天文23年(1554年)

第70話 九州を統一して平和だったせいで正月評定をきっちりやらされたよ

 さて、今までの年末年始はぶっちゃけていうと割と適当に過ごしていた。


 あっちこっち行ったり来たりしている途中だったりしたことも多かったからな。


 一族衆で集まって宴会位はしてたけど格式張ったことは不要だったのだが……。


 しかし、今年はそういうわけにはいかなそうだ。


「正月であればきちんと配下の者を集めて家格身分に応じた挨拶をさせ、正月評定を執り行うべきですぞ」


 戸次鑑連の言葉に吉弘鑑理が重々しく頷く。


「うむ、そのとおりですな」


 俺は彼らに頷く。


「ふむ、ではそうしよう。

 細かな手配は任せて良いかな?」


 二人は頷く。


「我らにおまかせください」


「では頼んだぞ」


 今までの俺は高山国や南蛮へ向かったり、日の本へ戻る途中の船の上だったり、戦の最中だったり何だりしたことも有って、正月に儀式的集まりを行うどころではなかった。


なので、おそらくはお祖父様がやっていたはずなんだがまあ、そろそろ真面目にやらんと駄目だよな。


まったく、偉くなると面倒事も増えるものだ。


 さて、戦国時代は戦ばかりしているイメージが強いから、新年の挨拶なんてしてる暇があったのかと思うだろうが、戦国時代の武士たちも戦の最中などでなく余裕があればその後の江戸時代同様に登城し主君への挨拶を行っていたのだ。


 そして正月には古き年神から新しい年神に変わるため大晦日に家に来て年神は生まれ変わって、新たな魂を与えてくれるとされ、その新たな魂により新たな年を無事健やかに過ごすことができると言われており、新しい魂をもらえるのは家長だけであったので、その新しい魂を鏡餅や熨斗や刀など目に見える形にして家来や家族に分け与えたものが御歳魂(おとしだま)で、これがのちほどお年玉に変わっていくのだな。


 もちろん神様を迎えるにあたってその前の師走の間に大掃除である煤掃を行って、餅つきを行わせて餅を大量に用意し、新年に山から降りてくる年神様が迷わないようにとする目印であり、また家に迎え入れるための依り代である門松を置き、しめ飾りを飾って不浄なものが入らぬようにし、鏡餅を神棚に飾って歳神様が宿るのを待つ。


 あと門松というと竹は斜めに切られているイメージが強いだろうけど、この時代では竹ではなく松が飾られている場合もあるし、竹も斜めではなく平らに斬られていて一対ではなく一つである違いはある。


 斜めの切り口は「ソギ」と呼び、平に切られた切り口は「寸胴(ずんどう)」と呼ぶがもともとは武田が松平に対して送った”松枯れて竹たぐひなきあした哉”(松平が滅んで武田が栄える未来が見える)という歌に対しての返歌”松枯れで武田首なきあした哉”(松平が武田の首を落とす)と言いながら竹を切り落としたというエピソードが関係したらしい、そして門松の竹の上部を斜めに切り落とした松平家、後の徳川家が天下を取ると門松の竹の頭を斜めに切りおとすのが普通になっていったらしいな。


 もっとも松から竹に変わったのは松は千年、竹は万年を契るめでたいものとされたのと竹の栽培が広まりつつあったから松から竹に変わっていったという説もあるので何が正しいのかははっきりしないけど。


 そしてこれらは9は苦につながるということで28日までに終わらせるのである。


 武士はとても縁起をかつぐのだ。


 そして年が明けて最初に行うのは年神様への新年度一番に井戸から汲み上げた若水や榊のお供えと年神様への祝詞の奏上だ。


「明けましておめでとうございます」


 普通に新年になるとかわされるこの言葉は、実は年神様をお迎えするための祝詞だったといわれている、そして元旦は家族や親族で宴を開いて新年を祝うのだ。


「又四郎、又六郎、又七郎。

 今年もよろしく頼むぞ」


 又四郎忠平が頷く。


「うむ、南九州は俺に任せておけ」


 続いて又六郎歳久も頷く。


「ああ、西四国では本山が一条の一部の家臣と結託して反乱を起こそうとしておるが、きちんと鎮圧してやりますよ」


「うむ、頼むぞ」


 又七郎も元気に言った。


「俺も早く兄上の役に立てるようになってみせるぞ」


「ああ、又七郎には期待しておるぞ」


 俺たちの前に若水、割った御鏡餅、鯛や鱚、勝栗・昆布・打鮑などの載った御膳が並び、雑煮と酒が出る。


「今年は陶との決戦があるかもしれぬ。

 気を引き締めてゆこうぞ!」


「おう!」


 ちなみに俺達に嫁いできた奥方などは別の部屋で語らっているはずだ。


 さて二日目は九州や西四国の領国の地頭・国人、俺の直属の家臣などが新年の挨拶のため出仕をすることになる。


 挨拶は直轄地の小さな地頭などから始まってだんだん家格の高いものになっていく。


 要はこれは序列を正月早々定めているということでもあるな。


 そして銭などの献上品を受け取って三献の作法で盃を交わして改めての忠誠を誓わせ、俺が熨斗鮑を与えることで関係を深めるのだな。


「うむ、本年もよろしく頼むぞ」


「は、この身にかえましても」


 地頭などの挨拶が終われば九州各地における有力な国人たちから挨拶を受け、二日目はこれで終わり。


 三日目には九州探題副官の吉弘鑑理、征西大将軍副官の戸次鑑連、軍師の角隈石宗、俺の兄弟であり南九州将軍の又四郎忠平、西四国将軍の又六郎歳久、肥後守護の菊池義武、肥前守護の少弐冬尚、豊後守護の大友兼定、伊予守護の河野通宣、伊予守の西園寺実充、島津の執事である伊集院忠朗、島津の内政担当奉行の樺山善久、島津水軍の武将である比志島義基、雑賀衆の鈴木重意、大友水軍の佐伯惟教と若林鎮興、松浦水軍の松浦親などの島津に関わる中心メンバーが集った。


 彼らの世話をしている小姓なども来ている。


「先ずは無事に新年を迎えられたことめでたくおもう。

 本年も皆よろしく頼みたい」


「はっ」


「まず、本年中に明に対して使者を送り伴天連共や王直の企んでいた事を伝え可能ならば明との関係改善は図ろうと思う。

 朝廷に対しては今までと変わらず寄進を行うことで良い関係を維持してゆきたい」


 吉弘鑑理が頷く。


「そうですな、明との関係改善が捗れば利益も大きいでしょう。

 そして朝廷の持つ権威と言うのは案外馬鹿にできぬものです」


 伊集院忠朗も頷く。


「我らに否やはありませぬ」


 二人に対して頷いたあと俺は言葉を続ける。


「うむそれから朝鮮に関しては逆に無理に関係改善をこちらから頼む必要はない。

 ただし壱岐や対馬、唐津や博多へ攻撃を仕掛けてきたりする可能性もあるので水軍衆には万全の警備を行ってもらいたい。

 我らは李氏朝鮮の配下ではなく明の臣下として対等な関係であるということを明や琉球に示す必要があるしな」


 比志島義基が水軍を代表して答え、他の者たちも頭を下げた。


「は、かしこまりました」


「陶は討伐を行うのは勅命でもあるゆえ覆らぬ。

 幕府の権力をほぼ掌握している三好に対しては国境の治安を維持することで四国を安定させてほしい」


 河野通宣が頷く。


「そうですな、今の三好にたいして戦を仕掛けることに良い意味は見いだせません」


 又六郎歳久も頷く。


「うむ、俺もそう思うておる」


 俺はさらに続ける。


「長門の内藤や杉は調略にて味方にしたいと思うておる。

 毛利や尼子などについては状況によるがあちらが人質を差し出してくれば俺の下につくことを認めようと思う」


 戸次鑑連がいう。


「毛利はあまり信用せぬほうが良いかと私も思いますな」


 又四郎忠平が続ける。


「陶を討つとともに毛利も討ってしまえば良いのではないか?」


 俺は首を横に振る。


「安芸では毛利に従う国人も増えておる。

 そして陶と毛利を同時に敵にすることはできれば避けたい。

 陶と毛利が争っているところにつけ込むのであればよいがな」


 又四郎忠平が首を傾げた。


「そんなものかの」


 俺はうなずく。


「そんなものなのだ、長年大内と争っていた吉弘殿や戸次殿、角隈殿はどう思われるかな?」


「うむ、大内の杉や陶は侮れぬ相手であると思いますぞ」


 戸次鑑連がいうと吉弘鑑理もうなずく。


「周防・長門・安芸・備後の戦力を合わせれば陶と毛利の兵は侮れぬ数になりましょう。

 四国は三好と不戦同盟を結んでおりますから数で負けることはありませぬが数で優ればかならず勝つというものではございませぬ」


 角隈石宗も頷いた。


「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり、でございますな。

 戦に勝利する者は開戦前にまず勝利を得てから戦をしようとするが、負ける者は戦争を始めてから勝利を求めるものと言いまする。

 そのため、本当の名将はその智謀が人目につくこともないし、勇敢さを人から称賛されることもないのでございます」


 又四郎忠平が首を傾げる。


「なんだか馬鹿にされている気がするぞ?」


 俺はくくと笑う。


「俺ら島津は貧乏であったからな。

 であったが今は違う。

 では大まかな方針は決まった。

 あとは宴としようぞ」


 あとは三献の作法で盃を交わし、雑煮や節供(せちえ)の鯛や鱚、勝栗・昆布・打鮑・餅・豆腐・里芋汁・猪肉・鹿肉・おから・芋焼酎などの酒・黒豆・海老・大根・ふきやぜんまいのおひたしなどを皆で食って親睦を深めた。


 島津の重臣と大友の重臣や守護達はそれなりに仲良くできたのではないかな?。


 そしてできれば戦はムダに多い敵と戦わずに済めばそれに越したことはないのだ。


 又六郎歳久についてきた弥三郎こと後の長宗我部元親や、菊池義武についてきた甲斐親直、少弐冬尚についてきた彦法師丸ことのちの鍋島直茂などが節供をみて騒いておるな。


「うわー、すっげーなー」


 特に弥三郎が素直に驚いているのは土佐も貧しい国だからであろうな。

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