第76話 アラカワ水耕栽培場

 装備を受け取った僕たちは、VTOLに乗って一路、アラカワへと向かった。

 アラカワはこの東京全体の水源となっていた一級河川だ。

 だが、今となっては取水する者は僅かで、流れる水は海へそのまま注がれている。


 空からは見下ろすと、大きな河川が幾重にも分かれて、都市部を侵食しているさまが見て取れた。まるでこの場所が、本来の姿に還ろうとしているようだった。


 ステラさんが言うには、1万年ほど昔、縄文時代と呼ばれていた頃は、この辺りは海岸線になっていて、湿地帯が広がっていたそうだ。


 僕たちが目指すのはこのアラカワを越えた先、サイタマ側にある農場地帯だ。


 眼下には黄色、緑、黒、色も形も様々な農地が、ジグソーパズルみたいに敷き詰められて広がっている。僕たちはそのピースのひとつに降り立った。


★★★


「フユ、足で歩こうと思うな。パワーアーマーは重さに任せて歩くんだ」


「はいっ!」


 僕は生まれて初めてパワーアーマーを着て歩いている。

 意外なことに、足だけ歩こうとすると、まるでうまくいかない。


 パワーアーマーを使う時は、「歩き出し」を意識しないといけない。

 体を前に傾け、足は差し出すだけ。これがパワーアーマーで歩くときのコツだ。


「そうそう、いい調子よ」


「だいぶ慣れてきた気がします。ステラさんやクガイさんみたいに、アーマーを着たままでジャンプしたりは、まだ無理ですけど……」


「セントール用のパワーアーマーはないんでっす?みなさんだけ、ズルイでっす!」


「いうてウララちゃんは、そこらのオンボロパワーアーマーより重装甲やけどな?」


 ズシンズシン足音を言わせて歩いているのは、僕とステラさんにクガイさんだ。


 僕たちはシリンジの中身と、「白いなれ果て」に対応しているワクチンを打ったが、これに本当に予防効果があるかは未知数なのだ。

 なので、念には念を入れて、こんな重装備をしている。


 だけど、セントールのウララはもちろん、ネリーさんもその体の都合で、パワーアーマーを着ることができないらしい。


 ……まあ二人とも、素のパワーと装甲は、僕らより優れているのだが。


 ここはイルマから遠く離れた、アラカワを越えた先のサイタマだ。

 僕らがこんな遠方にまで来た理由は、製作したウィルスの実地試験を行うためだ。


 プラスチック製のシリンジに詰められたのは、造兵工廠で得られたデータから作られた、ごく少量の液体。これが「白いなれ果て」に効くなら、この戦いのパワーバランスは、僕らの方へと大きく傾く。


 VTOLでもって農場の近くに乗り付けた僕たちは、手早く拠点を設営すると、早速シリンジを試せる目標を探して、狩りに出かけている。


 農場はなれ果てによる襲撃を受け放棄されてから、一月になるらしい。

 近くにまったく人の気配はない。


 農場の畑には、雑草が目立つ。

 そしてトウモロコシなんかの作物と並んで、全く関係のない別の植物が、まだらに繁茂している光景が広がっている。


 ここは少しづつだが、自然に還っていっているようだ。


「だいぶ草が高くなってきていまっすね。きっと夏には人の高さを越えるです」


「こんだけ畑拓くのに、えらい手間かかってんやろ?元に戻るんは一瞬やな」


「いったん停止して、周囲を観察しましょう」


「ええ、草で視界が悪くて、いつ不意打ちを受けてもおかしくないですね」


 僕はスコープを覗く。特に動くものなんかの反応は無いな。


「特に反応なし」と僕が言うと、ステラさんはハンドサインで隊全体を矢じりの形にするように指示する。探索する角度をより広げるつもりだろう。


 しかし、パワーアーマーだと潜伏や偵察どころじゃないな。

 しゃがむことはギリギリできるが、このスーツは伏せることが大の苦手なのだ。


 いやできなくは無いか、強く非推奨と言った方が正しいだろう。

 特に手を使って立ち上がるなんてすると、手首にべらぼうに負荷がかかるし、デリケートな指のマニュピレーターが砂まみれ、泥まみれになっちゃうからね。


 突撃!突撃!バンザーイ!!する分には、パワーアーマーは最善の選択だ。


 だけど今回みたいに、索敵と偵察も任務の大きな部分を占めていると、ちょっと都合が変わってくる。この装備は隠密行動に死ぬほど向かない。


 ま、慣らしにはちょうど良いか。バチバチの戦闘で初めてパワーアーマーを着こむというのは、あまりにも恐ろしすぎる。


「ウララさん、襲撃があったのって?」


「――そうでっすね、このまま東に行けば中央棟が見えてくるはずでっす」


 僕らがそのまま歩みを進めると、激しい火災があったのか、焼け落ちてうず高く積もった残骸と、骨組みだけが残る建物の群れが見えた。


 衛兵隊に借りたアサルトガンを少し高く構える。


 完全に射撃姿勢で構えると、このバカでかい銃を顔の前に置くことになり、視界を塞いでものすごい邪魔になる。ほぼ前が見えなくなるので、緩く構えるだけだ。


 こいつはネリーさんが造兵工廠で使っていたのと同じものだ。

 航空機や車両の車載機銃として装備される12.7mm重機関銃を、鋼鉄製のカバーに包んで、アサルトライフルと同じような使用感で使えるようにしているのだ。


 装弾数は200発。一発一発が通常のアンデッドにとっては必殺の一撃なので、個人が使える物で、これ以上のマシンガンは無いといってもいい。


 焼け跡を見るとなるほど、ここは水耕栽培施設だったのか。


 廃墟の中には水を通すための無数の導管と、ポットの並べられた棚が並んでいる。

 棚はどれもが高熱で火災の高熱で炙られ、変形して黒焦げになっていた。

 導管だけが焼け落ちた棚の形を示すように、その場にそっくり残っている。


 そして、残骸の中には、ヒトの形をしたものがあった。

 きゅっと体を抱くようにして、その大きさは信じられないくらいに縮んでいる。


 悲惨な光景が頭に焼き付きそうだ……あまり見ないようにしよう。


「これは全滅……といってもいいわね」


「――ッ!」


 何かが近づいてくる。

 ウララさんみたいな蹄の音だ、だけど、その音の重量感が段違いだ。


 ドドドッっと音が止まって、僕らの目の前で止まったモノ。

 僕はパワーアーマーのヘルメットの裏、バイザー越しに息をのんだ。


 ウララと同じようなセントール――

 だけどその姿は、黒い焼け跡の中では異常に目立つ白い姿だった。


 4肢の胴体に、ヒトの上半身が繋がれた、白いなれ果てのセントールだ。


 そいつはまるで貝殻が組み合わさったような、滑らかな流線形の甲冑に身を包んでいた。まるで物語に出てくる中世の騎士のような重装備。


 ヘルメットからは長い銀髪が溢れている。

 あれは……女性体がベースなのだろうか?


 そいつのヒトの体を象った手には、生物の骨みたいな、名状しがたいシルエットの銃と槍が交じり合ったような奇妙な獲物を握りしめている。

 そしてもう片方には、水滴の形をした大楯を握っている。


 その姿に僕は、奇妙な美しさすら感じた。


 ――一体どうすればいい?これは本当に傷つけて良いものなのか?


「「エンゲージ!!」」


 ステラさんの叫びで、僕は「はっ」と我にかえった。


 既に僕の目の前には、白いなれ果てから突き出された槍が、目前に迫っていた。

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