第72話 正月には元服式を執り行うぞ、そして臼杵鑑速達が戻ってきたので明への使者を送ろう
さて、戦国時代の元服だが緊急的な場合はその限りではないが、本来的には正月1日より15日の間の正月の間の吉日を選び行う。
そして元服する者を冠者(かじゃ)、加冠にあたる者を烏帽子親(えぼしおや)と称するのだ。
加冠役(かかんやく)とか烏帽子親と呼ばれる烏帽子をかぶせる役は俺。
これはその後の主従関係にも関係する、具体的には烏帽子親は冠者の後見人となり偏諱を与えるのだな。
本来冠者と言うのは元服しても無位の公家などを呼ぶものだが、現在ではそういった者のほうが圧倒的に多いので特に蔑称だとは思われていない。
「島津の御屋形様に烏帽子親になっていただけるとは」
「まったくありがたいことです」
今回の元服式は宇佐八幡神社にて行われる。
そして元服式は元服を行うものだけでなくそれに関係する者が一同に参列するかなり規模の大きな儀式でもあるのだ。
本来島津の氏神は稲荷神社なのだが源氏の落胤という表向きの血統を大事にするためと、元服は戦神でないとなぁという理由で八幡神社で行うのだな。
まずは神さまをお招きする前に心身の罪穢(つみけがれ)を祓うために「修祓(しゅばつ)」をうける。
神職が祓詞(はらえことば)を秦上し、大麻(おおぬさ)(榊の枝に麻と紙垂を付けた祓の具)を振ってお祓いをする。
そして月代(さかやき)を剃り、「総角(そうかく)」という子どもの髪型から、「冠下髻(かんむりしたのもとどり)」という髪型に結い直し、袖止(そでとめ)(衣服の袖を短くつめること)を行い元服を宣言させる。
まずは家格の高い彦法師丸から元服を宣言させ烏帽子をかぶせ紐を顎の下でくくって止める。
「本日無事元服を終えました。
どうか私が皆様の末席に加わることをお許し頂きたい」
彦法師丸の宣言に俺はうなずく。
「うむ、本日より鍋島久茂と名乗り俺に仕えて働くが良い」
「ははー」
次に菊池義武の子供である菊池久成(鎮成)、相良晴広の嫡男である相良久陽(義陽)の烏帽子をかぶせ、そして弥三郎にも元服を宣言させ烏帽子をかぶせ紐を顎の下でくくって止める。
「本日無事元服を終えました。
どうか私が皆様の末席に加わることをお許し頂きたい」
弥三郎の宣言に俺はうなずく。
「うむ、本日より長宗我部久親と名乗り俺に仕えて働くが良い」
「ははー」
一緒に長宗我部国親の次男長宗我部久貞(吉良親貞)、なども無事に元服を終えることができた。
それぞれ教育係である傅役(もりやく)が当主や家臣として必要なことを彼らに教えていくのだろう。
鎧の付け方、馬の乗り方、様々な儀式の作法、戦争での指揮のとり方までありとあらゆることを教えるのが傅役で大変重要な役割だがこれはそれぞれの家中から出されるもので俺が指示するものではないのだ。
元服式が終わればあとは皆で宴会を行い、元服したばかりのものが公的に酒を呑むことが許され、その夜には子供の作り方を教える「添い臥し」の女性が夜に褥に侍り成人したものが子供の作り方を教わったりもするはずだ。
家を継ぐために子供の作り方を知るのはこの時代では大変重要なことであったから精神的性的不能になったりしないように配慮はされてるはずだが、それでも大内義隆や上杉謙信のような女嫌いのホモもいたりするんだよな。
正月も終わってしばらくしたところでまず伊集院忠蒼が琉球より戻ってきた。
「御屋形様、只今戻りました」
「うむ、使いご苦労であった。
して琉球王はどのように申しておったのだ?」
「はい、栗毛南蛮(ぽるとがるじん)の危険性を明に知らせることには賛意を示していました。
仲添を行うのは全く問題ないと行っています。
その際にはアチェ王国に逃れたマラッカ王国の者も同席してくれるとのことです」
「ほう、それは心強いな」
マラッカはもともと明の朝貢国として重要な地位を示していて最初にポルトガルが明と接触しようとしたときにもマラッカの証言がポルトガルの本性を暴かせたからな。
そして後に臼杵鑑速が畿内より策彦周良を伴って戻ってきた。
「ありがたいことに日本国国王として堺公方足利義冬殿の名をお借り出来ましたぞ」
「ふむ、となると彼は出家したわけか」
「はい、日本国准三宮道詮の宣下を受け皇族と同等の待遇を得ておられまする」
足利義満などが皇族ではない臣下であったうちは冊封を受けることができなかったが、出家して准三后(じゅさんごう)の宣下をうけたことで皇族待遇として日本国王を名乗れたから同じようにしたのだろう、当人が望んでやったことではないかもしれないが。
足利義冬は将軍には正式にはならなかったが朝廷から従五位下・左馬頭に叙任されており、次期将軍として約束されていたため将軍と同等の扱いをされていたし、彼の嫡子である足利義栄も京には入っていないが一応将軍となっている。
義藤と義昭の間に将軍がいたことはあんまり知られてないけどな。
「おお、それはありがたいな」
本来日本の権威の頂点は天皇家であって将軍ではない。
足利義満の時代では明に臣従するという形を取ることに公家や守護からは批判が多かったのだが、文明15年(1483年)に派遣された遣明船は大内政弘や甘露寺親長が仲介する形で朝廷も関与していて、貿易の収益の一部が朝廷に献上されているのだ。
朝廷も応仁の乱以降は困窮していたからなりふりかまっていられなくなったのだろう。
今回は三好長慶が阿波に匿っている足利義冬をつかって金印などは新たに作らせたのだろう。
大内義長は勘合貿易再開を求める使者を派遣しているが、明は義長を簒奪者と看做してこれを拒絶しているから大内・陶が貿易を再開できるわけではないのだがな。
結局日本と明の間において国交は正式には再開されなかったにせよ中国系商人は大量に来ていたのだが正式な国交を再開させるに越したことはない。
「では、策彦周良殿。
捕らえた王直らを連れて琉球から明に渡りバテレン共の手紙とともに書簡を届けてもらえるか?」
「は、おまかせください」
こうして策彦周良を琉球へ俺は送り出した。
琉球やマラッカの使者と一緒に明国皇帝に謁見が叶えば日本と明の関係も改善するだろう。
マカオなどのポルトガル人も一掃されればなお良しだな。
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