第66話 九州を統一したが焦らず先ずは肥前最大の火種である少弐と龍造寺について対処しよう
さて肥前や天草の勢力の臣従に成功したことで九州の島津による統一はなった。
基本的に俺に臣従したり降伏したものの土地などの既得権益はなるべくいじらずにいるが、港町などは直轄化している。
地侍や国人にとって一所懸命と言うほど土地は財産や自分たちに命をつなぐための重要な物であり、他の土地に移動したり減らされたりすることをとても嫌うのに対して、商人を武士たちはたいてい嫌ってるのでそちらに対しては抵抗はあまりないようだからな。
これは通行料や運上金などの収入を確保するためでもあるが、密輸や倭寇の活動の取締のためにも必要なことだ。
「しかし、九州・四国の国人が比較的朝廷の官位を重んじてくれるのも助かったな」
九州四国は関東などに比べて比較的朝廷の影響がまだ大きく残っている。
征西大将軍・大宰大弐・九州探題という称号を持ち、古くからの守護の家系で武力も持っている俺に敵対する国人地侍は伊東の支配下だったものを除けば割と少ない。
龍造寺はもともとは千葉の家臣でしかなかったが、千葉が衰退したあと筑前・肥前の守護として北九州に勢力を張った少弐氏の被官となった。
しかし、応仁の乱以降には少弐は大内に度々敗れて勢力を縮小し、享禄3年(1530年)、水ケ江城主である龍造寺家兼が田手畷の戦いで周防の大内氏を破ってからは龍造寺氏の少弐氏からの自立が進んで、天文四年(1535年)少弐資元が自害に追い込まれたがこの時龍造寺家兼(りゅうぞうじいえかね)は軍を動かさず少弐資元を見殺しにしたとみられた。
そして天文5年(1536年)に大内義隆が大宰大弐に転任する。
資元の息子である少弐冬尚(しょうにふゆひさ)は、その後、龍造寺家兼らの支援を受けて、少弐氏を再興するが少弐冬尚にはほぼ実権はなく弱体化しきった少弐家を龍造寺は事実上乗っ取った。
しかし、主家をないがしろする龍造寺家に対して、他の家臣団は当然憤慨した。
そのなかの馬場頼周(ばばよりちか)が少弐冬尚の命令と称して天文14年(1545年)に家兼の長男の龍造寺家純(りゅうぞうじいえすみ)、家純の長男の周家(ちかいえ)、家純の三男の頼純(よりすみ)など、龍造寺家兼の二人の息子と四人の孫が悉く誅殺されたが龍造寺家兼は筑後蒲池鑑盛のもとに逃げ延びた。
実際には、冬尚の命令ではなく馬場頼周やそれに与する家臣団が龍造寺を排除するために動いたに過ぎず少弐冬尚は、龍造寺と馬場に担ぎ上げられた傀儡も同然となっていたわけだが。
そしてこれは九州では守護とその家臣による下克上の数少ない例でもあるのだな。
そして天文15年(1546年)、筑後の蒲池鑑盛の元に逃れた龍造寺家兼が挙兵し、千葉の支援を受けた龍造寺は馬場頼周を討ち取ってその一年後に家兼は高齢と病のために死去した。
彼のひ孫である、後の龍造寺隆信である円月(えんげつ)は還俗して胤信(たねのぶ)を名乗り、分家である水ヶ江龍造寺氏の家督を継ぐ。
その後、龍造寺本家の当主・龍造寺胤栄(りゅうぞうじたねみつ)に従い、天文16年(1547年)には龍造寺胤栄の命令で主筋に当たる少弐冬尚を攻め、勢福寺城から追放したが、天文17年(1548年)、胤栄が亡くなったため、胤信はその未亡人を娶り、本家の家督を継承した。
しかし、それにより不満を持つ家臣らと対立し、胤信は太宰大弐であるからという理由をつけて少弐ではなく大内義隆と手を結び、名を改めた隆信は大内氏の力を背景に家臣らの不満を抑え込んだのだが天文20年(1551年)の大寧寺の変で大内義隆が自害すると、少弐冬尚は大友氏と結んで龍造寺隆信討伐の軍を起こし、龍造寺隆信は降伏勧告を受け入れて肥前から筑後へから落ちていった。
隆信を肥前国内から追放した冬尚は、龍造寺鑑兼(りゅうぞうじあきかね)を龍造寺家の当主に据え、土橋栄益を家宰とし、神代勝利・高木鑑房らに佐嘉城を守らせた。
そして天文22年(1553年)に龍造寺隆信は蒲池鑑盛の援助の下に挙兵して自分を肥前から追放した家臣団に勝利し、肥前の奪還を果たしたところだな。
ようするに少弐冬尚は龍造寺を父の仇と思ってるし、龍造寺隆信も少弐冬尚を祖父や父の仇と思っている上に領地が接しているのだからほおって置けば戦になるのは間違いがない。
そして少弐が滅び龍造寺隆信が大友の兵を撃退したことで肥前は大友の支配下からはなれていったのだな。
「一番いいのは少弐を大宰府に戻して領地を接触させないことなんだろうけどな」
とは言え少弐冬尚は喜ぶだろうが博多から引き離されて肥前に移動させられるものは当然それをよく思わないだろう。
しかも立花・筑紫・秋月など無理やりやらせたら反乱を起こしそうなメンツばかりだ。
「さてどうしたものかな……」
島津も伊東とは徹底的にやりあうことになったしな……恨みというのはそう簡単に忘れることができるものではない。
「少弐と元はその家臣だった者の領地を一緒にさせるか」
問題は少弐を担ぐことで領地が得られる代わりに龍造寺に攻撃されるかもしれないリスクをかって出るやつがいるかどうかだが。
俺は少弐冬尚、秋月文種と原田隆種を呼び出して話をしてみた。
「少弐冬尚殿には肥前から筑前に戻ってもらいたいと思っている。
そこで秋月殿か原田殿のいずれかに少弐冬尚殿を主君として迎えていただきたいのだがどうだろうか?」
原田隆種は静かに言う。
「申し訳ございませんがお断りします」
それに対し秋月文種が言う。
「ならば我が秋月におまかせいただきたい」
「うむ、では少弐冬尚殿はいかがかな?」
少弐冬尚も頷いた。
「あいわかりもうした。
秋月殿よろしく頼み申す」
俺は笑っていう。
「うむ、これで少弐家は安泰ですかな」
そして少弐冬尚殿には秋月の本拠地である古処山城(こしょさんじょう)にはいってもらった。
現状少弐の権威は地に落ちているがその名前による威光はまだまだ強い。
少弐冬尚が討たれたのち大友宗麟は龍造寺隆信追討の檄をとばしたが有馬・波多・大村・多久・西郷・平井ら肥前の諸領主が応じていることからも少弐が生きている方が肥前の国人たちはまとまりやすいだろう。
秋月は少弐の威光を掲げることができ、少弐は秋月という武力を手に入れられれば安全性は高まるかなと思う。
少弐と敵対的な西千葉や龍造寺が余計なことをするようなら、彼等は討ち滅ぼすしかあるまいがな。
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