◆6-3
「――ッ!!」
発条のように跳ねて、ジェラルドは飛び起きた。
は、は、と短い息を吐き、呼吸を整える。混乱する意識の平静を取り戻すために、大きく息を吸って、吐いた。
そこで、自分が広い荒れ地に寝転んでいたことに漸く気付き、驚く。
周りを見ても、見渡す限りの荒野。遥か彼方に見える山の連なりは、封折山脈だろうか。まず自分の武器を確認しようと、両手を腰に――伸ばそうとして、左腕が全く動かない事に気付く。
「……ッ!?」
無造作に己の体を見遣り、ジェラルドは驚愕した。そして、混濁していた記憶を幾許か取り戻す。
確かに己の左腕は、あの黒竜に噛み砕かれたはず。気を失ったのは恐らく血の不足だろうと仮定する。腕を失った瞬間に、幼い頃の恐怖を思いだした事に気付くことは無かった。何故なら、無い筈の左腕が、其処に鎮座していたから。
「……」
目で見る光景が信じられず、右手で左腕に触れる。服の袖も肩口から千切られたような跡があり、かの竜とのやり取りは決して夢幻ではない筈なのに。
更に、腕の様相もおかしかった。太さはかつてあったものとそう変わりないが、右手よりも僅かに長い。形も人のものであるが、まるで黒い布を隙間なく巻き付けたように見える。触れても体温は全く感じず、指をかけ引っ掻いてみても痛みもなく、布も捩れない。
己の身体の変調に流石のジェラルドもどう反応していいか解らず、無言でいると。
【ようよう目覚めたか。貧弱が】
「――…! 闇竜か?」
頭の中に不意に低い声が響き、一瞬驚くがすぐに心当たりに行きつく。エルゼールカ襲撃時から、何度も聞こえた声と寸分違わなかったからだ。
「どういうことだ。貴様、俺の体に何をした?」
声が届くかは知らないが思わず呟くと、ぐるぐると喉を鳴らす音がする。間違いなく、笑ったのだろう。すぐ後に響く声にも揶揄が含まれていた。
【言うたであろう。肉の褒美に儂の腕をくれてやると。人の脆弱な肉よりは、余程使えるであろうよ。まぁ、慣らすまでに暫くはかかるだろうがな】
声を聞きながら、左腕に力を込めてみるが、指一本動かせない。重い荷物がただへばりついた状態に、ジェラルドは不満を返す。
「余計な事を」
【ふん、腕を無くして怯えたあまり、気をやる阿呆に言われたくは無いわ。わざわざ運んでやったというに、礼のひとつも無しか】
「運んだ、だと? 何処だここは」
【我が眷属が、膨れた鳥が生まれた地だと告げていた。人の造った国や境界など、よく解らぬが】
聞こえた声に、目を見開く。つまり、此処は既にナシプより国境を越えた、カラドリウス皇国ということになる。周りには何の建物一つ見えないが、街道ではあるのか、大きな道が一本、地平線まで長く続いている。
【儂とて、肉を身体になじませるには今暫しの時間が居る。夜まで待て】
「おい!」
言いたい事だけ言い放ち、声は消えた。何を呼び掛けても、全く返事をしない。舌打ちをひとつして、やむなく立ち上がる。
左腕が重いことに変わりは無いが、体調だけなら非常に良かった。暫く碌な食事もとっておらず、体力も減っていた筈なのに。竜と血肉を交わらせるということは、竜の多大な生命力すらも共有することになるのかもしれない。
自分の予測に鳥肌が立ち、ジェラルドは一つかぶりを振る。どんな理由があれど、使えるものは利用するまでと改めて思い、街道に沿って歩き始めた。
×××
半日ほど歩き、日が傾き始めた頃。
漸くジェラルドの視界に、草原に天幕を張った一団が見えた。周りには、羊や馬などの家畜も多い。本で読んだ知識しかないが、カラドリウス皇国の北方に広がる草原に住まう、遊牧民というものかと思い至った。
言葉には若干の不安があるが、道を聞き、交渉次第では馬を買えるかもしれないと、足を速める。
しかし、もうすぐ辿りつく、と思った時。何も隔てるものが無い草原の風に乗り、僅かな悲鳴と金属音、慌てる家畜達の嘶きが、緊迫感を持ってジェラルドの耳に届く。
考える間もなく、ジェラルドは集落に向けて駆け出す。やがて、天幕の合間から登る煙がはっきりと見えた。飯炊きのものではない、――戦の臭いだ。
「――これは聖戦である! 戦神ディアラン様をこの地へ誘う為!」
朗々と声を響かせているのは、白布で織られた衣と、魔銀の鎧を纏った神官達だった。彼等はその手に、やはり銀色に輝く槍斧を持ち、それを集落の人々に振るっている。
「な、何故神官様達が――うわあああ!」
「許して! 子供だけは!」
悲鳴を上げて逃げ惑う遊牧民達の背に、神官達は容赦なく武器を振るっていく。その残酷なさまを見て、ジェラルドは思い違いに気づく。これは戦争ではない、ただの殺戮であると。
そして、血に塗れた蹂躙の中心に、立っている白い髪の女を見つけて、ジェラルドは身を隠していた天幕の陰から一気に飛び出す。
「――キュクリア・トラペサァ!!」
「あっは!」
サーベルを抜き放ち、真っ直ぐに斬りかかる。左腕は酷く重いが気にしている暇はない。周りの護衛達が驚き固まるのに対し、白髪の女は待ちわびていたかのように、赤い唇を歪めて笑い、ガントレットに付けた刃で斬撃を弾いた。
「何お前、本当に追ってきたんだ! 良かったぁ、これなら少しはマシになりそう!」
「く、クレーエ様、お下がりください――ぐぁ!」
魔銀鎧に身を包み、一条の白い布を垂らした女は笑い、止めようとした神官に返す刀で切りつけた。味方に対する攻撃に躊躇いが無い。ジェラルドが油断なく武器を構え直すと、クレーエと呼ばれた女は尚も嬉しそうに笑った。
「邪魔すんなっての! 戦神様を呼ぶのに、弱い者虐めばっかしてても無駄でしょ! ちゃんと戦争をやらなくっちゃ!」
手の甲から生やした掌ほどの刃を振って血糊を落とし、腰を屈めて女は構える。相手が手練れであると判断して、ジェラルドもサーベルを彼女へと向けた。未だ体は本調子ではないが、手を止める理由にはならない。
そして異変に気付いた神官や遊牧民も手を止めているので、大きく息を吸ってジェラルドは叫んだ。
「我が名はエルゼールカ城壁将、ジェラルド・スターリング! 女王陛下より貴族位を賜り、その責務を果たす者なり! 例え敵国といえど、無辜の民を徒に傷つける様を見過ごすわけにはいかん!」
ジェラルドが構えた刃は真っ直ぐに、クレーエに向けられる。
「何より、キュクリア・トラペサの一味と見受けた! 今度こそ、女王陛下の居所、吐いて貰うぞ!」
駆け出すジェラルドに向け、神官達ががちゃがちゃと魔法銀で作られた槍斧を構える。それは即ち、遊牧民たちへの意識が逸れたことに繋がる。逃さずに、ジェラルドは商用共通語で叫ぶ。
「逃げろ! 死者を弔い、誇りを取り戻すべき時は必ず来る! 今は生き抜けっ!!」
その言葉に弾かれたように、遊牧民たちは一斉に逃げだした。てんてばらばらに、蜘蛛の子を散らすように草原を駆けていく彼等の動きに、神官達は反応出来ない。何より、彼等の上に立つ者が、その動きを止めさせた。
「いいよ、弱いのなんかほっといて! まずはそいつっ!」
「「ははっ!」」
クレーエは面白そうに紅い唇を歪め、部下達に囲みを作らせる。多勢に無勢な状況である筈だが、ジェラルドの瞳はこの程度では揺るがない。
「邪魔をする者から順に、命を落とすと思え! ――参るッ!」
動かぬ左手を垂らしたまま、片手でサーベルを振り抜き、囲みへ向かって突貫した。
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