弘治3年(1557年)

第95話 元旦の宮廷祭祀やら挨拶やらで大変だったが一旦山口に戻って山名を攻めることにしたぞ

 さて、なんやかんやしてる間に年は変わって弘治3年(1557年)になった。


 宮中では新年1月1日の早朝の宮廷行事である四方拝しほうはいが行われるが、これは今上陛下以外は参加しない儀式だ。


 俺が参加するのは、その後の元日節会がんにちのせちえだな。


「それにしてもなんだか本当に公家になったみたいだな……」


 烏帽子ではなく冠をかぶって正装させられた俺は近衛前久とともに内裏へ出仕中だ。


 四方拝は元日の早朝に今上陛下が国家と国民の安寧と豊作など国家安泰を祈ることを目的に行われる宮中祭祀で、これについては御代拝ごだいはいつまり今上陛下以外の太政官や神祇官が祭祀を代行することが認められていない。


 まず、大晦日に御湯みゆ玉体ぎょくたいを清められた後に、1月1日の寅の刻(午前四時頃)に、今上陛下が御所の綾綺殿で黄櫨染御袍こうろぜんのごほう(今上陛下のみ着用することが許された金色の装束のこと)を着用し、清涼殿東庭に出御され、そしてあらかじめ清涼殿東庭に畳でつくられた三つの座の「嘱星御拝御座」「四方御拝御座」「山陵御拝御座」の三座のうちまず最初に「嘱星御拝御座」に着座して、新しい年の属星ぞくしょうの名を北の北斗七星に向かい七回唱え再拝したあと道教の呪禁じゅごんを唱える。


「賊寇之中 過度我身、毒魔之中 過度我身、

 危厄之中 過度我身、五危六害之中 過度我身、

 厭魅之中 過度我身、百病除癒、所欲悩心、急々如律令」


 呪禁の内容は大雑把に言えば戦乱や疫病、呪いなどすべての国家臣民の悩みのタネなどの災厄はすべて自分が引き受けるので速やかにそれを成せという意味だろうか。


 薄々感じていたんだが日本の天皇という存在は国に対しての人身御供なのではないだろうかという気がするのだよな。


 でなおかつこれ道教だけでなく景教の影響を受けてるんじゃなかろうかとも思うんだが。


 年神は年が終わると一度死に年が開けると新たに生まれ変わるとされてるし。


 ちなみに属星ぞくしょうとは、誕生年によって定まる北斗七星のなかの守護星。


 貪狼星どんろうせい(子年)

 巨門星こもんせい(丑年、亥年)

 禄存星ろくそんせい(寅年、戌年)

 文曲星ぶんきょく(卯年、酉年)

 廉貞星れんていせい(辰年、申年)

 武曲星ぶきょくせい(巳年、未年)

 破軍星はぐんせい(午年)

 のどれかになる。


 次に「四方御拝御座」に着座して天地四方の全ての神霊に拝礼し、最後に「山陵御拝御座」に着座して父母の陵を拝礼する。


 新嘗祭が収穫祭だとしたらこの祭祀は新年祭。


 新たな年神を迎える儀式で応仁の乱で一時中断されたが、後土御門天皇の治世の文明7年(1475年)に再興されている。


 新嘗祭よりもこちらの祭祀のほうがある意味重要だ、なにせ新たな年神を迎えなければ死んでしまうことになってるわけだからな、そのわりには喪中だと行われなかったりするが。


 後はあんまり金がかからないというのも再開が早かった理由だな。


 それが終われば元日節会にうつり紫宸殿ししんでんに公家を招集して年始の宴会を行うのだ。


 ちなみに費用はほぼ俺が寄進した銭からでてるはずだ。


 式はまず「諸司奏」と称する、諸国の豊作の吉兆を天皇に申し上げる儀式から始まり、中務省なかつかさしょうが七曜暦を奉り、宮内省が氷様ひのためしつまり氷室に納めた氷を取り出し、その厚さを報告する、この氷は厚いほどめでたいとされている。


 その後に腹赤贄はらかのにえと呼ばれる食いかけのうぐいもしくはますを次々に公家たちがとりつたえて皆で食べる儀式を行い、国栖奏くずそうと呼ばれる神楽を奉り国栖魚くずうおと呼ばれるあゆを片身を残して食べその後今上陛下が出御し、今上陛下と公家とが三献の儀をおこなった。


 そして宴が終わったら公家は殿を下りて拝舞はいぶし、銭や餅などのろくを今上陛下より賜って退出することになる。


 つまり朝廷は正月から仕事なのだ、なんというブラック職場!。


 いや武家も変わらんし、公家は普段はろくに仕事しないわけだが。


 しかも、自分が今上陛下へ収めた銭や餅が自分へ戻ってくるのは喜ぶべきなのだろうか……多分喜ぶべきなのだろうがなんか複雑だ。


「まあ、無事に新年を迎えられたのでよしとするか」


 ついでに言えば数は少数ながら幕府への年始の宴にも同じように参加しないとならないし、当然のことだが内大臣になった俺は、これから俺より官位が低いものからの年始の挨拶や上洛している国人などの挨拶にも対応しないといけないのは言うまでもない。


 俺のところに挨拶に来ればいい返答品をもらえると思ってる連中が、わんさかと押し寄せてきて正月はのんびりするどころじゃなかった。


「やれやれ金があると思われるのもいいことじゃねえな」


 その他、左右馬寮めりょうから白馬を紫宸殿ししんでんの庭に引き出し、今上陛下が天覧されたのち、公家で宴をおこなう白馬あおうまや足を踏み鳴らして歌い舞う踏歌とうかなども行われる。


 これら元日・白馬・踏歌は年始の三節といい公家は復活を待望していたものだ。


 もちろん費用は俺が寄進した銭からだが。


 で、正月が明けてようやく落ち着いた頃にまず俺の任官があった。


 任官のために参内した俺は近衛前久から征東将軍に任じられたのだ。


「うむ、公方からの強い願いもあったのでな。

 公方が求めたのは征夷副将軍だが公方とともに征伐に動くわけでもなかろうと、征東将軍にすることに決まったのだ」


「かしこまりましたその任、謹んでお受けいたします」


 そしてその後公方様のもとへ行くことになるわけだ。


「うむ、島津内府よ。

 征東将軍の任を与えられたのはまことめでたい。

 ではこれで今川や北条を討つこともできよう」


「は、しかしならばまずは山名と丹後一色を討ち後顧の憂いを無くしての後になります」


「ふむ、それは誰か別のものにやらせるわけには行かぬのかね?」


「申し訳ありませぬが、足利の縁戚である山名や一色がおさえている国を武で打ち破っても下手すればすぐ反乱が起こりましょう。

 故に私自ら乗り込み統治し治安を回復させる他なかろうかと」


「う、うむ、そうかも知れぬな。

 なるべく早めに今川と北条討伐を行えるようにせよ」


「かしこまりました。

 それでは私は一度山口に戻り兵を起こす準備を行わせていただきます」


「うむ、よきにはからえ」


 これでいくらかは時間稼ぎもできるだろうか。


 今まで大友や陶は家臣に見放されてたし、毛利や尼子は国人だったから家格の差もあってその下のものも素直に臣従したものが多かったが、将軍足利義輝が暗殺されてその後に任じられた将軍が京都に入れないなどして将軍の権威が完全に失墜した後に、羽柴秀吉に攻撃された山名祐豊は一度堺へ逃亡してから織田信長に従ってるが、この頃の信長と足利義昭はまだ決裂はしてない頃だったから、現状の山名や丹後一色はどう対応してくるかわからんな。


 山名や一色が逃げ出して堺で三好に庇護を求めたり、近江で細川晴元と合流したりしたらまた頭が痛くなりそうだ。


 それなのに山名や丹後一色は片手間で簡単に片付くと公方様は思ってるんだろうか……。

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