの対応はよろしく頼む。
もしも上杉と北陸の一向一揆が講和や不戦同盟を結んだら大至急伝えてくれ」
それに対して帰ってきた手紙だが。
「遠江は意外と過ごしやすい気候です。
了解しました。
上杉と一向一揆などの動きに注意し、何かあればすぐ兄上にお伝えします」
そしてに北条氏康の全権大使として北条綱成(ほうじょうつなしげ)が上洛してきた。
後北条は古河公方であった足利義氏とのつながりを持って関東管領代を名乗っていたが、足利義氏が追放されて足利藤氏が古河公方を名乗ることで上杉政虎に名実ともに関東管領の地位を奪われてもいるし、今のうちに俺に下っておいたほうが利があるとと思ったのかもしれないな。
「お初にお目にかかります。
北条左衛門大夫でございます。
我が主君北条相模守にかわりて挨拶をさせていただきます」
「うむ、北条相模守は関東が飢饉の中長尾の攻撃にあい大変であったようだな」
「は、何とか追い返しましたが長尾は撤退の際にも各地で略奪・放火を行っていったため城下は誠にひどい有様となっております。
故に我が北条は帝の勅命に従い争いをおさめたく思っております」
「うむ、北条相模守には伊豆・相模・武蔵を安堵しようと思うがいかがであろうか?」
「下総は認めていただけませぬか?」
「下総守護は千葉殿であるゆえにな」
「……かしこまりました。
もし長尾や里見などがこちらに攻撃をしかけてきた場合は迎撃はお許し頂きたいのですが」
「うむ、それらの者たちが勅命に従わぬのであれば、朝敵としてそれを討たねばならぬゆえ迎撃は構わぬ」
「かしこまりました、それではこれにて失礼いたします」
そして後日、北条氏側についた上野の館林赤井氏、下野国の那須氏、下総の結城氏、千葉氏、臼井原氏、上総の土気酒井氏、常陸国の大掾氏などもやって来て惣無事令に応じた。
しかしながら上杉政虎や里見義弘、佐竹義昭、宇都宮広綱などは今のところ上洛の気配がない。
「可能なら上杉政虎とは正面から戦いたくはないものだがな」
とりあえず俺はお手紙公方に付き従っている近習の者が京へ戻らぬ場合は本来与えられている役職と知行地を取り上げることまた足利義昭には勅命として一乗院門跡へ戻る事を布告した。
それと毛利元就と小早川隆景には北陸に逃げていった比叡山の悪僧と本願寺の一揆衆の対立を煽らせ、もともと仲の良くない加賀の七里頼周と越前の下間頼照をそれぞれ暗殺者を送り込んで罪を相手になすりつけあいさせ加賀と越中・越前の一向宗どうしを争わせ力を合わせられないようにさせることも行っている。
「数は力だからな、北陸の全ての一向衆徒などがまとまれば面倒なことになる。
逆にまとまることができなくなればそれだけ鎮圧は楽になるはずだ」
史実でも享禄4年(1531年)の大小一揆で、加賀は本願寺の直接統治下に入ったが、越中はその後も勝興寺住職や瑞泉寺住職が一揆を率いており、神保長職がその二大寺院を味方につけていることで越中と加賀の一向一揆とは必ずしも仲は良くない。
織田信長が越前・加賀などの一向一揆の鎮圧を伊勢長島に比べて比較的短期間で行えたのはこういった内輪もめと越中に関しては上杉謙信が蹴散らしていたからというのが大きいが、せいぜい内輪もめで勢力を衰退させてほしいものだ。
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