第73話 うーむどうやら加治木銭は悪銭扱いらしい、そして毛利から人質が贈られてきたな
さて、撰銭法度を定めてしばらくしてから木下藤吉郎たちから話があると言われて俺は彼らと会って話を聞くことにした。
木下藤吉郎と木下藤次郎の兄弟はうまく刀を買い集めては、加藤のところなどに持ち込んで新たな鍬や鎌に打ち直させてはそれを売るということをさせているがなかなかうまくやってるようだ。
「御屋形様これをみていただけますか?」
そう言って藤吉郎から差し出されたのは銭の束。
よくみてみればほとんどが加治木銭や洪武銭だな。
「ふむ、加治木銭や洪武銭ばかりだな。
永楽銭や皇宋通宝を持ってるやつはいないのか?」
藤吉郎は首を横に振った。
「いえ、おそらく持ってると思います。
でも加治木銭は皇宋通宝や永楽銭ほどまだ信用がないみたいです」
俺は首を傾げた。
「洪武銭が人気がないのはわかるが島津がつくってる加治木銭もか?」
藤吉郎はなんでそんなこともわからないのかと言いたげだ。
「はい、だってこれ九州以外では使えませんから当たり前だと思います」
俺は苦笑する。
そういや今までは基本の取引は全部宋銭で行っていたんだよな。
「そうか、商人は山口や堺からも来るからな。
そういった連中から加治木銭で酒を買おうとしても商人には受け取ってもらえないってことか」
「そんな感じだと思います」
要は信長が破損銭や粗悪な堺の私鋳銭でも使わせて機内が悪銭まみれになったのと同じことか。
結局のところ今でも一番人気があるのは皇宋通宝で永楽銭も信用されつつはあるけど、加治木銭は畿内では使えないからと九州の中での取引では最優先に使われているが、逆に言えば他所では価値が無いから使わざるを得ないってことでもあるらしい。
「九州だけで通用させるならいいと思ったんだが、中国地方や畿内からも商人が来ることを考えると宋銭や永楽銭と同じ扱いじゃ駄目かね?」
藤吉郎は頷く。
「現状では駄目だと思いますよ」
「そうか、現状では駄目か」
これが銭の扱いの難しいところだ。
毛利や豊臣秀吉も銅銭や丁銀は作らせたけどその両替比率に関しては口出ししなかったらしいしな。
品質的には問題なく作らせたんだけどな。
新しすぎるのが良くないのか。
「洪武通宝と加治木銭は人気がないですから現状では4枚で宋銭や永楽銭1枚位がいいとこだと思います」
流石にそんな比率だとちょっと悲しい。
「そんなにか」
「そんなものです」
うーむ、そんな扱いを受けるのは結構ショックだが永楽銭も元はそんなもんだったんだよな。
相良の相良氏法度でも”悪銭之時之買地之事、十貫字大鳥四貫文にて可レ被レ請、黒銭十貫文之時者、可レ為二五貫一。”とされていて十貫文の鐚銭である大鳥銭に対して宋銭四貫文、同じく鐚銭である黒銭十貫文に対して宋銭五貫文とされてるらしい。
ちと撰銭法度の内容は変えないと駄目かね。
とは言え慶長11年(1606年)に徳川家康が鋳造させた慶長通宝(けいちょうつうほう)もろくに流通せずに終わってるのだよな。
その後に寛永13年(1636年)に江戸幕府が「寛永通宝」を発行してから、寛文10年(1670年)に江戸幕府が寛永通宝とその他の銭を混合して使うことを禁止し、天和2年(1682年)に江戸幕府が寛永通宝以外の銅銭の使用を禁止するまで50年近くかかってるし焦っても駄目だな。
「洪武通宝の交換比率は変えるが加治木銭は今のままでいく。
ただ悪質な私鋳銭を鋳造したものには厳罰が必要だな」
藤吉郎は頷く。
「はい、僕もそう思います」
で、いろいろ相談してみた結果変えたのがこれだ。
・・・
九州における銭や金銀に関しての交換比率を改めて定めるものとする。
金銀銅の交換比率は金1両は銀50匁で永楽銭1貫文とする。
8分(約24mm)の大きさと銅一匁の量目を持つ永楽銭及び加治木銭、皇宋通宝を始めとする北宋銭を基準の1文とする。
宣徳銭、開元通宝は2枚で1文とする。
洪武銭は4枚で1文とする。
皇朝十二銭、焼け銭、破損銭、堺銭、打平銭(模様・文字などがない加工銭)、南京銭(南京で出回っている質の悪い私鋳銭)、明らかに大きさや量目の違う永楽銭、加治木銭などの市場での使用は禁ずる。
ただしこれらは大宰府や各国府にて10枚で加治木銭1文と交換が可能なものとする。
永楽銭、加治木銭の私的な鋳造を行ったものは斬首とする。
・・・
とはいえ、権力者側で銭については完全に統制できるわけでもないし、困ったものだな。
それと毛利から人がやってきた。
小早川隆景と供の者に加えて赤子と女性を連れてきているな。
「お久しぶりでございます。
毛利備中守(隆元)の名代としてご挨拶に参りました小早川中務大輔(隆景)でございます」
「うむ、これは遠路はるばるよういらした。
後ろの女性と赤子を見るに毛利は我々に従うことにしたようですな」
小早川隆景がうなずきながら言った。
「はい、幸鶴丸様とその乳母に側仕えのものをお連れしました。
これにて毛利は島津の傘下に下りますとともに陶と戦い朝敵とされることから逃れることをお許し頂きたい」
やはり毛利は朝敵の汚名をきてまで島津と戦いたくはないらしい。
九州と西四国を押さえてる島津と陶と尼子に挟まれてる毛利では立場も違いすぎるしな。
「うむ、良いだろう。
現在陶から毛利が与えられている安芸、備後の国人領主達を取りまとめる権限は継続して容認しよう。
その代わり周防、長門、石見については島津のものとする」
一瞬微妙な表情だったが小早川隆景は頭を下げた。
「……かしこまりました。
安芸、備後については毛利の領地として安堵いただけるわけですね」
俺はうなずく。
「うむ、そういうことになるな。
また陶晴賢を打ち倒したあとは大内義隆の遺児である問田亀鶴丸殿を新たな大内における当主としたいが如何か」
小早川隆景が一瞬考えたあと頷いた。
「それはそのようにしたほうがむしろよろしいかと。
大内義長は人気がありませんからな」
俺はそれに頷く。
「うむ、では陶晴賢を打ち倒した後は幕府より毛利備中守への安芸、備後守護を認めてもらうようにとりなそう。
また朝廷への正式な官位をいただけるようにもしよう。
小早川水軍の押さえている街及び航路における関料の徴収権も認める。
こんなところでどうかな?」
「は、かしこまりてございます」
とりあえずは素直にまとまったか。
その後、書状を取り交わし正式に約束を取り交わした。
「ああ、それと、せっかく主従関係を結んだのだから、
余計なことはするなとそなたの父に伝えておいてくれるか。」
小早川隆景はビクリとしたあと頭を下げた。
「あ、は、はい、かしこまりてございます」
ここで話をめんどくさくしそうなのは彼の父親の毛利元就と吉川元春だろうが、毛利は外聞衆と呼ばれる諜報のエキスパート要は忍者を抱えている。
無論島津も山くぐりを抱えてるが、まだまだ現役の元就がどう動くかわからんし一応釘を差しておいたほうが良かろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます