国を司る女王陛下、拾った哀れな痛み無き獣

◆2-1

 エルゼールカの国土は、非常に狭い。島一つに、街一つ。どの大陸からも遠く離れ、文化の隔たりは非常に大きい。

 しかし、決して文明が遅れているわけではない。寧ろ、石造りの家や道路、闇夜を照らす明り石の街灯など、大陸よりも非常に便利な設備を備えていた。

 元々島の自然は乏しかったが、その代わり、地下に大量の天然資源を有していた。良質な石材と様々な貴金属、そして優秀な燃料である石炭。絶海の孤島であるが故に、戦によってそれらが奪われることも無かった。

 更に、それを民の発展のために惜しみなく使う、女王の手腕があった。潤沢な燃料は人々に暖を与え、様々な産業の発展を齎した。

 水の貴重な島故に、魔操師達による大規模な水源の管理と浄水を行い、上下水道を完備した。

 島を囲む海流に負けない動力を備えた船に、鉄器や陶器を積んで他国に輸出し、様々な食物や衣料を輸入した。

 その結果、今や小さいながらも決して無視できぬ一国として、世界にその地位を確立させたのだ。

 美しい白亜の壁で飾り立てられたエルゼールカ城の奥、女王の謁見室には豪奢な絨毯が引かれ、其処には国を治める機関に身を置く貴族達が既に集っていた。

「此度の襲撃の被害は如何程ですかな」

「目立った被害はございませんな。人員、防壁共に少々です」

「もうひとつございますでしょう、城壁将のお怪我」

「おお、おお、そうでしたなぁ」

「ほほほ、『首輪付きの狂犬』も、此度は流石に懲りたでしょう」

「ふん、無茶をなさることだ。そのまま竜に食われてしまったら、如何とするのか」

「全くで」

 取りとめもなく話す貴族達の口元には、皆一様に笑みが刻まれている。滲み出るのは、嘲りと侮蔑。ほぼ全員の心の内に、竜襲撃の際活躍したジェラルドを、忌々しく思う心持があるようだった。もっと露骨な者には、あのまま死んでしまえば良かったのだという、明確な敵意まで見てとれる。

 ジェラルドが貴族位を与えられたのは三年前。しかも、元第二市民からの大抜擢など、エルゼールカ千年の歴史の中でも初めてのことだった。

 自分達の地位が永き伝統と、紡がれた歴史による神秘で裏打ちされている貴族にとって、それを真っ向から否定するジェラルドの存在は不愉快でしか無かったのだ。女王陛下のみに傅き、元老院どころか全ての貴族を路傍の石と同然の扱いをする、ジェラルドの振る舞いも原因の一つではあるが。

「一同。静粛に」

 口さがない言葉を、ひんやりと冷えた声が切り裂いた。貴族達が一斉に息を飲む。

いつの間に現れたのか、この国の宰相であるアグリウス・オットーが、未だ無人の玉座の隣に控えていた。

 老境に差しかかった男性だが、その眼光は鋭く、若き日の気迫を決して枯らさぬままに年を重ねた顔をしている。先祖代々女王に仕えるオットー家に生まれ、先代の父より地位を受け継いで数十年、絶対権力者である女王の信頼は厚い。滅多に表舞台に出ることのない女王の言葉を、臣民に伝える唯一の存在として、エルゼールカの発展に尽力している。みだりに女王へ謁見することも叶わぬ貴族達にとって、ある意味、女王よりも恐ろしい相手と言えた。

「こ、これは宰相殿。ご機嫌麗しゅう」

 口々にそう言い頭を下げる貴族達に、アグリウスも表情一つ変えず丁寧に礼を返す。そしてやはり冷たい声で、静かに言葉を紡いだ。

「貴公等がスターリング将軍に対し、どのような思惑があろうと、我等が女王陛下はお心を揺らさぬ。だが、女王陛下の、スターリング将軍に対する信が非常に厚いのもまた事実。それを不満と思うのならば、女王陛下に対して何某かの遺憾がある、と判断しても宜しいか?」

「いえいえ! 決してそのような」

「ど、どうか将軍にはご内密に」

「うむ、結構。五年前のような事が起きるのは、女王陛下としても不本意であろう」

 五年前、とわざわざ指定して言われた事実に、貴族達が一斉に肩を竦ませる。

 ジェラルドが最下層の身分から、女王自らの援助を受け、ついに兵士として城勤めになった直後の話だ。これだけでも、この国一番の出世頭だったのだが、更にその地位を押し上げるきっかけとなった事件がある。

 当時、あからさまに女王の采配に関して、不満を漏らす貴族が元老院の中に居た。勿論、女王の前で言うことは無かったものの、元老院に力をもっと持たせるべきだと声高に主張し、賛同している貴族も決して少なくなかった。

 しかしそんな折、その貴族がまさに不敬なる話をしているところを、僅か十三歳、城勤めに入ったばかりのジェラルドが偶然目撃してしまう。

 ジェラルドは無言のままその貴族の後を追い、彼が城の敷地外に出た瞬間――腰に下げていた剣を抜き放ち、その背中へ思い切り剣を叩きつけたのだ。

 幸い貴族の命は助かったものの、浅くない傷がたたって一線を退く羽目になった。当然大騒ぎになり、ジェラルドはすぐさま逮捕され尋問を受けた。

 何故こんなことをしたのか、と問われた彼の第一声が、「背丈と剣の長さが足りなかった。首を落とすつもりだったのに」と不満気に呟かれた言葉だったという。

 また、逆に何故、話を聞いた直後に斬りつけなかったのか、という問いには、「城内での私闘による抜刀は女王陛下より禁じられている」と事もなげに返した。当時、まだ線の細さが残る少年兵から告げられる、苛烈さと冷静さを併せ持った言葉に、尋問官が青い顔をしたのは言うまでも無い。

 処罰に困ったのは元老院である。身分の剥奪をしようとしても、彼は元第二市民、これ以上低い地位が存在しない。かといってこの国の法律では、殺人を犯していない者を死刑には出来ず、人民自体が財産である小国にとって、国外追放という刑罰も存在しなかった。

 そうこうしているうちに、その貴族の明確な翻意の証拠である、他国への不正な金の流れが明らかになり、世論は一気にジェラルドを弁護する形に傾いた。

 結果、行き過ぎではあったが不忠者を処罰したということで女王陛下自らの温情を受け、ジェラルドは兵士の中で一番過酷であろう、城壁勤めを命じられるだけに留まった。その後、彼は腐ることもなく己の仕事を全うし、竜に対する戦功を上げ続け、貴族位を得るまでになったのである。

 『首輪付きの狂犬』という、畏敬と侮蔑の混じった渾名を付けられたのも五年前からである。女王陛下だけに従い、逆らう者は貴族であろうと、己が身を顧みず、全力を持って噛み殺さんとする犬。未だに貴族達にとっては、少しでも女王陛下に対する不敬を買えば、彼に後ろから斬り殺されるのではないかと思えてしまう、恐怖の対象でもあるのだ。

 青褪めた顔の貴族達をゆっくりと見渡しながら、表情を変えず宰相は続けた。

「スターリング将軍の傷は、決して深くは無かったようだ。無理をさせることは出来ぬが、本日の謁見も滞りなく終わらせるであろう」

 その言葉に、ある者は驚愕、ある者は不満、ある者は諦めを浮かべた時――部屋の外から、侍従の声が響いた。

「ご注進致します! ジェラルド・スターリング将軍、ご到着致しました!」



 ×××



 巨大な謁見室の扉は、僅かな軋みも無く静かに開いた。

 こつ、こつ、と規則正しく、編み上げ靴の踵が絨毯を叩く。その歩みの速さは、いつもと全く変わらなかった。

 ジェラルドの見た目は、武器を侍従に預け、一張羅に身を包んだ、女王への謁見を行う際のごく普通な姿だった。

 その顔はいつも通り、堂々とした自信と苛烈な光に充ち溢れた目を備えている。先日負った怪我による痛み等、毛ほども感じていないかのように。

 厭らしく阿る、或いは侮蔑を隠さず睨んでくる貴族の視線など、意に介さず跳ねのけるほどの気迫を放ちながら、彼は玉座の前に立つ。手袋に包まれた右手の掌を胸に当て、朗々と告げた。

「城壁将ジェラルド・スターリング、我等が女王陛下の御召しにより参上致しました」

 謁見室に響く声に、アグリウスが頷いて静かに答える。

「足労であった、スターリング将軍。……女王陛下の御成りである。一同、静粛に」

 その声を受け、一番先に行動したのはやはりジェラルドだった。素早く絨毯の上に膝をつき、頭を垂れて次の声を待つ。勿論他の貴族達も、己の立ち位置に戻りそれに倣う。

 やがて、僅かな衣擦れの音と共に、玉座に腰掛ける気配がひとつ。

「一同、面を上げよ」

 アグリウスの声に、元老院の貴族達は一斉に立ち上がるが、ジェラルドは跪いたままだ。身分差により、儀礼的にまだ彼は顔を上げることが出来ない。重厚に響くアグリウスの言葉は更に続く。

「此度の竜による襲撃は、強大なる闇竜ラトゥが三十年振りに飛来したにも関わらず、スターリング将軍の活躍により退けられた。スターリング将軍、女王陛下の傍へ」

「御意」

 そこでやっと、顔を上げる事が許される。ジェラルドはすっと居住まいを正し、 待ち侘びた女王の姿を視界に入れ、眩しいものを見るように、穏やかに目を細めた。

 玉座に腰掛けているのは、顔の下半分をヴェールで覆い、座った足先がやっと床に届く程しか、身の丈のない少女だった。

 美しい白金の髪は綺麗に結い上げられ、ジェラルドの顔を見たのであろう紫色の瞳が、僅かに細められる。その笑顔であろう動きだけで、感激のあまり気絶しそうになった。

 彼女が、この国の頂点に建国より君臨する「女王」。エルゼールカ建国より千年、一度も代替わりせず、国を守り続けてきた神秘の少女。

 その、人間では有り得ない在り方に対し、大陸の他国では彼女の正体について、伝説紛いの様々な憶測が飛び交っているらしい。

 曰く、密かに血を繋げている王族が女児によって代替わりを続けている。

 曰く、それでは婚姻話が全く持ちあがらないのが不自然であるため、処女受胎によって世継ぎを生んでいる。

 曰く、彼女は嘗てこの世を作り上げた神の一柱であり、それ故に年を取らず千年を生きている。

 曰く、逆に彼女は神の敵である邪神と魔の者によって生を受けた存在であり、エルゼールカの民は皆魔の者である。

 御伽噺のような噂が実しやかに囁かれる中、エルゼールカの民達は、個々人に差異はあれど、女王の存在を受け入れている。彼女が民より絶大な支持を得られるだけの、実績を持っているからだ。

 遥か昔、痩せた土地しかない、大陸から遠く離れた最果ての島に、戦乱に追われて逃げのびた人々がエルゼールカの開祖とされている。そして一番古い記録で千年前から「女王陛下」の名は存在していた。

 人々に漁業と貿易によって糧を得ることを教えた女王は、それから時代が進むにつれて、様々な改革を行ってきた。

 地下資源の採掘を支えていた、奴隷と成り果てていた第二市民の身分を廃止した。その代わり、当時神に逆らうものとして他国を追放された魔操師達を重用し、彼らが作り上げた自走人形という新しい労働力を広め、更に国を豊かにした。

 その他、元老院を始めとした議会の設置、街の区画整備と病院や警察の設立など、決して滞る事無く国の発展を目指し、働き続けてきた。今や、国民達による女王の尊敬と信頼は、揺るぐことは無いと言える。

 大陸では、伝承の八柱神に祈りを捧げる神教と、それに仕える神官の祈りが齎す奇跡により人々の繁栄を守ることが主流であり、宗教と政治が一体化している国も決して珍しくは無いのだが、この国には神殿すら存在しない。居るかどうか解らない神の奇跡に縋るよりも、民草の声も聞き届けて下さる、神秘の女王陛下に感謝を捧げるのが、エルゼールカの常識になっているのである。

 当然だが、ジェラルドも彼女の正体に対して疑問など持たない。彼にとって剣を捧げる相手は、目の前に座る女王を置いて他にはいない。彼女が何者であろうと、彼女自身が自分に手を差し伸べてくれている限り、その御身や意志を勘ぐることなど有り得ないのだ。

 女王は謁見の間に現れても、滅多に口を開くことなく、僅かに視線を向けるだけで宰相を動かす。アグリウスはその瞳の意志を全て汲み取り、彼女が望むままに口を開くのだ。

「此度の件、貴殿の働きに女王陛下は大変満足している。貴殿が望むままの報償を与えて良いとの仰せである」

「勿体なきお言葉にございます」

 喋っているのは宰相なのだが、ジェラルドは女王から視線を外さず礼を取る。そして、彼が謁見する際には必ず望む報償を、控え目にだがはっきりと、言葉で紡いだ。

「恐れながら――女王陛下御自ら、お言葉を賜りたく存じます」

 周りの貴族達から、堪え切れぬ失笑の気配が漏れる。彼が望む報酬は、いつもそのただ一つであるのは最早周知の事実。彼がこれ以上下手に富や権力を求めるよりは余程ましである筈なのだが、貴族達にはその行動が愚かだとしか思えないからだ。

 謁見の間に現れてから、一度も口を開かなかった少女は、またほんの少し目だけで笑って見せ――ジェラルドの望む言葉を、ヴェールの下から囁くように告げた。

「ジェラルド。此度の勝利、感謝します。これからもエルゼールカの為、その力を貸してください」

 鈴を転がすような、という形容に相応しい、涼やかで優しい声。それを聞いた瞬間ジェラルドの顔は感激によって紅潮し、深々と頭を垂れてこう告げた。

「……御意にございます、我等が女王陛下!!」

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