第31話 さて日の本での初陣だ
さて、坊津でザビエル一行を血祭りにあげて、俺は城へ戻った。
その途中に見てみたがシラス台地の芋畑も順調に広がっているようだ。
「うむ、芋をシラス台地で育てることが大切だとわかってくれたのはありがたいのう」
そして島津伊作家の居城である中山城に戻ると俺は祖父の部屋へと向かう。
「又三郎です、只今戻りました。
お祖父様、お部屋へ入ってもよろしいでしょうか」
俺の言葉に祖父から返答が有った。
「うむ、入れ」
「では失礼致します」
祖父は俺の顔を見てニッと笑った。
「うむ、又三郎よ久方ぶりだな。
そちらも良いことが有ったようだがこちらもシラスの開拓は順調だ」
俺は祖父の言葉に頷いた。
「はい、高山国にて港町と田畑を作り米を作れるようになりましたし、さらには山地にいる首狩り族を一部従えることができました。
引き連れてきた100名はお祖父様や父上が現在進めている薩州の統一のための力になれると思っております」
お祖父様は深く頷いた。
「ふむ、100名の兵を自ら従えてくるとは正直思っておらなんだが良くやったぞ。
こちらもお前がやったようにシラス大地で芋を作らせておるがそれにより飢えに苦しむものもだいぶ減ったな」
俺はお祖父様の言葉に頷いた。
「はい、あの芋はとても役に立つものです。
高山国においても火山灰の多い地域ではあれが役に立っております」
「うむ、だがお前が坊津で紅毛人を斬り殺し磔刑にしたと聞いたがなぜそのようなことをしたのだ?」
「あれは、この国を乗っ取ろうとする害虫でございます。
それ故に駆除しました。
まらっかがどうなっておるか、琉球が彼等にどのように対処したかそれらをお祖父様も聞いておりましょう。
もっとも奴らはいずれ貧乏な薩州に見切りをつけて博多に向かったことでありましょうが」
お祖父様は顎に手を当てて少しだけかんがえたがふむと納得したように頷いた。
「ふむ、おまえに考えがあって行ったのならばまあ良い。
そしてお前が米をもちかえり兵を率いてもどってきたのであらば戦に取り掛かるゆえ用意をするように」
俺は深々と頭を下げた。
「かしこまりました」
現在天文18年(1549年)だが薩摩は島津の分家である薩州家当主・島津実久が北薩摩の出水に居座っており、そのあいだには蒲生氏、相良氏、菱刈氏、東郷氏、入来院氏といった敵対的な分家や国人衆がいる。
名目上は天文14年(1545年)に朝廷の上使である町資将が薩摩を訪問して、父貴久が同国の国主として朝廷に公認されているから、後は武力で制圧するのみだな。
そしてお祖父様は言う。
「先ずは加治木の肝付兼演を攻めるぞ」
「は、かしこまりました。
それでは父上や弟達にも話をしてまいりますのでこれにて失礼致します」
俺は祖父の部屋を出て、まず父の部屋へ向かう。
「父上、只今戻りました」
父上は俺の顔を見てニコリと微笑んだ。
「うむ、話はきいておる。
この度は初陣となるが心配はなさそうだな」
俺は父上に頷く。
「はい、どうかおまかせください」
父は鷹揚に頷いた。
「うむ、戦果を期待しておるぞ」
「はい、ありがとうございます。
父上の期待に背かぬようにいたします」
そして父の部屋を出た後、弟の又四郎忠平と又六郎歳久の部屋へ向かう。
「お前たち、今戻ったぞ」
忠平は笑って言う。
「おう、兄上無事でよかったぞ、そして我らもようやく初陣にでられるのう」
歳久も笑って言う。
「俺も忠平兄上の副将として初陣を飾ることになっとるぞ」
俺も弟たちに笑って言う。
「うむ、島津の名を貶めぬようにせねばな。
村の開拓の方も順調なようじゃし」
忠平は頷く。
「うむ、あの芋のお陰でだいぶ助かっておる。
お祖父様や父上も開拓の指示を直接されておるくらいじゃ」
歳久も頷いた。
「ざっと2000人ほどは食えるくらいには畑は広まっておるな」
俺は二人の言葉にうなずきながら努めて明るく言う。
「うむ、二人共よくやってくれた、ありがとうな」
「なに、俺らは兄上のあとをひきついだだけじゃからな」
さてそうしたら戦の準備だ。
基本的に国人、守護大名や戦国大名は土地に対する直接的な支配権はほとんどなく徴税権を持っているだけに過ぎない。
無論自分たちの先祖などが直接開拓した場所は自分たちに支配権があるけどな。
なので基本的に大名が農村に課すことができるのは年貢と労役だけで、兵はいわゆる武士階級である国人、大名の一族郎党や地侍の一族郎党を中核として、それに付き従う若党、中間、小者などと後は、知行地を与えられている足軽も動員されたし、戦場を渡り歩く傭兵などを雇ったり、農家の次男以降などに報酬や年貢労役の免除を約束して雇う雑兵や人夫達で成り立つわけだな。
だから基本的には農民の家長や長男を徴兵するようなことはしないし、そもそも農村に対してそんな強く出ることはできないのだ、この時代の農民は小作農がほとんどだから簡単に逃げ出してしまうしな。
で各村落の石高は指出検地で確認しているので、地侍に対してその石高に対して申告した割り当て人数は金を払って、引き連れてくるようにはさせる。
つまりこの時期の軍というのは実質的には平安時代における平将門の兵の集め方とさほど変わっていないし、鎌倉武士の御恩と奉公の関係で成り立ってることからもあまり変わっていないということだ。
ちなみに飯は最初の場所に集合するまでは自分らで握り飯などを用意させ、集合したら白米や塩や味噌や多少の銭などは俺たちから配給する。
野菜や肉類はそこら辺で手に入れるか、陣の近くに現れる商人から買うなどして手に入れる事が多い。
敵の領地であれば敵の田畑から奪うこともあるがなるべくそれはやめさせたいな。
ただし荷駄などの補給システムは、大砲や鉄砲を使うようになれば必要になるから、これからは兵站輸送もきっちり考えなければならない。
ここで問題になるのは騎兵や輸送用の馬に食わす大豆の輸送量も馬鹿にならないということだ。
馬は結構な量の草を食べるし、馬の消化器官では消化できないものも多いために、食べる草の選り好みが激しく、特定の草を選んで食べる傾向が強いから雑草でも何でもいいわけではない。
だから飼育している牧にいる時はいいが遠征するときに下手に体がでかいと十分な餌がえられず餓死してしまう可能性もある、だから必ずしも体の大きい馬のほうが有利というわけではないのだな。
小型馬と大型馬は日本車とアメ車みたいなもんで日本では小さくて燃費がよい日本車のほうが、速度が出て積載量も多いが燃費が悪いアメ車より人気があるのと同じようなものだと考えればいいんじゃないか。
そして数日で兵が集まり始めた。
手にしている武器もそれこそ鍬や鋤、鉈や狩猟用の弓と言うものから刀を腰にさしたり背中に背負ったり、具足をまとっているものまで様々だ。
そこに槍を貸し与えたりすることもあるんだが立身出世を夢見て好んで前に立つものもいれば、輸送や土木などの雑用などのほうが良いというものもいる。
俺は忠平に聞いてみた。
「俺らの部下は全部で200、全軍で1000というところかのう」
「うむ、そんなところだと思うぞ」
歳久がそれに付け加える。
「しかもその半数以上は寄せ集めの雑兵じゃしな」
俺の副将である新納忠元がいう。
「ならば若の引き連れてきた100名は最強の100名となるでしょうな」
「ああ、そうなるはずだ」
比較的小型の砲であるファルコネット砲10門を俺は陸に上げさせている。
この砲は70mm程度の小さい口径の方で、1kg程度の砲弾を使用する。
そしてそこまで重くないので驢馬でも輸送は可能だ。
家康が大阪の陣で使用したのはカルバリン砲だがその小型のものだ。
もちろんマッチロック式のマスケット銃50丁や猛火油6台ももってきている。
さて肝付兼演は名前を聞けば知る人ぞ知る大隅の有力国人肝付氏の一員だがもともとは父貴久に仕えており祖父・忠良より加治木に領地を与えられていた。
しかし天文6年(1537年)、肝付兼演は薩州家の当主・島津実久の調略に応じ、一転して我が父貴久に敵対したのだ。
「さて、日の本での鉄砲・大砲・猛火油の初使用といこうかのう」
実際史実においても西洋式マッチロックマスケットが実戦投入されたのは肝付兼演討伐戦の黒川崎の戦いとされている。
最も本来であれば俺の初陣はまだ先なんだがな。
俺たちは黒川崎に陣を張り、肝付兼演とその助勢に駆けつけた蒲生氏・入来院氏・祁答院氏・東郷氏と対陣した。
「ふむ、物見を出し敵の兵力を確認せよ」
「は!」
そして確認したところでは相手の兵力は総勢で2000名ほど。
ただし、相手には鉄砲も大砲も猛火油もなく、長柄の槍の足軽が中心だ。
そして戦端が開かれる。
お互いに石を投げ合い弓矢をいかけあったあとで、お互いの兵がわらわらと敵へと向かっていく。
すでに砲には拳大の石を麻袋に詰め込んだ弾を装填済み、マスケット銃や猛火油も準備は万全だ。
そして俺達の前にも三間の長柄の槍をかまえた敵雑兵がわらわらと前進して来ており、あちらは数の多さを利用してこちらを包囲しようとしているようだ。
無論その程度で動揺するような俺の部下の薩摩兵児や首狩り族はいない。
「ふむ、落ち着いてもっと引き寄せよ」
「十分に引き寄せよ!」
距離が半町(おおよそ50m)を切ったと思われる場所に敵がたどり着いたところで射撃を指示する。
「よし、砲撃てい!」
「砲撃開始!」
”どおん””どおん”と大砲が火を吹き拳大の石が戦場に散弾のようにばらまかれる。
ただしその速度は900m/s以上と、とてつもなく早い。
「ぐわああ!」
「うぎゃああ!」
敵陣から雑兵の断末魔の叫びが多数上がったが、大きな弾を一つ打ち出すよりこうやって小さな弾をばらまいたほうが陸上の対人戦では役に立つのだな。
敵の雑兵がバラバラと倒れたところで騎馬に乗った武士が従卒を従えて突っ込んできた。
と言うかおそらく大砲の砲声で馬が恐慌状態になったのだろう。
「よし、十分引き寄せよ」
「十分に引き寄せよ!」
やはり距離が半町(おおよそ50m)を切ったと思われる場所に敵がたどり着いたところで射撃を指示する。
「銃撃てい!」
「銃撃開始!」
”だぁん””だぁん”
50丁の
こちらの速度は400m/sほどだがそれでも十分威力はある。
ちなみに和弓で50m/s程度だからそりゃあ銃や砲は強いわな。
「ぐわああ!」
「ぎゃあああ!」
そして敵が怯んだところでこちらの反撃を開始だ。
「ようし好きなだけ首を取ってくるのだ」
『ひゃっほー首狩りだー』
「うむ、首狩り族に負けるわけには行かぬな。
島津兵児の意地を見せるときぞ!」
「おう!」
薩摩兵児は刀を、高砂人は鉈を手に敵陣へ襲いかかる。
敵雑兵はすでに崩れて逃げ惑っており。それを地侍たちが押しとどめようとしているが無駄なことだ。
誰だって命は惜しいし槍では立ち向かえないことぐらいは雑兵たちにはわかっておるのだから。
最も砲は一発討つのに15分位かかるから逃げてもらって助かったとも言えるがな。
やがて敵陣が完全に崩れて、肝付兼演や
うむ猛火油の出番がなかったな。
「うむ、勝利だ、者共勝鬨をあげよ!」
「えいえいおー」
うむ、幸先の良い勝利だ。
この戦いでは敵陣営は武士100人以上、その従卒250人以上、雑兵500人以上を失う大打撃を受けこちらの損害は100にも満た無かった。
大砲によるぶどう弾の攻撃は予想以上に恐ろしい結果を出したようだ。
そして加治木を落としたことでその南にある薩摩湾の最北に位置する黒川湊を我々は手中にしたわけだ。
「もっとも勝ちすぎるのも良くはないかもしれんがのう……」
大隅と北薩摩や日向の連中が手を組む前に調略で連携を切り崩しておくべきかもしれないな。
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