天文18年(1549年)

第30話 薩摩への帰還とザビエル達への対処

 さて、台湾の港町や水田は一つの街として機能する程度の大きさになった。


 俺が人買い商人から買ったり、あちこちで声をかけたりして引き連れて入植した農民たち、琉球や坊津から引き抜いた商人たちだけでなく、噂を聞いて自ら船でやってきた交易商人や倭寇たちも含めればおおよそ1500名ほどまでに人口は増えている。


 戦国時代の日本であればこの規模でもちょっとした町と言える規模だ。


 そして主にポルトガルやスペインの奴隷商たちからうばった火縄銃(マッチロックマスケット)や大砲については入植した倭人100名、タイヤル族から100名ほどあわせて200名ほどの志願者を募って銃や大砲の使用法を習熟させるためにそれらをもちいた射撃訓練を行わせた。


 基本的には海上でのジャンク船に搭載した大砲での対艦戦や切込前の鉄砲の一斉射撃など海の上での訓練が主だが陸上からの接近してくる船への砲撃訓練などもちゃんと行ってるぞ。


 俺は俺の供回りとしてつけられた島津の庶流であり島津四天王の新納忠元(にいろただもと)に戦闘指揮は任せている。


「それにしても紅毛人共の鉄砲と大砲はすごいものですな」


 新納忠元はそれらの威力に感心しているな。


「うむ、剛弓を引ける弓の名手を育てるのは大変だが、これらにはそれほど長い鍛錬は必要ないからな。

 もっともその分色々なものが必要になるが」


「たしかにそうですな。

 火縄のための綿、弾のための鉛、火薬のための硝石、硫黄、木炭。

 弓に比べればだいぶカネがかかりますな」


「だが人を育てるにはもっとカネがかかる」


「たしかにそうです。

 これからは弓の時代ではなくなっていくのでしょうな」


「銃や大砲にも色々欠点はあるから戦場において弓が完全になくなることもないとは思うがな」


 弓はあくまでも人間の力を効率良く使うための道具であるが、鉄砲や大砲は火薬を使った弾丸を飛ばすのに人間の力そのものを使わない機械だ。


 道具よりも機械のほうが余計な金はかかるが、使い手に高い身体能力や技能を必要としないというメリットは大きい。


 銃器の戦場への実践的投入が戦場での中世から近世への移行期だと俺は思う。


 そして十分な訓練もできたところで島に残るものと薩摩へ向かうものへとそれぞれを50名ずつ分ける。


 そして俺はこの土地に残るものへ伝える。


「紅毛人共が来たらちゃんと皆殺しにしておいてくれよ。

 定期的に航路上の紅毛人の船から略奪するのも忘れないようにな」


「わかってますって。

 ついでに船も積み荷も全部かっさらっておきゃいいんでしょう」


 俺は頼もしい言葉に笑いながら答える。


「ああ、その通り。

 相手の数が多くてやばかったら首刈り族に助けを求めてもいいぞ」


「なるべくそうならないようにがんばりますがね。

 俺らの土地は俺らで守るべきですからな」


「ああ、じゃあ任せたぜ」


 俺は倭人50名にタイヤル族の戦士50名ほどのあわせて100名を引き連れて、米や火薬、鉄砲大砲、猛火油なども積み込んで琉球経由で薩摩へ戻ってきた。


 薩摩を出てからすでに三年経って天文18年(1549年)になっているから2つ下の弟も元服を済ませて又六郎になっているはずだ。


 台湾を拠点にしてあちこちを荒らし回っていた、もとい交易に勤しんでいた叔父上とも久方ぶりにゆっくり話をしたぞ。


「うむうむ、久方ぶりに日の本の空気を吸ったがやはり日の本が一番じゃ」


 そして坊津へ帰港した俺たちは、接舷しているジャンク船に紅毛人共が乗っていて、そいつらがタラップから降りてきたのをみつけた。


「どうやらザビエルやトーレスがちょうどここに来ておったようだのう」


 修道院を立てられて日本への足がかりを作られる前に奴らのサパッと首を落としてしまおうかの。


 あちらのメンバーはイエズス会創立者のイグナティウス・ロヨラに次ぐナンバー2のザビエルに、イエズス会士のコスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士に加えて、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人や身の回りの世話をする奴隷たちのはずだ。


 彼等にとっては日の本は明に対する足がかりでしかないかもしれないし、本気で日の本を隷属させるつもりかもしれないがどちらなのかは俺にはわからん。


 だがザビエルはゴアのポルトガル財務官にこういった手紙を書いている。


「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。

 もしも日本国王がわたしたちの信仰に帰依することになれぱ、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神にかけて信じているからです。

 堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。

 日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、この堺に商館を設けたらよいと思います。

 神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。

 堺の港についた時、持ってきたのが少なけれぱ、日本でたいへん高値でよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」


 という手紙を書いている、これは宗教的経済的侵略の企み以外の何者でもない。


 そもそもイエズス会を創設したイグナチウス・ロヨラはこういっている。


「私の意図するところは異教の地を悉く征服することである」


 だが残念なことに戦国時代における日の本では”国王”と言える絶対的権力者がいなかった。


 だから彼等は織田信長を支援したらしい。


 ちょっとした胡椒や砂糖、火薬と引き換えに大量の金銀を手に入れたポルトガル商人達は笑いが止まらなかっただろう。


 ザビエルの後を引き継ぐことになるイエズス会東インド巡察師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノの手紙にはこう書かれていたという。

 

 ”日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。

 何故なら、日本は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、

 また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、武力で征服が可能な国土ではないからである”


 スペインやポルトガルの植民地化において宣教師の役割は、先遣隊として奴隷商人とともに現地に足を踏み入れその土地の様々な情報収集を行い、現地に修道院を建ててそこを拠点とし原住民を改宗させて自分たちの味方を作る為に懐柔工作を行うことで、彼等は異教のものを同等な人間とかんがえていなかったのだ。


 という訳で彼らにはさっさとこの世から退場願おうか。


「よし、お前たち高山人50はあの船をおそって逆らうものは皆殺しにしろ」


『了解した!』


 タイヤル族が刀を手にザビエルたちが降りた船に突撃していく。


「俺等はあの連中を皆殺しにするぞ」


「了解ですよ若さま」


 先ずは坊津で売ろうとしている砂糖や胡椒、火薬などのはいった箱をニヤニヤしながら見ている太めの紅毛人を斬る。


「死ねい!」


(いったいなんなんだ?!)

「O que é isso?」


 サパッと首を切り落として後は宣教師共も斬る。


「俺等の国をマラッカのようにはさせんぞ!」


(いったいなんなんだ?!)

「O que é isso?」


 あちらは白昼堂々に50名もの刀を持ったものに取り囲まれて切りつけられるなどとも思っていなかったらしい。


 紅毛人だけでなくインドや明や日本人であっても、明らかにあっちの宗教関係者っぽい首に十字架をしたものや奴隷商人の関係者に見えるものは皆で取り囲んで刀を突き刺して皆殺しにし、奴隷として使われていただけのものは抵抗しなければそのままにした。


 そしてその死体は十字架にくくりつけて磔にしておいた。


『この者たち日の本の敵により磔刑に処す』


 と書いておいたぞ。


「はっはー、しかしまあ運が悪かったな。

 ちょうど同じ日に坊津に上陸せねば少しは長生きできたろうに。

 ま、死のみはすべてのものに平等だ。

 己を行いを神に懺悔するがいいさ、南無阿弥陀仏」


 もちろん彼等が薩摩島津にこの土地の人間と引き換えに売ろうとした胡椒や砂糖や火薬、時計や地球儀といった品物も全部うばってやったさ。


 台湾の山のほうが侵略されなかったのも結局自分たちの縄張りにはいってきたものは皆殺しにしてしまって、話し合えば分かり合えるとか余計なことは考えなかったからだと思うんだよな。


 とりあえず今後もカトリックの修道士を薩摩から日の本に入れるつもりはないが、こいつらが戻ってこないことに対してあっちがどう出てくるかね?。

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