第70話 小さな完成、大きな未完成

 イルマの北に拠点を構えた僕たちは、そこにバリケードを建てたり、トラップを仕掛けたりと色々してたら夜遅くなったので、そのままそこで一夜を明かした。


 ――ただ寝ただけだ。

 何度でも言うが、一緒になって寝ただけだ。


 そのあとイルマに帰ると、「やあ」とクガイさんに挨拶された。

 微笑んでいるのに、全く眼が笑っていなかったクガイさんは、僕らを捕まえると、飛行場まで連れていく。


 そしてそのまま、そこに駐機してあった垂直離着陸機VTOLに放り込まれた。


 VTOLのサイズは、突撃部隊が使うようなものより大きい。

 輸送ヘリコプターと輸送機の間くらいだろうか?


 20人くらいは軽く乗れそうだな。かといって、4輪車両が乗れるほどの大きさではない。そんな感じの大きさだ。


「いきなり人さらいに会うとは思いませんでした」


「お前たちが急にいなくなったものだからな」


「えっフユさん、外に出るの、誰にも伝えなかったんです?」

「うん。あでっ」


 僕はウララさんにべしっと頭頂部をチョップされた。

 よくよく考えたら、割とやらかし案件だった。


「やー、あんたらいつのまにか、結構重要人物になってるみたいやな?」


「あっネリーさん?」


 VTOLの操縦席についていたのは、ネリーさんで、副操縦手席にいるのはステラさんだ。ステラさんが手招きするので、そちらに向かうと、ある物を手渡された。


「これ、返しておくわね」

「あっ、すっかり忘れてました」


 レヴィアタンのアトリエに入るときに、ステラさんに預けていた赤いスピネルだ。

 いっそのこと、あの地下に安置できるなら、それでよかった気もするけど。


 返って来たものはしょうがない。僕はポケットに再度そいつを収めた。


「さて、帰って来たばかりで悪いけど、出発しましょうか。目的地はヒノデにある、日防軍の造兵工廠よ」


 VTOLの4基のエンジンがうなりを上げて、駐機場から飛び立った。


 滑走もなしにいきなり飛び立つものだから、なんとなく落ち着かない。


 缶詰はゆっくりと飛び上がるけど、こいつは僕らをシートに頭から押し付けるようにしてぐっと立ち上がるようにして空に上がる。


 そもそも空を飛んでると結構緊張するんだよね。

 狭い機内の圧迫感、ガタガタ揺れて軋む機体に、不安感も感じる。


「そう固くならないで、道すがら、なにかお話でもしましょうか」


「お話でっすか?」


「そう、昔々の話よ。私たちが使うこういったエンジンが無い時代、ヒトは蒸気機関を使っていたわ。機関車や蒸気船、わかるかしら?」


「ぽっぽーっていうあの機関車でっすね?」


「そう、でも当時は、なぜ蒸気機関が動いているのか、その理由がわからなかった」


「わからないのに使ってる?……いや、それは僕らも同じですね。アンデッド自体がまだまだ解らないことだらけだ。」


「そうだな。使うだけなら、割と誰にでもできる。それで次にどうなった?」


 興味深そうにステラさんに話の続きを促したのはクガイさんだ。

 彼女は確かにこういう話に強そうだよな。


「時代が下って、アーサー・ウルフの開発した高圧機関が発明されたわ。その蒸気機関は、ワットの開発した機関の2倍の効率を持つ。でも何故そうなるのか?その理由が誰にもわからなかったの」


「当時の機械の改良というは、経験に基づいた場当たり的なものであり、要するに……テキトーだったのよ」


「それに手を付けたのが、カルノーという人なの。彼はまず、ワットの改良の手順を再考することから始めたわ」


「ワットは哲学者でもあったの。ワットの改良プロセスは、エンジニアとしても理論家としても、一貫して考え抜かれたものであったわ」


「なるほど、論理が実験によって再現性のある物として証明され、定理として定義される。科学的手法とはそういうものだな」


「ええ。彼は動力発生の条件を見出したわ。当時、過熱することで蒸気機関はその力を強くすると思われていた。しかしそうではなかった。なぜか?」


「ボイラーを過熱しすぎるあまり、蒸気が水にもどらなくなる。そしてピストンは止まる。そう、蒸気機関には高温だけでなく、低温も必要だったのよ」


「そうだな。蒸気機関や発電タービンには過熱度というものがある。ようは温度が高すぎると、その分がエネルギーとしてムダになるという事だが……」


「そう、それがカルノーサイクルの発見へつながるの。あらゆる熱機関の効率には理論的限界がある。その最適な効率を叩き出す理論が、『カルノー熱サイクル』ね」


「それがどういう理論かというと、仮に永久機関が存在したとしても、そのパワーは通常の熱機関には絶対に勝てないっていう話ね」


 はえー、ぜんぜんわからん。

 僕とウララさんは二人して????って感じだ。


「不正確な例えだけど、例えば海水温と船の温度差を利用して進む船があるとしましょう。はい、どうなりますか?」


 僕らはステラさんに。先生が生徒にするようにぴしっと指を差された。


「海水と、舟の温度が同じになれば止まるのでは?」


「じゃあまた動かすためにはどうしましょう?手で温める?船の上で火を焚く?」


「あー、普通に蒸気機関で動かした方がよさそう」

「それなら漕いだ方が速いでっす!!」


「とまあ、そういう話なの。この熱力学は後続する科学の基盤になったわ。エントロピー、量子力学、情報理論や統計力学、複雑系を統制するのにも使われるわね」


「カルノーが行ったことの本質は、必要十分条件を絞り込んだことよ」


「なんですそれ?」


「そうね、わかりやすく言うなら、アンデッドが必要条件。そのなかで、クズ拾い、衛兵隊、なれはて、これらは十分条件。これで何となくわかるかしら?」


「なるほど??」


「そして、私たちアンデッドが生まれる前の時代、その時代に問題になっていたのは、『情報の保存則は成立するのか?』成立するなら、その条件は?という事ね」


「わかんないでっす!!」


「言い換えると『情報とエネルギーの互換可能性は本当に存在するのか?』ということになるわね」


「んんん?」


「もっと言いましょう。コミュニケーションの本質とは何か?定義の必要十分条件に、どこまでを含むべきなのか?脳の中で行われている事は何なのか?」


「さらに、さらに言いましょう。情報には質量があるのか?情報とエネルギー、どちらが基本的なものなのか?それとも等価なのか?」


「わわわ……」


「見えたぞ。ステラ、君の言っていることは、マクスウェルの悪魔、ランダウア―の原理についてだな?」


「流石ね。コンピューターはメモリのクリアを行わないと計算時間が膨大になるわ。なので情報は消去される。ここで熱力学でいう均一化が起きている、つまり逆説的に情報にはエネルギーが存在していることになる」


「つまり忘れる前の状態は、燃料を抱え込んでいることになる。膨大な情報、記憶を抱え込むことが可能で、もしそんなものがあれば、どうなるのかしらね?」


「ステラさん、それって――」


「造兵工廠が見えて来たわね。降りる用意をしましょう。」

「そうそう、これはある小説家の書いた一節だけど……」


「小さな完成よりも、あなたの孕んでいるより大きな未完成なもの。それがあることを、忘れてはならないように思う」


「私たちは道半ばに生まれた、小さな完成だったのかもしれないわね」

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