◆6-4
集団の頭をまず落とすべきと判断し、真っ直ぐに白い女に向かって走る。当然、槍斧の切っ先がジェラルドの体を抉ろうと向かってくる、のだが。
「っらぁ!」
僅かな気合、そして一閃。サーベルの一撃は、一本の槍斧を、その持ち手ごと斬り飛ばしていた。
「ぎゃああああ!!」
悲鳴を上げて倒れる一人を蹴り飛ばし、返す刀でもう一人の腹を深々と抉る。聖銀は確かに強度だけ言えば鋼鉄に劣るが、それでも片手の一撃で折ること等、普通ならば出来まい。
ジェラルド自身も、己の体に驚いていた。今までよりも軽く早く、サーベルを振るうことが出来ている。聖銀も人の体も、飴細工のように脆く感じた。竜との血肉の交わりは、このようなところまで影響が出るのかと、高揚と恐怖が同時に沸き起こる。
そしてもうひとつ、変調が起こっていた。今まで石のように重かったジェラルドの黒い左腕が、少しずつ、少しずつだが、動かせるようになっている。まるで固まった部分に血が流れこみ、ほぐれていくかのように。
「はああっ!」
「くっ!」
死角から振り抜かれた槍斧を、咄嗟に左腕で受けた。腕を斬り飛ばされてもおかしくない勢いだったのに、その刃は僅かに腕に埋まっただけで止まる。
そのまま、無造作に左腕を振る。ただ動かすだけ、振り回すだけの武骨な動きだったが、腕は一瞬で、まるで竜の尾のように伸び、神官を数人纏めて薙ぎ払い、すぐに元の形に戻った。
「ぐわあああ!」
「ば、化け物だっ!」
いつの間にか、ただ黒い布を巻いただけに見えていた左腕は、棘の鱗を生やし高質化した、まさしく竜の腕と呼べる様相に変化していた。掌は二倍近くに大きくなり、指先に生えた鉤爪は一本一本がナイフのように鋭い。人の腕や頭を握りこめば、容易く潰せそうだった。
「なんだろあれ? あーん、ラーヴがいればすぐ解るのになぁ!」
襲撃者の実力と異形を見、不満を言いながらも笑顔のまま、クレーエは一歩前に出る。その手には既に、片手に四本、全部で八本の小刃が握られており、それを無造作に投擲する。
「がっ!」
「ぐわ!」
そのうち数本は彼女とジェラルドの間に立っていた神官達に当たったが、クレーエは気にした様子も無い。そして手甲に仕込まれた短い剣を構えて、ジェラルドに向けて跳ねるように走り出す。
「遊んであげるよッ!」
「!」
あっという間に懐に走り込んできた女の切っ先を、身を逸らしてかわし、地面を転がる。それを追うように、更に短い刃が次々と地に突き立てられる。
強い、とすぐにジェラルドは看過する。雑魚の神官達とは比べ物にならない程の修羅場を潜っていることが、その容赦のない攻撃によって知れた。もとより、女であるからと侮る性質ではないが、油断なく武器を構え直す。
「あれ? アンタ、どこかで見たことあるんだけどなぁ」
クレーエはとぼけたような口調で言いながら、それと裏腹の鋭い斬撃を矢継ぎ早に放ってくる。それをサーベルで受け止め、あるいはかわしながら、ジェラルドも反撃の機会を伺う。左手をもう一度振るべきかと一瞬考えるが、得体の知れない力を上手く操れるか分からず躊躇する内、何かに気づいたようにクレーエが声を上げた。
「あ! 思いだしたぁ! ラーヴが言ってた、女王様にメロメロな、元奴隷だっけ!」
しかしそこで、クレーエの声の調子が変わった。弱いものを嘲笑うような笑顔は変わらない。しかしその声に、くすぶる不満を込めたような、或いは泣くのを我慢している子供のような、遣りきれない気持ちが入っているように、ジェラルドには聞こえた。
「そーなんだぁ、かわいそう。あたしにはラーヴがいるけど、あんたにはもう誰もいないんだね!」
「何だと……? 貴様等、女王陛下に何をしたッ!」
聞き捨てならない言葉に、ジェラルドが激昂する。防戦一方だった剣を攻勢に転じ、容赦なく斬りつける。流石に自分の武器で受け止めるのは不利と解っているのか、クレーエはまるで鳥のように高く飛び上がり、かなり離れた場に軽々と着地して見せた。そして嘲るように、憐れむように、言葉を続ける。
「だって、アンタの好きなひとは、神様だもん」
一瞬、ジェラルドの思考が止まる。かけられた言葉の意味が理解出来ず、足を止めないままに問う。
「何を、言っている!」
「だーかーらー、エルゼールカ女王陛下は、神様なの。智慧女神スヴィナ様。イエインから教わんなかったの?」
ひらりひらりと鬼気迫る斬撃をかわしながら、女は更に続けた。
「その恵みは、神様を信仰する人達にしか与えられちゃいけないの。アンタ達エルゼールカの人間は、誰も八柱神教を信じてないんでしょ? そんなのただの、宝の持ち腐れ。だからあたし達、キュクリア・トラペサが貰ったの。空の銀月と、同じふうにね」
「戯言をッ!」
「本当だってばっ。第一、年もとらない、死ぬことも無い、ずーっと一人で国の王様やってるなんて、人間に出来るわけないじゃない。……あたしとしては、もうちょっと見つかるの遅くても良かったのに」
最後の言葉は、唇を尖らせて早口で言ったため、剣戟に紛れてジェラルドの耳には届かなかった。無言のまま武器を振るうジェラルドの姿に、クレーエは彼が愛するものとの隔たりに失意を受けたと思っているようで、慰めと嘲りが半々の声をかける。
「ね? だからー、あんな女の事は忘れちゃって、もっと建設的なお付き合いした方がいいよぉ。アンタ、ラーヴにはかなり負けるけどいい男だし? 最初っから身分的にも無理な恋なんてしなくったって――」
「どいつも、こいつも……」
低く、低く。地を這うような声が、クレーエの耳にも届いた。
「え、何――」
「貴様等は、どれだけ――女王陛下を愚弄すれば気が済むかァッ!!」
その瞬間、先刻よりも格段に早い一撃が髪を掠め、思わずクレーエも身を竦めた。その隙を逃がさず、二撃、三撃と刃が襲ってくる。
「ちょ、待っ、きゃ!」
ダァン! とジェラルドの足が地面を踏みこみ、乾いた地面に皹すら入れた。咄嗟に大きく飛び退り、息を整えているクレーエに向けて、怒りを必死に押さえ込んだジェラルドの声が響く。
「神だと? ただ人に祈られて奇跡を振りまくだけの存在が、何を偉そうに。常に我が国の民達を思い、その為に尽力して下さっている女王陛下と、その時点で差は雲泥ッ!」
一歩、前に踏み出す。気押され、クレーエも、他の生き残った神官達も、一歩下がる。神に仕える者としてはかなり侮辱的な台詞である筈なのに、言い返せない。
「貴様等の信奉する神とやらは、貴様等に名を与えて下さったか? 手を差し伸べ、己が汚れることも厭わずに、悍ましい傷だらけの身に触れて下さったか?」
ぎりり、とサーベルを握る手が軋む。同時に、黒の左腕がどくん、と脈打つ。
覚えている、思い出した、ジェラルド・スターリングの、最初の記憶。
絶望しか無かった地獄に沈む自分に、初めてその手を差し伸べて――
「助けにくるのが遅くなって、ごめんなさいと! 心から、謝って下さったかァッ!! 無いのならば、その優しさを、美しさを、神ごときに否定できるわけがないッ!!」
「ごとき、って――!?」
あまりにも不敬な言葉に、怒るよりも先にクレーエも呆然としてしまう。信仰が当たり前の国に生まれ育った者として、それは有り得ない言葉だった。彼女達の驚愕と葛藤にも気づかず、ジェラルドは尚も本気で叫んだ。
「我等が女王陛下に、貴様等が信じる神ごとき、足元にも及ばん! そんなことも解らぬただの略取者が、これ以上息をする事すら煩わしい!! 今ここで俺の手で、引導を手渡すッ!!」
本気の激昂が、左腕を動かした。今までの重さが嘘のように、いつも通りに腰の右側に腕を伸ばし、そこに下げられたままの短銃を掴む。鉤爪だらけの腕は、何故かその瞬間だけ普通の手に戻り、易々とそれを抜き放った。
それと同時に、指先が、腕が、肩が変化していく。蟠った闇が、銃口に集まり、明確な質量となる。それが何であるかも理解せぬまま、ジェラルドは真っ直ぐクレーエに向けて、引き金を引き絞ろうとした。
本来、火薬で鉛玉を打ち出す筈の銃が、それを持つ掌が、まるで竜の顎のようにめぎりと変化する。黒い顎はその口を大きく開くと黒い炎の塊を吐き出し、それはまるで生き物のように標的へ向かって放たれる!
「っ、やばっ!!」
「ひ、ぎゃああああああ!!」
「うわあああっ!!」
咄嗟にクレーエは、生き残っていた神官達の後ろに飛び退り、直撃を避ける。哀れ盾にされた神官達は、黒い炎をまともに食らい、悲鳴を上げて地面を転がる。
「ひ、ひぃ! たす、たすけて……」
「クレーエ様、お慈悲を――!」
炎である筈なのに、叩いても払っても、その火は消えず、あっという間に人の体を全て焼きつくしてしまった。後には消し炭のような、黒い痕が地面に残るだけ。
「な、何これ……こんなの、有り得ないって、いたっ!」
これを食らえば自分もただでは済まないことを知り、クレーエが恐怖のままに後退した時、倒れた死体に躓いて尻もちをついてしまう。
「ぐ、はぁっ! はっ、はぁ、は……!?」
ジェラルドの方も、激昂のままに絞り出した攻撃は、身体に少なくない負荷をかけていた。腕の形が元に戻った瞬間、凄まじい衝撃が体を走る。それは――痛みだ。
「あ、っぐ! い……った、ぅあああああ!!」
左腕から全身にかけて、駆け巡る激痛。まるで体の奥に流れる黒い血が、茨となって全身を這っているようだ。今まで忘れきっていた、痛みの苛烈さに恐怖を思い出し、耐え切れず地面に蹲りそうになる。それでも、最後の意地をかけて、どうにか左腕を伸ばし、もう一度銃を構えた。
「ひ……や、やだ! やだやだやだ! ラーヴ助けて、ラーヴぅ!!」
向けられた銃口に対し、明確な恐怖を浮かべ、自分の体を守るようにぎゅうと抱き締めてクレーエが叫ぶ。構わずそのまま、引き金を引こうとしたその時――空からの気配。
「ッ!! グ、あ……!!」
咄嗟に、ジェラルドは身体を地面に転がすことしか出来なかった。そしてまた全身に痛みが走り、堪らず蹲る。
彼の頭があった場所を槍で薙いだのは、どこから現れたのか、重厚な聖銀鎧を着け、紫の帯を肩に下げた巨体の男。まるで風に流れるようにふわりと浮かび、クレーエを庇うように地面へ降り立った。
「……闇竜ラトゥの腕。人と肉を交換し、その代りに竜の力を人に与えたもの。闇が司る力は、安寧と増幅。それは生物・無生物を問う事はなし。故に、肉体の強度、筋力、その腕で使う武器の威力、全てが増幅される」
「あ……ラーヴ、ラーヴぅう!! 怖かったよぉ!!」
槍を構えたまま、ジェラルドの腕を見、辞書の説明を並べるかのようにつらつらと言葉を繋げたジュラーヴリは、やっと自分が助けられたことに気が付いたクレーエに背中から抱きつかれている。
「しかし同時に、強すぎる竜の力は人の肉体を蝕んでいく。……今は止めておけ。俺でも、殺せる」
「ぐ……っ、ぅ、あ……」
最後の言葉は、明確にジェラルドへ向けられた言葉だ。悔しいが、ジェラルドもそれは理解している。久しぶりに味わう「痛み」は彼にとって恐怖を齎し、最早指一本動かせない。起き上がる事すら出来ず、どうにか視線だけを必死に持ち上げる状態だ。
「……クレーエ、遅くなったな。すまない」
「うん、ううん、いいの! 来てくれたんだからいいのっ……!」
敵が最早立てぬと解ったのか、褐色肌の男はジェラルドから視線を外し、戦で汚れてもまだ白い相棒を抱き寄せる。いつも我儘を言う女の殊勝な泣き声に詫びるように、その頭を撫でてやってから、大槍を背に負い、両腕で彼女の体を軽々と抱えあげた。クレーエは彼の太い首にしがみ付き、安心したようにずっと泣きじゃくっている。
「ここは、去らせて貰う。お前が我が神、智慧女神スヴィナ様を欲すと言うのなら――追ってこい。神々の円卓まで」
「っ、き、さま……!」
必死に身体を持ち上げようとするジェラルドを置いて、男はその巨体をふわりと浮かす。まるで風に乗るように、クレーエを抱えたまま、星が輝き始めた空に向かって飛んでいく。
「ま、て……!」
最後の力を振り絞り、左腕を動かす。銃の引き金がかちん、と鳴って、そのままだ
った。当然だ、この銃は一発しか弾を装填出来ないのだから。そんな事も忘れてしまうほど、ジェラルドの頭と体は限界に達していた。
そして彼の意識は再び混濁し――
【やれやれ、無様にも程があるわ】
という、呆れた竜の声が最後に聞こえた気がしたが――ぷつん、と切れた。
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