◆9-2
「ッ――ぐあああああ!!」
光の壁に皹が入り、破れ、炎がペルランの体を舐めていく。痛みと熱さに絶叫し転がるが、炎は消えない。
「お、お許しを……かの秩序神の権能が、竜を退けられぬ筈が無いという、驕りでございました。お許しください、秩序神タムリィ様――!」
必死に祈りを捧げ、傷を癒す権能を発動しようとするのに、何も起こらない。何故、と混乱する内、静かな声が響いた。
「いいえ、それだけではありません」
顔を上げると其処には、己の将に手を引かれた美しき女神が居た。悲しみの籠った紫瞳は、静かにペルランを見下ろしていた。
「……貴方に与えられた権能は、確かに強い。ですがこれが限界でしょう。タムリィの力は、徒に振るってはなりません」
「スヴィナ、様――?」
意味が分からず、呆然と呟くタムリィの声に、智慧女神はそっと首を横に振った。
「私は、人と共に生きる喜びを知ってしまった。あまりにも儚く、あまりにも脆い、神の奴隷として作られた者達が、ひとりひとり異なる尊いものであると知ってしまった。そう、既に私は、理では――神では、なくなっていくのでしょう」
酷く悲しそうに囁く女王陛下を、ジェラルドは痛まし気に見守るが、口は挟まない。彼女が自ら口を開くのならば、傾聴する以外の選択肢など無いのだから。
「きっと私は次の世界で、イヴヌスにきちんと創り直されるでしょう。それがいつかは来ると解っていたし、今になるのも、仕方がないと思っていましたが」
そう言いながら、そっと彼女は口元のヴェールを外す。この世の全てを文字で理解しているからこそ、言葉を発するのを恐れて口を塞いでいた神代の時。崩壊神が溢れさせた混沌に押し流されて、世界の果ての島に流れ着いた、ほんの僅かに生き残った人々を哀れに思い、手を差し伸べてしまった。
これが己の存在にとって、許されぬことだと痛い程理解している。だからこそ、キュクリア・トラペサの略取に従ったのだ、これが本来正しいことなのだから、と。しかし、未だ彼らが、始原神を起こさぬのならば。
「もう少しだけ、猶予が与えられるのならば。私はまだ――女王としていたいのです。もう少し、もう少しだけ、エルゼールカの民達を見守っていたいのです。ごめんなさい――ペルラン・グリーズ」
言葉は呆然と燃え続けるペルランに向けて語られたが、その手を取る女王の騎士は心底嬉しそうに微笑み、堂々と告げた。
「何を詫びる必要がありましょうか! 貴女が望むのならば、幾らでも、永遠に、忠誠を誓いましょう、我らが女王陛下!」
「愚かな! そのようなこと、許される筈もない! 始原神イヴヌス様、秩序神タムリィ様の名に於いて、再び裁きの剣を齎し賜え!!」
火傷の痛みに呻きながらも、怒りに震えるペルランは再び祝詞を唱える。そして彼の頭上に再び現れた、巨大な剣は――そのまま落下し、両腕を広げたペルランの胸を、真っ直ぐに貫いた。
「……、は……?」
其処に痛みも血飛沫も音すらなく。己に突き立つ光の剣を茫然と見下ろし、驚愕の声を上げる。
「な、な、ぜ!? 何故、始原神様の裁きの剣が、私に!?」
最早ぼろぼろになった手で必死に胸元を搔き毟るペルランに、ジェラルドはサーベルを容赦なく向けるが、女王はそれをそっと抑えるように手を翳し、尚も続けた。
「人に伝わる神々の理は、年月によって変質してしまうのですね。私が最早、神で無くなったとしても――嘗て神であったものの言質を縛るなど、あの真面目なタムリィが、許すはずもありません」
「何故、何故、何故――」
「神の理とは、そういうものなのです。いつも通りに、いつもと変わらず、世界を回すためにあるものなのです。――我が兄弟神、秩序神タムリィに代わり、智慧女神スヴィナが奉じます」
そっとジェラルドの手を離し、女王はするりと前に出る。ジェラルドは止めない、ただ恭しく礼を取るだけだ。
女王は、嘗ての女神は、露わにしたままの口元に悲しみを湛えたまま、何か決められた約定をそらんじるように、淡々と告げる。
「ペルラン・グリーズ。貴方の罪はふたつ。……一つは、闇竜ラトゥの言う通り、神を騙ったこと。もう一つは、始原神イヴヌスの名に於いて、智慧女神スヴィナであったものに、秩序神タムリィの権能で命じたこと。神は神、竜は竜、魔は魔、人は人。理を違えることはなりません」
「な、なれば、その裁きはかのジェラルド将軍に告げられるものでしょう! 何故、私に!?」
「魂の共有は竜の血肉による慈悲。この世界に、竜の息吹を放てる人は沢山おり、始原神も秩序神も、それを許しております。ですが、神の力を悪戯に、己の意思で放ち続けることは――タムリィが、大変怒っております。もはや、容赦は無いでしょう」
その言葉の意味に、ジェラルドもすぐに気づいた。焼け残ったペルランの体が、少しずつ透き通り、まるで結晶のようにぱきぱきと音を立てて、小さく小さく、畳まれていく。
己の体の変質に気づかぬように、只管に男は叫んだ。
「ばかな、ばかな! タムリィ様も、神の時代を取り戻すことにお喜び頂ける筈!」
「ええ、あの子は喜ぶでしょう。ですがそれは、
悲しげな声を聴いて、そこで初めて、愚かにもペルランは気づいたのだ。自分達が今まで、神に目溢しされていたどころか、その視界にも入っていなかったことに。
「神はただそこに在るだけ。人の真摯なる祈りに応えることはあります。ですが、神の裁きを代行しようとすることを――あの子は、タムリィは絶対に許しません」
「ああ――ああ、申し訳――」
漸く、己の信仰が誤りであったことに気づいたペルランが、小さく詫びを告げようとしたけれど。
それすら許されず、彼の体は小さな正二十面体の結晶体となり、ことん、と床に落ちた。
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