第106話 では上洛戦を開始しようと思ったら戦にならずに入京しちまったぞ

 さて、島津傘下の家臣・大名・国人などに準備を整えさせ、これより上洛戦を開始することにする。


「目指すは京の都だ・

 者共ぬかるなよ」


「おう!」


 まず山陰は尼子を旗頭にして新宮党の吉田や山名、一色を動員し1万の軍で若狭の武田信豊とその息子の武田信由たけだのぶよしを打ち破るべく進軍する。


「積年の恨みを今晴らすべし!」


 若狭の侵攻で先陣を切ったのは丹後守護の座をめぐり、若狭武田氏と長い間争っていた一色義幸で彼の部下の士気も高かった。


 一方の若狭武田は以前に細川晴元の要請により、三好長慶や松永長頼と戦ったが敗れて多くの有力な家臣を失っておりその士気は高くなかった。


 その結果として武田信豊とその息子武田信由を降伏させ、彼等と対立していた武田義統は討ち取られた。


 若狭をおさえることで小浜などの湊町を抑えることが出来たのも大きい。


 もっとも越前や近江の湖西もおさえねば、京への輸送路はかなり制限されてしまうが。


 やはり琵琶湖の水運を使えるようにはしたいよな。


 パナマ運河のようにある程度大きい船が日本海側から瀬戸内海まで直に行けるように出来るのが一番いいのだが技術的にはまだ難しいか。


 紀伊北部・和泉・河内の畠山高政に対しては、まず紀伊北部には雑賀衆・根来衆・熊野衆・大和衆を我が弟畠山義弘が率い総計2万が攻撃することになった。


「めざすは広城ひろじょうぞ!」


 紀伊の国の畠山の居城である高城山の山頂に築かれた広城を目指す。


 畠山高政は広城を捨てて、安見宗房の高屋城へ移動し、松永久秀と松浦信輝もこれに合流した。


 畠山・松永連合の兵数は合計2万。


 しかし、篠原長房率いる四国の三好勢2万と畠山義弘率いる2万とにより、堺近郊の上芝で挟撃を受けた畠山・松永連合は敗退する


 彼等は高屋城へ籠城するも、圧倒的兵力差も有って落城。


 畠山高政は弟である畠山政尚の、松永久秀は三好義興の助命と引き換えに自害し、堺を含めた和泉と河内は制圧された。


 尾張西部には伊勢の北畠や国人衆・伊賀衆の総勢1万が兵を進めて尾張西部の騒乱を鎮圧した。


 その際に長島の貧しい農民には積極的に食料を与えた後に高山国への移住を進めたのち長島一向一揆により騒乱を起こしたことを理由に本願寺派の寺院は破却され坊主などは山科へ移送された。


 そして丹波・摂津からは島津直参衆・大友を代表して戸次鑑連・毛利を代表して吉川元春・備中の三村家親・丹波の赤鬼赤井直正ら合わせて4万の兵で上洛を開始した。


 ちなみに細川藤孝はすでにこちらへの恭順の意を示している。


「おそらく六角が俺たちを迎えうってくるとしたら戦場は山崎になるであろう」


 そう俺は宣言したが結局俺は六角と戦うことはなかった。


 ”三好宗家が島津の傘下に入った以上敵対する理由はないため和睦したい。

 また京の治安維持はそちらに任せたい”


 と六角義賢から和睦の提案がなされたからだ。


「……まあ、争わずに済むならそれでいいか」


 俺は六角に和睦を受け入れることを返答し、阿波公方足利義栄をかつぎあげて俺達は京へ入京した。


 その間に二条御所から近江公方足利義秋は逃げ出して、越前の朝倉義景を頼って落ち延びていったらしい。


 こうして俺は若狭・山城・和泉・河内・紀伊北部・伊勢長島や津島を含む尾張西部を支配下に収めたのだった。


 そして俺を迎えたのは近衛前久だ。


「うむ、今回は上洛ご苦労であった。

 早速だが先帝陛下の葬儀と今上陛下の即位の礼を行ってもらうために銭を用意してくれぬか?」


 俺はうなずく。


「はい、わかっております」


 もちろん天皇の葬儀及び即位式には莫大なカネがかかり、それぞれ五十万疋=五千貫文(約5億円)ほどかかる。


 そりゃ六角や畠山だけじゃどうにもならんよな……。


 もっとも昭和天皇陛下の時は葬儀と陵の造営にかかった費用は計100億円だったというからこれでもまだ安いのだろう。


戦国時代の土地なんて安いもんだし人件費なんてほんとブラックってレベルじゃねえからな。


「先帝陛下、葬儀が大変遅くなり申し訳ございませんでした。

 陛下の御遺志は今上陛下が受け継いでくださいます。

 長きに渡り苦労の多き治世を過ごされた陛下はせめて安らかに休まれますよう、お祈り申し上げます」


 葬儀が済めば今上帝の即位の礼が執り行われる。


 儀典の会場は、里内裏の紫宸殿で行われ、礼服を身につけ親王代などの限られた公卿・官人が即位式に参加し、その役目を持たない公家は、離れた幔の内側から見物をすることになるがまあ何とか無事に終わった。


 その後は京の治安維持のために検非違使を復活させ、羽林家に巡検を行わせ、火消所と悲田院を洛中へ、施薬院と療病院を鞍馬温泉のそばに開設させつつ、無駄な関所は廃止させつつ街道の整備を行わせた。


 そして近衛前久からまた鷹司の家を継がないかという打診が有った。


「あらためてきくが鷹司の家を継ぐつもりはないかね?」


「鷹司家を私がでございますか?」


「うむ、鷹司忠冬殿が亡くなられて鷹司家は途絶えてしまっておるし、やはりそのままは良くないのでな」


 前回と違い現状ではこれを受けて反発するものも少なかろうか。


「かしこまりました、そのお話受けさせていただきます」


「うむ、そうしてくれれば肩の荷が下りるというものだ」


 俺はとっくの昔に死んでいる鷹司忠冬の名目上の養子に入り、島津から鷹司に姓を変えることになった。


 そしてそれらも落ち着いたところで新たに即位した今上陛下に拝謁がかなったのだ。


「今上陛下、ご出御」


 今上陛下の側付きである女官の声とともに、御簾の向こうで衣擦れの音がかすかに聞こえ誰かがそこに座るのが聞こえた。


 近衛前久が俺に言う。


「鷹司忠冬が子、鷹司義久。

 この度の先帝の葬儀並びに今上様の即位の礼への寄進は素晴らしきととおっしゃられている。

 ありがたく思い給え」


 俺は口上を述べる。


「は、今上陛下におかれましては、

 ご機嫌麗しく恐悦至極に存じ奉ります。

 今上陛下への拝謁を許可して頂きましたこと。

 誠にありがたくそのお礼を言上する為に、罷り越しました」


 二条晴良は扇で口元を隠しながら言う。


「うむ、その功績を認めそなたには従一位・関白・太政大臣・藤原長者・鎮東大将軍の称号を授ける。

 天下の敵を討伐し天下を太平にせよと今上様はおっしゃられている」


「はは、もったいなきお言葉にございます」


 こうして俺は平清盛と足利義満に続く武家出身の太政大臣となったわけで、なおかつ関白になるのは本来は豊臣秀吉のはずなんだが、俺が公家も武家も全部背負うことになったわけだ……。


「これはこれで大変なんだがな、まあ、やるしかないんだが」


 ちなみに足利義栄は名目上は征夷大将軍に任命されたが、官位上は俺の下の山城の守護のような立場になったのだ。


 もっとも守護という権威はほぼ消滅したけどな。


 阿波の三好は足利義栄が将軍になれば名目上島津を下におけると考えてもいたのだろうが、もはやそれだけの権威も権力もなかったということだな。


 個人的に将来の統治方法として、俺は鎌倉の北条家のように足利将軍を廃嫡させて、その代わりに宮家将軍を名目上の神輿にしつつ、実権は島津が握る北条の執権政治と徳川幕府のような藩制度をあわせたようにしていきたいとは思う。


 現状ではまだ足利幕府の権威が結構生きているから、力で引きずり下ろすのはあまり良い手ではないが阿波公方の親子はそんなに長生きは出来ないはずだ。


 あと島津の京や島津の直轄地域に関しては、ある程度奈良時代の律令制に近い制度を復活させたいものだとも思う。


 だからとりあえず今はまだ朝廷や幕府をたてておくさ。


 最終的には一国一城令を出して無駄に多い城は破却させ、公家の私有荘園は全て朝廷領とする代わりに、朝廷から官位などに応じた録を安定的に支払うように戻し、寺社領もなくして檀家制度により安定した収入や人員管理などを行わせるようにしたいものだ。


 そして厄介なことが起きた。

 比叡山の坊主で高利貸しの取り立てを京の市内で行って非道を働いていた悪僧を取り締まったことで比叡山より俺を排除するようにという強訴が起きたのだ。


「よろしい、ならば戦争だ」


 やはり天台宗山門派は叩き潰さねばならぬようだ。


 ただ武力で叩き潰すだけではだめだろうし、天台座主などを殺すわけには当然行かないけどな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る