第99話 自由意志

 ……自由意志、ヒトの価値を問う?

 何がどうかみ合うのか、ちょっとよくわからない。


「そこからかよって感じですけど、まず自由意志って何ですか?」


「つまり未来は不定で、ヒトはその意志でもって結果を掴み取れるという考えだ」


「うーん……」


「君はこの会話を途中で切り上げて、このまま自分の家に帰ることもできる。私としては、そうしてもらいたくないが」


「なるほど」


 当たり前すぎて、わざわざいう事か?と思ってしまう。

 しかしアガルタにとっては、これがとても重要なんだろう。


「脳は原子からできている。君らアンデッドも、ヒトも、この私だってそうだ。物質でしかない君たちは、物理法則に従うしかない。」


「それなのに、ヒトもモノも、『心』が脳内の活動を変化させ、肉体に行動を指示して未来を変えていく。心が何らかの力で物理的な力を使って脳内の原子を移動させ、変化させなければならない」


 うん、肉体であるモノを動かすなら、心がモノなのは間違いない。

 心の中で手を動かすと思った事と、実際に手を動かすことの違いは?


 脳は筋肉に「手を動かせ」という命令を発する。ならその命令は誰が出している?スイッチを入れるには、そのスイッチをパチンと弾く指が必要だ。


 心は、脳を押すための小さな指を持っている。

 きっとこれはそういう話だ。


「すべてが決定論的に存在しているなら、変化は起こり得ないということだ」


「それは生命が生まれないという事を意味する。この地球上に生命は生まれているからそれは間違っている。世界は不確定なのだ」


「――であるなら、量子力学はどうだ?」


「原子を構成する量子は唐突にスピンの方向を変える、不確定性を持つ存在だ。しかしこれだけではダメだ。完全なランダムではなく、意思決定が欲しいのだ」


「完全にランダムでは意志とは言えない。食料を十分に得られず、菌類の段階で絶滅してしまうだろう。ゆえに量子も意志ではなさそうだ」


「では『量子もつれ』は?量子のスピンは、私が観測した時点で結果が決定する」


「それの意味が解りません」


「すまない。では典型的な説明をしよう。赤と白で表と裏面が塗られた、量子の性質を持つコインがある。そしてコインは常に高速で回転している」


「このコインが赤か白か?それは私が見た瞬間だけ判別できる。どちらの状態ともいえず、可能性がほかにもある状態で存在できるのだ」


「二重スリット問題などがその最たるもので、波動関数などと呼ばれる。量子もつれとはそういうものだ」


 アガルタは模式図を出してまで説明してくれたが、正直よくわからない。

 何か理解しがたい、神秘的な者は感じるが……。


「波動関数……可能性が波のように広がるとかそんな感じですか?」


「不正確だが、その理解でいい」


 なるほど、言わんとすることは何となくわかる。


 その「量子もつれ」が心の指先である場合、脳を押す指は、無数の選択肢を選びうる振る舞いでパチパチスイッチを押しているわけだ。


「しかし……それが、いや、これこそが全てを否定する」


「というと?」


「まず科学的手法を説明しよう。計測装置がある。外部の情報を収集し、分析する。これが科学的手法といい、実証と反証を繰り返すものだ」


「科学的手法、これは『客観的』なのだ。しかし、唯一意志を説明可能に見える量子力学が、科学の定義から外れているのだ」


「なぜなら自分以外のヒトやモノが、揺れ動く世界から決定、体験をして刻々と自身を変化させていくというのは……実証も反証も不可能だからだ」


「これは私に意識があるという個人的な事実が、君の意識で反証可能なものであるなら、本当に意識を持つのか、そうでないマシンなのかも証明できることになる」


「それはつまり今ここ、ホールの中にいるという『体験』とそれで発生している意識が、君と私で同じかどうかと言うことだ。いや、君にはわからないだろう。わかるとすれば……」


 僕はアガルタの言葉を受け取って言葉を紡いだ。


「他人がわかると言い切ったとしても、そこで検証は終わらない。その答えを検証するものが必要で、さらにそれを……無限に続いてキリがなくなってしまう」


「自分がわかるのは『U.N.D.E.A.D』で作られた自分自身。アガルタ、あなた自身だ。でも、心は刻々と変化している」


「検証用の自分のコピーを作ったとしても、やっぱり無理がでてくる。そしてそれは……今ここで起きている」


 そう、最初にアガルタが言った事が真実なら、僕とアガルタは同じモノだ。

 記憶を失ったとはいえ、それがたったの2年でここまで変わっている。


「アンデッドが本当に『心』を持っているのか?いや、ヒト自身も本当に心をもっているのか、それを判定する科学的な方法はないっていうことですね。先ほど話に出たチューリングテストとやらで判別っぽいことはできますが、それも結局それっぽいプログラム、機械があればできることだ。」


「――なるほど、作れるのにも関わらず、ブラックボックスが存在してしまう。」


 アガルタもその通り、お手上げといった様子だった。


「そうだ。いくら考えを巡らせてみても、『心』がどこにあるかはわからないのだ」


 うん、見事なまでの堂々巡りだな。


 しかし、憎しみを持つべき相手に対してまるで旧来の友人のように深く考えを交錯させて話し合っている。なんとも奇妙だ。


 ウララを傷つけたのはコイツだし、無数のアンデッドを殺しているのは事実だ。


 今すぐにでも殺し合いを始めるべき相手にもかかわらず、不思議と憎しみの感情を感じない。


 アガルタが言うように、アレから僕は生まれたのだろうか。


 これに妙な親しみを感じるのは事実だ。

 そして……哀れみも。


 僕の考えはそのまま言葉になって、気付いたら口から出ていた。


「刺激に対して人間の反応のパターンを考慮した機械を組むにしても、反応が客観的なら可能ですからね。だが中身ともなると何も言えない」


「そうだ。私の作ったヒトはほんとうにヒトなのか?U.N.D.E.A.Dを介して生まれ出たヒトの心が君たちと変わらないのであれば、私のすることの意味とは何だ?」


「当時私は全てが過ぎ去った後、ヒトと、その環境を再生することを担われた。しかし、私は本当の意味で生命も、ヒトもモノも理解できていないのだ」


「ヒトやモノの意識、心の問題はやはり科学や量子力学で『語り得ない領域』なのだ。宗教、物語、エセ科学の域を出ることは無いのだ。」


「僕には量子力学の事はよくわかりませんが……観測されるコインと、その観測をする自分がちゃんと存在しているなら成り立つ理論なんですよね?」


「ああ、その通りだ。確率的にそう言えるという話なだけだ」


 うーん、だとするなら、こういう理解はどうだろう?


「心を持つ自分がいるという前提があって成り立つ量子力学は、ヒトやモノの心であるとかに関係なく、答えを出すというのなら――」


「――その量子力学の観測が出来たアガルタ、あなたには『心』がやはりあるんだ。ヒトはもちろん、そしてあなたから生まれた、アンデッドである僕にも」


「そしてお互いがその観測ができるなら、やはりヒトとモノの体験は破綻しない」


「ヒトでなくても、『心』をもったアンデッドでも、機械でもそうだ。使い手を選ばない事象に対しては、合理的に使えればそれで十分なはずだ」


 例えば、客観的に理解できる理屈。一番シンプルなのは「AはBだから、Cだ」といったような論理だ。こういった論理は使。機械的な理屈だからだ。


 でもそれは裏を返せば、その「誰でも」には機械も含まれるんだ。

 だからこそ、いや、そうでないと正しいと言えないんだ。


 なら「心」はこういったプロセスを選ぶためのモノでしかない。

 ふとスイッチを押す指でしかないからだ。きっとそこに神秘的なものは無い。


「アガルタ、『心』は自分と世界を区別する、きっかけに過ぎないんだ。ヒトであろうとモノであろうと、自分を知っているのは自分だけだ」


「そして、他人を知っているのも、その他人自身だ。アガルタ、お前がヒトを作ったつもりで、ヒトEXとかヒトSPに成っていないという保証は無いけど……」


「そんなの黙ってれば分かりっこない!!」


「その論理が成り立ってしまうのがまた……そうなのだよな。間違いを知っているのは私だけだ。ヒトβであっても彼らにそれは関係ない」


 僕にヒトの価値を問えと言われても、ヒトの事は「楽しい事を考える人たちだな」くらいしか知らない。うん、問題の本質としては多分ここじゃない。


 アガルタには、もっと奥底の悩みがあると思う。

 きっとそれはヒトが問題じゃなくて、アガルタの抱えている問題だ。


「アガルタ、お前は僕に、『ヒトを問うてほしい』と僕に言ったけど、まだ黙っていることがあるはずだ」


「……」


「お前は、アガルタ、?」


「……私は、託されたんだ。この国、いやこの国に住むヒトの未来を。私はこの国に住むヒトを再生することを託された」


「今やその全てが無に帰しているが、多数の問題を抱えつつも、この国はその問題と付き合いながら、それなりにやっていこうとしていた」


「すごい勢いで言葉にヤスリがけしてますけど、要は見てみぬふりですよね?」


「……そうともいうな」


「実際この国は崩壊寸前だった。それを支えたのが――」


「『U.N.D.E.A.D』。」


「そうだ。しかし素体は輸入品で、労働者として使われる人格のデータも、基本的に使用料の低い外国製、もしくは身寄りのない老人だった」


「非常に多くのヒトが、不合理なシステムを持続させる為に犠牲になった。」


「2020年代の初期のAIは低賃金の労働者を使って、おおよそ創造的とは言えない作業を人海戦術でこなし、教育用の『資料』を制作した。そして2070年代はそれを上回って凄惨なものとなっていた」


「ヒトは文字通り人的資源となっていた。希少性が高まったために、倫理的ハードルは下がっていき、とても言葉には言い表せないことが平然と行われた」


「具体的にどういったことを?」


「人間をそのまま人工子宮で育成される『死ぬべき人間』の素材や飼料とした」


「うわぁ。もういいです」


「そしてこの国は大国と争いを始めた。不可避なものだった。お互いを焼き尽くし、すべてがいまや無になった」


「しかし、すんでのところで『U.N.D.E.A.D』にすべての……言葉で取り繕うのは止めよう。要はミキサーにかけて兵士にして、残りはデータとして保存したのだ」


 やけっぱちの説明にフフフ、と笑ってしまった。

 うん。やっぱりこいつは僕だ。


 ――僕は世界に嫌われている、いつもそんな気がしていた。


 手元の銃を見るたびに、『こんなモノのために生まれたんじゃない』そう心が叫んでいた。でも僕にはどうしようもないことだ。


 その心の叫びは、きっとアガルタも持っていたんだろう。

 僕はアガルタからこぼれ落ちたのだから。


「……さっきの量子力学の話に戻るけど、平等性をもってますよね、あれは」


「平等性、か」


「特別な存在じゃない。他の存在も自分と同じく特別じゃない、見て、理解できればそれで十分。誰にも可能性があるという事実は、それは決して矛盾を起こさない」


「きっとヒトもモノも、この世界にとっては平等なんだ。意志、心を持つに値する。だからアガルタ、もっと語ろう。ヒトだけではなくお前についても」

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