◆3-2

 城壁によって国土全てを囲んだエルゼールカの唯一の出入り口が、東砦から伸びる港だ。

 普段は漁船と貿易船が並ぶ筈の其処は本日、他の船は全て沖に出ており、その代わりに空から降りてきた船が停泊していた。

 人が乗る部分も大きな帆船ほどあるが、更に付随する巨大な布張りの風船が、船体の何倍にも膨れ上がっている。太い銀色の鎖で地面に繋ぎ止められていた。

 エルゼールカの民は老若男女問わず、許される限りその船体に近づき、驚きや感嘆の声を口々にあげている。他国の文化に触れることが非常に少ない人々にとっては、刺激的すぎる客人なのだろう。集まる客を見込んで簡単な出店が港に建ち並び、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 しかしそんな中でも、ジェラルドが歩くと、気付いた人々はさっと道を開ける。彼の容姿自体はそれほど人目を引くものでもないが、休日にも関わらず城壁将の意匠がついた外套を羽織り、腰に武器を下げている者といえばこの国に一人しか居ない。そして、その人となりに関しては子供でも知っているぐらい有名だ。向けられる感情の中身は、敬意と恐怖が丁度半々の割合だが。

「ま、歩くのが楽だからいいよな」

「何がだ?」

「別にぃ。ほらほら、折角だしもっと近く行こうぜ」

 ちゃっかりその後ろについて歩きながら、嘯くポリーの声に、ジェラルドが振り返る。いつも騒ぎを起こしておきながら、彼はいまいち自分が有名人である自覚が薄い。それ以上指摘しない従者にぐいぐいと背中を押され、結果、人ごみの一番前まで辿り着いた。

「っはー……でっけぇ」

「あぁ」

 改めて二人でその船を見上げ、感嘆の溜息を漏らす。気球まで全て合わせれば、その大きさはかの闇竜をゆうに越えるだろう。船体を守る為なのか壁面に銀板が貼られており、その整備や点検を行っているのか、同じく銀色の鎧を付けた白装束の兵士達が動き回っている。

「あいつらの鎧、綺麗だなー。鉄じゃないのか?」

「鍍金をしているんじゃないのか」

「いいえ。鉄ではなく、聖銀と呼ばれるものですわ」

 好き勝手に喋っていたら、不意に後から声をかけられ、二人揃って肩を揺らす。同時に振り向くと、立っていたのは長い黒髪の女性だった。

 帽子と豪奢なローブ、靴に至るまで全て白色で、且つ銀色の糸で細かな刺繍が施してある。肩から垂らしている幅広の布だけが白ではなく、鮮やかな青色だった。エルゼールカでも珍しい黒髪は絹糸のように美しく、金陽の光を反射している。薄く化粧をしているのか、白い頬と赤い唇で優雅な微笑みを浮かべていた。

 この国では非常に珍しい装いの女性が、エルゼールカ語を流暢に話しているその様に、ポリーは戸惑ったようで、思わずジェラルドの後ろに下がってしまう。対してジェラルドは動揺の欠片も見せず、話し掛けてきた女性に問うた。

「聖銀とは?」

「神殿で鋳造することの出来る、神の祝福を受けた金属です。鉄よりも若干強度は劣りますが、加工が容易ですし、神官は皆何かしら身につけておりますのよ」

「――貴殿のその刺繍もか」

「まぁ、御目が効きますのね」

 僅かに眼を眇めたジェラルドの指摘に、女性は白手袋に包まれた手を口元に添え、ころころと笑って見せた。

「え、それ糸じゃねぇの!?」

「加工が容易、と申し上げたでしょう。私はこの通り、か弱い女の身ですから。鎧代わりの守りとして、埋め込まれているのです」

 驚いて遠慮も忘れ、顔を女性の服に近づけてまじまじと見てしまうポリーに、気を悪くした風もなく女性は笑みを絶やさない。

 しかし、彼女の瞳に対する僅かな違和感を、ジェラルドは感じ取っていた。

 確かに微笑んでいるのだが、濃い藍色の瞳はどこか虚ろだ。視線が合わないまま話しかけられる居心地の悪さを腹の奥で磨り潰し、ポリーの腕を引いて下がらせる。

「――して、貴殿は? カラドリウス皇国の国司か」

「まぁ、これはこれは……ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私、八柱神が一柱、銀月女神リチア様にお仕えしております、イエイン・ランと申します。以後、お見知りおきを」

 すっと両手の指を胸の正面で絡め、そのまま優雅に礼を取るイエインと名乗る女に、ポリーだけでなくジェラルドも僅かに戸惑う。神官の正しい挨拶や対する礼の取り方など、二人とも知らない。

 しかしジェラルドがそのまま怯む筈も無く、己がサーベルの柄を拳で軽く叩き、軍式の敬礼を取る。

「こちらも、非礼を詫びよう。エルゼールカ国城壁将、ジェラルド・スターリングだ。貴殿らを我等が女王陛下の客人として、歓迎する」

「え、えと、こんにちは。こいつ……あーいや、この方、の使用人やってます、ポリーです」

 続けておずおずと、慣れない敬語を使いながら頭を下げるポリーに、イエインは「ご丁寧に、有難うございます」とやはり微笑んだまま丁寧に返した。

「浅学にも、初めてこちらの地を踏みましたが、驚きました。この国に、八柱神の教えが届いていないというのは、真だったのですね」

「ああ」

「は、はい」

「ああ、お気を悪くされないで下さいまし。我がカラドリウス皇国では、赤子は生まれた時に洗礼を受け、その命が尽きるまで神にお仕えすることが決められているのです」

 あくまで口調は優雅だったが、二人が首肯した一瞬、彼女の瞳にぢりり、と熱が篭ったことに、ジェラルドだけが気付いた。あまりにも僅かな時間だったので確信を持つことは出来なかったが――苛立ちや、怒りといった感情だったような気がする。無論その間もイエインは、ゆうるりと口の両端を上げて微笑んでいたのだが。

「あ、そうだ! あの、神官様って、呪いを……ええと、かかってるかかかってないか、調べることとか、出来ますか?」

 その違和感に気付かなかったらしいポリーが、ジェラルドの腕を掴んで引きながらイエインに問う。僅かに彼女の瞳が眇められ、まぁ、と口元に手を当てた。

「どなたか、呪いを被るような事を? それは大変です。わたくしで宜しければ、お力添え致しましょう」

「いや――」

「ありがとうございます! ほら、ジェリー見てもらえって!」

 拒否しようとしたジェラルドの声は、ポリーに遮られた。無理やり一歩前に進み出されたジェラルドに、黒髪の神官は微笑んだままで言う。

「ふふふ、城壁将はお優しい従者の方をお持ちなのですね。では暫し、身体を楽になさって、わたくしの眼を見てください。大丈夫、見極めはすぐに終りますわ」

 背中をがっちりポリーに掴まれているため、逃げようが無い。促されるままに、飛行船の人込みの中ではあるが、腹を括って女の藍色の瞳を覗き込んだ。

 その瞳は、まるで黒い穴のようだった。同じ黒ならば闇竜の巨大な瞳があるが、あの爛々と輝くものとは異なる。ずっと覗き込んでいると、自分が吸い込まれていきそうな、妙な不気味さすら感じさせた。

「呪われたと思われたのは、何故ですか? いつの頃からでしょう?」

「……同じ内容の夢を、続けて見るようになった。もう一巡り程にもなる」

「成る程……。夢の内容を、伺っても?」

「大したものではない。細かいことは、忘れてしまっている。ただ、自分が闇の中にたゆたっていて――大切なものを、無くして、必死に探している――」

 促されるままに、唇が動く。普段からジェラルドは物怖じしない男だが、警戒心なくこのように言葉を紡ぐ事も、珍しい。まるで、見えない何かに、促されているように、言葉が口をついて出て行く。

 そんな己に違和感を覚えているのに、口が止まらない。目が逸らせない。気付けば、絡め取られているかのように、体すら動かせない。

 ――何かの術式を、かけられたのか? いつの間に、どうやって?

 相手の女に不審な動きは無かった。ただ視線を合わされて、声をかけられているだけだ。

 危機感が心臓をつつき、額に僅かに汗が滲む。負けるものかとせめてもの気概を込めて、ぐっと相手を睨みつけた瞬間――体の強張りが、一気に解けた。笑って落ちそうになる膝をどうにか堪え、改めて相手を見遣る。

 女神官は――とても驚いた顔で、唇を手で覆っていた。彼の体に対する異常に気付いたのか、それとも己の拘束が破られたと感じたのか。ジェラルドが問い返す前に、彼女はゆっくりと口を開いた。

「――スターリング将軍、貴方の幸運とお心の強靭さに、まずは敬意を表します。貴方に呪いをかけたのは、間違いなく、かの闇竜に相違ありません」

「貴殿も、闇竜を知っているのか?」

「知っている? 知っていますとも!」

 今までの穏やかさをかなぐり捨てたかのように、女神官は声を上擦らせた。今まで大人しく様子を見守っていたポリーの肩が、びくりと飛び上がる。闇竜、と彼女がその名を呼ぶ声には、怒りと慟哭が篭っていた。

「――銀月を呑んだ、忌まわしき黒き竜の神話を、お聞きになったことはございませんか?」

 まるで親の仇を罵るように、彼女は吐き捨てた。

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