第103話 三好の家中を分断させつつ三好討伐の準備を整えよう上洛はしばらくあとだ
さて、三好長慶と伊勢貞孝が殺されて、三好が報復に二条御所の将軍義輝を襲撃して自刃に追い込み、その弟で相国寺の塔頭の鹿苑院の院主であり五山を含む全臨済宗寺院の寺務を統括する役職である周暠も暗殺され、それを見た六角や畠山が全力で三好に攻撃をくわえて三好実休や十河一存が討たれて三好は山城・河内・和泉などを失うなど事態は急展開だ、
俺はそれに乗じて丹波の内藤宗勝こと松永長頼を、丹波の国人たちとともに討ち、播磨の赤松や別所も従えた。
そんなところにやって来たのが将軍義輝の弟の覚慶と義輝の側近であった一色藤長、和田惟政、仁木義政、畠山尚誠、米田求政、三淵藤英、細川藤孝、明智光秀らだ。
覚慶がその他の兄弟と違い殺されなかったのは彼が近衛尚通の猶子であり興福寺の一乗院門跡であり、後に興福寺の別当、要するに興福寺で最も偉い坊主になる予定だったからだな。
彼は三管領家の一つである河内国の畠山高政、関東管領の長尾景虎、能登国守護の畠山義綱ほか六角義賢や朝倉義景などとも積極的に連絡を取っているらしい。
三好や松永も興福寺引いては近衛などの藤原家やその背後にいる、島津を敵にはしたくなかったらしいな。
なにせ昔に比べれば勢力は衰えたとは言え興福寺は大和の守護なのだ。
そして彼等は和田惟政の居城である和田城にて足利将軍家の当主になる事をすでに宣言している。
一乗院門跡であれ、足利将軍家の当主であれ名目上は島津より立場は上、そういう理由もあり俺は覚慶や三淵藤英を上座において挨拶をしていた。
「この度は我々を迎え入れてくださりありがとうございます」
三淵藤英が彼等を代表してそのように挨拶する。
覚慶が直接話さないのは貴族などはそういうしきたりだからだとしか言いようがない。
「いやいや、わざわざご足労頂き申し訳ありませんでした」
三好と畠山の戦闘により大和から紀伊を縦断して熊野から一旦土佐に向かい、豊後水道を経由して姫路までくるという経路を取らざるを得なかったので、かなり遠回りすることになってしまったのだな。
「で、山城への上洛はすぐに行えるのですかな?」
三淵藤英が当然すぐ行うのであろうとばかり聞いてくるが俺はそれに首を横に振った。
たしかに丹波経由で上洛自体は可能ではあるんだが。
「申し訳ありません、四国の状況などが落ち着いてからでないと、すぐさまの上洛は難しくありまして」
「島津の兵を動かせば三好などあっという間に駆逐できるのではありませんかな?」
「組織や領国が大きくなればそれだけ動きは遅くなるのですよ」
これは決して嘘ではない。
俺が島津の頭であるのは確かだが、薩摩の当主である時は間に入る人間の数は少なかった。
しかし、薩摩を統一して分家や国人を吸収し、大隅を併合し肝付などを服従させ、肥後に菊池を送って国人をまとめさせ、大名としての大友を滅ぼした後、その組織を島津に組み込みつつ、四国は土佐一条や西園寺、河野などを使って間接支配し、大内が陶によって討たれた後は陶を討って反陶の国人や毛利を支配下に置いて、尼子は新宮党と尼子本家を分裂させながら尼子の影響下の国人などを支配下においてきたが、それにより情報の上意下達にかかる時間はどんどん長くなるわけだ。
最初は指揮系統が俺・地侍の頭・地侍・侍や雑兵だけだったものが、今では俺・弟などの方面軍団長・国人頭・国人重臣の寄り親・国人の寄り子・地侍頭・地侍・侍や雑兵みたいに間に入る役職が増えすぎた大企業のようなものだからな。
現状だと六角や畠山に比べて俺は動きの速さでは負けてるのは間違いがない。
三好とは四国や播磨・丹波で領域が接してるから下手に動けないというのもある。
「それはわかりますがこのままでは三好が堺公方殿を奉じて京へはいってしまいますぞ」
「と、申されましても三好も京を追われておりますしな」
そんな状況で山城国を掌握し、徳政令を出した六角義賢とそれとは別口で畠山高政が姫路城へ訪れたのであった。
「公方様、お迎えに上がりました」
三淵藤英が嬉しそうにいった
「うむ、そなたらの忠義嬉しく思うぞ。
では島津内府よ世話になったな。
そなたは四国の三好を討つことに専念されるがよかろう」
「かしこまりました。
おまかせいただきましょう」
そして彼は弟で有る細川藤孝へと声をかける。
「お前はここに残り島津内府との取次役を務めるがいい」
「かしこまりました兄上」
彼は連絡役兼監視役というところかな。
ま、俺が真っ先に京を目指さないのは京に入ったら朝廷と幕府の双方から金を強請られるからだけどな。
それに平安時代末期の木曽義仲のようにはなりたくない。
六角が京に入ったあと徳政令を出したのも、幕府運営のために資金が必要だけど義輝が三好長慶などを殺してしまって、それを入手する手段もないからだし、六角が身動き取れないのは更にはたくさん兵士を抱えているが、その銭や食料の補給のあてがないからだったりする。
結局六角は京を制圧したことで今までいかに三好長慶が苦労してきたかを我が身で実感したわけで、だから彼は将軍義昭を抱え込んでなんとかしたいと思ってるんだろうけど、むしろ余計に金に困るはずだ。
彼は信長に担がれてる時に勝手に寺社領を横領して信長に非難されてもどこ吹く風だったりするしな。
信長は足利義昭を担げば平和になると思ったが、むしろ争いの元が大名に手紙を送りまくる義昭であるということに気がついて、その行いをやめるように諌めたが、結局受け入れられずに彼を追放したけど、本当は彼が心を入れ替えてまともに平和な状況にすることを考えてくれれば戻ってきてほしかったようなんだな。
本来信長が天下布武を唱えたのは足利義昭を上に立てて「天下布武」つまり天下すなわち畿内に七徳の武を布き争いをおさめる、つまりは最低限三好を討って畿内に平和をもたらすという決意表明だったのだが、21世紀だと織田信長は武力で日本全国を平定するつもりだったとか思われてるな。
だがおそらくその時点では織田信長はそんなことは考えてなかったはずだ。
何れにせよ現状は四国や淡路を抑えるのが先で畿内に進むのは後だ。
畿内をおさえても阿波からの三好の軍勢に攻撃を受けてまたやり直しってパターンにハマりたくはないしな。
俺は毛利元就・宇喜多直家に阿波三好などの調略を命じた。
「阿波の
畿内の争いに四国衆や淡路衆がいちいち駆り出されることに彼等は不満をいだいているはずだ」
「かしこまりました」
「そのような手はずで進めます」
篠原長房は三好実休の重臣であり実休亡き後の阿波・讃岐の三好を取りまとめている男であるが、彼は松永久秀などの畿内衆とは仲が悪い。
もし彼が足利義冬か足利義栄をかつぎあげて将軍にすると言われてもそれはそれで良いだろう。
両者ともに足利義昭ほどは長生きできないはずであるからな。
最終的には三好や松永と戦うにせよなるべく味方に引き込めそうなものは引き込んでおきたいものだ。
無論彼等が断ってきたら戦争になるわけではあるが。
あ、ちなみに昨年妊娠していた俺の奥さんたちだがどちらも元気な女の子を出産したし、母親も両方も無事だ。
近衛の姫の方は生まれたのが女だったのを悔やんでるようだけど。
「申し訳ありません、男の子であればよかったのですが」
「いやいや、親娘が共に無事元気であるだけで十分さ。
体に気をつけてくれればそれだけでいいよ」
ここで男が生まれると正室問題がこじれるしな。
「ありがとうございます」
逆にお平は既に男児を産んでるだけに割と余裕が見える。
「可愛らしい姫でございますよ」
「うむ、きっとそなたに似た美しい娘に育つだろうな。
身体には十分に気をつけるのだぞ」
彼女は史実においては永禄二年(1559年)の11月18日になくなってしまうのだが、なるべく長生きしてもらいたいものだ。
ちなみに現状の島津がおさえている国は
西海道:薩摩・大隅・日向・肥後・豊後・筑後・豊前・筑前・肥前・壱岐・対馬
南海道:土佐・伊予・南紀伊
山陰道:石見・出雲・伯耆・因幡・但馬・丹後・美作・隠岐
山陽道:長門・周防・安芸・備後・備中・備前・丹波・播磨
東海道:伊賀・伊勢・志摩
畿内:南大和
で合計はおよそ800万石
うち直轄領はおよそ200万石
(ただし金山銀山銅山などの希少金属の産出量や港の関料・商人からの運上金などは含まず)
その他:台湾島の高山国はおよそ200万石
総計でおよそ1000万石
うち直轄領はおよそ400万石
(ただし金山銀山銅山などの希少産出量や港の関料・商人からの運上金などは含まず)
という感じだな。
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