第56話 土佐に続いて伊予の豪族を支配下に組み込もう

 さて、土佐の国人は俺の征西大将軍の称号を名目に、実質は土佐一条と島津の国力をあわせたものと国人たちの国力差とか権威とか官位を餌にとか色々やった結果で実質的に島津に従うことになった。


 そしてその後、俺は小京都ともよばれる土佐中村へ立ち寄って一条兼定と一条房通をおろした。


「うむ、ではこれからもよろしく頼むぞ」


「は、おまかせください」


 とりあえず土佐一条を適当に頭に立てつつ土佐の実効支配そのものはできたから良しとしよう。


 島津が直接支配しようとすればもう少し反発されたろうが、土佐では一条は別格の扱いなのだ。


 しかし、土佐は特に貧しい土地だがこれは川の少なさによってコメを作るのに適した土地が殆ど無いのと、長い内乱のせい。


 なので、耕作放棄地には早めに薩摩芋なり茶なり蜜柑なりを栽培させて食えるようにせなばな。


 栽培は麦や四国稗でもいいのだが美味しく食べれるようにせねばならん。


「次は伊予ですな」


 西園寺実充の言葉に俺はうなずく。


「ええ、しかし、土佐の国人と違い宇都宮や河野は武家の名家ではありますが、宇都宮も河野も衰退しておりますからなんとかなるのではないかと」


 宇都宮氏は藤原氏もしくは中原氏や毛野氏の後裔とされているが、下野国一之宮名神大社であった宇都宮二荒山神社座主および日光山別当職等を務めた名家だ。


 鎌倉時代は奥州藤原氏討伐や元寇の際に活躍し、鎌倉幕府の引付衆に任じられた幕府の主戦力の一つであった。


 鎌倉時代末期に河内国で楠木正成らが挙兵した時に、第9代の宇都宮公綱(うつのみ きんつな)は官軍側の名将・楠木正成と戦っても勝敗はつかずして引き分けたほどの実績をもつが六波羅探題滅亡後、後醍醐天皇の綸旨を受け、官軍側に降伏し、その後も南朝側として活躍した。


 伊予宇都宮氏はその先祖の宇都宮豊房(うつのみやとよふさ)が伊予守護に任じられて戦国時代まで続いてきたが特にパッとしないし、史実では現当主宇都宮豊綱(うつのみやとよつな)の代で毛利と組んだ河野との戦いで滅亡する。


 一方の河野氏は、伊予国の古い有力豪族でニギハヤヒ命の後裔である越智氏から出ているとされる。


 実際のところその真偽は定かではないが、かなり古くから伊予の河野郷に根差した土着の豪族であったことは間違いない。


 平安時代の末期は、平清盛率いる平家の支配下に有ったが、東国の源氏の蜂起や九州の菊池氏による鎮西反乱などと呼応して、河野通清(こうのみちきよ)が反平氏の兵を挙げ、平維盛の目代を追放し一時伊予を支配圏に置いたが平家の討伐軍により敗死。


 だが、その子供である河野通信(こうのみちのぶが)は討伐軍を追い払った後、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで軍船を率いて源氏方に加わって活躍し、鎌倉幕府の御家人となるのだが承久の乱に際して、後鳥羽上皇に与した通信やその子供の通政(みちまさ)と幕府方に属した河野通久(こうのみちひさ)との二家に分かれて争って、上皇側が敗北すると戦死や処刑、配流などで一族は人数を大きく減じて所領の殆どを失った。


 その後鎌倉幕府が滅びる際に河野通盛(こうのみちもり)は最後まで幕府に従ったために後醍醐天皇の建武政権は幕府方であった通盛の所領を没収して同じ河野一族の得能通綱を河野氏惣領とし、同じく一族の土居通増が重用された。


 しかしその後足利尊氏が離反した際に河野通盛は足利方に属したが、得能氏・土居氏は新田義貞と行動を共にし、一族が二派に分かれることになって河野通盛は復権する。


 その後は細川と東伊予で対立しながら伊予守護職は河野氏が継承していくことになったのだが宗家と分家の予州家のバックに細川と大内をそれぞれ付けた内乱などもあり現当主である河野通宣(こうのみちのぶ)は家督を継承後、家臣の謀反や大内・大友・土佐一条などの侵攻を受け、宇都宮豊綱とも対立し、領内はまさに危機的状態にあった。


 最も大内・大友は今はそれどころではないし、一条は西園寺と組んでいるから現状では土佐の安定が優先だが。


 先ずは宇都宮に文を出して西園寺のもとへ来てもらう。


 そしてやってきた宇都宮豊綱へ西園寺実充がいう。


「宇都宮豊綱どのよく来てくれた。

 私は土佐の一条とともにここにいる島津義久の保護下にはいることにした。

 名目上は私が伊予守で彼が伊予権守兼伊予守護だがね。

 そして彼は鎮西大将軍の任も与えられている」


「つまり島津の麾下に入らなければ朝敵と成り伊東のように滅ぼされるということか」


「うむ、そうだ。

 素直に彼に従ってくれれば朝廷への正式な官位も奏上しよう」


「……わかった、そちらに従おう」


「うむ、そうしてくれると助かるよ」


 素直に従ってくれて助かるな。


 次は河野通宣だ。


 文を出して西園寺のもとへ来てもらう。


 そしてやってきた河野通宣へ西園寺実充がいう。


「河野通宣どのよく来てくれた。

 私は土佐の一条とともにここにいる島津義久の保護下にはいることにした。

 名目上は私が伊予守で彼が伊予権守兼伊予守護だがね。

 そして彼は鎮西大将軍の任も与えられている」


「つまり私に島津の麾下に入れということだな。

 むしろ助かるというものだよ。

 その代わり領内の反乱の鎮圧を頼めるだろうか」


「うむ、わかった。

 素直に彼に従ってくれれば朝廷への正式な官位も奏上しよう」


「それは助かるよ」


 疲れたように言う河野通宣だが家督争いやら国人の反乱やら色々大変なんだな。


 もっとも現在自称してる左京大夫はちょっと無理だろうけど。


 西四国の無血での実効支配ができたことは大変喜ばしいし、金を積んで官位を与えてもらった意味があったな。


 そして来島村上氏の村上通康(むらかみみちやす)は河野の家臣だし、能島村上氏も河野に親しい。


 河野自身も村上水軍ほどではないが水軍は持ってる。


 因島村上氏はもともと大内よりで現状でも毛利についてるから引き込むのは難しいかもしれないがな。


 土佐より伊予では反乱が起きたりする可能性は高そうだがそれは仕方あるまいな。


 これで瀬戸内海を大手を振って通過することも今後はできそうだ。

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