第97話 堺で銭の鋳造と割符の話をしたぜ、諏訪勝頼の家来が接触してきたぜ

 さて、三好長慶との会談も終わったので俺たちは堺に向かった。


 堺は鎌倉時代には漁港として発達し、遣明船が応仁の乱による焼失でそれまで使われていた兵庫港に入港できなくなったことで、堺港に入港してから堺は細川氏の遣明船の発着港となって栄えたが、大永3年(1523年)に細川が大内と揉め事をおこした寧波の乱以降は遣明船による貿易は大内が独占したため多少衰退はしていたはずだが琉球との貿易などは継続し、日明の関係が修復された後は明への船も再び出るようになったはずだ。


 もっとも日明貿易にかわる南蛮貿易も行われてはいないし、それにより本来の日本ではポルトガルなどにより大量に持ち込まれて日本刀の製造法にすら大きな影響を与えた南蛮鉄とよばれるインドで精製された鉄も入って来ていないから本来よりは栄えていない可能性は高いけどな。


 そして長尾と美濃一色から文が戻ってきた。


 長尾の回答は割と簡潔なもの。


 ”事情は承知いたした。

 またの連絡を待つ”


 一方の美濃一色は割りと遠回しに現状を伝えてきた。


 ”当方今川に劣らぬ兵は持ち得るものなれど島津内府の兵と足並みをそろえるべく待つことにしたゆえに今川との諍いは避けておることを公方に伝えられたし”


 ふむ、長尾は秦氏と同時期の渡来氏族である東漢氏の後裔であるが、現状の本姓を坂東八平氏出身としていて、鎌倉時代に一度滅びかけたが上杉氏に仕え守護代として活躍した氏族。


 基本的には坂東武者の家系だけに実用一点張りなようだ。


 一方の美濃一色は一色義龍の祖父、松波新左衛門尉庄五郎は室町幕府将軍の正室を輩出してきた藤原北家日野家一門であり御所を守る北面武士の松浪氏であって、決して氏素性の知れない素浪人ではなく、立場的には室町幕府政所筆頭伊勢氏の家系である伊勢新九郎こと北条早雲と同じなのだろう。


 でなければそもそも斎藤道三の側室で丹後一色の一色義遠の娘深芳野が側室という立場になるわけがないし、土岐流明智氏の小見方(おみのかた)が正室であるというのは斎藤道三がそれなりの家系に生まれていなければありえなかったのであろう。


 そもそも僧侶になって学ぶことは金がなければできないし、室町時代の油売は寺社の専売特許だった。


 だから油売りだから卑しいと言うのはありえないはずなのだな。


 そもそも斎藤道三が卑しい素性であったら美濃を乗っ取った時点で近江の六角、伊勢の北畠、尾張の斯波が黙っているわけがないのだから、土岐氏に対しての下克上と言うほど彼の血統の家格は低くなかったと思うのだ。


 で、斎藤道三が一色系の義龍を排除して土岐系の弟たちに継がせようとしたのは、一色の影響を排除しようとしたのかもしれないな。


 結局はうまくは行かなかったわけだが。


 そして本願寺ももとはと言えば日野の家系であったりする。


 もっとも国の隣り合わせる分家が争い合うことも珍しくないこの時代では先祖の家系が一緒なんてのはあんまり意味のあることでもなかったろうが。


 そういう立場の美濃一色が足利一門の今川をどう考えてるかは正直よくわからんな。


「どっちにしろ今はどこも体勢を立て直さんとどうにもならんだろうけどな」


 本願寺が山科に戻ったことである意味長島一向一揆は顕如を人質に取られたようなものでもあるから動くに動けないではあろうけどな。


 石山に比べて山科の本願寺は防御施設はないに等しい。


 そして下手なことをすればすれば山科本願寺系が全て破却される可能性もある。


 美濃・近江・山城経由の東山道のほうが伊勢・近江・山城経由の東海道より状況は複雑ではない。


 そんなことを考えながら堺にたどり着いたのでまずは堺の自治を行っている納屋衆に会いに行くことにした。


 そして最初に俺に声をかけてきたのは納屋彦八郎兼員いわゆる今井宗久だ。


「これはこれはこれは島津の御屋形様が堺にいらっしゃると聞きましてお迎えに上がりました。

 当方納屋彦八郎兼員と申しますどうぞ我が納屋にお立ち寄りくださいませ」


「ふむ、ではそうさせてもらおうか」


「では茶室へどうぞどうぞ」


「茶室か……安心してついていってもよいのかね?」


「それは我々を信じていただきたいとしか申し上げられませんが」


 我々ね。


 まあ、やろうと思えばいつでも暗殺はできるし、彼にとって俺を殺しても堺への輸入が停滞するだけだろうから無駄なことはせぬだろうか。


 宮廷における宴と同様”茶の湯”と言うのは来客を最大限に「もてなす」のためのものだ。


 もっとも豪華な宴を行う場合は遊郭を用いる場合もあるわけだが。


 応仁の乱のあとは流通が滞ったことで豪華な接待の宴会が成立しなくなり宴の中の最後の茶席を独立させ主人が、客の目の前で全てを公開しながら濃い茶をたて、毒を入れぬことを証明するために皆で廻し飲みを行って、参加者の信頼を構築するためのものだったのだよな。


 朝廷の元旦の節会でも同じようなことをやってるのはそういう理由もあるわけだ。


 主に宇喜多直家のせいで茶室=暗殺というイメージが出来上がってしまったわけだが、本来茶室と言うのは、遊郭同様身分を離れ主客対等で安全が保証された空間として位置づけられているはずのものなのだが。


 で俺が茶室の入口をくぐると既に中には何人もの人間がいた。


「皆さんお待たせしました。

 こちらが島津内府の御屋形様でございますぞ」


 部屋の中には他にも何人かの商人がいるようだ。


「天王寺屋宗及(てんのうじやそうきゅう)と申します」


 ふむ彼は津田宗及か。


 今井宗久に並ぶ豪商で茶人でも有ったはずだな。


「紅屋宗陽(べにやそうよう)でございます」


 彼は天王寺屋に匹敵する財力と権力を持ってるはずだな。


「塩屋宗悦(しおやそうえつ)です、どうぞ以後お見知りおきを」


 塩屋宗悦も堺の権力者のトップの一人。


「納屋衆が一人松江隆仙(まつえりゅうせん)でございます」


 彼も堺の権力者の一人、千利休は宋の僧侶・密庵の墨蹟を120貫文の大金で入手したが、千利休に茶会で招かれた松江隆仙はその墨蹟が偽物であることを指摘して千利休は面目を失ってしまったことから商売人としての将来を失ったようだ。


 堺の自治を行ってる納屋衆のトップ10の中のトップ5が勢揃いというわけだ。


「これはなかなかに厳しい歓迎のようですな。

 作法も何も心得ておらず、ご迷惑をおかけいたしますが、本日はよろしくお願いいたします。」


 俺がそう挨拶すると下座に座ったものたちが挨拶を続ける。


「お相伴させていただきます」


「いえいえ、三分の一殿と呼ばれるお方に比べれば私どもなど」


 などと納屋彦八郎兼員がそういうがまあ本気で思ってるわけではないだろう。


 床の間に飾られている密庵咸傑(みったんかんけつ)の墨跡(ぼくせき)は本物だろうか?


 偽物を飾っておくわけはないけど国宝級の代物なんだがこれ。


「本席のお掛物は……」


「ほうお気づきになられたようでこちらは密庵咸傑でございますよ」


 納屋彦八郎兼員がニコニコしながらいう。


「まさか大徳寺の密庵席から借り受けてきたと?」


「そういうことでございます」


 おれは一応正客扱いだから一番上座にいるが、本当に客人扱いなのかね、ううむ。


 さらには床の間にいけられている花について聞いたり、花入焼物の窯元を聞いたり、香合も飾られているから、香銘、塗りや材質、作者、お茶については茶銘やお詰を、主菓子も銘などをその他にも茶室の中にある釜、棚、水指、炉縁、先屏風などを細かくうかがい、亭主の心使いに感謝したりするのだが、これは本来は招待された客が主人に聞くことによってどれだけ労力がかかっているかを確認するためのものだ。


 ちなみに公家の場合はどれだけ古いものなのかを自慢し、商人の場合はどれだけ高いものかを自慢するのが大きな違いだ。


 最も大阪商人は貧乏公家から金を積んで茶器などを買い漁ってるので公家からは評判が悪いが。


 白湯を飲んだり懐石をたべたり主菓子を食べたり濃茶を飲んだりしながら茶会は進んでいく。


 家久が茶の湯の作法はしらぬし面倒くさいから白湯だけ頼むといった気持ちも良くわかるな。


 これでも公家の宴席よりはいろいろ簡素化されてるんだから、公家の宴席の面倒さは半端ないんだが。


 それでも近衛家の家令として必要な礼儀作法は一通り叩き込まれてるのでなんとか対応はできてるけどな。


「そろそろ本題に入ろうか。

 俺があなた方にお願いしたいのは九州・四国・中国地方、つまり俺の領地の大都市の商人と堺の割符での取引を行うことだ」


「まあ、遠くから銭をたくさん運ぶのは大変ですからな。

 もちろん良いですよ」


「もう一つは大きさ厚さ重さ、銅の比率の基準を満たした銅銭を堺で鋳造してもらうこと。

 できりゃ鐚銭は回収してもらいたい」


「良い銭を十分量畿内に流通させるためですか?」


「まあ、割符の引き出しを潤滑に行いたいためでもあるな」


「なるほど、それは構いません。

 でこちらの要望としてですが、雑賀だけではなく堺に鉄や銅をもっと運んできていただきたい。

 もともと堺は物資の集積都市として発展してきましたが、最近は鉄が不足していて困っているのですよ」


「ふむ、わかった、これからはなるべく堺にも鉄を持ってくるようにするさ」


「そうしていただければ助かりますよ」


「では交渉成立と考えて良いかな」


「はい、今後もご贔屓に」


 こうして茶室の中で島津と堺の納屋衆の間での提携は無事結ばれたのだった。


 そして、堺衆と話を詰めている時にやって来たものが有った。


 そしてそのものは俺に言ったのだ。


「私は跡部昌忠と申します。

 どうかわが主君である諏訪勝頼様とお会いになっていただけないでしょうか」


 と。

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