第57話 四国はとりあえずおいておいて九州をまとめねばな、この頃の王直の活動について

 さて土佐と伊予はとりあえず島津の支配下に入った。


 もともと土佐の国人衆は土佐守護代の細川遠州家か、土佐一条の下にいたのだが、1507年に永正の錯乱が起こり室町幕府管領細川政元が暗殺されると細川は土佐を手放したので、その後は国人衆が小競り合いを続けていたから当然そういった争いが集中的に起こっている場所の耕作地は放棄されて荒れ果てている。


 だから戦をやめさせて土地の境界を定め、荒れた土地を再開発させれば石高も10万石くらいは増えて20万石くらいにはなるはずなのだ。


 伊予も本来は河野が守護だから宇都宮はその下で動くべき存在だったんだが、河野が落ちぶれ過ぎだから独立して動いたわけだな。


 もっとも伊予は土佐ほどは荒れていないが戦をやめさせて土地の境界を定めやはり耕作放棄地を再開発させれば5万石くらいは増えて40万石くらいには成るはずだから、それで領民の食い扶持を増やすように国人領主たちには厳命しておく。


 もちろん他者に開墾させておいて他国の領土を切り取ろうなどと考えれば伊東のようになると明言しておいた。


 四国の諸勢力が島津に従ったのは島津が鎌倉からの伝統ある守護の家系であること、征西大将軍という逆らうものを討伐するための名目を持っていること、伊東を滅ぼし大友に大打撃を与えるという武名が響いてること、これらが重なった結果でもある。


 毛利は強大な国力を持つに至ったが宇都宮などはたかが国人風情がと思ってその下につくことを拒否したのだろうな、島津も農民上がりになど従えるかと豊臣の下につくことは拒否したしな。


 源平藤橘がもてはやされているように戦国の世とは言え生まれの家の権威や格式というのはまだまだ強い影響を持っているのだ。


 とは言え俺は従ったものに命令はできるが、そのものが持つ土地などに直接の干渉は基本的にはできない。


 封建制というのはそういうものであって、家臣の領地には細かくは干渉できないし領主の家臣に直接命令を下すようなこともできない。


 だから土地争いなどが起きた場合は面倒なことに成るのだが。


「さて、薩摩に帰るとするか」


 一条と西園寺が下船して残るは近衛前久と九条稙通に町資将と京から連れてきた若い貧乏公家たちだ。


「うむ、いよいよであるな」


「中村や宇和もそれなりに栄えておったが薩摩はいかほどのものかのう」


 ああ、そんなに期待されてもちと困るんだが。


 そして船は坊津に到着した。


「おお、これは堺にも勝るとも劣らぬ賑わいではないか」


「うむ、素晴らしきものよな」


 他の公家たちも坊津の活気に当てられた表情は明るい。


「今や坊津は日の本最大の港であると自負しておりますよ」


「うむ、そうかも知れぬのう」


「まこと素晴らしいものだ」


 二人は笑っているがこれはむしろ京の都が衰退しすぎてるってことだとも思うんだがな。


 現在の坊津は琉球や高山国、明、アユタヤなどの南方との貿易とともに土佐や雑賀などの日の本の交易の拠点でもあるからな、そっから先には今のところいっていないが。


 薩摩は川内(せんだい)や鹿児島(かごしま)の港もそこそこ賑わってきておるからこの2つに加え、大隅の小禰寝港(こねじめみなと)や山川港(やまかわみなと)、日向の美美津港(みみつみなと)や細島港(ほそじまみなと)などに加え土佐の中村港(なかむらみなと)や浦戸港(うらどみなと)伊予の日振浦(ひぶりうら)、法華津(ほけつ)、二間津港(ふたまつみなと)なども島津の直轄地として押さえさせてもらい、立ち寄る船からは関銭つまり通行料を取り、商人からは運上金あるいは冥加金を納めさせている。


 無論四国の港に関しては一条や西園寺もしくは河野にそれを一部納めてはいるがね。


 もちろん坊津と南方や明との島津による直接的な貿易も行ってるが、鳥原宗安(とりはらむねやす)のような坊津の豪商に朱印を与えての交易の許可を与えてその上がりを一部冥加金として上前をはねることもしている。


 全部自分でやろうとするよりはそのほうが楽だしな。


 その代わり島津は彼等に対して坊津での商売や近海での航海の安全を約束しているわけだ。


 鎌倉時代の北条氏は実は全国の主要な港を北条氏の直轄領とすることで、北条氏の権益を強化していたし、織田信長が堺を押さえてそこから矢銭を出させたのは有名だが農地ではなく港町や門前町を押さえるのは重要な事なのだ。


 俺達は更に鹿児島へ向かい清水城へ向かう。


 上洛前に建築を開始していた内城……防衛用の拠点というよりは居住や政務のための大きな館に近い建物や問注所、侍所、火消所、施薬院、療病院、悲田院などの建物もできておるようだ。


「ふむ、では近衛殿、九条殿。

 侍所や問注所、火消所、施薬院、療病院、悲田院などの施設の副頭と成るものなどの選抜は任せますぞ。

 それぞれの役所の頭は当面は俺ですが、完全に任せるにふさわしいと思えるものであればいつでも頭の役職は渡しましょうぞ」


 二人は頷く。


「うむ、近衛家に任せておきたまえ」


「いやいや九条家こそ頭になるのにふさわしいですぞ」


「なんだと」


「なんですかな」


 睨み合う二人、まあ競争原理は正しく働く分には組織の活性化に役に立つからな。


「無論、賄賂や色仕掛けなどは無駄ですぞ。

 女性には女性にふさわしい仕事をお願いします」


 各建物にはそこで働くもののための官舎や付帯の施設も整っているようだ。


 貧乏官司であれば個室あり食堂での食事あり、月給保証であれば十分だと思うがどうかな。


「これは助かりますな」


「これで家への仕送りもできますな」


 うん、やはり彼等の表情は明るい。


 近衛と九条にはそれなりに大きな屋敷をあてがっておいた。


 俺は内城に向かう。


 そして俺は城主の部屋に戻る。


「ふむ、真新しい城というのも悪くないものだ。

 お祖父様と伊集院忠蒼、樺山善久、比志島義基を呼んでくれ」


 俺は控えていた小姓にそう告げる。


「は、かしこまりました」


 やがてお祖父様と伊集院忠蒼、樺山善久、比志島義基が部屋に入ってきた。


「お祖父様、伊集院忠蒼、樺山善久、比志島義基。

 いま京より戻りましたぞ。

 そして俺がいない間に起こったことを詳しく説明していただけますか。

 それと樺山善久、中村伊右衛門はどうだ?」


 樺山善久は笑顔で応える。


「はい、あの者はかなりの切れ者です。

 良い拾い物であったと思いますよ」


 俺はうなずく。


「うむ、では小者頭に引き上げてやるとしようか」


「は、それもよいかと」


 うむ伊右衛門に関してはやはり順調なようだな。


 そしてお祖父様が頷く。


「うむ、ある程度は聞いておるとは思うが……」


 日向に関しては伊東残党の蜂起などの反乱はほぼ鎮圧でき、薩摩・大隅・日向・肥後においての街道整備や橋建築に銭と飯を出しての民衆の賦役を行うことで薩摩や大隅からの北九州方面への補給線の構築と民衆への慰撫を兼ねた行動は上手く行っているようだ。


 島津宗家の直轄領は薩摩半島に滅ぼした元祁答院氏の領地、日向の北部の土持や南部の薩摩の分家である豊州島津、北郷や肝付の分家である北原といった国人の土地をのぞいた中央部だがようやく日向中央部も兵や米の徴収を可能な状態になりつつあるようだ。


 肥後についてもまあまあ上手く行っているらしい。


「なるほど、日向と肥後の足場固めは順調なようですな」


 お祖父様は頷く。


「うむ、田植えと刈り取りの時期以外は割と暇なものも多いしな。

 本来税である無料での労役に米と銭をつぎ込むのは無駄というものもおったが民衆を手なずけるには良い手段であるしそれによって送り込んだ地頭たちも村の管理がやりやすくなっておる」


 俺はうなずく。


「搾り取るだけではやる気も起きませぬゆえ。

 農民をやる気を持って働かせるには報奨をだすに限ります。

 それで作業が早く進み民の不満も出なくなるのであれば安いものです」


「まったくだな、しかし問題もある」


「問題ですか?」


「うむ、どうやら松浦がキリスト教の宣教師を平戸に引き込んだようなのだ。

 そして豊後の大友もそれを迎えたようだ」


「なんですと!?」


 どうやら王直が倭寇の船に潜ませて平戸へキリスト教宣教師を引き込んで更に豊後へもキリスト教は触手を伸ばしたらしいな。


「ち、王直めが鉄砲を日の本に持ち込んできたのは硝石や鉛を売って儲けるためであるとは思ったがポルトガルの犬になったか」


 今年は嘉靖大倭寇(かせいのだいわこう)と呼ばれる倭寇の中国南部沿岸に対しての大規模襲撃が行われているはずだが、倭寇と言っても8割は明出身の中国人で日本人はほんの少ししか混ざっていない。


 王直について説明するならばまずは1540年代年に密貿易で投獄されていた李光頭や許棟などが脱獄してマラッカやパタニに渡り、王直は1544年に許棟の配下に入ったが、許棟らはポルトガル人らを六横島に招き寄せて、その中の街の双嶼(リャンポー)は密貿易港として発展し、ポルトガル人も定住して医院やカソリック教会まで建築された。


 当時の六横島の人口は3000人ほどだがポルトガル人は1200名と半数近くまで達していたらしい。


 そして許棟の部下として「金庫番」の役目を与えられるほどに信頼されていた王直だが寧波の乱によって正式な貿易ができなくなった日本の商人とも接触して日本とも密貿易を行っていた。


 1543年に種子島を経由して明へ向かった細川が派遣した日本の遣明使節に王直は行動を共にして日本に渡航したらしい。


 そして、大内氏の保護下にある博多は細川氏の堺よりも優位となっていたから王直は博多商人に接近したわけだ。


 で、王直らは石見銀山の銀を目当てに密貿易を開始する。


 生糸や絹織物が馬鹿みたいに高く売れるわけだから王直も大出世だ。


 しかし、1548年、密貿易を取り締まった朱紈らが双嶼を攻撃すると、街は徹底的に破壊され、首領格は捕まったりアユタヤに逃れて王直が海賊集団の頭となった。


 しかし、朱紈は密貿易で利益を上げていた沿海の富裕層とそれに結びついていた沿海出身の中央官僚たちを敵に回してしまい朱紈は「たとえ天子が私を殺そうとされずとも、福建・浙江の人は必ず私を殺すだろう」と慷慨して毒薬をあおって自殺してしまった。


 そしてそれまでは下っ端の王直が倭寇の大親分になったわけだ。


 1552年までには王直は官軍の依頼で海賊を討伐する代わりに密貿易を黙認される立場となっていて五島・平戸・博多などで生糸を売りさばいて多量の銀を手に入れていた。


 そして1552年の嘉靖大倭寇が起こるわけだがこの集団には双嶼から逃げ出したポルトガル人も混じっている。


 それとは別のポルトガル人達は広州の近辺に上陸して居座っており、海賊討伐に協力し、無料で傷病者の手当なども行ったことから「居住権」を強引に手に入れて史実においては1557年にはマカオに正式に居住することを許可されポルトガルの中国大陸の拠点であるマ力オを手に入れたのだ。


 ま、その前から違法に占拠して居住はしていたわけだがな。


 ひどいマッチポンプみたいだが後にイギリスやアメリカもやってることは変わらん。


 1552年の嘉靖大倭寇によって王直討つべしという意見が強く主張されるようになり、王直の拠点である烈港を攻撃して王直らを討つことが明では既にほぼ決定事項になっている。


 そしてこの後王直はお尋ね者となり、最終的には官位をちらつかせた明の誘降に乗って捕えられて処刑された。


 俺には日本への交易ルートや宣教師の活動拠点などを獲得できたポルトガル人が用済みと王直を捨てたようにも見えるけどな。


「すぐに松浦や大友を滅ぼし宣教師共も皆殺しにしたいのは山々ですがまだ直ぐは動けませぬな。

 とは言え大友攻めの準備をしつつ離反しそうなものなどを調略しましょう」


「うむ、それが良いであろう」


「後、施薬院などは無料にせなばなりますまいな。

 豊後ではおそらくそうされているはず」


「ふむ、病を無料で治すのか」


「最終的には民に感謝され労働や兵役に使えるものが増えるとは思いますが」


 豊後では一萬田鑑相(いちまだあきすけ)や同族の高橋鑑種(たかはしあきたね)、奈多鑑基(なだ あきもと)、田原親宏(たわらちかひろ)、豊前・筑前などでは筑紫惟門(つくしこれかど)、秋月文種(あきづきふみたね)、宗像氏貞(むなかたうじさだ)、原田隆種(はらだたかたね)など離反しそうなものは多い。


 そして、後日坊津に人を売りに来たジャンク船の人買いの場に俺は伊右衛門を連れて立ち会っていた。


「ふむ、乱取りで捕らえた農民だけではなく坊主や神官も含まれておるようだな」


 伊右衛門が頷く。


「そのようですね、一体どうなっているのでしょう}


 坊主は臨済宗である万寿寺(まんじゅじ)の僧であったり住吉大明神の神官であったり、西国修験道の一大拠点である英彦山神宮(ひこさんじんぐう)の修験者だったりと様々だがどうやら大友は本格的に寺社仏閣霊山の破壊を行って、殺したり捕らえては売っているらしい。


「栗毛人共に踊らされて、寺社を焼くとはな。

 貿易の利益や武器の提供よりも家臣の不和を招く害のほうが大きいだろうに」


 この頃から俺はポルトガルやスペインの人間を南蛮人ではなく栗毛人と呼ぶようにしていた。


 一般には分ける意味はなかろうが、ポルトガル人やスペイン人と東南アジアの現地人やイスラームやプロテスタントと一緒にしたくはないからな。


 伊右衛門が頷く。


「俺もそう思います」


 伊右衛門が首を傾げてるが追い詰められた者とは突飛な行動をすることも多いよな。


 俺は丹生島城の攻略を進めるためにジャンク船へ載せる大砲をカノン砲から長射程なカルバリン砲へ載せ替えて、砲撃訓練を行わせつつ臼杵を陸上からも制圧するための備えの再編成を行うよう弟に伝えたのだった。


「来年の田植えが終わるまでには出陣の準備を整えねばな」


 その頃には大友の家臣に対する再調略も終わるだろう。

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