第94話 堺公方を担ぎ上げて今川と後北条を叩けだって?!まじか

 さて、無事に新嘗祭という、朝廷においてもっとも最も重要とされた宮廷祭祀を復活させることもできそうだし、公家たちに担ぎ上げられた祭祀の長でしかないにも関わらず長年の天災や戦乱により心をいためられていた今上陛下もこれで少しはほっとできるのではないだろうか。


 天下泰平のために写経をする時、自らの食費を削ってまで行ってきたことが、ようやく報われるのであればきっとお慶びになられたであろう。


 まあ、それはいいとして京に戻ってきた公方との謁見は正直気が進まない。


 がかといってやらないわけにも行かない。


 ”征西大将軍”の称号も既に九州四国中国の平定をほぼ済ませたからには、もはや名ばかりではあるが、内大臣への昇進は公家や朝廷の室町幕府への嫌がらせだろうとしか思えんよな。


 もっとも室町殿には官位とは別格な権威が今でもあるわけではあるが。


 そして京はあいかわらず十分な治安維持ができてるともいえず、食料品なども高価で民衆は大変そうだが、三好長逸が倒れたのは結構でかいのだろうか?


俺はそんなことを考えながら近衛邸へ戻ってきていた。


「只今戻りました」


「あい、おかえりなさいまし」


 泊まっている間に俺の世話をしてくれる女性に迎えられたが、今回も俺が泊まるのは近衛邸だ。


ちなみに、上洛に付き従った公家たちはそれぞれの自宅もしくは官舎に戻ってるだろうし、俺とともに上洛している兵たちは京の建物が焼け落ちたりなどして開いてる場所に仮小屋を作ってそこに泊まったり、農家や商家などに銭を払いそこに泊まったりする。


 加治木銭が公許の通貨になったので撰銭などの問題も出ていないようだ。


 しかしながら江戸時代の大名が江戸に上って藩邸の中の長屋に部下の侍を住まわせたりするのに苦労したように今回は少なめとは言え兵を率いて上洛した後、京などに長期間滞在するのはとても金がかかる。


 これは伊勢に滞在している畠山義弘もそうだったが、北畠が下ったことで九州から派遣されてきた兵士は今は船で夫々の国へ戻っているはずだ。


 戦国時代の武士の多くが地侍・国人のような農業経営者であるのは、戦のときの集合などに時間がかかったり農繁期には動きづらかったりするデメリットはあるが、彼等は自分で自分の食い扶持を自分で稼げるということでもあるから兵農分離をするのは必ずしもメリットばかりではない。


 島津の郷士や長宗我部の一領具足のような半農半兵の存在のほうが数を抱えられるのは事実だ。


 地侍や国人衆を城下に住まわせるだけでも経費が高くつきすぎると地侍や国人から非難されたりするのだがその理由もよくわかる。


 とは言え侍所の貧乏公家たちのように農繁期と関係なく主に大きい都市や国府などの治安維持のためにどんな時期でも巡回を行えるものは必要であるから難しいところだ。


 ほっとけば野伏盗賊のたぐいはどうしても出るからな。


 そして翌日俺は天文21年(1552年)にも一度来た二条御所にやってきていた。


「公方様にはお久しく御座います。

 薩摩島津当主の島津内府(内大臣)でございます。

 公方様においてはこの度は御上への拝謁にご尽力いただき

 真に感謝しております」


「うむ、島津内府、遠路遥々大義であった」


 第13代室町幕府将軍である足利義輝は前に比べると自信に満ちている様に見える。


 細川晴元も三好長慶も現在の幕府中枢からは外れているから状況はかなり改善したといえるのだろう。


 それは三好長慶が幕府の権力中枢から離れて、以前の完全なる細川三好の傀儡でしかなかった状態と現在では大きく異なるからでもあるのだろうけど。


「それにしても従二位・内大臣の官位を主上より賜ったこと誠に羨ましきことよな。

 予も父上と同じく従三位権大納言、右近衛大将には任じられたとは言え。

 今上様より授けられた内大臣の地位に応じたということは今後は京にて参内を行うのであるか?」


 なんか嫌味っぽく言われてるがとりあえずは普通の受け答えをするしかないな。


「は、恐れ入ります。

 実情としてはそのようなわけにも参りませんのでしばらくしたら山口へ帰るつもりです。

 私には朝廷の運営に関わることより運営ができるような銭を寄進することを求められているだけかと」


 将軍義輝はウンウンと頷いている。


「ふむ、おそらくそうであろうな。

 それにしても、一度に六千貫文もの寄進を行える銭があるのは誠に羨ましきことよ。

 本当それだけの銭が余にもあればと思うがな」


 まあ以前と同様の完全なる傀儡ではないにしても実質的な直属の動員兵がないと何もできないのは変わらないからな。


 実質的に行政を運営してるのは伊勢と三好などであることには変わらないわけだし。


「はい、今回も少々であれば公方様へ銭を寄進することはもちろん可能でございますが……」


「うむ、ぜひそうしてくれると余も嬉しいぞ。

 とは言えやはり余がそちに与えられるものは少ないが。

 先ずはだが此度堺公方と呼ばれた足利義冬殿を鎌倉府の長として関東へ派遣するのでその補佐役として関東公方代の名を与える。

 そして今川と北条を美濃一色、長尾とともに討つ権利を授ける。

 その上でそれが成功した際にはそなたの一族の誰かを足利の養子として関東公方の地位を与えても良い」


 へ?それって権利なの?面倒事を押し付けられるんじゃなくて?


「私が足利義冬様を担いで今川北条討伐の柱になれと?

 そしてその後は我が一族の誰かが足利の名を引き継いでも良いとおっしゃられるのですか」


 義輝は満足そうにうなずき言葉を続ける。


「うむ、今の島津であれば十分可能であろう」


 いやできないことはないよ、伊勢は片付いたから。


 でもこりゃ無理難題と言えないかね。


「しかしながら、山名や丹後一色といったものが因幡に攻め寄せるかもしれず……」


 俺の返答に小首をかしげて考える公方様。


「ふむ、山名や丹後一色は西軍についたことで細川と対立していたゆえ余の言葉に従わぬし、そちが攻めることを許す。

 更には薩摩・大隅・日向・肥後・豊後・筑後・土佐・伊予の守護職にくわえて、豊前・筑前・筑後・肥前・壱岐・対馬・長門・周防・安芸・石見・出雲・伯耆・因幡・備前・備中・備後・美作・隠岐の守護職をそちに与えようと思うが、如何かな?」


 山名と丹後一色を攻めることを公方が許可したことで、俺が攻める大義名分は立つが……俺はしばし考えてから返答した。


「それは三好長慶殿に断り無く行っても問題はないのでしょうか?」


「ふむ、守護については実質そちが支配している国。

 であれば特に文句は言われまいし言ったところで意味はあるまい。

 山名や丹後一色については三好にとっても敵であるはずだしこちらも問題あるまい」


 まあ、たしかにそうだな。


 将軍が俺に守護職を与えるといっても、島津が実効支配している地域の守護職を追認するだけだし、仮に以前の三好長慶であっても反対はしないだろうし、政務から退いた現在ではなおさらなのだろう。


「そして今川と北条を討つ名目に必要であろうし、再び征夷副将軍の地位をそちに与えていただけるように朝廷に奏上してみようと思う」


 征夷副将軍はもちろん征夷大将軍の下の副官として働く者に与えられる称号だ。


 とは言え今回は朝廷も表立って反対はしないかもしれないが。


「今回も今上陛下のお考えに従うまででございます」


 朝廷としては東国を長尾が平定したほうが安定すると考えてはいるようなのだが、それも今までの鎌倉府や古河公方、堀越公方などの内輪もめを考えれば分からないでもない。


「では結果は後ほど出るであろう、下がって良いぞ」


「はは、では後ほど銭千貫文を届けさせていただきます」


「うむ、よきにはからえ」


 そして俺は二条御所を退出した。


 結局将軍義輝としては現状では関東管領も古河公方も後北条に下ってるといえる状況は面白くないし、何かあった時に細川や三好が足利義冬を将軍候補として擁立する事態を先んじて防ぎたいのだろう。


 守護使不入地の廃止を宣言し、足利幕府から事実上離脱した今川と室町の政所執事を世襲する伊勢氏の一族の出である後北条が足利や上杉を屈服させたのは、将軍義輝にとってはあってはならないことで両方共目の上のたんこぶであるから打倒したい理由はわかる。


 今川と美濃一色の間も長島一揆などで関係が悪化しているようだしな。


 しかし、三好や六角、畠山などがいる畿内を放置してそちらを先に倒せというのは、島津に畿内にはかかわらせるつもりはないということだろうか?


 関東では中央から派遣されてきた伊勢こと、後北条家は鎌倉以来の国人にはあまりよく思われてないにせよ、越後の守護代でしかない長尾に支配されるのも良くは思わないだろう。


 だからといって島津であれば素直に従うかというと結構疑問なのだが。


 それとも足利義冬を担ぎ上げた上で畠山と上杉の名を持ち出せばなんとかなると思われてるのか。


 しかも、美濃一色と協力しながら今川とも戦えとかなぁ……。

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