第15話 ルソンに到着したが日本にとってヨーロッパ人宣教師や商人は敵だと考えないとやばいはずだぜ

 さて、俺たちは高山国こと台湾島での拠点で食い物や水の補給を済まして、フィリピンのルソン島の首都トンドに到着した。


 トンドは21世紀で言えばマニラあたりだ。


「ふむ、ここがルソンですか」


 叔父上が頷いて言う。


「ああ、そうだ。

 ここもそこそこ賑わってるぜ」


 広州に比べれば賑やかさでは劣るがたしかに色々な人間が行き交っているようだ。


 朝貢貿易の唯一の窓口という立場を失った琉球よりは地理的な要因も有って、賑わっているのは間違いない。


 市には食料品など以外の交易品では明からの生糸や絹織物、日本からの刀剣、東南アジアからは香辛料、香料、砂糖や象牙、水牛の角、鉛、宝石類などが運ばれてきていてそれを買い付けている商人もいるようだ。


 ルソン島は、フィリピン諸島のうちで最も面積の大きな島で21世紀でもフィリピンと言えばこの島というイメージだったな。


 そして台湾とフィリピンの住民はほぼ同じ系統で4000年位前ごろから台湾のオーストロネシア人がカヌーで海を渡り住み着いたらしい。


 そしてルソンは中国や日本、琉球などの東アジア地域と東南アジア諸国、更にはインド、アラブとの中継貿易で結構栄えている。


 一部のルソン島の人々はイスラム教を取り入れているが、そこまで根強いものではない感じだな。


 実際に島に降りて見てみれば明や東南アジア地域の華僑たちなどの中国系の人間が多いが、琉球や日本からの商人もぼちぼち見受けられるし、


 インドやイスラム商人っぽいターバン姿のものもいる。


 スペイン人かポルトガル人であろう西洋の人間の姿も見えるな。


「なんか嫌な感じな連中ですな」


「ああ、お前さんもそう感じるか」


 まあ中国人の立場の偉いやつも見せる雰囲気だが要するに周りの人間を人間扱いしていない感じなのだな。


 そして現状のフィリピンはポルトガルは明に向かう船の中継点として機能しており、スペインはアジアの交易拠点としての領有先として征服を行おうとしている途中。


 1521年にマゼラン海峡を抜けたマゼランが率いるスペイン艦隊は、ヨーロッパ人として初めてフィリピンに到達し、リマサワ島やセブ島の王をキリスト教に改宗させ、周辺の島の首長たちにもキリスト教への改宗とセブ王への服従を要求した。


 そしてセブ島民を改宗させたことで気を大きくしたマゼランは武力でマクタン島を制圧しようとして返り討ちにあって死んでいる。


 スペインとポルトガルは、1494年のトルデシリャス条約でアメリカ大陸のブラジルを除く地域はスペインにそれより東側はポルトガルに対して領土権の優先権を認めるとされた。


 そして地球は丸いということから、反対側の東南アジアの香辛料諸島と呼ばれるモルッカ諸島などの帰属をめぐってそのスペインとポルトガルが争うことで1529年にサラゴサ条約が結ばれた。


 このサラゴサ条約では日本は殆どはポルトガル領に入るのだがスペイン領にも一部引っかかっていた。


 なのでポルトガルもスペインも日本の自国への植民地化を狙っていたわけだ。


 もっとも歴史上、アジア諸国のなかで日本は欧米の直接的な植民地支配を受けていない。


 明治維新後や太平洋戦争後の日本は欧米諸国の間接統治は受けていたとは思うぜ、明治維新後の明治政府は奈良時代の律令制を一時復活させたが、すぐさま西洋的政治体系に変更させられているからな。


 そして日本は21世紀まで直接的に欧米の植民地にされなかった、これは必ずしも日本の政治指導者や民衆が優れていたからそうなったと言うわけでもないとは思う。


 いや、豊臣秀吉や徳川家康はカトリック宣教師の日本への侵略の意図を理解して流入を阻止しているし、ポルトガル人などの本当の目的は交易ではなく侵略であることをよくわかっていたとも思うがな。


 結論から言うと日本が直接的にヨーロッパの植民地にされなかった理由は、ヨーロッパにとって日本は遠すぎた。


また日本はマラッカなどのような価値のある海上の交易の要衝ではなかった。


宗教的に仏教や神道の影響が強かった、鉄砲を自分たちで生産できてその武力を馬鹿にできなかった。


東南アジアにも交易が可能な程度の交易力を持っていた。


そして運が良かったからだとおもう。


 はっきり言えば現状におけるスペインやポルトガル商人はイギリスやオランダ商人との競争も激しくなり、日本は本国から遠く離れたほぼ地球の反対の場所であり、更には戦乱に明け暮れていて人殺しをためらわない極東の日本を自らの武力で侵略しても費用対効果が薄い地域と考えてるだろう。


 この時代はそれぞれの国の海軍が直接植民地に向かってるわけではなく、基本的には武装商人が侵略をしているだけなのだ。


 そして壊血病に対する対策も取れていない時代では大量の人間を船で輸送するのは大変だからな。


 更にポルトガルはスペインほどの国力も財力もなかったからその後イギリスやオランダに植民地をどんどん奪われていったし。


 さてスペイン人はアメリカ大陸を武力で侵略したがこれは彼らの持ち込んだ天然痘によってアメリカのネイティブがバタバタ倒れていったり武器が未だに石器だったりしたことも大きい。


 しかしポルトガル人達たちは、アフリカやインドやインドネシアの港湾地域を支配する時に鉄砲や火薬を現地の権力者に与えることで武力支援して有力な権力者同士でお互いに戦わせ、鉄砲弾薬の代わりに奴隷を売らせて国力を消耗させ武器の供給を行うことでヨーロッパ商人への依存度を高め、やがてそういった権力者たちを傀儡としてその場所を乗っ取っていった。


 実際に鉄砲弾薬というものの供給がなくなれば敵との戦いに負けるかもしれないという状況は現地権力者には面倒なものだったろう。


 そして実際として九州の諸大名の中にはキリシタン大名も多くでたし、彼らは欧州からもたらされた鉄砲や火薬を用いて戦を行い、戦の時に捕らえた人間をポルトガル人に奴隷として売っていた者も多い。


 と言うか島津もポルトガルの船が来てすぐに鉄砲の購入などはやっていたし日本の国内でいちばん最初に実戦にヨーロッパ系火縄銃を導入したのは島津のはずだ。


 そして薩摩以外の場所の明や朝鮮半島や琉球などで捕らえた人々を坊津の外国商人に奴隷として販売してもいる。


 もちろん北九州の大友やその他のキリシタン大名、長門の大内、四国や畿内の堺をおさえていた三好らも乱妨取りで捕らえた人々を日本人奴隷としてポルトガル人に売っていた。


 堺を手に入れた織田信長が三好の後を継いで人身売買をやっていたかは不明だがおそらく彼は銀で支払いをしていただろうな、全く人間を売っていなかったとまでは言えない可能性もあるが。


 しかし、国力の低く商売も盛んでない薩摩では利益がでないので、ポルトガル人やスペイン人は取引場所を長崎や平戸、博多、堺などへ移したわけだ。


 戦国から江戸初期にかけて日本人が50万人も海外に売られていったという数字はおそらく誇張されているだろうが、日本人がキリシタン大名に乱妨取りでとらわれて九州や中国や堺の港でもポルトガル人に売られていたのは事実だ。


 そうすると国力とは人口でもあるから売られて人間の数次第では九州や中国地方の国力はどんどんおちていったはずだがね。


 戦国時代の特に九州にキリシタン大名が多かったのは、キリスト教が素晴らしい宗教であると盲信していたらしい大友宗麟のような例もあるが、実際は他国の大名よりも戦闘で有利になりたいがために火薬や硝石を手に入れるためにキリスト教を受けいれたんだな。


 そしてそういった大名たちは寺社を積極的に破壊して、キリスト教に改宗しない者は奴隷として優先的に売ったらしい。


 まあ、その結果大友は寺社勢力にものすごい反発を受けて家臣もばらばらになって、耳川の戦いで記録的大敗を喫するわけではあるのだが。


 実際に日本で何十万もの鉄砲を作れたとしても、鉄鉱石や鉛に関しては国内から入手できる量では不十分、火薬や硝石に関しては絶望的に足りなかったはずであって、輸入に頼るしかないのだが金銀銅のようなポルトガル人が欲しがる鉱石がなければ鉄砲を使い戦で捕らえた人間を売るのが一番手っ取り早い方法だったわけだ。


 それともう一つはイエズス会による宗教による侵略だな。


 フィリピンはアジアにおけるほぼ唯一のカトリック国家だが、これはスペインのフィリピン侵略の際に彼らイエズス会が布教を行い、加えて優れた医術などを提供して、現地の権力者や住民を信徒にしてそのままそっくり手下にするわけだが、後年の織田信長はこれに引っかかっていた可能性もあるようだ。


 彼の弟の織田長益や孫の織田秀信などはキリシタンになっているし、父の織田信忠は自刃しているが織田秀信は都合よく助かってるのがなんともおかしな話だからな。


 そして織田秀信は豊臣秀吉によって担ぎ上げられて織田家のあとを継ぐわけだが、ここにイエズス会がかんでいるとすれば日本支配の傀儡として織田秀信を使おうとしたかもしれない。


 まあ、これは俺の妄想に過ぎない可能性も高いが、イエズス会はヨーロッパというかカトリックの侵略のための尖兵だったのは間違いないと俺は思っている。


 そしてこの頃のマカオはポルトガル人による日本人や中国人、朝鮮人などの奴隷の一大集散都市であって、そこから東南アジアやインドに男は農地や鉱山の労働力や護衛の兵士として、女は主に娼婦や下女として売られていった。


 イエズス会はルターによるプロテスタント革命で腐敗したローマの教会を信じてはいけない、キリスト教を信じるものは聖書だけを信じれば良いという主張に対抗するために、カトリック信者のローマ教会離れを食い止めようとした。


 宣教師と奴隷商人が一緒になってそれぞれの商売に励むことになったのは金持ちの奴隷商人をカトリックにすることで資金源にするとともに、宣教師は奴隷商人の持っている船に乗せてもらって海外に進出するため、そして宣教師は海外の有力者にキリスト教を布教しつつ、商人を通じて鉄砲弾薬を売りつけて、その対価として奴隷などの供給元になってもらうためだ。


 この時ローマ教皇はキリスト教徒は奴隷にしてはいけないが、異教徒はOKと奴隷商人のビジネスを正当化して自分たちに利益をもたらそうとした。


 当然、奴隷商人からすれば神の代理人である教皇によって自分たちの所業を正当化してくれるのだから金をちょっと払ってもカトリックでい続ける方がいいとなったわけだ。


 キリスト教徒は奴隷にしてはいけないが、異教徒ならOKと言うのは奴隷商人を通じて、ヨーロッパ以外の地域にキリスト教を広めるために持ってこいだったわけだな、まあ元々聖書は奴隷制を認めてる書物だし、聖書ができた頃の古代は奴隷は社会的に普通の存在では有ったからな。


 要はイエズス会の宣教師はキリストの愛を広める布教活動が目的だったのではなく、奴隷商人の販路拡大の手助けと鉄砲を使って現地の権力者を傀儡にするために、キリスト教布教を名目にして、その弁舌を持って現地の有力者との交渉に立ったわけだ。


 もし大友宗麟が日本を統一したらその後どうなったかはだいたい想像がつくだろう。


 なら俺がザビエルを毛嫌いして、その首を落とそうとしているのもわかるだろう?


 奴隷として売られるなどその者の運が悪いだけではないかと言う向きもあるかもしれないが、人口は国の力だ。


 だから明や朝鮮の人間が売られるのは俺にとってどうでもいいが日の本から奴隷がマカオに売られて、そこからマレーのマラッカやインドのゴアに傭兵や守備兵に使われるのは避けたいと思うのだな。


 それはスペインやポルトガルの現地人に対しての防衛力を増強させるだけなのだから。


 奴隷にされる日本人がかわいそうだからじゃないのかって?


 豊臣秀吉も徳川家康もそんな感情的な事を考えて宣教師を追放したわけじゃないと思うぞ。


 乱妨取りや青田刈りは自分の首を絞めるから行うべきではないのと同じように、ポルトガル人に硝石や火薬と引き換えに奴隷を売るのは自分の首を絞めるからやらないほうがいいと言うだけだ。


 たとえば九州の中で島津にカネがないからと大友に兵士を多量に売ったらどうなるかわかるだろ?


 最悪その兵士を使って攻め滅ぼされるし、そうでなくても攻めづらくなるのは間違いがない。


 それと同じことさ。


 戦国時代における大名たちの軍の兵士の大半は普段は田んぼを耕している百姓が動員された雑兵たちで普段から武術訓練をしているちゃんとした武士よりも圧倒的にその数は多い。


 そして凶作で村での農耕だけでは十分に食えない雑兵にとって乱取りや村の米蔵にある食料や刈田による田畑の作物の略奪は生活のために必要なことともされていたわけだ。


 貧しい国では特にな。


 もっとも、雑兵が乱取りに夢中になりすぎるあまり時に作戦行動に支障を来すこともよくあった。


 今川義元の桶狭間の敗因は落とした砦や村に対しての乱妨取りに雑兵が夢中になったせいで統制がまるで取れなくなったために、織田信長に本陣を直撃されたと言う理由もあるようだ。


 だから戦国大名たちは許可なく乱取りを行うことを禁じる法令を多く出しているが、必要であれば存分に乱取りなどは行わせていた。


 そしてそういった陣中には軍に同行した人買い商人たちによって市が開かれ、人間や掠奪品の売買がその場で行われた。


 こういった人買い商人は江戸時代には女衒や口入れ屋などの人間を売買する商人として残るな。


 ポルトガルなどの支配された場所のアフリカの王国やインドやインドネシアの支配者たちは、目先の欲に釣られる愚かな人々ばかりだったと言うわけでもないだろう。


 しかし、敵に簡単に勝てるようになる武器をヨーロッパの商人から手に入れしまうと隣国との争いに勝つために、ずっと欧州からの武力提供を受け入れていかざるを得なくなり、国内の権力者の双方が疲弊していくことで、欧州の傀儡政権へとなっていったり、武力侵略を受けるなどしたのだろう。


 そして実際に九州はかなり危なかったはずだ。


 まあ、九州の宣教師のトップと近畿の宣教師におけるトップの考えが違いすぎたのでよくわからなくなっているが、九州の宣教師は大名に鉄砲を供給して共倒れさせることで武力で乗っ取ろうとしていたようだし、近畿の宣教師は自分が援助している織田信長に武器弾薬を支援して日本の権力者を明確にして、彼を傀儡として操り日本を一気に支配下にしようとしていたようだな。


 結局それは織田信長が鉄砲を自力で生産し、鉛や火薬は東南アジアから手に入れてしまい、織田信長が宣教師たちの思いどおりに動かないことでだめになり、その後に本能寺の変が起こることでご破算になって、豊臣秀吉が宣教師を追放することで完全に望みは絶たれたが、彼らはしぶとく東南アジアの日本人町に宣教師を送り込んでそこから日本へ宣教師を送り込もうともしていたようだ。


 だから、朱印船貿易は完全に廃止されたというのも宣教師を日本へ入れないために必要だったからというのも理由の一つだな。


 まあ、日本には銀や銅などの掘っていけばいずれ尽きるものしか主な輸出品として用意できなかったというのもあるんだろうけど。

 

 もっともフィリピンはイスラム教の勢力が特に強い地域はスペインは支配できなかったようだが、ルソン島などの地域は強い宗教もなく中央集権的な王朝もなかったので、イエズス会の布教による宗教観の乗っ取りに対して現地のイスラム教や仏教のような宗教組織的に対抗する手段がなかったようだから割とあっさり侵略されたようだけど、それと同じようなことを日の本でもさせたくはないわけさ。


 俺たちは生糸を少し売って水と食料を手にした後はルソンを立ち去った。


「ここで何かを買うよりも現地で買い付けたほうが安いからな」


「そうでしょうな」


 まあ、それはそれとしてじゃがいもやさつまいも、乳牛や乳山羊のようなヨーロッパ人しか現在持っていないものは速やかに手に入れる予定ではあるがね。

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