第82話 ほのかな明かりの中で

 残った白いなれ果ての残骸を始末して、僕らは今日の寝床を探すことにした。


 1階は論外。3階以上は逃げるのに不便すぎる。というわけで、入院棟の2階にあった、備蓄品倉庫の隣りの部屋に僕らはベースキャンプを設営した。


 室内で火を焚くのはどうかと思ったが、外で無防備になりたくない。

 床を燃やさないように、中庭の花壇から石のブロックをかっぱらってきて、その上に折り畳みの簡易ストーブを置く。


 固形燃料に火を灯すと、病棟の壁にストーブの脚の影が映し出される。僕の身じろぎや息で炎が揺ぐと、それに合わせて脚の影もまるで海藻のように揺れていた。


 厚手のカーテンをテープで止めているから、光が外に漏れることは無いだろうけど、夜に光や煙が出るモノを使うのは、手早く済ませたい。


 レーションはプロテインバーでいいや、そこまで贅沢も……おっ、このレーションはおやつのチョコ入りだ。大当たりだ。


 若干粉をふいているチョコを、ウララさんと分け合ってかじる。


「お茶も残り少なくなってきたかな」


「どこかで調達しないとでっすね」


 ケトルに水を入れ、沸かし始める。


 去年ここに来た衛兵隊が残していったのだろう。大量の四角いポリタンクの中に水が保存していた。しかし消毒液を盛大にぶち込んだのか、水はかなり塩素臭い。

 火にかけて沸騰させれば、そこまでひどい臭いは残らないとおもけど……。


 この水でお茶を淹れていいものか?

 えい、思い切って入れてしまえ。


 水が緑がかった金色に染まると、部屋の中に豊かな花の香りが満ちる。

 おお、大自然の驚異が塩素に勝ったぞ!……ちょっと違う気もするけど。

 

 お茶の袋の中身、その量を確かめてみる。


「あと一回はできるかな?」


「大事に味わうですね~」


 できたてお茶を二つのカップにわけて彼女を分け合った。

 消毒薬の臭いが残るかとおもったけど、その心配は無用だったな。


 ウララさんはカップを両手に抱えて「ふぅ」と一息ついていた。頬が赤らんで、お茶の温かさで血色を取り戻したといった様子だ。


 しかし病棟というのは何か落ち着かないな。


 病棟というのは当然のことながらベッドに患者を寝かせて治療する所だ。


 なのでベッドの周りには、看護師が動き回れるようなスペースが空いている。それがどうにも部屋に空白感というか、本来何かがあるべき場所に収まっていないという、空っぽの印象を僕に感じさせるのだ。


「広すぎて、かえってなんか落ち着かないね」


「でっすね~、フユさんと私だけだと広すぎまっす」 


 開けすぎた場所にいると不安なのはウララさんも変わらないのか、こちらに身を寄せてくる。僕はそっと彼女の体に寄りかかった。

 温かくて、彼女が息をするたびに背中が押される。


「農場で相談したことだけど…‥」


「はいでっす?」


「僕のワガママに付き合ってくれて……ありがとう」


「恥ずかしくて、あの時に言った言葉を繰り返すことはできないけど、ウララさんには、これだけは伝えたかったんだ」


 彼女はうつむきがちになり、目を細める。


「……それはちがうんでっす、私も……見てみたくなったんです。この世界を見れば見るほど、いろんな事がわかってきました」


 くいっとカップを傾けたあと、花の香りをさせて彼女は続けた。


「世界を歩けばどんどん増えて、見えてくる、多くの『意味』。これは私が変わっているのか、それとも私の周りの世界が変わって言ってるのか――」


「こんなに『言葉』や『意味』に真実味を感じたことは、これまで無かったんです。わたしは、農場の外の世界をぜんぜん知らなかった……、いいえ、感じたことがなかったでっすから」


「確かにそうだね。僕がイルマから出る事が無かったら、こんなにも色んな人のモノの『見かた』を知ったり、受け止めて彼らのように考えることは無かったとおもう。OZ、衛兵隊、そしてクズ拾い――」


「OZの人たち、野盗の人たちが、仲間たちと輝くような毎日を送っているというのも信じられなかった。僕は彼らの事を、ただ通行料をせびるだけの無法者としか思ってなかった」


「オズマさんはスゴイ人でっしたね~、まさか最初のアガルタに入れるなんて、私は思ってもみなかったです」


「うん、最初のアガルタの衝撃は、僕は今でも忘れられないよ」


「あれ、ゲーム機として売り出せばすっごい大儲けできませんでっす?」


「毎回ものすごいめまいで吐きそうになってあそぶのはちょっとなぁ……」

「あっ、そういえばそうでしたね~」


「でも、ほんとうにそうだね、いろんなことを知った」


「でっす!世界にこんなにも名前や見方があるなんて、知らなかったんです」


「……うん、ならもっといろんなことを知るためにも――」


「ちゃっちゃと終わらすでっす、よね?」


 僕は、ほのかな灯りの上で彼女とカップを突き合わせる。

 そして虫の音を聞きながら、僕たちは眠りについた。

 目が覚め、夜が明けているのに気づいた僕は、太陽がビルの間から立ち上がってくる姿を見ていた。


 生きていないモノたち、アンデッドによる、本当に意味があるかも定かではない、そんな戦争のまっ最中だというのに、太陽は明るく輝いていて、空気は冷たさを持っている。


 僕は肌を突き刺す冷たさと、指の間を通る空気にどこか濃さを感じた。

 今日は空気が澄んでいる。高いところに登れば、遠くまで見渡せそうだ。


 どうか僕らの前に、通るべき道がありますように。

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