天文22年(1553年)
第58話 内政に励みつつ丹生島城攻略戦の準備をしよう
さて年が明けて天文22年(1553年)になった。
俺は支配地域の主要な港を直轄にしてそこから通行料や運上金などを取ることで稼ぐとともに、北九州から売られてきた者などを使って、薩摩大隅の菱刈鉱山・大口鉱山・串木野鉱山・山ケ野鉱山などで金銀銅鉛水銀などや錫山鉱山で錫などの採掘を行わせている。
土佐でも白滝鉱山の金・銀・銅・硫化鉄、伊予では別子銅山の黄銅鉱・鉄、佐々連鉱山の金・銀・銅・鉛などを直轄地として管理しつつ掘らせるようにしている。
もちろん土佐や伊予のものに関しては採掘した鉱石の権利は独り占めではなく一条や西園寺、河野などに一部納めている。
そしてそういった金属の精製のための燃料にと木々が切り倒された山には植林を行って禿山にならぬようにし、土佐では茶や蜜柑、砂糖黍、四国稗、麦や蕎麦など土佐の環境に似合った農作物をなるべく作つけするように一条へは伝えている。
更には主に薩摩のシラス台地で飼育している家畜たちの糞を使った硝石づくりも順調だ。
「ふむ、その方の言うようにいたすようには伝えておこうぞ」
と一条兼定には言われてるがどこまでやってくれるかはわからん。
水軍用の軍船も新たな造船を行わせ最新の船には船底から甲板までを銅板で覆うようにさせた。
喫水以下はフナクイムシ対策、それより上は火矢や焙烙玉への対策だ。
大友にも鉄砲火薬が渡ってるとならば今後は焙烙玉を使われる可能性はあるからな。
また俺達四兄弟の京の公家との婚姻、俺と近衛、島津又四郎忠平と九条、又六郎歳久と一条の婚礼の儀はつつがなく執り行われ、四男又七郎についてはまだ元服前ということで婚約の儀式が行われた。
その際に久しぶりに集まった俺達四人は連れ立って、鹿児島吉野にて馬追を行った。
そして馬追が終わり、当歳駒を一緒に見ていたとき、歳久が言ったのだ。
「こうして様々な馬を見ておりますと、馬の毛色は大体が母馬に似ております。
やはり人間も同じなのでしょうね」
それを聞いて末弟である又七郎がしゅんとする。
俺たち兄弟は上の三人は入来院重総娘だが又七郎は本田親康娘で母の身分が低かったのだな。
それに対して俺は言う。
「いやたしかに子は母に似ることもあるだろうが、だからといって一概にそうとも言い切れないであろう。
父馬に似る馬もあるし、人間も同じようなものであろう。
とは言っても、人間は獣ではないのだから、心の徳というものがある。
学問をして徳を磨き、兵部に励めば、不肖の父母よりも勝れ、また徳を疎かにすれば、父母に劣る人間となるだろう」
俺がそういったことで家久は顔を輝かせた。
「ありがとうございます兄上!」
そしてその後の又七郎は昼夜学問と武芸に励み、無為に日々を過ごすことはなくなったのだ。
そしてその後の話だが俺は近衛家の娘さんと対面している。
「これからよろしく頼みますぞ」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
彼女は近衛家の近衞稙家の娘で本来ならば朝倉義景に嫁ぐはずだった娘さんだが、将来性では俺のほうが上だとは思う。
しかし京の苦しい経済事情を繁栄しているのかいまいち発育不足っぽいな。
「うむ薩摩ではたんと飯を喰われよ。
そして女性は少し太ったくらいのほうが良いですぞ」
「……」
俺の言葉に微妙な表情の彼女だったがなんか悪いこと言ったかな?
現状では朝倉は朝倉義景の従曾祖父の戦国チート爺の一人である朝倉宗滴が朝倉義景の後見人として政務をみているとか、正室に管領であった細川晴元の娘を迎えたことにより、室町幕府と朝倉は大変親密な関係を構築していると言うことも有って公家なども結構下向しており越前はかなり華やかな場所ではあるのだけどな。
そして、又六郎歳久と一条兼冬の娘の婚姻は土佐一条家への婿入りという形として行われ、歳久は一条の当主として土佐に赴くことになった。
代わりに一条兼定が土居宗珊などを伴って薩摩にやってきた。
「そちらの弟殿が土佐に来るとして私はどうなるのだ?」
一条兼定がそう聞いてきたところで俺は答える。
「あなたは大友義鑑の孫に当たる方でございますので、豊後の大友家当主として、キリスト教の傀儡となった大友義鎮に対して寺社の保護を訴えていただき、豊後の平定に協力いただきたくございます。
無論平定後にはそのまま府内にとどまっていただけたらばと思っております」
「なんと、土佐に比べれば豊後は豊かな場所と聞くが本当に良いのかね?」
「はい、場合によっては大宰権帥(だざいごんのそち)の地位についていただくこともあるかと」
「なんと私が大宰権帥か。
うむ、では私は今日より大友を名乗るとしよう」
「では、早速ですが豊後や筑後の反キリスト教国人と思われる者への文の作成をお願い致します」
「うむ、私にまかせよ」
ちなみに大宰権帥はこの時代における実質上大宰府のトップの役人の地位だ。
大宰府は九州全体を管轄する省庁で常盤井宮恒直親王(ときわいのみやつねなおしんのう)が去年まで名目上は大宰帥としての地位についていたはずだが、すでに亡くなられており常盤井宮家が断絶後はどうなっているのか不明だが今のところ誰も任命されていないように思う。
「どこかの宮家なり親王様なりに献金せねばおそらく任命できんのであろうなぁ、銭がなくて」
大宰帥は、親王任国と同様、親王が補任するのが慣例で親王帥を「帥宮(そちのみや)」と呼ぶ。
親王帥は在京のままで府務を行わず、実際の長官には、臣下から次官の大宰権帥・大弐が派遣されて執務を取ることになったわけだが親王任国と違って臣下の大宰帥が補任されることもあった。
のだが朝廷の財政難も有ってその任命は途絶えがちであったりもする。
実質的な運営は行われていないも同然だし実権は大宰少弐に与えられてるからな。
もっともその大宰少弐の家系である少弐家も滅亡寸前だが。
「はい、必要な資金などは島津が用意しますゆえ」
「うむ、頼んだぞ」
上機嫌に応える一条兼定だが、こうやって素直に担がれてくれるとありがたいものだ。
とは言え貧しい土佐より豊かな豊後の方が貴族にとっても良い土地なのであろう。
一方の一条歳久となった弟に俺は土佐・伊予の統率を任せることになる。
「お前なら上手くやってくれると思うが四国の安定はお前にかかってる。
四国辺路の修験者をうまく使い四国各地における情報収集を上手く行ってくれ。
本山茂宗などが勝手なことを行うのであれば討っても構わぬ」
「かしこまりました、上手くやってみせますよ」
「うむ頼んだぞ」
これにて土佐一条と四国西部の兵権の乗っ取りに成功したわけだ。
本山茂宗が一条の領地なり長宗我部や香宗我部なりに攻撃を仕掛けて領地を奪おうとしたらば痛い目にあってもらおう。
こうして内政統治に心を砕きながら大友義鎮の立てこもる丹生島城攻略戦の準備も着々と進行中だ。
豊後の一萬田鑑相や高橋鑑種、奈多鑑基、田原親宏といった者たちには大友兼定より文を出させてこちらの侵攻の際に大友兼定の支持を取り付けてある。
豊前や筑前の筑紫惟門や秋月文種・宗像氏貞・原田隆種などには俺が文を出し島津への協力を取り付けたが、やはり大内の配下として戦っていた彼等は長年いがみ合い戦いを繰り返した大内が大友に事実上乗っ取られたことを快く思っていない。
島津と長年敵対した伊東の配下の国人衆が島津には従わなかったように長年の争いの恨みというのはそうそう消えるものではないからな。
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