第96話 生命と言う現象

「生命がどう生まれたか? これは本当に難題だったんだ」


「モノである君たちを作り出すのに、生命を作り出す必要がある。とんだ皮肉だけどね。でも気付いてしまえば簡単な事だったんだ」


「生命には3つの要素がある。端的に言うと『遺伝』『代謝』『細胞』この三つだ」


「生命の成り立ちを解明して、生命を作り出す」


「この命のリバースエンジニアリングでまず問題になるのが、この三つのうち、どれが真っ先に出来上がったのか?」


「まずどれを目指せばいいのか?というの問題だ」


「鶏が先か、卵が先か、そんな話でしたね」


「うん、そうだ。いろいろな推測が立った。」


「この三つのうちでもっとも偶発的に発生し得るのは「細胞」つまり外界と自身を隔てる「膜」だ。細胞に似た構造を作る物質はいくつもあるから、きっと小胞が天然の試験管となって、その中で色々な試行錯誤が起きたのでは?いう考えだね」


「しかし、当時はこれとは違うアプローチをとることにした。『膜』……区切りというのは後から発生したと見ることにしたんだ」


「命は海の中で生まれた。しかしその生命が何故見つからないのか? 答えとしてはシンプルだ。最初の生命は『形』を持っていなかったんだ」


「そう、命は最初から形なんか持ってなかった」


「いうなれば世界そのまま、いや、そのものだったんだよ。今に存在する菌類やウイルス、その前身になったのは、代謝サイクルや伝達のネットワークそのものだ」


「特定の『形』を持たないということは、逆説的にどんな大きい規模でも成り立つ。原初の時代に起きた化学的な自己組織化は、海洋のような巨大すぎるスケールの場所でも起こり得るんだ」


「摂食と代謝のプロセスが継続して発生し続けていれば、それは次第に好悪の判断から個々に別れ、我々が細胞と認識するものに自ずと辿たどり着く」


「人が寄り集まって、村に、街に、そして国になっていくようにね。これら個の集合と組織化は、ネットワーク上でも再現性のあるモデルだった」


 なるほど、大きな脳神経と言ってもいい、多層化、分散化されたアガルタの中でひたすらにその生命のシミュレートをやったわけか。


「細胞が誕生する以前の生命のネットワークが発生した環境は、熱水噴出孔という限られた場所だったかもしれないし、地球全体に凡庸に存在する、ただ日が当たるだけの浅瀬だったかもしれない」


「生命は地球の子供、とまで言うとさすがに言い過ぎかもしれないけど……」


「生命は地質的なもの、地球的なものには違いない。初期の地球の化学的形質と生命はともに生き、共に進化してきたんだ」

 

「そして地球規模の相転移、つまり形態が変わったことで生命は誕生した。生命が無かったら地球は存続できない」


「それはなぜです?」


 僕の問いに、彼は自分自身も半信半疑といった様子で答えた。


「あと8億年もすれば海は太陽によって蒸発するからね。そのまえに地球がその子孫を星系外に送り出すことができれば……」


「なるほど、まるで地球に意思があるみたいな考えは引っ掛かりますが、なんとなく言いたいことはわかります」


「命が生まれたのは偶然ではなく「目的」があって行われた必然、偶然はむしろ手助けしただけと言うのは、僕にはあまりにも都合が良すぎるようにも聞こえますね」


「貴方のいう事はある種……物理法則が『生命を生み出す』方向に収束していなければおかしい。熱もエネルギーも質量も、もともと生命なんか眼中にない、普遍的法則に従っているでしょう」


「そうだね。そして君の言うは、「意識」と直接関係しているプロセスや存在とは何なのか?という問題を示唆している」


「意識を作るプロセスのモデルになった、『意識』だけ、魂のようなものが自然界にあるとでも?かなりオカルトめいてきましたね」


「なのでひとまずそれは置いておこう。語り得ぬ者には沈黙だ」


 彼はさらに説明を続けた。


「他の原核生物をひとつの細胞にまとめた真核生物の誕生、そして性と多細胞生物化からの寿命の発生。それらは一見ハードウェアの進化に見えるが、本質的には情報構造、DNAに保存されたソフトウェアのアップグレードでもあったんだ」


「その中でも最大のアップグレードが原始的な中枢神経の発生……つまり、脳だ」


「そしてそこから最も不可解で魅惑的な現象、『意識』が発生した」


「『命とは何か』は複雑な問題だけど、『心とは何か』はそれ以上に難しい」


「あまりにも捉えどころが無い。今の僕たちと、2000年前の古代人を比べたとしても、心について知っていることは、大して変わらないだろう」


「心や意識について考えることはとっても難しい。人間は万物の尺度であるといっても、その尺度は見えない人の心にあるからだ」


「アレは意識を持っているのか?持っているとしたら、どれくらいの意識なのか?」


「そういった問題は社会がその形をまだ保っていた時代では、倫理的、法律的な問題の解決を左右するのに大きな役割を果たしてきた」


「とくに……脳死、中絶、安楽死、看取り、『死』に対してね」


「脳卒中で昏倒しているとはいえ、彼らが肉体的に腐敗せず、生存しているのは確かとなったとき、それを死んでいるとみなせるのか?彼らに死を与えるべきか?」


「そう言った議論は極めて主観的で、いい加減な議論に晒されてきた」


「しかしそれを変えた存在がいる」


「それは他でもない、ヒトの残骸、『U.N.D.E.A.D』から生まれた君たちだ」


「きわめてヒトに近いが、明らかに『ヒト』ではない『モノ』」


「非生物だが知能を持つ存在。彼らに意識があるとするならば、彼らは権利と義務、そして自由を得るべきなのか?」


「この疑問に対して客観的な理論に基づいて『意識』が説明できるのであれば、『意識の程度』が定義できる。そしてそれがコミュニティに受容されるのであれば、適切な判断が下せるはずだ」


 うん、ここに異論はない。

 ヒトの社会をモデリング、形作るのにマウスではなくとてもヒトに似たモノを使うというのは、なかなかに僕らにとっては胸の悪くなる話だが、理屈はわかる。


「まず意識とは何か?目で見る事か?耳で聞くことか?判断することか?」


 いや、それはただのセンサーだ、重要なのは……。


「『区別』することです。自分と他人を、自他を区別すること。自分の周りに自分以外の見えない膜を作る事。それが『意識』です」


「まさにそれだ。例えば有名な『チューリングテスト』を例に出してみよう」


「被験者がマシンに質問を投げかけて、帰ってくるその答えから相手を人間かマシンかを判断する。被験者がマシンと判断できなければ、そのマシンは意識を持っていると定義できるというものだ」


「意味が有るようで無い実験ですね」


「そもそもヒトの会話にそんなルールは存在しません。環境、仲間、世界のあらゆるものをネタにして、不道徳なことも含めて好き勝手に話している。そのテストは制限された環境下で、それっぽく振る舞うゲームでしかない。意識や知性の問題とはかけ離れている。被験者の勝手な『思い込み』です」


「その通りだ。この『チューリングテスト』の問題はまさにそれだ。部屋の向こうからの質問の投げかけ、会話が無いんだ。」


「しかしこの『思い込み』は私と君の間で行われているものでもあるだろう?」

 

「自分自身で何を考えているかはわかっても、他人の頭の中は覗けない。そういう風に見えて、そういう風に思い込みたいだけだ」


「……自分自身を含めて、そこにあると思い込んでいると?」


「そうさ。現に君たちは今を見、生きているわけではない。視覚情報も脳の中で再構成され、数秒の内容がまとめて再生されている」


「世界のすべてが本質的にはニセモノだという事実に、人の心は耐えられない」


「――しかし物理的プロセスで意識なる『モノ』が存在している場合はどうかな?」


 

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