第83話 明はポルトガル人をマカオなどの自国領土から追放することを決定したようだ、朝鮮が朝貢を求めてきたので突っぱねたぞ
さて、昨年送り出した明への使者が戻ってきた。
そして策彦周良が結果を俺に報告してくれた
「明国の天子はこの度の日ノ本と明に対して王直並びバテレンの策謀による倭寇鎮圧に対しての働きを認め章州月港において互市(ごし)を認めるとのことです。
また王直は売国のかどで処刑されました。
またマカオなどを不法占拠している栗毛人(ぽるとがるじん)の企みに対しては重大な問題であるとおっしゃられ早急にマカオなどの国外退去をするように通達を出した上で国外へ退去せぬならば栗毛人討伐を行い捕らえたものはすべて処刑するとの通達を出しております。
またキリスト教は禁教とされるようです」
互市というのは中国が諸外国との貿易のため開いた辺境の市場だ。
冊封による朝貢貿易はあくまでも相手国に中国に従い兵を交えて戦う意志はないという意思を示させるためのものだから、政治的に儀礼のほうが本来は主となるもので貢物やその返納品は本来はおまけだった。
ただし、朝貢を行う国は中華帝国に対して貢物を献上するが、朝貢を受けた中華帝国は使節を歓待しつつ貢物の数倍から数十倍の価値のある返納品を下賜するものだから、経済的に考えれば朝貢は受ける中華帝国側にとっては利益がないように見えるし、周辺諸国も名を捨てて実を取るものも多かった。
モンゴルなどが明を攻撃するのも朝貢ができる間隔が長すぎて利益が少ないことに対しての不満だったりもする。
しかしそう言ったやり取りを行うことでそういった国と争わずにすみ、名目では主君となるのだから中華帝国にとっては逆に安くあがるとも言えた。
これは日本ではお中元やお歳暮のやり取りで残っていたものだな。
それに対して互市は外交などの関わらない商業貿易を辺境の都市で制限つきで許したものだ。
今までは密貿易で、役人に懐の下を渡していたものが公に認められたわけだが、官憲の船に追いかけられることがなくなったのは心情的に大きい。
もちろん硝石や武器などの禁制品の出入は役人が監視はしていたがな。
「うむ、それは何よりだ。
明が本気になれば栗毛人共などひとたまりもあるまい」
「はい、本気で動けばマカオのポルトガル人が多少抵抗してもどうにもならぬでしょう」
本来ならばポルトガル人が倭寇に対してのマカオの防衛や負傷者の治療を名目に、マカオに居住することを黙認させたのが、1557年になり、そして1567年に明の海禁が緩和されたときにはポルトガルはちゃっかり交易の権利を手に入れ、その後にポルトガル人が正式にマカオへの居住を明政府から公認されたのが1573年だったが今回はそうは行かなかったようだ。
ざまあみろだな。
本来、洪武帝が海禁を行ったのは倭寇の取締のためだったが、貿易を全て禁じてしまったせいで、貿易を希求する者をすべて倭寇として扱ったため、むしろ倭寇が増えるだけだった。
明にもこうした認識を持つ識者は存在していて、沿海部を中心に海禁廃止を求める開洋論も唱えられていたが海禁継続派との論争は水掛け論に終わっていた。
海禁廃止派が貿易を認めることで密貿易を抑制しようとしたのに対し、海禁継続派は密貿易で利益を得ているものも加わっていたからだが、彼らにとって海禁は競争相手を排除し独占的な貿易を通じて巨利をもたらしてくれる政策だった。
しかし、朱紈の徹底的な取り締まりは彼等にも打撃を与えたので彼らは朱紈を失脚させ自殺へと追い込んだがその後は敢えて海禁を主張するものはいなくなった。
明は衰えているとは言え国が全力を上げて密貿易を取り締まったら根城がすべて潰されるのがわかったからだな。
そして琉球やマラッカの使者と一緒に明国皇帝に謁見を行ったことで日本だけでなくルソンやマラッカの状況も再び伝えられ、宣教師の手紙の内容に明の皇帝が激怒するのも当然ではあろう。
明のみならず中華思想では明から離れるほど下等な野蛮人扱いでも有ったのだ。
これでマカオ以外の中国沿岸の離島の密貿易を行ってるポルトガル人も一掃されればなお良しだな。
問題は奴らが朝鮮半島に逃げなきゃいいけどってことだが。
「ともかくよくやってくれた。
日ノ本の貢期はどうなったのだろうか?」
「はい、以前は10年に一度でしたが今回の働きにより3年に一度の朝貢を許していただきました」
「そうか、それは良いことであるな」
琉球は明に対して1年に1貢を許される特別な存在であったが李氏朝鮮は3年に一回。
日本は今まで倭寇の本拠地で東夷、要するに野蛮人が住む島として10年に一回しか許されなかったから明から見れば朝鮮よりずっと下に扱われていたわけで朝鮮は東華を自称していたわけだが、回数が同じになればとりあえずは扱いも同等なわけだ。
それだけ明にとっては倭寇の被害は無視できなかったのだろう。
日本の離島や九州沿岸が根城になっていたのは事実だが、日本人はそこまで関わってなかったというのにな。
それから李氏朝鮮より日本よりの朝貢を行うよう使節が対馬にやってきたそうだ。
李氏朝鮮は明以外の国や民族に対しては、自国は明の冊封体制において、明に最も近い上国として位置付けており、交易や政治関係において朝鮮国王への服従を要求する擬似朝貢体制を以前から取っていた。
ただしそのせいで李氏朝鮮は日本から使節の滞在費や輸送費を持つ必要が有るために余計な経費をかけなければならなかったから公貿易は面目はたっても実利は薄く、李氏朝鮮自身は公的貿易を望んでいたわけでもなかったはずなんだがメンツのほうが重要となったらしい。
本来であれば王直らの倭寇が朝鮮の南岸でも海賊行為を盛大に働いて達梁倭変として対馬の宗氏がこの機をとらえて海賊の取締りと情報を提供することによって後に丁巳約条をむすぶわけだが、ほんと王直はろくなことしないな。
「わが日ノ本と朝鮮は明皇帝の臣下として対等である。
故にそちらに朝貢を行う意思はないと伝えて追い返せ」
「かしこまりました」
現状李氏朝鮮の君主は明宗だが実質的な権力は外戚の尹元衡(ユンウォニョン)が握ってる。
どうやら彼は日本を東華である朝鮮と対等だと認めるつもりはないらしい。
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